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Not Knock  作者: モク
第1章 ブラックシューター
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 翌日、悪の組織随一の大手会社『暁帝国』はその日も忙しい朝を迎える。


 落下するような感覚に、ノットは目を覚ました。耳の近くで、きぃと軋む音がした。ぼんやり霞む視界が鮮明になってくると、冷たい鼠色の天井が映る。


 ああ、コンタクトを外す前に眠ってしまったらしい。



「う……」



 続いて上体を起こすと、首に鈍い痛みを覚えた。呻きながらゆっくりと部屋を見渡す。

 思い出した。

 書類の整理をしていたはずが、椅子に腰掛けたまま眠っていた。


 閉じた黒いカーテンからは、太陽の光が細く差し込んでいる。のそのそと首を押さえながら立ち上がるとすぐに、無理な姿勢で寝ていたせいで寝違えただけでなく身体の至る箇所がずきずきと痛み出した。



「しまった、いつの間に」



 鈍痛に次いで倦怠感まで乗っかってくるのに気がついたが、それに甘えている余地はない。まったく、横になって寝なければろくなことにならない。ノットは自身でも珍しいと呆れる失態に顔をしかめた。普段はどうしても浅い睡眠しか取れないというのに、今度は意識がいつ飛んでいったのかすらわからない。


 デスクの上には未処理の書類が積み上げられている。ほとんど作業を始めたときと変わっていない。

 気の緩みだろうか。昨日は仕事を放って眠りこけてしまうくらいに疲れていた覚えはない。動いたことといえば、例によってまた一人、ヒーローを倒したことくらいか。それも容易いものだった。


 結論を言えば特に大きな理由もなく、職業柄、日々のストレスが蓄積されているだけなのだが、彼はあれでもないこれでもないと真面目に思考を巡らせる。

 そんなとき、部屋の扉を小さく叩く音がした。



「お目覚めになられていますか、ブラックシューター様」



 柔らかく物腰の低い調の声が向こうから聞こえる。組織の部下だ。椅子の背もたれのせいでついた僅かな寝癖をくしゃりと掴みながら、ノットは応答する。



「ああ、すまない。今しがた目が覚めたところだ」


「この頃お疲れのようでしたね」


「まあそんなことはいい。用件は何だ」



 無駄話だ、と気遣うようにかけられた言葉を流し目的を催促すると、部屋の外の部下は怯んだような一瞬の間を置き、事を端的に伝えた。



「司令官がお呼びです。早急に貴方様を連れてくるように、と」



 組織の幹部である司令官。

 暁帝国の最高責任者の彼の上にいるのは、大陸中に散らばる全ての悪の組織を束ねている悪の権現たる魔王ただ一人である。そのため言うまでもなく命に逆らえば耐え難い苦痛を伴う罰を受けるが、特に逆らう理由もない。



「わかった、すぐに向かおう。君は持ち場へ戻って構わない」



 部下の短い了解を確認し、髪を掴んでいた手を離す。すると寝起きとは思えない、嘘のように整った黒髪が彼の動きに連動して揺れる。クローゼットに掛けられた、ブラックシューターの黒いコートを手に取り羽織ると、ノットは扉を押し開け司令室へと足を進めた。


 組織の中では黒や紫、深い青といった色を基調とした衣服を仕事のコスチュームに選ぶことが多い。単純にその色が好きだという理由を主とする者もいるが、大抵はヒーローとの判別がしやすいからである。いくら対立しているからとはいえ、実力を厭わず互いに何千、何万という数の人員を雇っている。魔王や司令官といえど、新入りや弱くて目立たない者の顔と名前など、片手に書類がなければそう簡単に覚えていられるものではない。


 偶にポップでファンシーでファンキーなギャルを思わせるコスチュームの悪志願者が現れるが、情報が行き渡らず組織内を歩いていただけでヒーローと間違えられたという不幸な奴もいたと聞く。ノットはその件に関わっていなかったのだが、後に聞いた話では、可哀想にその少女は組織でも十本の指に入るエリートにこてんぱんにされ、怪我とトラウマで呆気なく辞めてしまったらしい。


 ヒーロー側の情報はあまり入ってこないが、時々ダークヒーローなんて名乗る種の輩が出てくるから、似たようなこともあるかも知れないなとこっそり想像したりもするのだ。


 組織の中やヒーローとの戦闘に赴くときに彼らが名乗る名は、役名と呼ばれている。

 ノットの役名は、”ブラックシューター”。

 色の名前が入っていることもあり、ノットのコスチュームも全身がほとんど黒に包まれている。


 因みに役名は、自分でつける者もいれば他人のセンスに頼る者もいる。ヒーローも然りだが、彼らはきっと自分で考えているのだろうとノットは考えている。



(役名に”マン”をつければいいと考えている奴が、最近は多い気がするのだが)



 悪の組織のみならず、守るべき一般人にも覚えてもらわなければならない名前なのだから、ぞんざいに扱っていいものではなかろうに。たかが役名、されど役名なのだ。


 中には数ヶ月ごとに役名を変えるヒーローもいるそうだ。会う度に名前を変えられるのでは、相手としてたまったものではない。



「これだから近頃の若者は……」



 口に出してから、はっとした。一体どこの老人の台詞だ。自分もまだ若者の分類に入るはず。 人間二十代も後半にさしかかり仕事に追われるとこうなるのかと、少し危機感を覚えるのだった。


 司令室の扉は、深い瑠璃色の板の周りに何本もの鬼の角が生えているかのように縁どられた黄金の飾りが施されている。

 要するに、よく目立つ。悪趣味だと囁かれているのは言うまでもなく、司令官ですら苦笑やら嫌味やらを零す始末だ。


 先代の司令官の趣味で数十年前に作り直されたものらしいのだが、その先代が生きていたとして、とても仲良くはなれそうにないなとノットは前を通る度に思っていた。

 薄く塗装の剥がれ落ちた扉を軽く叩くと、どうぞと少々機嫌の悪い返事がする。



「寝起きかブラックシューター」



 ノットの顔を見るなり眉間に皺を寄せ怪訝な表情の司令官、グルシェム。艶めく短いブロンズの髪に端整な顔立ちをしているのだが、常にと言っていい程機嫌が悪く見えるため、近づきたがる女はいない。

 一見して失態を見抜かれたノットはぐっと言葉を詰まらせ返答しない。



「まあいいだろう。貴様を呼んだのは、新入りの教育係を引き受けてもらいたくてな」



 グルシェムが早く話を終わらせたいと目がものを言っているのがひしひしと伝わってくる。ノットも、面倒だと心中で溜め息をついた。まだこれ以上仕事が増えるのか。しかも教育係とは‥‥一体いつまでかかるものか知れない。

 だが司令官直々の命令だ、断るどころか優先して遂行するべき任務である。



「新入り、とは」


「来い」



 グルシェムの鋭い言葉のあと、司令室の隅から小さな影が二人の前に現れた。気配を消していたのか、全く気づかなかった。

 モッズコートのフードまで深くかぶり、その顔や性別などは伺えない。

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