表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第三話 前哨

 

 錨の都を、サイード自ら率いる遠征艦隊が出航した。その戦力は次の通りであった。


 戦列艦三隻。乗員、千四百名。うち、六百人は諸島連合でアリスの調練を受けた精鋭である。戦列艦はこの艦隊の主力を構成する重要な艦艇である。装備している砲の巨大さや防御力において、他の艦艇の追随を許さず、月海の国々でこの型の船を保有しているのは海岸の国のみである。


 戦闘用ガレオン三隻。乗員、千名。戦闘用ガレオンは、海岸の国の海軍の最も典型的な艦艇で、合計十隻を保有している。戦列艦よりも一回り小さく、速度、火力、防御力も劣る、一世代前の艦艇である。


 シーベック船二隻。乗員、八百二十名。シーベック船は帆だけでなく、櫂でも推進力を得る船であり、速度において他の艦艇を凌駕する。海賊たちが好んで用いる船であり、砲撃ではなく、速度を活用し、敵船に接弦し略奪を行うための船であった。サイードが攻略目標とする都市の海軍の多くは実質的には海賊のようなものであり、この船を採用している。海岸の国の艦隊におけるこの種類の艦艇の役割は、味方の戦列艦やガレオン船が接弦されそうになった場合、そこに割ってはいる為のものであった。


 輸送用ガレオン二隻。乗員 六百百名。うち、五百名はサイードの近衛兵たちであり、彼らは上陸戦になった場合に主力となる陸戦部隊である。また、この二隻には大量の武器弾薬が積み込まれている。輸送用の艦艇なので、艦艇自体の戦力は低い。



 これが今回の戦争の為の戦力であった。合計九隻、乗員三千八百二十名からなる、大艦隊であった。

 



 艦隊の乗員三千八百二十名のうち、この遠征の真の目的を知るものは、片手で数えることができる程度しか居なかった。彼らは、月海の南東に蔓延る海賊を討伐する為の遠征であると聞かされていたのだ。

錨の都を出て一時間ほど経った洋上で、サイードは他の船に投錨し、各艦の艦長に旗艦”砂槌”まで来るように命じた。そこで初めて、艦長たちにこの遠征の真の目的を告げた。


「この遠征の目的地は南東ではなく、真っ直ぐ南にある、象牙の都市、錫の都市、奴隷の都市の三都市だ」


 若い君主からその真意を聞かされた艦長のうち、百戦錬磨の艦長、六名は強烈に反対を表明した。彼らも兵たちも、二,三週間の遠征だと思っていたのである。それが都市の攻防戦となると、一年で帰郷できるどうかもわからなかった。なにより、海港とはいえ、都市の攻略は彼らの専門外でもあった。さらに、サイードが連れてきた陸軍は五百名しか居ないのだ。それ故に、彼らは、君主の考えが無謀なものだと考えた。


 一方で、賛同を示した三人の艦長は、全て戦列艦の艦長だった。彼らはまだ若く、アリスの母国で新鋭の戦術を学んだ新鋭たちであった。それ故に、血気が盛んであったし、自分たちの艦艇、装備、戦術の三都市に対する圧倒的有利を確信していた。


 サイードは奴隷解放の大義名分と、それによる兵力の充填で自軍の勝利は手堅いと他の艦長を説得しようとしたが、結局、それでも三人の艦長は強硬に反対を続けた。結局、サイードは、


「貴官らは君主の命令を拒むのか。いつからそのように増長するようになったのか」


 という言葉で無理やり彼らを従わせる他になかった。この言葉は、普段は気さくで柔和な君主からは考えられない言葉であり、三人の艦長の肝を冷やさせるのに十分であった。海岸の国が絶対君主制の国であることを、彼らは久しぶりに思い出したのである。


 そして、各艦に戻った艦長たちから、今後の指針が兵士たちに伝えられ、せまい旗艦の会議室から、艦隊全体へと驚きは伝播していった。


 艦隊は進路を南東から南へと変え、第一攻略目標である象牙の都市へと向かった。




 象牙の都市(アイージャ)は、暗黒大陸の北東部にある、交易都市である。主な特産品は、都市の名前で分かるとおり、象牙である。しかし、乱獲によって象の個体数が減少した為に、新たな産業の試みがなされ、現在では木材の伐採とその加工、ヤギ・羊などの畜産、バナナの栽培などが行われている。そして、これらの新事業に、大量の奴隷が導入されていたのである。都市人口における市民と奴隷の比率は市民六千人に対して奴隷四千名、象牙の都市(アイージャ)が支配する領域全体における比率は、非奴隷が九千名、奴隷が一万二千名であった。


 非奴隷の市民の多くは、莫大な利益を生む象牙貿易や、奴隷を用いた大規模な産業による利益を享受し、この世の春を謳歌していた。その生活水準だけを見れば、都市の規模で5倍近い錨の都を凌駕していた。


 そんな象牙の都市(アイージャ)から十五キロ沖合いで、一隻の武装した中型船と、十数隻の小船、七十の奴隷を用いた大規模な漁を行っている船団があった。彼らは、その場で魚を捌いて塩漬けにして、長期保存できるにしたものを、市場に卸して利益を得ているのだ。


 七十人もの奴隷たちが懸命に汗を流している中、見張り役を除いて市民たちは昼食の最中であった。船団長は、船室で干し肉を柔らかく煮込んだ物にナイフを入れているところで、見張り役から報告を受けた。


「遠くに十隻ほどの艦隊が見えます」


「なんだと?」


 船団長は、食事の手を止め、甲板に出た。そして、船団長は、改めて、望遠鏡を覗き込んだ見張り役に尋ねた。


「船籍は?」


 艦隊の規模から、海賊ではないだろうが、近代的な海岸の国(サワーヒル)以外の国の海軍は実質的に海賊といってもよく、協定を結んでいない国の船を襲うことがしばしばあった。何しろ、彼らは七十人の奴隷と云う資産を持っているのである。略奪されてはたまったものではなかった。


「船籍は・・・・・・海岸の国(サワーヒル)です!」


 見張り役の言葉を聞いて、船団長は胸を撫で下ろした。月海で活動する船にとって、海岸の国(サワーヒル)の艦隊は、自国以外の船が海賊に襲われていても積極に助けてくれる頼もしい存在であった。


「ならば問題ないな。奴隷どもにこのまま漁を続けさせろ」


 だが、この時の判断は船団長の不幸な運命を決定付けてしまったのである。


 サイードは、先にある漁船団が、象牙の都市(アイージャ)のものであるのを確認すると、各艦にこれを拿捕するように命じた。


 速度のある戦列艦とシーベック船がたくみに風上と象牙の都市(アイージャ)への方向を塞ぎ、その一角にそのほかの船が漁船団を追い立てるように針路を取った。


 もし、直に漁船団が海岸の国(サワーヒル)の不自然な動きに気がついていたのならば、あるいは逃げ切れたかもしれなかった。しかし、漁船団は海岸の国(サワーヒル)艦隊を信用しきっていた。


 見張り役が、海岸の国(サワーヒル)艦隊の意図に気がついたときには、既に包囲は完成し、手遅れであった。


「なぜ、もっと報告しなかったのだ!」


 再度、甲板に呼ばれた船団長が、見張り役を怒鳴りつけても、もはや無意味であった。


「船団長、それよりもどうなさいますか?」


「どうするかだと?」


 船団長は、副船団長の愚かな問いに憤りを覚えた。どうなさるか、と聞かれても、全ての決定権は自分ではなく、明らかに海岸の国(サワーヒル)の艦隊にあるではないか! なぜ無意味なことを聞くのか!


 船団長が副船団長をにらみつけていると、怒りの矛先が自分から逸れたことに安堵を覚えた見張り役が、大きな声で報告した。


「信号旗です!」


「降伏せよ、だと・・・・・・?」


 船団長は憎憎しげにひとりごちた。漁船団の中心である中型船には、一応大砲がついていたが、当然ながら勝負になろう筈がなかった。船団長は、結局、白旗を揚げさせることしかできなかった。


 中型船を占拠させたサイードは、まず周囲の小船の人間を全て中型船に引き揚げさせた。そして、象牙の都市(アイージャ)の市民と奴隷とを分けさせた。それによって、二十人の市民と、七十人の奴隷が、選別された。ついで、七十人の奴隷が旗艦に連れて来られた。全員が、手と足に枷がつけられたままだった。

 

 サイードは兵士に命じて、船団長に提出させた枷の鍵を持って来させた。そして、自ら、奴隷たちの枷の鍵を外して回った。そして、全員の枷を外し終わると、サイードは困惑する奴隷たちに告げた。


「諸君らは、喜ばしいことに今日から自由の身となった」


 まず、最初に奴隷たちの中に、自由を得た喜びの表情が広がっていった。だが、やがて、自分たちだけでなく、陸に残している家族の身の安全ことに考えが及んだのか、急に表情を曇らせ始めた。


 我々は自由になることはできない、という声が一人の奴隷からあがった。このまま帰らなければ、自分たちの家族は殺されてしまうかもしれない、と云うのである。七十の奴隷の大部分がそれに賛同した。

サイードは、彼らに云った。


「あなた達の家族も、自由の身である。あなた達の家族だけでなく、象牙の都市(アイージャ)の一万二千二人の奴隷全員が、自由の身である。あなた達は今まで武器で脅され、屈服させられていた。だが、今では、あなた達の手にも武器はある。戦い、自由を手にするときが来たのだ」


 戦え、というサイードの言葉に、奴隷たちは顔を見合わせた。彼らの多くは武器を手にしたことがなかったのである。サイードは躊躇する奴隷たちに、強い口調で云った。


「怠惰で、お前たちから利益を搾取することしかできない者たちに、武器があっても勝てないと、あなた達は云うのか。象牙の都市(アイージャ)の市民と同じ条件で、お前たちは彼らに勝てないというのか。それは、奴隷が市民に能力で劣ると認めていることになぜ気がつかない」


 そう云って、サイードは漁船団の船団長を連れてこさせた。彼は、捕虜のように、縄につながれていた。


 サイードは、船団長を座らせると、その顔を容赦なく蹴りつけた。船団長は折れた前歯を吐き出しながら、苦痛に酒と肉で太った体をのた打ち回らせた。彼の口から出る言葉は反抗の言葉ではなく、許しを請う言葉であった。


「お前たちは、本気でこの男たちに勝利することが困難であると思っているのか」


 奴隷たちは、今日まで自分たちにとって絶対的な存在が、あっさりと痛がり、許しを請い、屈している姿を見て、衝撃を受けた。この光景は、奴隷たちの価値観を一転させ、自分たちの主人がどれほど愚図であるかをはっきりと認識させたのである。今まで自分たちが受けてきた鞭打ちの仕打ちや、棍棒で叩かれるといったことの方が何倍も堪えるはずであった。にも、関わらず、自分たちの主人はほんの僅かな苦しみにも耐えることができないのである。


 奴隷たちの間で、今までこんな人間に隷属させられていたのか、という思いが、怒涛のように胸に沸いてきた。そして、今まで受けてきた仕打ちの理不尽さを、今更になって思い出し、怒りに身を震わせ始めた。


 サイードは、駄目だしとばかりに、そんな奴隷たちに告げた。


「人間としての誇りを、思い出せ」


 奴隷たちは、この時に初めて自分たちが物ではなく人間であることを思い出した。そして、同時に、サイードが自ら、自分たち奴隷の枷を外したことを思い出した。月海の近辺では、娼婦奴隷などを除いて、奴隷は穢れた存在であり、直接触れることを忌み嫌っている。それにも関わらず、目の前の若い君主は、自分たちに触れながら枷を外してくれたのである。それは、サイードが彼らを人間としてみている何よりの証だった。


 彼らは、サイードを信用した。この若い異国の君主についていけば、自分たちは本当に自由になれるのだと、そう思った。


「俺は戦う。こんな奴らなんか何も恐くない」


「ひ弱で日頃から怠けているこいつらに俺たちが劣っているはずがない」


「家族と、仲間の自由を勝ち取るんだ!」


 次々に、奴隷たちが戦う決意を、サイードに向けて叫ぶ。サイードは、彼ら一人一人に握手して回った。


「凄いものですね、陛下は」


 アリスの碧い瞳は、その光景に釘付けになっていた。以前から、サイードは不思議と人の心掴むのが上手であった。だが、ここまでの規模でそれをやってのけるとは思っていなかったのである。


「サイードの人身掌握は、今まで計算でやっていると思っていなかったのだけれど、今日のを見ると、なんだか少し恐いわ」


 マリヘフは、弟がどんどんと自分の知らない誰かに変貌しているのではないかと思い、複雑な思いを抱き始めているようだった。


「ですが、あれくらいでなくては一国の主は務まりますまい」


 マリヘフは、自分の隣の金髪の麗人を改めて見た。その白い顔には、サイードへの敬意と、どこか心酔のような色が浮かんでいた。


 


 用済みになった、船団長は斬首にされた。奴隷たちは復讐の為にその身柄を欲しがったが、サイードは彼も人間であり、死刑を受ける権利があるとしてこれを拒んだ。

 

 結局、彼は斬首によって殺された。その死に様は、最後まで命乞いを行い、奴隷たちの冷笑を全身で浴びながら、という惨めなものであった。彼が殺された理由は、生かしておくには、余りにも屈辱を与えすぎた為であった。象牙の都市(アイージャ)攻略後の反抗の芽になると考えられたのである。


 一方で、その他の市民たちは、丁重に扱われた。彼らと彼らの家族から必要以上の怨嗟を受けることを避けるための配慮であった。




 サイードは、船団長の処刑を見届けた後で、艦長たちを旗艦に集めた。そこで、今後の方針を伝えた。

サイードの作戦は、艦隊を二つに分けるというものだった。


 サイード自ら旗艦と二隻の輸送艦を率いて象牙の都市(アイージャ)の北方の漁港に上陸する。この漁港は、今回拿捕した船団の母港であり、まずは、象牙の都市攻略の助力を約束した奴隷たちの家族を保護する。さらに、奴隷たちの案内を受けながら、象牙の都市(アイージャ)周辺の農場や伐採所の奴隷を解放し、自軍に加えながら陸路で象牙の都市へと向かう。


 そして、残り艦隊は、姉のマリヘフがアリスの補佐を得ながらが率いて直接、海路で象牙の都市(アイージャ)の攻略に向かうことが決定された。サイードは、マリヘフに例え象牙の都市が講和を求めてきても、海岸の国(サワーヒル)による都市の領有と奴隷の解放の二つの条件を満たせないものは受けないように厳命した。これは、奴隷制度が国家体制の柱である象牙の都市(アイージャ)にとっては、無条件降伏以外は拒否しろと命じているに等しかった。


 太陽が沈む頃、艦隊は針路を二つに別れ、それぞれの目的地へと向かった。


象牙の都市を初めとして、今後、主人公であるサイードらが攻略する都市は、アフリカ東岸がモデルになっています。


アフリカといえば、未開の蛮族、というイメージが強いですが、それはアフリカ中央部の一部に限られ、多くの地域に独自の文化が栄えたそうです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ