第六話 象牙の都市の陥落
海岸の国の艦隊の襲来から十三日目の早朝、象牙の都市の独立がまもなく終わりを迎えようとしていた。
既に限界に達し始めていた象牙の都市に留めを刺したのは、二千二百人を数える、サイードの軍勢の到来であった。この二千二百人の内、正規軍は五百人、残りは千七百名は元奴隷たちである。彼らの多くは、黒い人々の地出身の肌の黒い人々であり、その判別は容易であった。
「おい、海岸の国の奴ら、ほとんどが奴隷じゃないか」
「だが、あの奴隷軍団に、一軍が壊滅させられたらしいじゃあないか」
まだ無事な城壁の上から、陸路から襲来した海岸の国軍を見た傭兵たちがそんな会話をしていると、敵軍の様子を見るために通りかかったマリックは彼らに警鐘を鳴らした。
「その通りだ。油断するなよ。あいつらの装備を見てみろ。ほとんどの兵が最新の銃を持っている」
マリックが望遠鏡を渡すと、兵士たちは代わる変わるそれを覗き込んだ。
「た、確かに」
「奴隷だと侮ると我々は死ぬぞ」
マリックの言葉に、兵士たちは気を引き締めながら頷いた。満足げにそれを見ていたマリックは、ふとなにか思いついたような顔をした。
「それから、兵たちに緘口令を敷け」
「・・・・・・はっ?」
「外に居るのが奴隷の軍団だと都市の中の奴隷どもに知られてみろ。奴らは我々に襲いかかってくるぞ」
だが、マリックは知らなかったのである。街の高台にある立派な屋敷の一つに捕らえられていた奴隷の少女が、白いバルコニーから黒い人々の軍団を目撃していたことを。
象牙の都市のある奴隷商人の家には、一人の少女奴隷がいた。
少女は、ただの奴隷ではなかった。人間に使うにしてはいささか下種な言葉になるが、所謂”高級品”だったのである。
この少女が高級品である理由は、いくつかあったが、その一つは誰が見ても納得できるものだった。容姿がとにかく美しかったのである。まだまだ十四歳か、せいぜい十五歳にしか見えず、幼いあどけなさを残している少女は、紅炎の瞳と髪という、なかなか眼にすることのない容姿をしていた。そして、その現実離れした特徴に見合うだけの現実離れしたまでに完成された造形美をしていた。恐らく、どこぞの古代神殿にある稀代の名匠の作である彫像に傷がつくよりも、彼女の顔に傷がつくこと、これはほぼ同義であろう。
それほどに美しいその少女は、バルコニーの向こう、城壁の外に襲来した海岸の国の軍勢を見て、自ら自由になるべく行動を起こすことを決意した。彼女にはその力があった。彼女は文字通り、同年代の少女たちとは比べ物にならないほどに毛色が違ったのである。
まず、少女は部屋に飾られた花瓶から花々を抜き取ると、恐らく高価な品であるであろうそれを躊躇なく地面に叩き付けた。
「どうした!」
花瓶が無残な姿になる際の断末魔を聞きつけて部屋に入ってきたのは、市民権を持つ屋敷の使用人だった。彼は高級品である少女に傷でも付いたら、主人に怒られるかもしれないという心配をして、慌てて部屋に入ったのだ。だが、彼はそのような心配からだけでなく、彼の脳にあったすべての不安から解放された。部屋に入ってきた彼の頸部を、ドアの後ろに身を隠していた少女が花瓶の破片で切り裂いたのである。喉を裂かれ、悲鳴をあげることも出来ずに、使用人が倒れた。首からの出血は暫くの間、噴水のように噴き上がり絨毯に赤色の池を作っていたが、やがてそれも終わった。
「誰か!」
少女はドアを開け放し、大きな声で人を呼んだ。そして、ドアを閉め再びその後ろに身を隠した。
「どうなさいました?」
無警戒にドアを開けたのは、今度は奴隷の使用人だった。彼は目の前に死体を見つけると、とっさに誰かを呼ぼうと叫びそうになった。
「なっ! 誰・・・・・・」
「静かに。動かないで」
だが、叫びが実際に大きな音となる前に、後ろから現れた少女によって阻まれた。彼は喉元に鋭い花瓶の破片を突きつけられたのである。
「着いて来て」
少女に促されて、奴隷はバルコニーに出た。
「アレを見なさい」
少女の形の良い指の先を視線で辿っていくと、そこは北の城壁の外であり、殺到している海岸の国の軍隊が見えた。
「アレは・・・・・・」
「肌の色から奴隷たちが多くいることがわかるでしょう? 噂は本当だったということよ」
外に出ることも多かったこの奴隷は部屋に閉じ込められている少女に対して、都市の外での海岸の国による奴隷解放や、日に日に象牙の都市が劣勢に追い込まれている攻防戦についてよく話をしていた。その話しぶりには常にどこか自由を期待している含みがあったのを、少女は感じていたのである。
「喜びなさい。私たちが自由を取り戻すときが来たわよ」
少女の言葉に、この奴隷は力強く頷いた。そこに、迷いはなかった。
サイードは、象牙の都市の城壁のすぐ外側に到着すると、全軍に三時間程度の小休止を取らせた。そして、日が十分に昇ってくると、全軍を再度臨戦態勢にさせた。
「見よ! 既にわが艦隊の働きにより、城壁は崩れている」
サイードが宝剣を抜いたその刃の先には、砲撃で崩壊した城壁があった。
「残りの策は先立って教えたあれしかない。決して焦るな! そして、策が成った後にはもはや戦略や戦術はない。全軍突撃するのみだ!」
「「「了解!」」」
兵士たちの威勢の良い返事を聞いたサイードは、最後に力いっぱいに命じた。
「全軍突撃!」
二千二百の人間が銃剣を着けたまま、城壁の破れた箇所に乱入してくる様子を見て、マリックは部下たちに命じた。
「応戦せよ!」
マリックら象牙の都市軍にとって手痛かったのは、この城壁の破れた箇所が敵艦隊の砲撃の射程内であるということであった。事前に将兵を配置し、防御を固めると砲撃で薙ぎ払われてしまう。したがって、海岸の国がここに兵力を投入してからマリックも兵力を投入しなければならなかった。海岸の国軍が突撃してからでは、同士討ちを避けるために艦隊からの砲撃はないに違いないからである。
「全軍、一時停止!」
だが、サイードはその事を上手く利用してみせた。サイードの号令の下、海岸の国軍は綺麗に動きを止めたのである。この全軍の一時停止、これこそが、サイードが授けた最後の策だった。そしてこの程度のことならば指揮系統さえ整えてやれば、奴隷軍団でも十分可能であった。
「敵の動きが止まりました!」
傍にいるマリックに大きな声で報告する兵士に、マリックはいらつきながら答えた。
「見たら分かる」
マリックは、停止した海岸の国軍を注視した。マリックには果たして、この停止にどのような意味があるのか、すぐにはわからなかった。だが、やがて事態を理解し、思わず叫んだ。
「しまった! 全員五十・・・・・・百メートル後退!」
マリックの命令は、海岸の国艦隊からの砲撃によりかき消された。マリックらは、自分たちが海岸の国の艦隊の砲撃を受ける位置に居ることを一瞬だが考慮するのを忘れていたのである。海岸の国の陸軍が突入してこなければ、崩落した城壁付近の象牙の都市軍の兵たちに向けて海岸の国艦隊が攻撃を躊躇する理由はなにもなかった。
新鋭の戦列艦から放たれる砲弾は、展開していた象牙の都市軍の秩序を大きく乱した。
「さすがは姉上・・・・・・それともアリス殿かな?」
感心したように、サイードはひとりごちた。この策は、陸上と海上との間で打ち合わせなどない、ぶっつけ本番の策であったのだ。そのような突然の全軍停止というサイードの行動の意図を読み取ったのは、アリスであった。彼女は海上からサイードを援護するタイミングを見計らっていたが、なかなかそれが果たせずにいた。そんな彼女は、サイードの全軍停止を見て、そこに絶好の好機を見出したのである。
「よし、敵は崩れたぞ! 今度こそ全軍突撃!」
サイードの命令を受けて、二千二百の陸上部隊は再度城壁への突撃を行った。
「くっ。怯むな! 立て直しつつ守れ!」
砲撃によって、撒き散らされた粉塵にまみれながら、マリックは応戦するように命じた。
両軍が、いよいよ本格的に戦闘を開始した。
二千二百の海岸の国軍に対して、象牙の都市の兵力は二千八百とやや優勢であり、兵の質においても必ずしも劣っていなかった。海岸の国の兵は五百の近衛兵がいるとはいえ、残りは全て武装しただけの元奴隷たちである。一方の象牙の都市は、戦いなれた傭兵たちだけで構成されている。
だが、いざ戦いが始まると勝負は一方的に海岸の国に有利であった。砲撃でズタズタに分断され、傷ついたものも多く、装備に劣る象牙の都市軍を、戦意が高く、装備に優れる元奴隷たちは圧倒して見せた。
象牙の都市側はマリックが自身の近くの部隊の混乱をなんとか鎮めて、懸命に指揮を取ったからこそ、辛うじて戦線を維持できているのだった。
そこに、新たな報告がマリックの元に届いた。
「敵艦隊が動き出しました。上陸するつもりかもしれません!」
マリヘフとアリスは、陸の両軍が戦端を開いた今、砲撃による援護の機会はもはや訪れないだろうと判断し、海港部への上陸準備に取り掛かったのである。最も、このときにはまだ象牙の都市側の火砲が港に向けられているだろうという考えから、すぐに上陸に移るつもりはまったくなかった。
「砲撃で阻止しろ! その為に貴重な砲兵を港に向けて配置しているのだろうが!」
マリックが砲兵を配置している高台を指差していると、丁度その辺りから噴煙が起こった。そして、何秒かの間の後に、砲弾が象牙の都市軍の予備部隊を襲った。
「何事だ! 何があったのだ?」
マリックの疑問に答えることができる人物が現れたのは、それから一分後だった。
「大砲が反乱を起こした奴隷どもに奪われたようです!」
「何?」
予備部隊は、海側からは見えない、建物に囲まれた広場を中心に展開していた為に砲撃の被害を免れていたが、街の中の高台からは絶好の的であった。そして、今、こうしている間にも次の弾丸が飛んでくるに違いなかった。
象牙の都市の大砲が、自分の街を攻撃している様子を、アリスもまた、艦上から見ていた。
「状況は詳しくはわかりませんが・・・・・・いずれにせよ、敵の砲兵の注意が逸れているのは好機です。総員、陸戦用意! ただし、敵の妙な方角への砲撃が止んだ場合にはすぐさま退避を。砲口をこちらに向け直しているかもしれません」
アリスの支持を受けて、艦隊は上陸体勢を取った。上陸すれば、三千を超える兵が象牙の都市の地を踏むことになる。
「敵が上陸してきます!」
海上の敵がまもなく上陸してくるという報告を聞いたとき、マリックは完全に敗北を悟った。艦隊の規模から三千近い兵力が上陸してくるのは明らかであった。もし、この三千が上陸してくれば、自軍は数において敵方の半数になるばかりか、挟撃されることになるのである。
「ここまでか・・・・・・」
マリックは、天を仰ぐと、降伏を決意した。自分の給料分は、きちんと戦い、象牙の都市への義理は十分以上に果した、と考えたのであった。
「旗手! 旗を白旗にしろ! 降伏するのだ!」
司令官のこのような声に、傭兵たちは浮き足立った。その中には、そそくさと逃げ出すものすら居た。だが、マリックは彼らに努めて冷静に命じた。
「動揺するな! 逃げるな! 整然と降伏すれば生命は助かるだろう。だが、背中を向ければ殺されるぞ! 死にたいのか!」
これを聞いた象牙の都市軍は、命令どおり整然と、とはいかなかったが、次々に降伏を始めた。最前線にいて、命のやりとりをする兵士たちにはそのような降伏は難しかったが、後ろの兵士たちが次々に武器を捨て両手を掲げる様子を見て、やがて、武器を捨て始めた。海岸の国の兵士たちも、そこを攻撃するような真似はしなかった。
「白旗です、陛下」
「うむ」
部下の言葉に応えながら、サイードは馬を進め、自軍の一番先頭に立った。それに呼応するように、マリックも前へと進み出た。こちらは、馬を降り、既に剣を捨てた格好であった。どちらが勝者かどうか一目瞭然であり、戦いが終わったことを両軍の兵士たち全てがはっきりと理解した。
「マリック提督だな」
サイードの言葉には敗者をあざ笑う色などまったくなかった。マリックはかつて海賊として海岸の国の商船もしばしば襲っていたので、その名声は、サイードも良く知っていた。
「はい、陛下」
マリックは跪き、頭を垂れながら重苦しく返事をした。
「海上が専門の君が、陸に上がって指揮を取るなんてね」
「この都市の太守は、常日頃は、都市が攻撃された際には太守として自ら先頭に立つ故、陸を任せる将は要らぬと豪語しておりました。しかし、実際には館に篭るばかりです。他に指揮を取るものいないので、仕方ありません」
マリックが理由を告げると、サイードは使えるべき主を間違えた歴戦の勇者に憐れみの視線を向けたが、今は長いこと彼に構っていることはできなかった。まだ、この都市の頂点である太守は健在なのである。
「ふむ。まぁ、とりあえず、君たちは我々の捕虜だ」
「さて、皆! これからいよいよ市内に突入できるわけだけれど、くれぐれも略奪はしないでおくれ。後で平等な富の分配は約束するから」
サイードの言葉に、元奴隷たちは頷いた。彼らは、既にこれらに同意した上でこの場にいるのであった。
「それじゃあ、太守の館へ一直線だ!」
自ら武器を取ることはせず、傭兵に戦力を依存していた象牙の都市は、マリックが降伏した時点で、完全に戦力を失っていた。街の要所にある象牙の都市の旗が次々に下され、変わりに三日月を描いた海岸の国の旗が掲げられていく。
抵抗するものは皆無で、サイードたちは行く手を阻むものなしに、太守の館まで到達した。ところが、そこには既に先客が居たのである。どうやら、反乱を起こした奴隷の集団らしかった。驚くべきことに、その先頭には、小柄な女性のシルエットが逆光の中に浮んでいたが、眩しくてはっきりとは見えなかった。
「相変わらず貴様は愚図だな、サイード」
傲慢不遜な口調で、それでもどこか澄んだ印象を与えるその声には、言葉と裏腹にどこか嬉しそうな響きが感じられた。
と、シルエットの少女がサイードの方に何かを蹴飛ばした。
「うん?」
サイードが蹴飛ばされた物体を確認すると、それは縄で縛られた象牙の都市の太守であった。
「い、命だけは助けてくれ・・・・・・」
脂ののった重い体を必死に起こしながら、命乞いをする太守に少女は冷ややかな侮蔑を加えた。
「この男は館の食料庫で見つけた。恐怖で縮こまっていたぞ。周囲には誰も居なかったから、大方見捨てられたのだろう」
「それで、君は誰なんだい? 君は」
その言葉を聞いた少女が大きく溜め息をついたのが、少し離れた場所にいるサイードにも分かった。
「もう一度この言葉を云わないといけないようだな。サイード、お前は相変わらず愚図だな」
繰り返されたその言葉に、サイードは記憶を大きく揺さぶられた。自分の中の胸の奥の底。誰にも触れさせるつもりのない心の深海。そこに沈む自分の一番大切な部分が強く刺激された。
太陽が、丁度、太守の館の高い屋根に重なった。太陽の光はそれに遮られ、急に辺りが日陰になる。そして、サイードの目に少女の顔がはっきりと映った。年齢は、おそらく自分よりも年下に見えた。せいぜい十四,五歳と言ったところだろうか。小柄な少女は可愛らしいと表現するべき容姿であるのに、紅く輝く瞳とその鋭い目つきが、そして表情に常に一定量焼きついているように思える傲慢、あるいは不遜などの成分が、そして体中から満ち溢れる覇気が、可愛いというよりも研ぎ澄まされたナイフのような印象を与えた。そして、サイードの眼は、少女の中で最も特徴的な部分を捉えた。少女の髪は、燃え上がるような赤色の髪の毛をしていた。
そこに居たのは、サイードにかつて希望を与えた、大切な、思い出の少女だった。
い……いいわけを……内定式や卒論でばたばたしていて小説を書けていませんでした。
ただ、卒論がひと段落したので最低限週一回のペースでは投稿できると思います。
雑談
そういえば、マギがアニメ化しますね。同じアラビア世界をモデルとしている(といってもマギは中国的な国とか絡んできてスケールでかい!)ものとして凄く勉強になります。おススメ。
さて、この物語のメインヒロインの登場です。彼女とサイードの関係については、次の話で・・・・・・。
お待たせした四人のお気に入り追加してくれた方がた、申し訳ありませんでした。