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蒼い目、猫魂

作者: たかむし

それは突然始まった。

まさか、とは思ったけれど、そのまさか、の中に入り込んでしまうと、彼の薄ら笑いさえ正当化された。


私はその日、招き猫とある契約を交わした。


「何もかもうまくいかない」

私は自宅であるマンションのドアを開け、ぱたりとそれを閉じたあと、灯のない玄関でそう呟いた。

何もかもうまくいかない。

最近はずっとそうだ。

仕事も恋愛も友人との関係も。何もかも。

ひとつ駒がはずれると、ガラガラ音を立てて、いやな連鎖を起こす。

もうここ最近ずっと。

だから、あまり笑わなくなってしまった。

その連鎖が始まった最初のうちは私も解決策がないか、と前向きさは維持していた。

しかしだ。その連鎖は私を嘲笑うかのように、深く墜ちて行く。

そのうち、私は気力を失い、もう何もかもがいやになり、ただ時間が過ぎることを幸運に思った。

誰や彼やから罵倒され、陰口を叩かれ、うんざりだったが、その感覚さえ麻痺し、気がつけば、雑音にしか聞こえなくなり、その度に、不適な笑いを返してしまい、さらに炎上


もう浮上はできない。


そう決めてしまうと、少しだけ心が楽になる。


私は玄関先で書類が詰まったケースを投げた。

きちんと留め金をしていなかったためか、それがはずれ、中身がバラバラと溢れ出る。

「ああああああああ、もう!!!」

突如、大きな声がでた。

自分でも驚くほどに。


『まだ生きる気力はあるようだな』


目の前に招き猫がいた。

私、こんなもの、買ったかしら?

散らばった書類を上に四つん這いの状態になって、その猫を見た。

大きくて真っ青な目をしていた。

外国の招き猫なのかしら?

毛の色は黒。

私はその招き猫を手に取ろうとした。

その瞬間だった。

その招き猫の後ろに、ずざざざざっと大きな音を立て

何匹もの招き猫が現れた。

その列は玄関を抜け、リビングの扉を突き破り、繋がっていた。


「嘘でしょ」


私はいちばん先頭の招き猫をもう一度見た。

先ほどとかわることなく、大きな瞳は私を見ていた。

その後ろの招き猫は先頭のそれにピッタリくっついていた。

よく見ると、その招き猫には目がなかった。

その次もその次も。ずっと続く招き猫たちには目がなかった。


私は立ち上がり、靴を脱ぎ、書類を拾いながら、招き猫行列を横目にリビングに向かった。

「あー、ドア壊れてるじゃん」

私はドアを突き抜けた招き猫を見て、ため息をつく。

ドアをあけると、またギョッとした。

ものすごく巨大な招き猫がそこにいたのだ。

頭は天井すれすれ。

その大きさのため、リビングの有様は酷かった。

お気に入りのソファは無残にも猫の下敷きになって、その足が猫の体からはみ出て見える。

テーブルはどこに行ったのだろう。見えもしない。

リビングから繋がっているキッチンのカウンターには大きなしっぽが置かれており、食器類がぐちゃぐちゃになっていた。

割れているものもあり、ガラス破片がそこらへんに散らかっている。

ドラマ等でよく見る、あの泥棒が入ったあとのような荒れようだった。

ただ一点違うのは、中央に、巨大猫がいる。

「冗談でしょ」


もう、本当に最悪。

本当に何もかもうまくいかない。

極めつけがこれなの?


私はその巨大な招き猫を見上げた。

もちろん、ルームライトは壊れ、猫の頭の上には割れたカバーと電球が乗っている。

はあ。

ため息しか出ない。

てか、これ現実?

夢見てるんじゃないの?


その巨大な招き猫には目がある。蒼く大きな目。

先頭の猫と同じだ。大きさは何百倍もあったけれど。

だからかもしれない。


綺麗。


素直にそう思ってしまった。

その瞳を見ると、少し安心して、部屋の荒れようを忘れてしまいそうだった。

そんな落ちついていられる状態ではないのは分かっていることだが、とにかく私はその目に見入ってしまった。


綺麗。

その瞳の色は真夏のあの眩しい青空を詰め込んだようなまっすぐな蒼だった。


私は招き猫に近づいた。

猫の足には、玄関から続いている小さな招き猫が繋がっていた。


『まだ生きる気力はあるようだな』


まただ。

さっきの声。


私は巨大な招き猫に触れてみた。

本物の猫のように体は柔らかく、呼吸をしているようにも思える。


『私の声が聞こえるか?』

私はとたんに、猫から離れた。勢いよく離れたために、その場に尻餅をついてしまった。そのため、小さな招き猫を何匹か壊してしまい、行列を乱した。


「あ、ご、ごめんなさい。やだ、どうしよう」

粉々になってしまった数体の招き猫を見て、私は泣きそうになった。


『それもまた運命。謝ることではない。ところで、声が聞こえるか?』

巨大猫が自分の尻尾を上下させたことで、またいくつかの食器が割れる音が響いた。


私は尻餅をついたまま、一度こくりと頷いた。


『取引をしようではないか』

「…と、り、引き」

自分の口から出た言葉なのに、ものすごく違和感があった。

擦れて、あまり上手く話せてはいなかったような気もする。


私は立ち上がろうと、腰を浮かせたが、すぐにまたぺたんと座り込んでしまった。まさか、腰を抜かしている?しばらく、足掻いてみたが、どうも立ち上がることができない。

私は一度大きく息を吐くと、床に座ったまま、猫を見上げるため、顔を上に向けた。


『何もかも思い通りになる。すべてがうまくいく』

「……」

『そのかわり、お前は私の猫たちに目を与えてくれたらいい』

どういうことだろう?

ダルマに目を入れるように、描けばいいのだろうか?

巨大猫の蒼い目が波を携えているかのように揺れ動く。

心がすっと落ちつく。綺麗なのだ、やはり。

「どうやって」

『簡単なことだ』

グラリと巨大猫の体が揺れたかと思うと、私の目の前に、猫の顔があった。

その動作のせいで、また何かが倒れる音がした。やれやれ。

『この招き猫たちを世話すればいい。いつも綺麗に磨いてやってくれ。毛色が輝くように丁寧にな。そして、おまじないをしてくれ。目が宿るようにと。』

私の足元には、ズラズラ、小さい招き猫たちがいる。

こんなにたくさん!?

「無理よ、こんなにたくさん。それに、私は暇じゃないの。仕事してるし、それに、この部屋!どーしてくれるの?ていうか、どこから入ってきたの?」

言えば、化け物だ。そんなもの相手に、私は何を言ってるんだろう、とも頭の片隅では思っていた。

それに、普通なら、この状況は恐怖に違いないのに、私は何も怖くない。この状況を受けて入れている自分に笑えた。

『取引しないのか?』

「するも何も、確証が持てない!」

私は猫相手に、噛み付くように言い返した。

あ、さっきより声が出る。


『じゃあ、試しに、お前の今、叶えたいことでも考えるがよい。それを叶えてやろう。そうしたら、招き猫たちの手入れをしてくれるか?』

猫はずいずい、また顔を近づけてくる。

「は?じゃあ、あんたがいなくなることだね。じゃないと、この部屋片付かないじゃないの。」

と話した途端、すっと猫の顔が消えた。

なんだ、夢だったんじゃん。私、相当疲れてるんだな。

と思った瞬間、意識がぷつりと切れた気がした。


目覚めた時は朝だった。

私は慌てて、腕時計で時間を確認する。

5時ちょうどだった。

いたたたた。

なんだか、体中がものすごく痛い。

手元に、小さい招き猫が転がっている。

夢じゃなかったんだ。

部屋の荒れようも昨日のままだった。

私はとりあえず、体を起こし、風呂場に向かった。

そこにも小さい招き猫が湯船や壁にそって綺麗に並んでいる。

「こんなにたくさん手入れなんてできるわけないじゃないの」

私は服を脱ぎ、シャワーを浴びた。招き猫たちも濡れて行く。

濡れたためなのか、その風呂場の招き猫たちは綺麗に見えた。黒光り、とでも言うべきか。キラキラしているように見える。

私は一体を手に取り、試しに、タオルを使い、力をあまり入れず、磨いてみた。

一瞬、猫が笑ったように思えた。

そういえば。

あの巨大な猫は消えてくれた。それは私の願いを叶えた、ことになるのだろうか。でも、それはなんとなく腑に落ちない。


私はなんとなく、そこにあった猫たちを磨き始めることにした。裸のままで何をやっているのだ、と思いながらも、磨き続けた。

ころころころころ。

やっぱり招き猫が笑っている。

その笑い声はとても心地よかった。

すべて磨き終わる頃、私の体は冷えきっていた。

春になったとは言え、まだ朝は肌寒いのだ。私は何度かくしゃみをした。


リビングに戻って、やはりその荒れように、項垂れてしまう。

ここの掃除か。何日かかるのかしら。

仕事に行っている間に、この招き猫たちが駒使いのように、片付けてくれたらいいのにな。

私は足元に転がっている招き猫を拾い上げる。

「どれくらいお世話すればいいんだろうね?」


散らばった破片で怪我をしては困ると思い、ガラス類を片付けてから仕事に行く用意をした。

ああ、そうだ。今日の会議のファイル、まとめてなかった。愕然とする。

本当についてない。

私はどこまで墜ちれば、いいのだろう。私の陥っている悪循環は底なしなのかもしれない。大きな溜息が出た。

と、同時に、パサリと頭の上に何かが落ちてきた。

一枚の紙切れ。

「契約書」とある。

こんな会議資料あったかしら?私はその用紙をまじまじと見つめた。


「貴方との取引。

【私が与えるもの】貴方の望みのすべて。

【貴方が与えるもの】招き猫たちの蒼い目。

**貴方が与えるための条件⇒世話をすること。目が宿るよう祈ること。

以上。

ご契約してくださる場合は、下記に署名、捺印をお願いします。」


あ。と声がでてしまう。

私の望み、すべて、か。

先ほど、一応、猫たちを磨いたので、もしかしたら、望み叶うかしら?と半信半疑で、今の望みを声に出して言ってみた。


「今日、仕事に行かなくてもすむ」


静まり返った部屋に、私の声が響く。


「なーんてことないか」

私は、ふふ、と情けない声で小さく笑ってすぐあとに、

携帯のバイブレーションの音が鳴り出した。

嫌な予感がする。

奇想天外な事件のあと、現実に引き戻される。

また罵声を飛ばされる電話だと思うと憂鬱になる。


「もしもし」

「あ、久世さん。こちら、成瀬ですけど。

今日ね、なんかよく分からないんだけど、

うちの部署、コンピューターがすべてストップしちゃって。

今、大変な騒ぎみたいで、仕事できる状態じゃないんだってさー。

だから、今日、私達にできることないし、来られても、邪魔なだけだから、

休め!って部長から電話があったの。

それ久世さんに伝えておけって。じゃ、そういうことでー。ばいばーい。」

同僚からの気の抜けたような電話だった。


何、コンピューターストップって。

私は今までのデータが失われたんじゃないか、と咄嗟にそちらの方を心配した。

いずれ、復旧して、もし、データがなければ、その後処理は私達じゃないのか?と思うとゾッとした。今日が休みでも、次の日からの膨大な仕事量に絶句する。

いろんなことを考え始めて、泣きそうになった。ほら、悪循環じゃない。なによ。


あ。

でも。

休みになった。


望みが叶ったのだ。

私は先ほど拾い上げた猫を磨いた。

ただの偶然に過ぎないかもしれない。

猫を磨いたところで、今後、望みが叶うとは限らない。

それに。

今回のは悪循環の少しだけの回避であって、私の暗い道のりはまだまだ続くのだ。

それでもだ。

私は猫を磨かずにはいられなかった。


その日から。

私は狂い始めた。


毎日毎日。猫を磨いては、目が宿るように祈り、そして、私の願いを呟いた。まだまだ猫はたくさんいる。私はまだまだ望みを叶えることができる。

笑いが止まらなかった。

私は異様なほど痩せていた。

食べることより寝ることより、猫を磨くことに幸せを感じた。

綺麗に黒光りをするそれらを綺麗に並べると、恍惚の喜びを感じた。

そして、その目は蒼く蒼く、何時間でも眺めていられる。

あははははははははは、ははははははは…ははは?ははは??


【No.0802 KUZE NANAMI 契約終了】


さよなら、さよなら、さようなら。


まだまだ魂を集めなければ私は世界を見通すことができない。

ほら、望みを叶えてあげるよ?ここにおいでよ。契約を交わさないか?

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― 新着の感想 ―
[一言] 大きな猫の瞳の描写が綺麗で妖しげで印象に残りました。
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