現在
「空ちゃんの彼氏、相変わらず怖そうだよね〜。ヤンキーって感じ」
「そーかな? 暁人はすっごく優しいんだよ?」
「えー! ウソー! あの無愛想な顔で?」
「ほんとだもん!」
明るく答えながらも、心の奥で小さくチクリと痛みが走る。
暁人は、他の女子と話すときはいつもあんな風に愛想がない。でも、それが逆に怖い。
――もし、私以外の“特別な誰か”にだけ、あんな風に笑うようになったら?
考えたくない。けれど、頭のどこかで想像してしまう。
その想像だけで喉の奥がギリギリと締め付けられ、空は必死に笑顔を作って誤魔化すしかなかった。
⸻
夜。
自分の部屋のベッドにうずくまり、空はスマホの画面を食い入るように見つめていた。
トーク画面には、暁人からのたった一言のメッセージ。
『また明日』
ただそれだけ。それでも、何度も画面を開いては、既読の文字を見つめ続ける。
(また明日、ちゃんと私のこと見てくれるかな。私のこと、まだ好きでいてくれてるかな)
不安が押し寄せて眠れない夜は、息を潜めるように彼のSNSを隅々まで覗き込んでしまう。
フォロー欄、タグ付けされた写真、いいねの履歴……。知らない女の子のアカウントを見つけただけで、心臓がバクバクと嫌な音を立てる。
(誰? この子。なんで暁人の投稿にいいねしてるの? 学校の奴? それともバイト先?)
ドス黒い疑問と嫉妬が次々に浮かび、スマホを握る指が白くなる。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。暁人は私だけのモノなのに。
⸻
翌朝。
目の下にできた薄いクマをメイクで完璧に隠し、空は暁人を起こしに行った。
「暁人!! 朝だよ! 起きてー!」
「……はぁ……ねむ」
「おはよーー!! ぐっすり寝れたよーだね!」
「まあな」
「ご飯も作ってるから、早く顔洗って!」
「……クソいい匂いするわ」
「でしょー、頑張ったもん」
「毎日助かるわ。空の飯無しじゃ生きてけねーわ」
「ふふっ……」
(ああ、幸せ。ずっとこの朝が続けばいいのに)
一緒に登校する道すがら、暁人がぽつりとこぼす。
「学校だりー」
「うん、だりーね。あのさ……」
「ん?」
「今日、えっちしたいの……いい?」
「あー、いいけど。首元とか、服着ても見える場所にキスマつけんなよ。また騒がれるから」
「努力する!」
空は嬉しそうに笑う。
だけど、笑顔の裏側では(これで今日も、暁人を私に繋ぎ止められるかな)と、必死に不安を押し殺していた。
⸻
その日の放課後。
昇降口で靴を履き替える暁人の背中に、明るい声がかかった。
「暁人〜! この前教えてもらったサプリまじ良かった!」
「おー」
「ビタミンB6とかD3とか飲むだけで肌めっちゃ綺麗になったよ! またなんか良いのあったら教えてねー」
「ん、わかった」
軽いやり取り。暁人は無表情で頷いただけだ。
それでも、少し離れた場所で見ていた空の胸は、ズキッと鋭く痛んだ。
(笑ってなかった。でも……あの子、暁人の目を見て笑ってた。暁人に話しかけてた。……嫌だ、嫌だ、殺したい)
手が勝手に震える。でも、怒れない。
ここで感情的になって束縛したら、また暁人に嫌われるかもしれない。「重い」って言われて、捨てられるかもしれない。
だから、我慢する。完璧に笑って、優しく声をかける。
「ねぇ、帰ろ?」
「……ああ」
暁人が振り向いたとき、空の表情はいつも通りの可愛らしい笑顔だった。
けれど、帰り道。暁人がふと立ち止まり、空を見た。
「空」
「ん?」
「お前……我慢してんだろ」
「え……」
「さっきから、顔に出てる」
空は一瞬、息を呑んだ。
図星だった。見透かされていた。少しの沈黙の後、ゆっくりと俯いて呟く。
「……また、振られるのやだもん」
「振らねぇよ」
「ほんとに?」
「まぁ……前みたいに異常に束縛されるのは嫌だけど」
「……」
暁人は小さくため息をつくと、無言で空の小さな手を取った。
そのまま、少しだけ力を込めて握りしめる。
「……でも、お前が無理して辛そうな顔してんのは、もっと嫌だ。もう少し、甘えてもいいぞ」
その瞬間、空の目から張り詰めていた糸が切れたように、静かに涙が落ちた。
「暁人ぉ……ありがと……ぅっ」
暁人が不器用に頭を撫でてやると、空の顔に血の気が戻り、たちまち熱を帯びていく。
「それじゃー、今日からいっぱい甘えちゃうからね!!」
「おう。遠慮はいらねー、かかってこい」
冗談めかして言った暁人だったが、空の顔を見た瞬間、ゾクッと背筋を凍らせた。
「ふーっ♡ はぁっ……ふーーっ♡♡」
空の顔は、完全に発情しきっていた。
瞳はトロンと濁り、半開きの口からは微かにヨダレが光っている。呼吸は荒く、繋いだ手から異常な熱が伝わってくる。
「おい! ここ外だから! 家まで待ってくれ!!」
「えへ♡ あきと、あきとぉ……えへへ♡」
暁人は悟った。
(……これは、明日学校は行けねーわ。俺の体力、持つのか……?)
⸻
その日の深夜。
暁人がベッドで泥のように眠る横で、空は机に向かい、日記帳を開いていた。
[今日の暁人はすごく優しかった。もっと甘えてもいいって言ってくれた。でも、学校では恥ずかしいから少し控えてほしいって言われた]
[頑張ろう]
[暁人好き。大好き。今日はいっぱい甘えちゃった。こんなラブラブえっちは久しぶり。幸せ。本当に]
ペンを走らせる音が、静かな部屋に響く。
だが、文字は次第に乱れ、筆圧が強くなっていく。
[でも、心のどこかでは怖い。私が何か間違えたら、また離れていっちゃうんじゃないかって。明日は、もっとちゃんと笑おう。暁人の前では、怖い顔を見せないようにしよう]
[でも……もし、また離れて行っちゃったら――私、どうなるかわかんない]
ペンの先が、紙をガリッと削った。
空は、ベッドで無防備に眠る暁人の愛おしい背中を見つめ、うっとりと微笑んだ。
(たぶん、暁人を殺しちゃう)
ただ殺すんじゃない。
殺した後、暁人を食べちゃう。
そうすれば、暁人は私とずっと一緒。私の胃の中で溶けて、私の血肉になって、細胞の隅々まで永遠に混ざり合うんだ。
暁人のお肉は焼いて食べて、血はワインみたいに飲んで、骨は粉々に砕いてから料理にかけよう。
あ、そうだ。暁人のお肉に、暁人の骨の粉をまぶして食べればいいんだ。
そうすれば、もっと暁人を強く感じられる。
全部食べ終わったら、私も死ぬ。
暁人で満たされたまま、死ぬ。
(あの女には、暁人の髪の毛一本、爪の先すら絶対に渡さない)
全部、全部、ぜんぶ。私のモノ。
空の笑顔は、今日も誰より可愛らしく、完璧だ。
けれどその裏では、「壊れないための必死な我慢」と、「究極の純愛」が、静かに限界点へと向かっていた。




