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何故か裸足のその人物は、ぺたぺたとグルシェムの傍らにまで来るとノットの方を向いて動きを止めた。身なりや雰囲気こそ異様で気味が悪いが、背丈はどう見ても子どもだった。
「司令官、これが?」
「そうだ。こいつを貴様に預ける、好きにしろ」
「なっ……」
横暴にも程がある。反論のしようなど毛頭ないことは承知していたが、にわかには受け入れられない。司令官は子どものお守りをしろと言うのか。
「返事はどうした、ブラックシューター」
「……わかりました」
もはや躊躇いの余地すらなかった。グルシェムは満足と安堵の混じった溜め息を漏らすと、頼んだぞと言った。
初めからこうなるだろうということは大よそ見当がついていたが、やはり気が重い。
いつの間にかノットの視界に入り込んだ子どもは、彼の隣に立ち下から覗き込んでくる。相変わらずノットからは表情が見えなかったが向こうからは見えているのだろうか、唯一顕になった口元が弧を描いた。
「何だ?」
首を傾げるノットの腕を小さな手が掴み扉の方へと引いていく。抗おうと思えばそれは容易かったが、唐突に傾いた重心は引き戻す前に不気味な新入りのあとをついていく。
「しかと任せたぞ」
「司令官っ!」
二人が司令室の外へ踏み出した瞬間に、まるで意志を持って待っていたかのように扉がひとりでに閉じた。渋々了承はしたが納得はしていない。
「何だかんだで引き受けてくれましたねぇ、ブラックシューター様」
たった二人しかいない廊下で、口を開く。
フードを取りくるりとノットを振り向き見つめる大きな目は鈍く光る金。亜麻色のショートカットの少女は、含んだ笑みを浮かべていた。
「てっきり君は口数が少ないものだと思ったのだが」
「あはぁ、口数が少ないってより無口でミステリアスな女の子を演じてみたんですよ」
「何故」
「さあ、わかりません」
「……」
けらけら笑う少女を、ノットは自身の持つ常識ではとても理解し難い。掴み所のない浮いた口調と物言いは、背丈や顔つきに比べ 大人びているように思えるが思考回路が滅茶苦茶だ。正直なところ、ノットは理屈に当てはめられないこの手の人格者を苦手としているのだ。
「あっはは!見た目通り真面目な人ですねぇ、ブラックシューター様は。チェルシーって呼んでください、因みに役名はまだないですよぉ」
彼の苦悩を知ってか知らずか、チェルシーは幼さ引く声を低く唸らせる。それでいてふざけた調子で愉快そうに笑う。ノットはと言えばその真逆である。
今からでも断れないだろうか、いや無理だろう。
止まることを知らない言葉の数に圧倒され訝しげに少女を眺めながらの自問自答は、検討の余地なく解決してしまった。
「あたし、ブラックシューター様の相棒になりたいんですよねぇ」
「……は?」
また唐突に、なんということを言い出すのか。
「冗談で言ってるんじゃないですよ?本気ですって」
信じてくださいよぅと両の腕を大袈裟に振り回してはいるものの、抑揚のほとんどないために心底信じさせようとしている風にはとても見えない。先程からチェルシーのペースに置き去りにされるノットだったが、今度こそは本当に呆れざるを得ない。
ブラックシューターという人物は、この暁帝国においてトップクラスの人材なのである。ノット自身が自負しているわけではないが、現時点でグルシェムを含めた社員のただ一人としてブラックシューターの敗北を目にした者はいない。言わばエリートな彼の相棒志願者が義務教育すら終了していないような新入りだなんて反感を買わずに罷り通れるわけがないのた。
「今は無理だ」
「今は……ってことは、そのうちしてくれるんですね、相棒に」
しまった。子どもが相手だと油断した。
かと言って今更否定すれば揚げ足を取られるのが目に見える。
「君が相応の実力を身につければ、まあ‥‥考えておこう」
まったく面倒な新入りをよこしてくれたものだ、司令官。
世界征服を目的として掲げているものの、ヒーローや悪の組織関連の仕事は収入がいいと評判のため、この頃は千差万別の志を抱いて入社してくる若者が後を絶たないのだ。
安定した収入を得たいが為に。
活躍によって自らの名を知らしめたいが為に。
暇を持て余したが為に。
故に世界の事情なんてものは、もはやただの建て前に過ぎない。馬鹿正直に当初の目的を真っ直ぐに見つめているのはもはや両側の大ボスくらいのものだ。
『世界征服の為に全力を注ぐと誓いますか?』
そんな書類に「イエス」の文字を書いてしまえば即日採用のこの御時世。チェルシーとかいうこの少女も自分の相棒になるべく入社したらしいが、やはり世界なんて知ったことではないようだ。
返事をはぐらかしたことで不服そうに頬を膨らませている。わざとらしい。
「ま、断られると思いましたけどねぇ。それはそうとですよ、ブラックシューター様、なんて長ったらしいじゃないですか。本名は何というんです、ねぇ、ブラックシューター様」
役名に長ったらしいなどという文句をつけられたのは初めてだ。そう言う割に何度も連呼するあたり、図々しいに加え性格も捻じ曲がっているらしい。無礼極まりない娘だが、子どもなのだからと意識してしまうために調子を狂わされてしまう。
「……ノットだ。君には組織のルールの前に礼儀を叩き込むべきかも知れない」
「礼儀を弁えた上で、ですよぉ。あと、ちゃんとチェルシーって呼んでくださいね、ノット様」
現時点で正しい礼儀は敬称だけだろう。
思いやられるこの先を想像し、ノットはまた溜め息を吐き出した。