第6章:「静寂の果て、氷海に浮かぶ古の守護者」② 砂塵と血の檻
アンヴィルたちは闘技場『氷獄闘技場』の周囲で情報の糸口を探っていた。しかし、事態は最悪の方向へ転がっていた。
町の裏通りを哨戒していた魔王軍の尖兵が、隠れ家に潜んでいたシルフの気配を察知したのだ。シルフは激しく抵抗したが、多勢に無勢。鎖で縛られ、闘技場の中央広場へと引き立てられていくのを、アンヴィルたちは遠くから目撃してしまった。
広場では、興奮した観客たちがシルフを取り囲んでいた。その中には、飲みかけの酒をシルフに向けて投げつけ、嘲笑う者もいる。
「おい、伝説の『嵐を駆ける超駿竜』様のお出ましだぞ! 飛べるんだろ? 飛んでみせろよ!」
太った貴族が毒づき、ムチの柄でシルフの鼻先を突く。シルフが威嚇の鳴き声を上げると、観客たちは面白がって野次を飛ばした。
「なんだ、ただのトカゲか? さっさと芸の一つでも見せてみろ。火でも噴くか、それともお利口にひっくり返ってみせるか!」
シルフは鎖を引かれ、不自由な足取りで何度も地面を這わされた。プライドの高い飛竜にとって、それは殺される以上の屈辱だった。シルフが悔しげに牙を剥き出し、その瞳を怒りで燃え上がらせるたびに、観客たちは「おっ、いい目つきだ!」と下品な歓声を上げる。
「……シルフが……! あの野郎ども、なんてことを!」
リンの表情が怒りで強張る。闘技場の入り口には、そんなシルフを一目見ようと殺気立った見物客が押し寄せ、熱狂の渦が膨れ上がっていた。
「……落ち着け。今すぐ飛び込んでもシルフを傷つけるだけだ」
アンヴィルは必死に冷静さを保ち、闘技場の裏手に回り込んだ。闘技場の外壁は黒い溶岩石が積み上げられ、冷気で濡れて黒光りしている。彼は衛兵たちのシフトが交代する、わずかな隙を狙っていた。
雪嵐が周囲の視界を奪う中、アンヴィルが手で合図を送ると、一行は影に溶け込むように動いた。闘技場の搬入口は、奴隷たちが戦場へと引きずり出されるための、湿った死臭が漂う冷たい鋼鉄の扉だった。アンヴィルが慎重に扉の隙間から中を窺うと、松明の明かりに照らされた衛兵たちが、交代を待つ間に酒を飲み交わしながら怠惰な談笑を交わしている。
「今だ」
ノインが無音の足取りで近づき、衛兵の背後から的確に頸動脈を突いて意識を奪う。リンとミリアがそれに続き、倒れそうになる衛兵たちを音もなく床に這わせた。アンヴィルが血塗られた鍵束を衛兵の腰から抜き取り、錆びた搬入口を押し開ける。そこから先は、地獄のような地下牢への入り口だった。
薄暗い地下の空気は、腐敗臭と鉄錆の匂いで満ちていた。格子状の檻の奥には、多くの奴隷たちが力なく横たわっている。その一角で、人魚族特有の魔力を封じる重厚な足枷を嵌められ、本来の瑞々しい活力を奪われて青ざめた顔で横たわる青年がいた。
「……誰だ?」
青年が顔を上げた。アンヴィルは檻の鍵を静かに壊すと、力強く彼に手を差し伸べた。
「シルフを救い出すついでだ。……ここにいる全員を、地上へ連れ出す」
「全員? 無茶だ。闘技場の主催者『ガルド』は、この町全体を魔法の障壁で支配している。ここから出れば即座に警報が鳴るぞ」
「障壁なら、ミリアが何とかする。俺たちはただ、扉を開けるだけだ」
ノインが重い鉄の扉を肩で押し開け、リンが通路を守る衛兵を気絶させる。アンヴィルは手早く青年の足枷を外した。重圧から解放された青年の足から、人魚族の生命を司る青い光が溢れ出す。それは地下の澱んだ空気を浄化するような、鮮烈な輝きだった。
「僕の力が、君たちの守りになるなら……!」
青年は指先に光る銀の指輪と、胸元で淡く明滅する青い宝石のネックレスに手を触れた。彼がその宝石に微かな魔力を通すと、闘技場全体に清浄な光が波紋のように広がる。それは聖なる魔法の輝きであり、牢に閉じ込められていた奴隷たちの深い傷を瞬時に癒やし、彼らにも再び戦う力を与えた。奴隷たちの瞳に、諦めではない、反逆の灯火が宿る。
「リン、シルフの場所は?」
「上だ。闘技場の中心、貴賓席の真下にある檻だわ!」
アンヴィルたちは、青年や解放された奴隷たちを先導し、闘技場の中心部へと駆け上がった。
頭上では、主催者ガルドが「伝説の飛竜、これより見世物として解体する!」と宣言し、観客の歓声が地響きとなって降り注いでいる。
一行は地下通路を突き抜け、闘技場のフィールドへと躍り出た。
眩い太陽光の下、鎖に繋がれたシルフが憤怒の叫びを上げる。その姿を見たアンヴィルの目が、燃えるような決意に染まった。
「……僕たちの家族に、二度と指一本触れさせるな!」
四人の絆と、自由を勝ち取った奴隷たちの怒りが共鳴する。氷獄の闘技場で、魔王軍に対する逆襲の合奏が幕を開けた。




