後悔の日記
二十歳の頃、同じサークルに好きな人がいた。初恋ではないが、退屈な人生を輝きで満たしてくれるくらい素敵な人だった。
初めて彼女と出会った時は自分の好みの容姿に興味を引かれ、彼女に話しかける度にその朗らかで優しい性格に徐々に惹かれていった。
しかし告白するような勇気なんかあるはずもなく、しばらくして彼女は違うゼミのやつと付き合い始めた。どちらかと言えば頭脳労働が似合いそうな俺とは違う、筋肉質な体育会系のやつだ。
それを知った夜は涙で枕を濡らした。この胸に溜まった真っ黒な鬱憤を晴らすために、飲めない酒を浴びるように飲み、友達と愚痴を語り合った。
しかしそもそも彼女は高嶺の花。もともと叶うはずの恋ではなかったのだ。そう自分に言い聞かせて彼女を忘れる事にした。ただ、もう恋なんてしない、その言葉を忘れることがないだろう。
その一年後、サークルを辞めていた彼女と久しぶりに会った。すぐに別れるわけにもいかず、そのまま少しだけ会話することになった。
彼女は前に見た時よりも、少しばかり大人っぽくなっていた。より魅力的な笑顔を浮かべ、彼女は俺にこう言った。
「君の事、好きだったんだ」
はは、なんだそれ。つまり両想いだったって事か。そして彼女と別れた後、俺はアスファルトにつばをはいた。俯いてる俺の足元で太陽の光を反射する濡れたそれは、何も知らない第三者から見れば涙のように見えた事だろう。
風の噂によれば、彼女はその時付き合っていた彼と結婚したらしい。出来ることなら幸せで生きていてほしいものだ。
四十歳の頃、勤めていた仕事をクビになった。自慢ではないが俺はそこそこの地位に登り詰め、部下に頼られるほどの能力も有った。
しかし上司が起こした不祥事の尻拭い、それと責任の押し付けによる首切りを何とかするほどの能力はなかった。失礼な話だが人を切るのならもっと相応しい人物がいるはずなのだ。
例えば無能な人材だとか。しかし前述した通り俺にはそこそこの能力がある。人事部の中では、俺がその上司の座につく日もそう遠くはないと言う噂が流れていて、もちろんその上司もそれを知っていた。
要は目障りだったのだろう。
そして全ての責任を押し付けられ、混乱して錯乱した思考を停止した頭で抵抗することすら出来ず、そのまま会社を去ることになった。
その数年後、数字がどんどんと減っていく通帳をテーブルに置きながらテレビを眺めていると、労働基準法が改正されたことを知った。組織側の不当な解雇も有利な訴訟を起こすことが出来るようになるらしい。
俺の頭は真っ白になった。気が付いた時には粉々の木片が床に散らばっていた。右手には以前、護身用に買った金属バットが握られていた。
そして六十歳の頃、俺は死んだ。随分と短命だと自分でも思う。それもこれもたまりにたまった心労のせいだろう。
その最後は一人きりの部屋の中でベッドに寝転びながら自らの虚しい人生を思い浮かべていた。結局そこから意味を見出すことは出来なかった。
そばには誰もいない。死神ですらいない。恐らくしばらくして知らない誰かに発見されるのだろう。ニュースにもならないよな。いや、もしかしたら俺の死をきっかけにして、テレビ番組で老人の孤独死の問題が扱われるかも知れないな。
それで老人の孤独死が減ることになったら、それだけで無意味な人生を有意義な物だったと言い張れる事が出来るようになるな。
俺はかすかに笑みを浮かべ、まぶたをゆっくりと閉じた。
――そして十七歳の今、ノートに走らせていたペンを止めた。俺はノートの上の文章に目を通す。それらは日記なのだが、不思議な事に一度も体験したことのない事柄だ。
それもそのはず、俺はまだ十七歳だからだ。まだ本当の絶望なんて見たこともない。
両開きのノートをゆっくりと閉じると、表紙には雑な文字が書き殴られていた。
『後悔の日記』。
後悔なんてしたくない、悔しさに枕を濡らすことだってしたくない。その内容を本当に体験する日が訪れないように、常に笑顔を忘れないためにも、この人生を全力で生きることにしよう。
――――だけどそれは明日から。今日はもう寝る。だってすごい眠いもん。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。
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