設定解説04《隠り世》―パワーレベリング
そういえば、こうやって女の子の手をとって、古城から脱出する名作ゲームが昔あったらしい。
左手に麻里衣のぬくもりを感じながら、創がやや現実逃避気味になるほど事態は混沌を極めていた。
屋上から7階に降りるやいなや、
『じゃ、サクサク行くにゃ』
おもむろにナオが3年7組の扉を開た。
「は?」
事態についていけない創が見守る間に、6組の、5組の、4組の、扉を、扉を、扉を、その猫の手で器用にバンバン開けてゆく。
1組まで開け終わると、その白い身体を躍動させ、長い尾をたなびかせロケットのように2人のもとに戻ってきた。
『ここは学校の《隠り世》にゃので、作りは簡単にゃ。教室の中に思念が渦巻いているにゃ』
ナオの説明によれば、人が喜怒哀楽を感じると《向こう側》の世界にそのエネルギーが放出されるらしい。放出された感情のエネルギー、すなわち《思念》は時間とともに減衰していくが、一瞬で大量に放出されたり、多くの人々によって恒常的に放出され続けると《向こう側》で分化するそうだ。
『にゃので、沢山の人が常にいて、いっぱい思念を出してる学校や病院、それから遊園地なんかも《隠り世》をもつのにゃ』
それが、ドアをバンバン開けることとどのような関係が?
そう問いただそうとした創に、
『説明台詞はここで終わりにゃ。来るのにゃ』
特に緊迫感もないナオのセリフと、廊下中に響き渡るガタガタという物音、
「ひぅっ!」
それを耳にした麻里衣が、しゃっくりのように悲鳴を飲み込み、ぎゅっと創の手を握り直した。
非現実なものが動く様を見るのはやっぱり「ぎょっ」とするんだな。創の冷静な部分がそうささやく。
ぎょっとして、固まって、取り乱しそうになったのだが。
「ひぅっ、ひぅぅっぅー!」
もはや両手で、それが命綱であるかのように創の手を握りしめる麻里衣を見ていると、そんな思いも霧散してしまった。彼女はその細い瞳にいっぱいの涙をためているが、あいにく創にも、この光景を前にそれを気遣う精神的余裕が無い。
怖いモノ。それは視界に収め続けておかねば、想像の中で何倍にも怖くなってしまうのだ。
ゆえに、創は教室から溢れ出る影達を見つめ続ける。
『さぁ、創。容量の限界まで、かたっぱしから吸引するにゃよ』
開いた各クラスの扉から、出るわ出るわ、学校の怪談。それらを爪で引き裂き、長い尻尾で絞め殺し、振り回し、愉快でしかたがないといった声音でナオが告げる。
「ガチンコは苦手じゃなかったんですか?」
襲い来る偉人の銅像の首が飛び、著名な音楽家の、動き出した絵画は真っ二つに引き裂かれ、人体模型と骨格標本はその2本に別れた尾の前に粉砕される。
残骸となったそれらは、ゆるゆると靄に変わり、創のもつスマートフォンに吸い込まれていく。
『《格》が違いすぎるにゃよ。魔法使いだってLV99ににゃったら、スライム相手に肉弾戦で無双できるにゃ』
まぁ、ようするにパワーレベリング、ってやつだな、これ。
ナオが、現状をゲームに例えて説明してくれたため、創もすんなりと状況を理解することができた。
「リアルでやられるとこんなふうになるのか」
アプリ《式神工房》の、どんどん上昇する思念ストレージ量を見ながら、やや方向性の違う感動とともに呟く。また、大量の思念に暴露し続けていることから、自身のコントロール可能な思念量、すなわち《格》も上昇の一途をたどっている。
ついさっきまで駆け出しでしかなかった創は、すでに中堅手前のキャパシティーに達しつつあった。
『7、6、5階と余裕でクリアにゃ』
「お疲れ様です」
まだ4階もあるのか。
ふっとばされ続ける学校の怪談たちと、変わらない建物の構造が、創から時間感覚を奪っている。7階のスタート時から変わっているものといえば、とうとう意識を手放しダウンしてしまった麻里衣を背負っていることくらいか。
「一旦戻りませんか? あなたの主人がダウンしている」
『重いにゃ?』
5階は高等部1年の教室が並び、4階への下り階段と《隠り世》からの脱出口である鳥居が設置されている。
「重…、くはない」
ゲーマーであり、もちろんインドア派である創にとって、女の子とはいえ、同年代の、しかも意識のない人間を背負って動くのはけっこう骨の折れる仕事だ。しかし、ここで「重い」と答えようものなら、必ずナオが目覚めた麻里衣に告げ口するだろう。
『じゃ、役得にゃ?』
「それは」
そして、極力意識しないようにしているが、健全な男子高校生にとってこの状況は色々と大変だ。
「否定しません」
温かかったり、いい匂いだったり、着痩せするタイプなのか、あんなところやこんなところが柔らかすぎたり。ついでに首筋に息がかかったりするので、もう、体力の限界でぶっ倒れるまで背負っていてもいいやといった気分にすらなる。
『にゅふふ。正直は美徳にゃ。無駄な思念が体にたまらないし健康にもいいにゃ』
それを聞いたナオは、やはり創にも分かるあの表情でニヤッと笑った。
『にゃぁ、休憩がてら構築するのがいいにゃ』
「再ポップとかしないのですか?」
『ポップにゃ?』
「あの変なのが、また現れないかってことです」
『にゃるほど。心配いらにゃいにゃ。ここは管理された《隠り世》にゃ』
階段横の1年1組の教室に入り、手近な机に飛び乗ってくるくると長い尻尾を自身の足元に巻きつけながらナオが言う。
いわく、管理された《隠り世》は内部の条件を管理者が自由に設定できるらしい。
ここは訓練用に、侵入と同時に構造も異形たちの生息数も規定される設定になっているそうだ。ゆえに、倒されてしまった敵の再ポップはない。
「MOダンジョンかよ」
『にゃ?』
「ああ、こっちの話です」
《隠り世》を管理する担当者は通称ダンジョンマスターと呼ばれているとかいないとか。
『マリーはそのへんの椅子に放り出しておけばいいにゃ』
そして自身の式神の構築をしてみろとナオは言う。
「はぁ。…離れませんね」
言われたとおり、近くの椅子を引いてそこに麻里衣のおしりを乗せることには成功するも、創の首に回された腕が外れない。
『にゃぁ。そういえばマリーは抱きまくらがないと眠れない子だったにゃぁ』
「僕は枕か」
沈痛な面持ちでため息をつくも、
『役得にゃ?』
「ぐっ」
男子高校生にとっては全てこの一言でカウンター可能である。
仕方ないのでもう一つ椅子を引いて麻里衣の真横に腰を下ろし、スマートフォンの画面を覗きこんだ。はたから見れば創にしなだれかかって眠る麻里衣。バカップル、リア充爆発しろの構図になっている。
「僕は《採集》系に特化すれば良かったんですよね」
しなだれかかった柔らかくて暖かくていい匂いの物体を全力で意識の外に追いやると、創はスマートフォンを握りしめナオに問いかける。
『ほかにやりたいことがあるにゃら、無理強いはしないにゃ』
机の上で丸くなり、創のスマートフォンを覗き込みながらナオが言う。
「いえ、僕もガチンコとかする気はありませんので、適任でしょう」
MMORPGでも、戦士などの前衛キャラでプレイしたことはなく、妨害役や補助役ばかりをこなしてきた。純粋な攻撃役でもなく、回復役でもない。つまり自分はそういった性格なのだろうと考えている。つまりは、ややひねくれているのだ。
アプリ、《式神工房》をタップ。画面内に紫色の人魂、すべての能力の種《勾玉》、が表示される。メニューをタップ。育成をタップ。
《はじめに《型》を選んでください》
のダイアログに迷うこよなく《憑依師》を選択する。
『もうイメージができてるにゃ?』
「ええ。《採集》はドロップアイテムを集めるわけじゃない。つまり、あの学校の怪談どもを積極的に倒す必要はない。合ってますよね」
『そうにゃ。《採集》は《隠り世》のフロアに生成される《物化思念:素材》を発見、収集するのが仕事にゃ』
「なら、やはり」
《心を落ち着け、《式神》のデザインをイメージし続けてください。準備ができたら《OK》をタップしてください》
刹那の迷いもなく、創は《OK》をタップする。スマートフォンを握りしめ、静かに目を閉じる。
にゃんと。これはにゃかにゃかの拾い物にゃぁ。
静かに目を閉じた創をみて、ナオは心のなかでひとりごちた。
この《イメージ》で、多くの浄念師が躓く。具現化するほど明確に己の能力を描き出すことができず、読み取りエラーを多発させ、挙句中途半端な式神を生み出してしまうのだ。
《イメージの読み取りが完了しました》
にも関わらず、創はたった1度の試みでそれを成功させる。手の中でスマートフォンがブルリと振動し、ポップアップしたダイアログに《OK》ボタンをタップ。
《《式神》のスキルを設定してください》
「よし」
そして、イメージが明確であるからこそ、式神のポテンシャルは高くなる。創はメモリ内の思念量が続く限りのスキルを、よどみなく選択・強化していく。
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主系:隠密
副系:採集
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《型》が決まれば、その《型》が選択可能な《系》、つまりはスキルツリーを選ぶことになる。創が選んだのは《隠密》。《憑依師》の隠密は、術者自身を覆い隠すスキルを多く持つ。
余談ではあるが、《式神使い》が《隠密》の《系》を選択した場合、式神自身が隠密スキルを多く持つことになる。また、《発気師》は、思念を周囲に散布する、ジャマーやチャフのような、一時的ではあるが広範囲型の認識阻害スキルが習得可能だ。
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選択・隠蔽(極式)★★★★★
選択・鬼見(極式)★★★★★
手動・隠蔽移動(初式)★
手動・鑑定(初式)★
自動・伝播(初式)★
自動・思念庫(小)★★
主装備・刃(初式)★
副装備・矢(初式)★
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『また、とんがったスキルの取り方にゃぁ』
スマホ画面を覗きこんでいるナオが興味深そうに呟く。
《音声認識用の名前を入力してください》
機械音声の次なる指示。画面には《勾玉》の姿はなくなり、代わりに、フード付きマントが揺らめいている。フード部分にはゴーグルが、そして、マントにはガントレッドが付属していた。
『にゃぁ』
なんとなく、ナオのその声音に褒められているような成分を感じながら、創は名前を入力していく。
「隠密装束」
《OK》と《召喚》をたてつづけにタップしたのは、はやる心を抑えきれなかったから。キュルキュルというノイズのあとに、創の身体はゆったりとした漆黒のクロークに包まれていた。
『お見事にゃ。ナオの目を持ってしても創が見えないにゃ。しかも、マリーまで消えてるにゃー』
長い尾の白猫の前には、誰も座っていない椅子が2脚あるように見える。
「消え続けると、少しずつとはいえ思念を消費する、か」
そしてそこから創の独り言のような呟きが聞こえてくる。
「って、あれは…?」
『ん? なんにゃ?』
麻里衣まで消えてしまったのはパッシヴスキル《伝播》の影響。初式のLVでは「触れている対象者1名を」追加で隠蔽することができる。
「机の中に何かあるみたいです」
式神《隠密装束》に憑依されている創は、フード部分にデザインされたゴーグルを装着することによって思念を見る《鬼見》スキルを発動することができるようになった。
『素材にゃ。この《隠り世》で採集できる一般的なものにゃ』
「一般的って、《カビたパン》って、出てるんですけど」
鑑定スキルを発動させてみた創が、ゴーグル裏面に浮かぶ情報にげんなりする。
『創は給食のパンを机に突っ込んだままでカビさせたことはにゃいのか?』
「いや、さすがにそれは」
『そうにゃのか? マリーは小さいころ…っと、何でもないにゃ』
言いかけてナオが急に明後日の方向を向く。
「ん、う…?」
すると創の肩のあたりで件の麻里衣が目覚める気配が。
「ナオさん、本当は見えてませんか?」
『自信を持つにゃ。創の隠蔽は完璧にゃよ。でも、ナオはマリーの《式神》にゃので、主人の状態は分かるにゃ』
底の知れないナオに、能力のお墨付きをもらえたことで創はやや安堵する。それは、少なくともナオクラスの相手を欺くことができるということにほかならない。
「では、思念がもったいないので解除します」
「んー。」
ぎゅ。
『にゃぁ』
隠蔽を解除すると同時に、寝ぼけた麻里衣に抱きしめられる。密着度合いが当社比160%ほどになり、
『マリー、もっと攻めるにゃ。創は陥落寸前にゃ』
ナオがあのニヤニヤ笑いを浮かべながら煽る。
「んー、かんらくー?」
もぞもぞと創の二の腕辺りに頬をこすりつけながら、ぽわぽわとした調子で麻里衣が答える。一方の創は、事態をなんとか軟着陸させるべく言葉を探しているらしいが、やはり「あー」だの「うー」だのをのたまうより他に術がない。
ややあって麻里衣と目が合う。
「あれー、渡来くんがいるよ。なんでー?」
にへら、と彼女は微笑んで、そのあまりに無防備な笑みに「や、やぁ」と、思わず創も微笑んで、ナオが『にゅふふ』と笑う。
『耳、ふさいだほうがいいにゃ』
ペタンと、その耳を器用に倒すナオ。麻里衣に抱きしめられる形の創は、理解も行動も追いつけない。
そして、
「ひやぁぁぁーっ?」
恥も外聞も、ついでにあられもない悲鳴が《隠り世》中に響き渡ったのだ。