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歴史短編小説まとめ

神託は理か、奇跡か、あるいは…

 第一章 夢見がちの乙女


 薄明かりの中、アキは目を開けた。頰に夜露の冷たさを感じながら、ゆっくりと上体を起こす。まだ星が瞬いている空を見上げ、長い息を吐き出した。


 夢を見ていた。


 いつも見る、鮮明すぎる夢。それは、この国の歴史書には決して記されない、あるいは、記されても人々の理解を超えた奇妙な光景ばかりだ。


 今宵見た夢は、鉄の塊が空を飛び、獣が駆け抜けるよりも速く地上を疾走する光景だった。人々の衣は奇妙な形をしており、耳元に小さな箱を当てて何事かを話し合っている。石や木ではなく、光り輝く板に指を滑らせて文字を操る姿もあった。


 それが、遥か未来の世であることは、漠然と理解していた。


 アキは、大和の辺境、山深い里に暮らす乙女だ。里の人々は、彼女の見る夢を「神託」と呼び、畏敬の念を抱いている。彼女が夢で見た出来事が、数日後、あるいは数年後に現実になることが、これまでにも幾度かあったからだ。


 日照りの予兆、疫病の流行、遠方からの客人。里の人々はアキの夢見に耳を傾け、それに従って行動した。それは、彼女にとって重圧であると同時に、里の平和を守るための使命でもあった。


 しかし、アキ自身は、それが本当に「神の声」なのか、確信を持てずにいた。夢の中の光景は、あまりにも現実離れしており、この世のことわりから外れているように思えたからだ。


「アキ、もう起きたのかい?」


 茅葺き屋根の家から、母の声が聞こえた。朝の支度を始める音に、アキは立ち上がる。


「はい、母様。少し、早起きしました」


 里の朝は早い。男たちは畑へ向かい、女たちは炊事や洗濯に取りかかる。アキもまた、里の娘として日々の務めをこなす。しかし、彼女の心の中には、常にあの奇妙な夢が張り付いていた。


 その日、里に客人があるという知らせが届いた。みやこから来た高貴な方だという。このような辺境の里に、京から客人が来ることは滅多にない。里の人々は騒めき、アキもまた胸騒ぎを覚えた。


 京からの客人は、驚くべきことに、異国の人間だった。


「大陸から渡ってこられた、薬師様だそうだ」


 里のおさが、アキに告げた。


 客人は、背が高く、深い色の瞳と、この国の人々とは異なる肌の色をしていた。絹の上等な衣を纏い、腰には見たこともない奇妙な道具を下げている。彼の名は、ライ。言葉は流暢ではなかったが、里の言葉を理解しているようだった。


 ライは、里に流行っている疫病の原因を探るために来たという。彼は「病は鬼神の祟りではない」と言い切り、人々の体の中にある目に見えない何かが原因だと説明した。里の人々は狐につままれたような顔をしたが、彼の持つ珍しい薬や、病人を手際よく看病する様子に、次第に信頼を寄せるようになった。


 アキは、ライに興味を惹かれた。彼は「神」や「祟り」といった言葉を使わず、物事を「理」で説明しようとする。それは、アキが抱える「夢見」への疑問に、何か答えをくれるのではないかという予感があったからだ。


 ある日、アキは勇気を出してライに話しかけた。


「あの…ライ様。あなたは、未来の世など、信じますか?」


 ライは深い色の瞳を細めて、アキを見た。


「未来?フム、それはまだ訪れていない時。信じるというよりは、予測するものだ」


「予測…ですか?」


「ああ。星の動き、潮の満ち引き、草木の芽吹き。それらには全て定まった『理』がある。その『理』を解き明かせば、次に何が起こるかを知ることができる。それは、未来を知るということだ」


「私の見る夢は、違います。全く未知のものが、唐突に現れるのです」


 アキは、自身が見る奇妙な夢について、少しずつライに語り始めた。鉄の塊が空を飛ぶこと、光る板を操ること、人の声が遠く離れた場所へ届くこと。


 ライは、アキの話を注意深く聞いていた。彼の表情は真剣で、時折、興味深そうに頷く。


「それは…興味深い。君の脳裏に、まだ我々が到達していない知識の断片が宿っているのかもしれない」


「脳裏に…ですか?神様からの啓示ではないと?」


「神…か。私の知る『理』には、神という概念はない。だが、宇宙にはまだ解き明かされていない神秘が多くある。君の『夢見』も、その一つかもしれない」


 ライはアキの額にそっと触れた。冷たい指先が、アキの肌に触れる。


「もしよかったら、君の『夢見』について、もっと詳しく聞かせてくれないか?もしかしたら、それは君だけの特別な力かもしれない」


 ライの言葉は、アキにとって衝撃的だった。「神託」ではない。自分の内に秘められた、未知の力かもしれない。それは、これまで感じていた重圧から、彼女を少しだけ解放してくれた。同時に、自身の能力への興味が掻き立てられた。


 アキは、ライに自身の夢見について語ることにした。それは、彼女が「神託の巫女」としてではなく、「一人の人間」として、自身の能力と向き合う最初の機会となった。


 ライはアキの話を聞きながら、熱心に筆を走らせた。彼が使うのは、竹簡ではなく、薄い紙のようなものだった。それに墨をつけ、滑らかに文字を書いていく。それは、アキが見た未来の夢の中にあった「紙」に似ていた。


「その紙は…?」


「これは、我が故郷で作られたものだ。植物の繊維を細かくして漉き固めたもの。竹簡よりも軽くて薄く、文字を書くのに適している」


 ライは、自身の故郷の技術について語った。紙、印刷、羅針盤、火薬。アキが見た夢の中の光景と繋がるものが、いくつもあった。


「あなたは…未来から来たのですか?」


 アキは思わず尋ねた。


 ライは笑った。


「まさか。私は、ただ遠い土地から来ただけだ。だが、私の故郷の『理』は、君たちが今知っているものよりも、少しだけ先を行っているのかもしれない」


 ライは、アキの「夢見」を「心の奇妙な働き」として捉え、それを解き明かそうとしていた。彼はアキに、夢を見た時の体の状態、夢の内容の法則性、そして夢を見た後に起こる出来事との関連性について、詳しく問いかけた。


 アキは、ライとの会話を通じて、自身の能力を客観的に見つめ始めるようになった。それは「神」からの声ではなく、自分の内側から湧き上がる、何か説明のつかない現象なのではないか。


 しかし、里の人々は相変わらずアキの夢見を「神託」として扱い、彼女に依存していた。特に里の長は、アキの夢見を利用して里の安寧を保とうとしていた。


「アキ、次の夢見では、京の情勢について何か示されないか?最近、すめらぎの周りが騒がしいと聞く。里にも火の粉が飛ばぬよう、知っておきたいのだ」


 里の長の言葉に、アキは重圧を感じた。彼女の夢見は、彼女自身の意志とは関係なく現れる。それを、都合よく利用しようとする人々の思惑に、アキは戸惑いを隠せなかった。


 ライは、そんなアキの苦悩を見抜いていた。


「人々は、理解できないものを『神』や『祟り』と呼んで畏れる。そして、それを自分たちの都合の良いように解釈し、利用しようとする。それは、恐れから来る弱さゆえだ」


 ライはそう言って、アキの肩をそっと撫でた。彼の言葉は、アキの心に染み渡った。


「だが、君の『夢見』は、きっともっと大きな可能性を秘めている。それを『神託』として閉じ込めてしまうのは、あまりにも惜しい」


 ライは、アキに文字を教え始めた。彼の故郷の文字は、この国の文字とは全く異なる形をしていたが、その合理的な構造にアキは引き込まれた。文字を学ぶことで、アキは自分の考えや感情を言葉として整理できるようになった。そして、夢で見た未来の光景を、文字として記録に残すことができるようになった。


 それは、アキにとって、自身の「夢見」を「神託」という曖昧な存在から、形ある記録へと変える試みだった。


 ある夜、アキは再び鮮明な夢を見た。


 それは、炎だった。京の都が、燃え盛る炎に包まれている光景。そして、血に濡れた刀を握りしめた人々の姿。怒号と悲鳴が響き渡り、多くの命が失われていく。


 その夢は、これまでで最も恐ろしく、そして、現実味を帯びていた。


 アキは飛び起きた。全身から嫌な汗が噴き出している。心臓が激しく鼓動し、呼吸が乱れていた。


 これは…予兆だ。避けなければならない。


 アキは震える声で、近くにいた母を呼んだ。


「母様…夢を、見ました。京が…京が燃えています…血の匂いがする…」


 母はアキの顔色を見て、ただ事ではないことを悟った。里の長に知らせが伝えられ、里の人々は再び騒然となった。


 里の長は、アキの夢見を「神託」として受け止め、京に使いを送り、注意を促そうとした。しかし、辺境の里からの知らせなど、京の高官たちが真剣に受け止めるはずもない。


 ライは、アキの見た夢に別の可能性を見出していた。


「炎、血…それは、争いの予兆かもしれない。京で、大きな権力争いが起こるのではないか?」


 ライは、大陸の歴史書には、未来の出来事を予知する「奇妙な能力」を持つ者たちが記録されていることをアキに話した。しかし、それらはあくまで個人の能力であり、「神」からの啓示として扱われることは少なかったという。


「君の『夢見』は、もしかしたら、未来の出来事を、君の脳裏が独自に解釈して映し出しているのかもしれない。炎は争いの象徴、血は命が失われることの象徴として」


 ライの言葉は、アキに新たな視点を与えた。夢は、未来の光景をそのまま見せているのではなく、それを象徴的な形で示しているのではないか。


「もし、その解釈が正しいとすれば、我々はその予兆から、何が起こるかを予測し、備えることができるかもしれない」


 ライはそう言って、アキの「夢見」の記録を改めて見直した。過去にアキが見た夢と、実際に起こった出来事の関連性を詳しく分析する。


 アキは、ライのその合理的な探求心に、尊敬の念を抱いた。彼は「神」の力に頼るのではなく、人間の知恵と努力で、未知を解き明かそうとしている。


 アキは決意した。自身の「夢見」を「神託」として他者に委ねるのではなく、ライと共に、その謎を解き明かそうと。そして、もし可能ならば、恐ろしい未来を回避するために、その力を役立てようと。


 第二章 京への誘い

 アキの見た「京が燃える夢」の知らせは、里から京へ、そして権力者の耳にも届いた。しかし、多くの者にとって、辺境の巫女の夢見など、荒唐無稽な話として一笑に付されるものだった。


 だが、ただ一人、その知らせに興味を持った人物がいた。


 藤原不比等――時の権力者であり、新しい国造りを目指す野心家だ。彼は、古い時代の因習や迷信を嫌い、大陸の新しい制度や思想を積極的に取り入れようとしていた。しかし同時に、人々の心を掌握するためには、「神」や「神秘」の力が有効であることも理解していた。


 不比等は、アキの「夢見」に、彼の権力を確固たるものにするための道具としての可能性を見た。


「辺境の巫女が、京が燃える夢を見たとな?面白い」


 不比等は、配下の者に命じ、アキを京へ連れてくるように手配した。


 里に、京からの使いがやってきた。彼らは高貴な身分を示す装束を纏い、里の人々は畏れおののいた。使いは、アキに京へ上るよう命じた。


 里の長は、アキを京へ行かせることに躊躇した。アキは里にとって欠かせない存在であり、「神託の巫女」を権力者に渡してしまうことへの恐れもあった。


 しかし、京からの命令は絶対だ。里の長は、渋々アキを京へ行かせることを承諾した。


 アキは、京へ行くことに不安を感じていた。彼女の夢見が、権力争いの道具として利用されるのではないかという恐れがあったからだ。


 ライは、アキと共に京へ行くことを申し出た。


「私も、君の『夢見』の謎を解き明かすために、京で調査したいことがある。それに、君を一人で行かせるのは心配だ」


 ライの申し出に、アキは心強く感じた。彼がいれば、未知の都でも一人ではない。そして、彼の「理」の視点が、京で起こる出来事を理解する助けになるかもしれない。


 京への道は、里の道とは全く異なっていた。整備された広い道が続き、行き交う人々の数も、里とは比べ物にならないほど多い。華やかな装束を纏った貴族、力強い武人、そして、様々な品物を売る商人たち。京は、アキにとって全てが新鮮で、刺激的だった。


 京に到着したアキとライは、藤原不比等の屋敷に迎えられた。不比等の屋敷は広大で、豪華絢爛だった。里の簡素な家屋とは全く異なり、アキは圧倒された。


 不比等との対面は、アキにとって緊張するものだった。不比等は威厳があり、鋭い眼光でアキを見つめた。


「お前が、京が燃える夢を見たという巫女か」


 不比等は単刀直入に尋ねた。


 アキは、震える声で答えた。


「はい…。炎と、多くの血を見ました」


 不比等は興味深そうに頷いた。


「その夢は、いつ頃の出来事を示していると思う?」


 アキは、夢の中の時間軸が曖昧であることを説明した。しかし、迫りくるような危機感があったことを伝えた。


 不比等は、アキの言葉を注意深く聞いた後、ライに視線を向けた。


「貴殿は、大陸から来た薬師と聞いた。この巫女の能力について、どう思う?」


 ライは、不比等に臆することなく答えた。


「彼女の『夢見』は、私の故郷の文献にも記録されている、ある種の予知能力と類似しています。心の働きによるものか、あるいは未知の力が影響しているのか…調査が必要です」


「心の働き…神の啓示ではないと申すか」


 不比等の目が鋭くなった。


「『神』という概念は、私の『理』にはありません。しかし、人智を超えた現象があることは認めます。重要なのは、それをどう解釈し、どう利用するかです」


 ライの言葉に、不比等は満足そうに微笑んだ。


「利用するか…面白い。貴殿も、この巫女の能力解明に協力してもらおう。必要なものは全て提供しよう」


 不比等は、アキとライを屋敷に滞在させ、彼らの活動を支援することを約束した。しかし、アキは感じていた。不比等は、自身の「夢見」を、国を治めるための道具として見ているのだと。


 京での生活は、里での生活とは全く異なっていた。華やかな貴族社会の裏側には、激しい権力争いが渦巻いていた。アキは、不比等を通じて、京の政情を肌で感じることになった。


 不比等には、何人もの息子がいた。彼らは皆、優秀で、父の権力を継承しようと争っていた。アキの夢見は、彼らの間の駆け引きにも利用されるようになった。


 ある日、アキは、不比等の息子の一人である武智麻呂むちまろに呼び出された。武智麻呂は、父に似て鋭い目つきをしていた。


「お前の『夢見』で、我が父上の行く末を占ってみせろ」


 武智麻呂は傲慢な態度でアキに命じた。


 アキは困惑した。彼女の夢見は、意図的に引き起こせるものではない。そして、特定個人の運命を占うような性質のものではない。


「私の夢見は…特定の人物の未来を示すものでは…」


「黙れ!父上は、お前の『神託』に期待しておられるのだ。答えられないというのか?」


 武智麻呂は苛立ちを露わにした。


 その時、ライが割って入った。


「武智麻呂様。彼女の能力は、未知の現象です。まだその法則性すら解明できていません。ましてや、特定の人物の未来を正確に示すことなど不可能です」


「何者だ、貴様は!」


 武智麻呂はライを睨みつけた。


「私は、彼女の能力を解明するために、不比等様のご協力を得ている者です。現実的な視点から、この現象を分析しています」


「胡散臭い。父上を騙そうというのではないか?」


 武智麻呂は疑いの目を向けた。


 ライは冷静に答えた。


「私は、ただ『理』に基づき、事実を追求しているだけです。もし、私の言葉が信じられないのであれば、私の実験を見学されてはいかがですか?」


 ライは、自身の持つ道具を使って、いくつかの奇妙な実験を見せた。濁った水を熱し、その蒸気を冷やすと、信じられないほど澄んだ水になる様。あるいは、ある種の石の粉を火に入れると、普段見慣れない色の炎が立ち上る様。それは、現代人にとっては知られた現象だったが、当時の人々にとっては驚くべきことだった。


 武智麻呂は、ライの奇妙な実験に目を丸くした。濁った水が澄んだ水になる様、石の粉から鮮やかな炎が生まれる様…彼の持つ知識や技術は、これまでの常識や信仰では説明できないものだった。


「これは…確かに不思議な『理』だ…」

ライは冷静に答えた。

 ライは、自身の持つ道具を使って、簡単な実験を見せた。それは、水が一定の温度で沸騰すること、鉄が火に近づけると赤くなることなど、現代人にとっては当たり前の現象だったが、当時の人々にとっては驚くべきことだった。


 武智麻呂は、ライの実験に目を丸くした。彼の持つ知識や技術は、これまでの常識を覆すものだった。


「これは…確かに不思議な『理』だ…」


 武智麻呂は戸惑いを隠せない様子だった。


 ライは続けた。


「彼女の『夢見』も、この実験のように、まだ解明されていない『理』に基づいているのかもしれません。それを『神託』として片付けてしまうのは、あまりにも早計です」 


 ライの説得に、武智麻呂は一旦引き下がった。しかし、彼の心には、アキの夢見とライに対する疑念と、同時に奇妙な興味が残った。


 京での日々、アキはライと共に、自身の夢見について深く探求した。ライはアキに、心の構造や働き、そして睡眠と夢の関係について、自身の故郷の知識を基に説明した。それは、アキがこれまで知っていた世界の全てを覆すような話だった。


「私の夢は…頭の中の出来事なのですか?」


 アキは信じられないような気持ちで尋ねた。


「そうかもしれない。だが、その頭の中の出来事が、なぜ未来の予兆を示すのか…それはまだ謎だ。あるいは、君の脳が、未来の情報を何らかの形で受信しているのかもしれない」


 ライは、アキの心の活動を測定するために、奇妙な道具を使おうとした。しかし、心の活動を測定することは不可能だった。


 アキは、ライとの探求を通じて、自身の能力をより客観的に見つめられるようになった。それは「神の啓示」という神秘的なものではなく、自分の体の一部に宿る、まだ知られていない機能なのかもしれない。


 しかし、京の都では、アキの夢見は依然として「神託」として扱われた。彼女の見る夢は、権力者たちの間で噂になり、時には彼らの行動を左右することもあった。


 不比等は、アキの夢見を政治的に利用しようとしていた。彼はアキに、すめらぎの病の回復や、新しい都の建設に関する「神託」を求めたりした。アキは、不比等の要求に応えようと努力したが、意図的に夢を見ることはできなかった。


「不比等様…私の夢見は、私の意志ではどうすることもできません…」


 アキは苦渋の表情で不比等に訴えた。


 不比等は苛立ちを見せた。


「お前は『神託の巫女』であろう!なぜ、国のためになる『神託』を見せられないのだ!」


 不比等の言葉に、アキは自身の無力さを痛感した。里では「神託の巫女」として崇められていた彼女は、京では単なる「便利な道具」として扱われているのかもしれない。


 ライは、そんなアキを見て、不比等に忠告した。


「不比等様。彼女の能力を無理強いすることはできません。それは、まだ我々が理解できていない、自然の摂理に関わることなのです」


 不比等は、ライの言葉に耳を貸そうとしなかった。彼は、自身の権力欲を満たすためなら、どんな手段でも使うつもりだった。


 京の政情は、ますます不安定になっていった。皇位継承を巡る争いが表面化し、不比等の息子たちの間でも亀裂が深まっていった。


 そして、アキが京へ上って数ヶ月が過ぎた頃、彼女は再び、あの恐ろしい夢を見た。


 炎…血…悲鳴…


 それは、以前にも見た、京が燃え盛る光景だった。しかし、今回はさらに鮮明で、特定の場所や人物が映し出されていた。


 それは、不比等の屋敷だった。


 不比等の屋敷が炎上し、多くの人々が血を流して倒れている。そして、その中に、不比等自身や、彼の息子たちの姿もあった。


 アキは、恐ろしさのあまり声を上げそうになった。これは、ただの夢ではない。迫りくる現実の予兆だ。

 アキは、震える体でライの元へ向かった。


「ライ様…!また、夢を…今度は、不比等様の屋敷が…炎上して…」


 アキは、夢で見た光景を詳しくライに語った。ライは、アキの話を真剣な表情で聞いた。


「不比等の屋敷が…それは、権力の中枢が狙われるということだ」


 ライはそう言って、地図を広げた。京の街の地図だ。


「君の見た光景から、場所を特定できるか?炎が上がっていた場所、血が流れていた場所…」


 アキは、夢の中の光景を思い出しながら、地図上の場所を指し示した。それは、不比等の屋敷の中でも、特に重要な建物が集まっている場所だった。


 ライは、アキの指し示した場所を注意深く見つめた。そして、何かを考え込むように頷いた。


「もし、君の夢が、未来の出来事を象徴的に示しているとすれば…これは、不比等一族に対する攻撃を意味しているのかもしれない」


 ライの言葉に、アキはゾッとした。京の政情が不安定であることは知っていたが、まさか不比等のような権力者が狙われるとは、想像もしていなかった。


「不比等様に、このことを伝えなければ…!」


 アキは立ち上がろうとしたが、ライに止められた。


「待て、アキ。これを不比等様に伝えたところで、彼はどうするだろうか?彼は君の夢を『神託』として、自身の権力を守るために利用するかもしれない。そして、無関係な人々を巻き込む可能性もある」


 ライは、不比等の人間性を理解していた。彼は目的のためなら手段を選ばない。アキの「予兆」を、政敵を陥れるために利用することも厭わないだろう。


「では…どうすれば…?」


 アキは途方に暮れた。恐ろしい未来が迫っているのに、何もできないのか。


 ライは考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「もし、この予兆が本当に起こるとすれば、我々にはそれを回避する機会がある。だが、そのためには、慎重に行動しなければならない」


 ライは、アキと共に、京で起こっている権力争いの情報を集め始めた。不比等一族と対立している勢力、彼らの動き、そして、不比等の屋敷の警備体制。


 集めた情報を分析するライは、アキの夢見と現実の状況が不気味なほど一致していることに気づいた。権力争いは激化し、不比等に対する反感が高まっていた。


「アキ、君の『夢見』は、単なる予兆ではないのかもしれない。それは、多くの人々の思惑や、隠された動きが複雑に絡み合った結果、起こりうる未来の断片を映し出しているのかもしれない」


 ライの言葉は、アキにとって新たな発見だった。彼女の夢は、超自然的な力によるものではなく、現実世界の延長線上にあるものなのか。


「では、私は…その未来を変えることができるのでしょうか?」


 アキは、希望を見出し尋ねた。


 ライは、しかし、難しい表情をした。


「未来を変えることは、容易ではない。それは、多くの人々の行動や選択によって決定される。我々ができるのは、その予兆を知り、最善の選択をすることだけだ」


 ライは、アキの夢見が示す「火災」と「殺傷」という結果を回避するための策を練った。それは、不比等に警告するだけでは不十分だ。事態を悪化させる可能性さえある。


 ライは、不比等と対立している勢力の一つに接触することを提案した。彼らに、不比等の屋敷で何かが起こる可能性があることを示唆し、警戒を促す。同時に、不比等の屋敷内部にも、ライを通じて信頼できる者を配置し、異変を察知できるように手配する。


 それは、危険な賭けだった。もし、アキの夢見が外れた場合、ライとアキは両方の勢力から疑われることになる。


 しかし、アキには、この恐ろしい未来を回避したいという強い思いがあった。多くの命が失われる光景を、二度と見たくなかった。


 アキは、ライの提案を受け入れた。


 第三章 歴史の岐路

 ライは、不比等と対立する長屋王ながやおうに接触した。長屋王は皇族であり、不比等の権力拡大を快く思っていなかった。


 ライは、長屋王にアキの「夢見」について語った。直接的に「不比等の屋敷が襲われる」とは言わず、「不比等の身辺に危険が迫っている兆候がある」と慎重に伝えた。そして、その予兆が、アキの持つ特殊な能力によるものであることを説明した。


 長屋王は、ライの話に半信半疑だった。しかし、ライが示す奇妙な道具や、理に基づいた説明に、全くの嘘ではない可能性を感じた。そして、不比等の権力拡大を阻止したいという思いから、ライの言葉に耳を傾けることにした。 


 長屋王は、不比等の屋敷周辺の警備を密かに強化した。同時に、不比等一族の動きを監視するよう指示を出した。


 一方、ライは不比等の屋敷内部にも、自身の故郷の技術に興味を持つ下級役人を味方につけ、情報収集と連携を試みた。


 アキは、京の都で不安な日々を過ごしていた。いつ、夢で見た恐ろしい出来事が現実になるのか、気が気ではなかった。夜になると、再びあの炎と血の光景を見ないか、恐れながら眠りについた。


 そんなアキを、ライは常に励まし続けた。


「アキ、君の『夢見』は、恐れるものではない。それは、未来を知るための手掛かりだ。我々はその手掛かりを元に、最善の行動をとる。それこそが、『理』の力だ」


 ライは、アキに自身の故郷の哲学を語った。それは、運命は定まったものではなく、人間の意思と行動によって切り開かれるという思想だった。


 アキは、ライの言葉に勇気づけられた。彼女の「夢見」は、変えられない運命を示すものではない。それは、警告であり、より良い未来を選択するための機会なのだ。


 そして、その日は突然やってきた。


 夜更け、京の都に騒ぎが起こった。不比等の屋敷の方角から、煙が立ち上っているのが見える。


「…来た…」


 アキは青ざめた顔で呟いた。


 ライは落ち着いた様子で言った。


「アキ、我々の行動が、未来を変えることができるか…今こそ、その時だ」


 ライは、不比等の屋敷内部にいる協力者との連絡を試みた。彼らは、屋敷に不審者が侵入したことを知らせてきた。


 ライは長屋王に連絡を取り、事態の発生を伝えた。長屋王は、既に屋敷周辺の警備を強化しており、迅速に対応することができた。


 長屋王の兵と、不比等の屋敷の警備兵が連携し、侵入者たちを食い止めた。激しい戦闘が繰り広げられ、多くの血が流れた。しかし、炎は最小限に抑えられ、屋敷全体が燃え盛ることは避けられた。


 アキは、遠くから立ち上る煙と、響き渡る騒ぎの声を聞きながら、祈るように手を合わせていた。彼女の夢見が、多くの命を救うことに繋がってほしいと願った。


 夜が明け、事態が収拾された。


 不比等の屋敷への襲撃は、未遂に終わった。襲撃犯の中には、不比等と対立する勢力と繋がりのある者もいた。


 不比等は、襲撃を未然に防いだこと、そして、その予兆をもたらしたアキの「夢見」の力に、改めて驚愕した。


「お前の『神託』は、真であったか…」


 不比等は、アキを見て呟いた。


 しかし、不比等はアキの「夢見」を「神託」として捉え続ける。彼の権力をさらに強固にするために、アキの力を利用しようとする思惑は変わらなかった。


 ライは不比等に、アキの能力は「神託」ではなく、心の働きによる予知能力である可能性が高いことを改めて説明した。そして、その能力を研究し、法則性を解明することで、より正確な予測が可能になることを説いた。


 不比等はその話に興味を示したが、結局は「神託」という言葉の持つ政治的な力に魅力を感じていた。彼はアキを「国の守り神」として祭り上げ、自身の権威を高めようとした。


 アキは、自身の能力が「神託」として固定化され、政治的に利用されることに苦悩した。彼女は「神」になりたかったわけではない。ただ、恐ろしい未来を回避したかっただけだ。


 ライは、そんなアキを見て、彼女の能力を真に理解し、制御する方法を見つけることの重要性を再認識した。


「アキ、我々の探求は、まだ始まったばかりだ。君の『夢見』が『神』の啓示であろうと、心の働きであろうと、それが未来の予兆を示す力であることに変わりはない。重要なのは、その力をどう使い、より良い未来を築くかだ」


 ライはそう言って、アキと共に、京で起こった出来事とアキの夢見との関連性をさらに深く分析することを続けた。


 不比等への襲撃事件は、京の政情に大きな影響を与えた。不比等一族はさらに警戒を強め、対立勢力への圧力を高めた。長屋王は、アキの夢見を信じたことで危機を回避できたことを認識し、ライとアキに対する信頼を深めた。


 アキの「夢見」は、京の都でさらに有名になった。彼女は「奇跡の巫女」として祭り上げられ、多くの人々が彼女に未来の予兆を求めて集まるようになった。


 アキは、人々の期待に応えようと努力したが、彼女の夢見は彼女の意志とは関係なく現れる。そして、夢が常に良い予兆を示すわけではない。恐ろしい未来の断片を見ることもあった。


 アキは、自身の能力の重圧に苦しんだ。人々は彼女を「神」のように扱うが、彼女自身はただの人間だ。そして、彼女の能力が、人々を幸福にするだけでなく、不安や恐れをもたらす可能性もあることを知っていた。


 ライは、アキの苦悩を理解していた。彼はアキに、自身の故郷にも、人智を超えた能力を持つ者たちがいたこと、そして、その力が時に悲劇をもたらした歴史を語った。


「力は、使い方次第で、光にも闇にもなる。重要なのは、その力を制御し、正しい方向へ導くことだ」


 ライはそう言って、アキに、自身の能力を冷静に見つめること、そして、感情に流されずに「理」をもって判断することの重要性を教えた。


 アキは、ライの言葉に耳を傾けた。彼女は「神託の巫女」ではなく、自身の能力を理解し、制御しようとする「探求者」として生きていくことを決意した。


 数年後、不比等は病に倒れ、世を去った。彼の死後、藤原氏の息子たちは権力を巡ってさらに激しく争うことになる。そして、疫病の流行や政変など、様々な出来事が日本を揺るがすことになる。


 アキは、その激動の時代を、自身の「夢見」と共に生き抜いた。彼女の夢は、常に未来の予兆を示し続けた。良いことも、悪いことも。


 彼女は、ライと共に、自身の夢見の記録を続けた。夢で見た未来の光景、それが現実とどう繋がるのか、そして、未来を変えるためにどのような行動をとったのか。それは、「神託」の記録ではなく、「予知」と「選択」の記録だった。


 ライは、アキの能力を最後まで解明することはできなかった。しかし、彼はアキの「夢見」が、単なる迷信ではなく、未知の「理」に基づいた現象であると確信していた。


 アキとライの物語は、歴史書には記されなかった。彼らの活動は、歴史の表舞台ではなく、その裏側で静かに、しかし確実に、古代日本の歴史の流れに影響を与えていたのかもしれない。


 アキの見た夢は、本当に「神託」だったのか?


 それとも、未知の「理」だったのか?

 あるいは――。

 アキは、答えを知ることなく、ライと共に、自身の能力と向き合い続けた。

 まほろばの夢見がちの乙女が、古代日本の歴史の岐路で見たものは、未来への希望か、それとも…

(了)

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