第一話 王は帆柱を立てる
大陸の南西に突き出た半島がある。半島の名前を、”砂の半島”といい、その面積のほとんどを全て砂漠が占めている。
その砂の半島の大部分、といってもそのほとんどは何の価値もない土地である――を統治する帝国を“牡馬の国”と言った。牡馬の帝国にとって、砂の半島は広大な版図の辺境に過ぎず、農業や交易が衰退して久しい。
一方で、領土が小さいながらも、それなりに活気付いている国があった。”砂の半島”の南岸部分を領土にする海洋国家、” 海岸の国”である。その王都”錨の都”の人口は、三万八千人を数え、半島一の人口を誇る。
月歴一四三六年初めの海岸の国の王都、錨の都に三隻の船が入港した。三層の砲列甲板に九十八もの大砲を取り付けた、戦列艦である。
この船の長さは五十mほどで、それまでの海岸の国の保有している大型の船と、さほど大きさに変わりはない。だが、せいぜい二層の砲列の船しか持たない海岸の国の船とは、高さと、大砲の数が違った。高さでいえば、三メートルは高く、大砲の数も二倍近いこれらの船は、海岸の国の船からすれば、要塞といってもよかった。
だから、事前にこの要塞のような三隻の船の入港を、住民たちが聞かされていなければ、驚きを禁じえなかっただろう。
だが、彼らは事前に知っていたのである。この三隻の船が、自分たちの若い君主が購入したことを。
「でけぇなぁ・・・・・・」
ただ、ぼやくように船を見た感想を述べる青年に、月海で幅広く商売をしている珈琲商人が笑って云った。珈琲は、海岸の国の特産品の一つである。
「列強の使っている船はこれよりも大きくて、大砲の数が多いんだぜ」
「そりゃあ凄いなぁ・・・・・・」
商人の言葉に、青年は感心したようだった。しばらくの間、青年らは群集の一部として、船を眺めていたが、やがて、思いついたように云った。
「あんなものを買ってうちの君主はどうするつもりのかねぇ」
「あのお坊ちゃんの考えることはわからん」
「西方かぶれのうつけかと思っていたが、政治はそう悪くないしな」
三隻の船を見物する錨の都の住民たちの話題は、青年の言葉をきっかけに、彼らの君主についてに移っていった。彼らの言葉の節々には、君主に対する愛着のようなものが感じられた。身軽に街へと出て、庶民と酒や水タバコを愉しみ、姉に引きずられながら、王宮に連れ戻されることの多い君主は、この錨の都の住民に人気があったのである。
「おい、噂をすれば・・・・・・」
群衆は、まるで幼子のように目を輝かせて、馬を駆る少年の姿を認めた。
容姿において、彼は美しい少年だといえた。艶やかな光沢のある、短い黒髪には癖があるが、不思議とそれがよくにあっているので、外観上の欠点とはなりえなかった。
また、顔の線が細く、得てすれば優男の印象を与えかねないが、全身を見れば、馬の遠乗りでほどよく陽に焼けた肌と、ほどほどに鍛えた筋肉が、その印象を否定する。そして何より、爛々と輝く瞳を見れば、彼が静的な優男ではなく、快活な人物であることは明らかであった。
彼の名前はサイード。今年で十七歳になる少年であり、この少年こそが、海岸の国の君主であった。
「君主! 今回はでかい買い物をしましたな」
先ほどの珈琲商人が、サイードの声を掛けた。彼は、自分の君主と酒場では酒飲み仲間であり、王宮ではお得意様の一人だった。
「どうせお前たち商人から巻き上げた税金さ」
馬から下りながら、サイードは笑った。サイードの言葉に、商人は蓄えた髭をなでながら応じた。
「まぁ、文句はありませんよ。この船があれば、より安全に海岸の国の商人は航海に出ることができるわけですからな」
笑い合う二人の会話に割って入った人物が居た。
「私から、文句を言っても云いかしら? サイード」
その人物は、美しい女性だった。猫目ぎみの目を、呆れたように伏せている動作すら絵になっている。銀の腕輪や宝石が多くついた髪飾りを身に着けているが、それらの豪奢さを完全に配下に置くだけの美貌が、彼女にはあった。
「なんだ、まだ不機嫌なのか、姉上は。こんな立派な戦列艦を見て心が躍らない?」
女性は、サイードの異母姉であった。長身長髪で、全体的に大人びた印象がある彼女だが、実際のところ年齢はサイードと一つと少し違うだけの、十八歳である。名前は、その容姿にたがわず、美しいという意味を持つ、マリへフと云った。
「踊りません。それより、国庫が火の車で踊り出しそうなのだけれど」
ため息をつく、姉を見て、サイードは姉から視線を三隻の戦列艦に移した
「これがあれば、直に元は採れるよ」
「サイード、前から聞いているけれど、これで何をするつもりなの? まさか海賊にでもなるわけじゃあないでしょう?」
「それは、今晩、アリス殿を交えて話すよ」
云いながら、サイードは船の方へと手を振った。マリヘフが、その方向へと向き直ると、その先には海岸の国にはほとんどいない、金色の髪をした紅い軍服姿の女性が居た。
やがて彼女は、サイードの姿に気がつくと、彼の方に気持ちの良いぐらいきっちりとした敬礼をした。彼女の名前はアリス・ローズと云った。列強の一角である、諸島連合王国の貴族であり、少佐である。今年で、十九歳になる少女だった。
彼女は、三隻の船団の指揮を取りながら遥か彼方の王国から、海岸の国まで回航という任務の他に、サイードが預けた六百人のサワーヒル人の訓練という任務を受けており、それを果してからのこの航行であった。
新連載一話目です。
ハイペースで仕上げたいと思っています。
感想等があればよろしくお願いいたします。