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狐と巫女

彼女の母は巫女だった。ゆえに、7歳になった彼女は自然と巫女になった。

彼女の祖父は神職だった。しかし、彼女の父は神職には就かなかった。ゆえに、その神社に秘したる事実を父は知る術もなく、それはそのまま娘に継承された。

事実を知った娘は、事実を知らぬままの父に親近感を抱けなくなった。

その娘の名は、中村夏苗という。


築雲稲荷神社。

町民にとっては、初詣や季節のお祭り、厄祓いなどで一度は訪れたことがあるなじみの場所。九重川を水源とし、稲作が盛んだったかつての築雲を知る由緒正しい神社でもある。

ただ、その由緒はやや正しすぎて、厄を祓う、その機能に対しても正当な技術を今に伝えていた。


「夏苗、やはりお前は筋がいい。お前の摺る墨には思いが良く溶け込んでおる」

「ったりまえよ。任せといて、おじいちゃん」

身を清め、白装束で墨を摺る。黒檀の文机に向かう彼女は、そのよどみなき動きや美しい姿勢、そして自身の若さも相まって、どこか神がかった雰囲気を放っている。


「この筆も、いずれお前に継がせよう」

祖父は孫のその姿を眩しいものを見るように眺めながら、文箱から、使い込まれて軸があめ色になった筆をとりだした。

それを右手で掲げ持ち、そして左手で種々の印を結びながら対応する呪を口ずさんでゆく。たっぷり1分ほどその動作を行った後、急急如律令の言葉でそれを締めくくった。


(うーん、3メガ弱くらいかなぁ。ほんと、効率悪いよねぇ…)

ゆるゆると、節くれだった、しかし美しく伸ばされた祖父の指の先から、思念が、思いが筆に宿っていく。

その所作は幼いころからもう何度も見ており、夏苗もそらんじることはできる。しかし、それと同等のことを、いや、それ以上のことを、夏苗たちの世代は3タップで成してしまうことができるのだ。


つまりはスマートフォンで「アプリ:式神工房」を立ち上げ、そこから筆に宿らせる式を選択するだけでいい。


「今日は厄除けと勉学成就、それから何だったかな?」

「恋愛成就。ついでに商売繁盛よ」

「ふむ」

いわゆる「お札」の販売は神社の重要な副収入だ。夏苗のアイディアでインターネット通販も手がけている。築雲稲荷神社の札は効果があると評判で人気商品となっているのだ。


さらさらと。

和紙の上に筆が流れる音だけが、静かな神殿に染み込んでいく。

「よし、一般のものはこれで終わりだな」

夏苗の摺った墨で一通りの札を書き終えた祖父はゆっくりと首を回し肩の凝りをほぐす。


『そろそろ儂の出番かぇ?』


そこに夏苗のものでもなく、そして祖父のものでもない声が割り込んだ。神殿にいるのは二人きりであるにもかかわらず。

「ええ。お出まし願えますか? もうしばらくすれば瑠璃殿も来られるゆえ」


ぎぃ、と、扉は少しも動いていないのに、ご神体を祀る祭壇の扉が開く音がする。

かさかささわさわと、揺れてもいないのに紙垂しでの摺れあう音がする。誰もいないはずなのに確かな気配があり、きし、きし、と床板がきしむ音が、夏苗とその祖父のもとに近づいていくる。


「たまちゃん」

と、夏苗が微笑む。

これ、と、祖父がその呼び方をたしなめる。

『よいよい。夏苗かぇ。久しぶりじゃのぉ』

そして声が降ってきた。そして「それ」は「そこ」に在った。巫女装束の狐美女。この神社のご神体にして、伝承級の式神。


「玉藻御前」

と、祖父は恭しくその名を口にする。ほほ、と玉藻が笑う。

『確かに儂は玉藻ではあるがのぉ、その切れ端のようなものじゃから、そう畏まらんで良い』

笑って玉藻は続けた。


『瑠璃のやつに調伏され、儂は己を知ったわ。それまでの儂は、要するにそなたらの言葉でいう「中二病」という病にかかっておったのだろう。今思い起こしても相当にイタい思い出じゃ』

狐美女は視線をそらすとやや赤面し、その流れるような黒髪の上に乗っかった、狐耳をぺたんと伏せる。


「ひゃー、たまちゃん、それそれ、その表情、超萌える」

それを見ていた夏苗が、両手を胸元にいじいじと悶える。

『おぉ、そうかぇ?』

ぴこん、と玉藻の片耳が立った。そして糸目をさらに細くして嬉しそうに微笑むと、

『では、こんなのはどうじゃ?』

何を勘違いしたのか、胸元を強調するグラビアアイドルのようなポーズを取る。

「むぅ、たまちゃん、それ、貧乳な私へのあてつけ?」

『ま、待て待て、そういつもりではなくての』


笑ってじゃれあいをはじめた孫娘と、そして、この神社の中核となる存在。

それらを、祖父たる神職は複雑な思いを抱いて見つめる。


たしかに、「思い」は時代に合わせて変性する。稲荷神社とて、その源流は「稲が生る」であったが、いつしか狐のイメージの方が強くなっていった。彼もご神体が狐の姿で現れることに違和感を感じることはない。

しかし、これはずいぶんと、神たる存在と、そして人との垣根が低くなってしまったものだと思う。

私が若かったころは――。在りし日に思いをはせようとした祖父は、静かな足音と、落ち着いた声にその思考を止められる。


「なんだお前、また難しい顔をしているな」

「…瑠璃殿」

振り返ると、そこには、一部の隙もなく、漆黒のスーツをまとった女性。

「あなたは変わりませんな」

年輪のように皺を刻み込んでいった老爺は、瑠璃を見上げると、在りし日の少年のように微笑む。

「お前も変わらんよ。そうやって物事を難しく考える癖も、何もかもな」

それを受け、瑞々しい若さをたたえた女性は、老獪に笑う。笑ってから、怪しげなポーズを作りあっている神と娘とを沈痛な面持ちで見やった。


「そして玉藻、お前はネットの影響を受けすぎだ」

『そうおっしゃられてもな、瑠璃、我が主よ』

夏苗とじゃれていた玉藻は、水を向けられると居住まいを正し、ふわりと夏苗の隣に腰を下ろす。獣耳とふさふさの2本の尾さえなければ、両者は仲の良い姉妹のように見える。


『もう、儂を恐れる者が僅かしかおらぬ以上、致し方ないというものじゃ。儂を恐れ敬うのは、ほれ、そこにおるような老人ばかりじゃぞ』

「御前」

祖父が苦笑いをする。


「私はたまちゃんのこと好きだよ。かわいいし、やさしいし、そして尻尾はもふもふだし」

『儂を語る物語が、そのように変質しておるからのぉ。特に築雲は学園都市じゃ。若者が多い。よって、儂はあまたの玉藻の中でもハイカラな部類じゃろうて』


しかしのぉ。


と、玉藻が纏う雰囲気が変わる。ぴん、と、それまで緩んでいた空気が張る。神殿が、神殿のおごそかさを取り戻す。夏苗も表情を引き締め、祖父は静かに眼を閉じる。


『その中核はけして変じぬ。儂はこの社の神として創造され、築雲の豊穣をつかさどる権能を与えられし存在である』


神の気配。それが神殿に満ちてゆく。

『して、儂を祀る者たちよ。そして儂を従えし姫よ。そなたらとの契約、ここに果たそうではないか』

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