第6話:白骸(ホワイト・スケル)
「白骸だ、なんでこんなところに白骸がいるんだ!」
その巨大な影を目にした瞬間、馬狼は悲鳴を上げた。もはや朗への監視などそっちのけで、なりふり構わず逃げ出す。だが、彼が背を向けた刹那、飛来した巨大な石塊が背中に直撃した。馬狼は短い絶叫と共に地面に転がり、動かなくなった。死んだか気絶したかを確認する余裕など、朗にはなかった。
砂塵の中から現れたその「白骸」が、朗の眼前に迫る。
視覚システムが捉えたデータとスキャンの結果、その生物の全長は4.92メートルに達していた。
痩身で全身が灰白色。体表の90%以上が厚さ3センチから5センチの幾丁質質の硬甲で覆われ、その隙間から暗紅色の筋肉が不気味に脈動している。外見は人型に近いが、目、鼻、口にあたる部分は黒い空洞になっており、硬甲の質感も相まって、さながら動く巨大な骸骨だ。
頭部の両側には前方に湾曲した三角形の巨大な角があり、それが目の側面を遮るように伸びている。
怪物の巨体が届くより早く、細長い腕が唸りを上げて薙ぎ払われた。朗は即座に回避したが、白骸の腕が空振った地面は、まるで巨大な耕運機に抉られたかのように深い溝が刻まれた。
ロボットの身ゆえ心臓はないが、朗の演算回路には冷たい戦慄が走った。
(この化け物、爪の鋭さもさることながら、腕力が尋常ではない……!)
朗を仕留め損ねた白骸は、追撃する代わりに、標的を傍らの少女――結菜へと切り替えた。
結菜は長年の野外生存経験から、白骸の恐ろしさを誰よりも熟知していた。怪物の出現と同時に逃走を図ったが、白骸の速度はあまりにも速かった。馬狼をなぎ倒し、朗を退け、彼女に牙を剥くまで、わずか四、五秒。その短い時間では、安全圏まで逃げ切ることなど不可能だった。
「危ない!」
朗は叫ぶと同時に地を蹴った。
結菜は機転を利かせ、朗の声に反応して地面に伏せた。白骸の巨大な手が彼女の背中のすぐ上を通り過ぎる。一難は去ったが、彼女は依然として怪物の懐に入り込んだままで、脱出は絶望的に思えた。
だが、この少女の行動は再び朗の予測を裏切った。
狼狽して伏せたはずの彼女は、攻撃を避けるや否や、迷うことなく白骸の股下を潜り抜けて反対側へと脱出したのだ。
白骸の黒い洞窟のような口が開き、そこから灼熱の火炎が噴射された。あと一瞬遅ければ、結菜は灰になっていただろう。
「ふざけるな、こいつ……火まで噴くのか!?」
初めて目にする「骸獣」の強大さと異常な能力に、朗は衝撃を受けた。しかし、結菜の窮地を見過ごすわけにはいかない。彼は即座に突っ込んだ。
旧式の機体とはいえ、合金製の拳が繰り出す威力は小さくない。だが、白骸の硬甲は極めて強固だった。渾身の一撃を叩き込んでも、鈍い衝撃音が響くだけで、目立ったダメージを与えることはできなかった。
正面から殺すのは困難だと判断した朗は、即座に戦略を切り替えた。地面から結菜をひっ掴むと、連続した跳躍と回転で白骸の攻撃範囲から強引に離脱した。
獲物を奪われた白骸は、怒りに駆られたように咆哮を上げた。
前傾姿勢をとった怪物の細長い腕が、逃げる朗の背後を執拗に追いすがる。崩れかけの壁も、巨大な樹木も、白骸の突進を止める盾にはならない。それはさながら、すべてを粉砕しながら進む巨大な重戦車のようだった。
さらに最悪なことに、白骸の口からは絶え間なく火炎が放射され、二人を追い詰めていく。
合金の体を持つ朗にとって火炎の影響は限定的だが、結菜は生身の人間だ。一度でも直撃すれば命はない。
朗は欠損した左腕の分、右腕一本で結菜を抱きかかえ、自身の機体を盾にして彼女を火炎や飛び散る瓦礫から守り抜いた。
炎、爆発、瓦礫の雨、そして怪物の咆哮。
その地獄のような惨状の中で、結菜は不思議なほどの安らぎを感じていた。
黒く輝く瞳で朗の無機質な機械の顔を見つめる彼女の目には、深い信頼と依存の色が浮かんでいた。金属の骨格に締め付けられ、体中が痛むはずなのに、彼女はこの場所から離れたくないとさえ願っていた。
しかし、逃走に必死な朗がそれに気づくはずもない。
白骸の歩幅は大きく、速度も速い。エネルギー不足の体で一人を抱えての逃走は限界があった。百歩も進まぬうちに、白骸の爪が朗を捉えた。
朗は結菜を抱いたまま、弾き飛ばされるように廃ビルの中へと叩き込まれた。
朗はとっさに身を丸めて結菜を庇い、数メートル滑走した後にすぐさま立ち上がった。ビルの反対側へと飛び出す。
追ってきた白骸もビルの中に突っ込んだが、そこで動きが鈍った。
その巨大な体躯ゆえ、廃ビルの構造の中では満足に身を回すことができず、自らの巨体が足かせとなったのだ。
「走れ! できるだけ遠くへ!」
この隙に距離を稼いだ朗は、ビルの骨組みを抜け、内部から突き出た巨木を足場に隣の崩落した建物へと飛び移った。そこで結菜を地面に下ろし、早く逃げろと一喝した。
「あんた……あんたはどうするのよ!」
結菜は焦燥に駆られた声を上げた。
「あの化け物は力が強すぎる。二人一緒では逃げ切れない。俺が囮になる、その間に逃げろ!」
白骸にとって廃ビルの壁など障害にもならない。壁をぶち破りながら迫る怪物。朗はそれ以上の言葉を交わさず、白骸の注意を引くために別方向へと駆け出した。
結菜は震える足で、少し離れた断崖のようなビル跡に身を隠し、複雑な眼差しで朗の背中を追った。
白骸は汽笛のような耳障りな鳴き声を上げ、朗の後を執拗に追う。凄まじい衝撃が、数百年沈黙していた都市を揺らし、砂塵を舞い上げる。
朗は冷静に戦況を判断していた。建物が密集していればまだ立ち回れるが、開けた場所に出ればエネルギー不足の自分に勝ち目はない。
(逃げ切れないなら……やるしかない!)
ロボットの跳躍力を全開にし、朗は壁を蹴り上げた。
白骸が壁を突き破って飛び出してきた瞬間、朗は空中で反転。壁の反動を利用してダイブし、白骸の脳門に渾身の拳を叩き込んだ。
白骸の頭部が大きくのけぞり、口から火炎が撒き散らされる。
だが、片腕を失っている朗には、空中でのバランスを保つのが困難だった。火炎を浴び、壁を突き破ってビルから転落する。
白骸は蔓や瓦礫をなぎ払いながら後を追い、地面に叩きつけられた朗を巨大な手で掴み上げると、まるで玩具のように再び放り投げた。




