設定解説01《型》―麻里衣とナオの出会い
「さて君たちは、自分がなぜこのクラスに配属されたのかは分かっていることだろうと思う」
時刻は18時15分。場所は視聴覚室。蛍光灯と夕日、そしてPCモニタのバックライト。さまざまな光が混じる空間に、20名弱の高校生が集っている。
「表向き君たちは《就職クラス》に属していることになっており、卒業後は本校の経営母体である葦原グループに就職することがほぼ内定している。まずその《設定》を頭に叩き込んでおいてほしい。浄念師になるわけだから、あながち間違っているわけでもないだろう」
《浄念師》という単語が教師の口から漏れた瞬間、生徒の雰囲気が変わる。大きな期待を示す者、不安をあらわにする者、どこか諦観を漂わせる者など、様々だ。
「浄念師になる最初のステップは《自身の型》を決めることだ。君たちの世代なら、ゲームにたとえた方が理解しやすいだろうか? ジョブや、クラスを決める、といった感じだ。今日の授業ではこの《型》について説明を行う」
教師がホワイトボードの中心にx軸とy軸を作り、その上下左右に円を描く。それを見ながら花田麻里衣は「怖いのは嫌だな」と一人ごちる。
自分がなぜこのクラスに配属されたのか。それは良く分かっている。
《見える》から。
《見える》事によって日常生活に支障をきたすからだ。
「一口に《浄念師》といっても、様々な《型》が存在し、必ずしも前線で思念の浄化を担当する者ばかりではない。戦うことに忌避感を覚える者はバックアップに回ることもできる」
そう言って教師はホワイトボードのy軸+方向の端の円内に《戦闘》、-方向の端の円内に《生産》、同様にx軸の+には《発気》、-には《式神》と記入する。
その説明により、不安と諦観を浮かべていた生徒たちの割合が大きく減る。麻里衣も「戦わなくてもいいんだ」と、少しだけ気持ちが楽になる。
「重要なのは、この一連の学びを通して、君たちが不安なく日常生活を送れるようになるということだ。つまり、《鬼》と出会っても自力で対応できるようになるということが、卒業の要件ということになる」
《鬼》。
その単語を聞いた瞬間に、麻里衣はあっという間にあの日に還る。それは《こちらの世界》に来ることが決定づけられてしまった日の記憶だ。
もともと人と違うものが《見える》子どもだった。神社の森に人ならざるモノを見たり、川の中に魚ではない存在を見たりした。ただ、そのころは《見える》ことが当たり前であり、特にそれらに興味を持つこともなかった。
しかし、心も体も成長し、徐々に自分自身というものが確立しだした頃。彼女は今まで風景でしかなかったそれらを、自らの意志で世界に招いた。
つまりは、友達に自慢したのだ。
「そこに尻尾が2本の猫がいるんだけど、みんなは見えないんだよね?」
その言葉は、観測の結果の発露。意識的な、それが、そこに在るという証明。
『にぁ?』
結果猫は、猫であるのに、自分に向かって笑いかける。
そして、世界が変わったのだ。
『マリーはビビリだから、コツコツとアイテムでも作っているのがお似合いにゃ』
スマートフォンの画面がオンになり、メッセンジャーがポップアップする。
『ビビリで悪いか!』
授業中ではあるが、即座に返信する。友達相手のそれとは違い、絵文字もスタンプもいらない。
『あきちもガチンコは苦手にゃ』
自分は、かなり幸せな出会いをしたのだな、と今になって思う。認識し、世界に招いた存在は
『あきちもとうとう見られるまでになったのにゃあ』
と、感慨深げにつぶやいたのだ。そして驚きで固まっている麻里依の瞳を覗き込むと
『ふーん。…いいにゃ。せっかくにゃ。あきちはあんたに飼われてやるにゃ。名前は?』
「え?」
そう言って麻里衣をさらに混乱させた。
猫を飼ったことがある者なら、その瞳の輝きに、おもちゃを前にウズウズしている子猫のそれを見たことだろう。
「ま、麻里依だよ。花田麻里依」
『マリーにゃ? 良い名だにゃ。じゃあマリー』
マリーじゃなくて麻里依。そう言い直そうかと思ったが、良い名と言われたのがなんとなく嬉しくて
「なあに?」
と返答する。
『あきちに名前をつけておくれ』
「え? いいの?」
団地住まいでペットを飼ったことがなかった幼き日の麻里衣は、喜んで夕暮れのオレンジにその身を透かせた猫の異形を見やる。
「ええと、えぇとね」
そしてたっぷりと30秒は考えたあとで
「ナオ」
と、それを呼んだ。
『ナオ、にゃ? 由来はなんにゃ?』
「猫はな~おって鳴くでしょ。それからね」
言って麻里衣はナオと呼んだ異形の、その際たる特徴である、麻里衣の身長ほどに長く、螺旋を描くように動く、先端が二股にわかれた白いしっぽを指差す。
「長い尾っぽ。ながお。だからナオ」
以来、ナオは麻里衣に飼われることとなった。麻里衣にとっては幸運なことであり、そしてナオにとってはややアテが外れた顛末であった。
『それからマリーは悪女にゃ』
『なんでよ!?』
スマートフォンをいじる麻里衣を視界に入れるも、教師は注意はしない。それら電子機器が、今日の浄念師たちにとって商売道具であることを知っているからだ。
『あきちは対等の契約を結びたかったのにゃ。にゃのに、マリーは本当の名前を偽ったにゃ』
『ナオが勝手に勘違いしたんでしょ』
「《式神》とは、思念を集め、自立式の使い魔を構築する《型》を指す。他方の《発気》とは思念を集め、それを直接使用する《型》を指す」
教師の説明は続いていく。
それを聞き、自身は確実に《式神》の側にあると麻里衣は理解する。
『おかげであきちはマリーの式神にゃ』
ナオもそれを肯定する。
『対等ならあーんにゃことや、こーんにゃこともできたのにゃ。無念なのにゃ』
『それ、ナオのほうが悪女っぽいよ』
その台詞に、猫又の式神はぷんすか怒っている絵文字を返してきた。
麻里衣は軽く苦笑し、再び教師の話に意識を向ける。
「君たちの中には、すでに式神を得ていたり、あるいは、善性の何者かに憑依されている者もいることだろう。そういった者たちは、与えられた力を伸ばす方向で《型》を考えるといい。そうでない者たちはこのグラフと、これから送る資料を参考に、来週までに自分のおおよその立ち位置を決めてくるように」
そう。ここには幸いな出会いを果たせなかった者たちだっているのだ。
生徒たちの端末に送られてきた資料には式神使い・傀儡使い・憑依師・符術師・発気師の5つの《型》が記載され、その一般的な詳細が記されていた。
望む望まないにかかわらず、すでに自分は《式神使い》らしい。
麻里衣は真剣な表情でそのページを読み込んでいった。