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   残像

       残像

   

 今日も、何とか午後の診察を終えた。この病院で医師として働いて二年、毎日が忙しく過ぎて行った。それは、ぼーっとしている時間も無い程だった。


  そんな時、俺に思いもよらない辞令が下りた。「片倉先生、片倉先生・・片倉暁(かたくらあかつき)先生、どうかしましたか?」呼ばれて振り向くとそこには、怪訝(けげん)そうな顔で僕を見下ろすように立っている、医局長がいた。「あっ、ああぁ、す、すいませぇん。一人、気になる患者さんがいたんで、カルテに集中していて気が付きませんでした。は、は、は。」「そうですか。仕事熱心なのはいいことですが、体調管理も宜しくお願いしますよ、先生。」「は、は、は、勿論です。」とは言いながらもおいおい、そんな話をするために態々此処(わざわざここ)に来たのか。何か用事があるから、来たんじゃないのかよと俺は心中つぶやいていた。「片倉先生、人事課から呼ばれてますよ。これはもしやの、昇進かなぁ。」「は、は、は、は。医局長ー、からかわないで下さいよー。態々すいません。」医局長はニヤニヤしながら、出て行った。何か知っているような含みのあるあの態度に、分厚いレンズの奥から見える、爬虫類のような目。だからあの人はナースの受けが悪いんだ。


  「片倉です。」「ようこそ、人事課へ。片倉先生にぴったりの移動が決まりましたよ。青い海、白い雲、眩しい(まぶしい)太陽。片倉先生、海、お好きでしたよねえ・・・・。うふっ。」あぁ、ここでもかぁ。単刀直入に言ってくれよ。それに、趣味の悪い服なのに、胸元開け過ぎだよ。大人の色気を振りまいてると思ったら大間違いだ。あんたの厚化粧は最早公害だ、って言ってやりたいが、我慢しといてやるさ、面倒だから。結局の所、話しはこうだった。沖縄の離島で長いこと常駐していた医師が病に倒れ、その代行として赴任して欲しいと言われた。他の病院でも候補はあったが、俺は、大学のサークルで毎年ダイビングをしに沖縄に来ていたから、白羽の矢がたったのだろう。期限は一年でも、あまりにも急な話だった。


  あれから半年が過ぎた。この地は、俺にとってのオアシス・・・とまでは行かないが、毎日、機械のようにリピートされた日常に比べたら、生きてるって感じがする。進路で悩んでいた弟の碧も、一浪の末だが大学が決まったし、親父もおふくろも元気だから、心置きなくこれたのは事実だ。


  漁師のおじーの所に往診に行く時、何時(いつ)も通る海岸沿い。途中少し小高くなっていて、其処から見渡した景色は、息を飲むほど素晴らしい。俺のお気に入りの場所だ。今日も其処から海を見ていた。


  「・・・ちゃーん。」微かに何か、聞こえた気がした。「お兄ちゃーん・・・・。」声のする方を目を凝らしてみると、七、八歳ぐらいの女の子が、手を振りながら歩いて来る。次の瞬間、「この海の中で待ってるよ、お兄ちゃん・・・。私を忘れないでね。」女の子の声が、耳元で聞こえた。でも、周りには誰もいなかった。あの女の子は、誰だったんだろう。


  「先生。」「・・えっ、うっ、うわーーっ!リエちゃん。何だ、リエちゃんだったんだ。後ろにいたのかぁ。」「うん。先生がこんから迎えに行って来いっておじーに言われたから来たー。」俺は、リエちゃんと目線を合わせる為に、しゃがんで話しかけた。「迎えにきてくれたんだんね。ありがとう。リエちゃん、さっき、先生に手を振りながら、歩いて来たかい?」「うん。リエ、せんせーいって大きな声で呼びながら手を振ったよ。」「そうかぁ。じゃぁ、先生の事、間違えてお兄ちゃんって、呼んじゃったのかな?」「ううん。リエ、そんなふうに、言ってないもん。リエにはお兄ちゃんいないし、先生はリエのお兄ちゃんじゃ無いもん。」「そっかぁ。わかったよ。じゃ、おじーの所へ行こう。手、繋ぐかい?」「うんっ!繋ぐ。」「リエちゃん、学校楽しいかい?」「うん。でも、リエ、夏休みの方が楽しみよー。いっぱい遊べるからー。」そう言えば学生は、もうすぐ夏休みなんだ。碧にも、この素晴らしい景色を、見せてやりたい。明日、休みに入ったら、友達を連れて遊びに来いと、手紙を書こう。そんな事を考えながら小さな手をひいて、俺はおじーの家へ向かった。唯、ひたすらリエちゃんに話しかけながら、歩いていた。それは、さっき見た不思議な光景を忘れたかったから。


  そんな気持ちとは裏腹に、往診や診察が終わって一人になると、あれは何だったんだろうと、ふと、考えてしまう自分がいた。あの声、とても懐かしい響きだった。だけど、思い出す度に、体の奥から得体の知れない何かが溢れてきそうで、俺は怖かった。夜になると下宿先の俺の部屋には、大きな天窓から月の光が煌々(こうこう)と差し込んで来る。時折、流れる雲の影を寝ながら目で追っていると、あの不思議な光景が、フラッシュバックする。怖くなって目を閉じても、それは残像のように、次から次へと押し寄せる。そして、あの声が俺の頭をぐるぐる回る。「忘れないで。まってるよ。おにいちゃん・・私を忘れないで・・・。」その声は、波の音をかき消す程に俺の頭の中に、大きく響き渡る。


  

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