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第28話 夏よ、来い

 病室の窓から、夕方の光が差し込んでいた。

 夏の終わりを知らせるその光は、金色で、どこか切なくて、まるで時間そのものが止まってしまうようだった。


 僕は、ベッドのそばに座っていた。

 酸素マスクをつけた一夏の呼吸は、ゆっくりと、けれど確実に弱まっている。

 心電図の波が小さく揺れ、静かな電子音が部屋の中に響いていた。


「……一夏」


 声をかけると、まぶたがゆっくりと動いた。そして、かすかに笑みをつくる。


「⋯⋯理久?」


 一夏はうっすらと目を開け、病室の天井を見つめた。その視線は、遠くを見ているようだった。


「来てくれてたんだね」


「当たり前だよ。それより目を覚ましてよかった」


 一夏は、ニコニコと笑い続けながら言った。


「ねぇ、覚えてる? あの夏祭りの花火」


 僕はうなずいた。


「忘れるわけない。あの日の花火、一生の思い出だ」


「ふふっ、よかった……私ね、あの時思ったんだ。この人となら、どんな景色もきっと綺麗に見えるって」


 言葉の途中で、息が詰まる。

 僕はすぐに彼女の手を握った。

 小さく、冷たい手。けれど、確かにそこにあった。


「大丈夫、無理しないで」


「ねぇ、理久……」


 一夏は小さく笑って、僕の方を見た。


「もし私がいなくなっても、ちゃんと前を向いてね」


 僕は首を振る。


「そんなこと言うなよ。大丈夫だよ、治るって」


「……ううん。なんとなく、分かるの。でもね、不思議なの。怖くないんだ。今こうして、理久がそばにいるから」


 彼女の目が、柔らかく細められた。

 まるで、安心した子供のように。


 外では、蝉の声が最後の力を振り絞って鳴いている。

 その声が、二人の時間をゆっくりと包みこんでいった。


「理久……ありがとう。楽しかった。ほんとに、楽しかったよ」


「そんなの、嫌だよ俺。一夏がいないと駄目だよ⋯⋯僕」


「ううん。理久はきっともう大丈夫だよ。私の時間は止まっても、理久の中で、ちゃんと続いていくんだよ」


 僕の目からは、涙がとめどなく溢れ、彼女の手を再び、強く握った。


「俺もだ。一夏……ありがとう。僕⋯⋯いや、俺は、君をずっと忘れない」


「うん……」


 そう言って、彼女は天井を見上げたまま、小さく微笑んだ。

 その笑顔は、まるで陽だまりのように優しかった。


「――また、夏が来たら、思い出してね」


 その言葉を最後に、彼女の瞳は、静かに閉じられた。


 静寂の中で心電図の音が、細く長い音に変わる。

 その瞬間、世界のすべての音が遠ざかっていった。


 俺は、動かなくなったその手を、まるで壊れもののように、両手で包み込んだ。


「……ありがとう、一夏」


 涙がぽたりと落ちる。

 白いシーツに小さなしみができて、すぐに広がった。


 窓の外では、夕暮れの空に一筋の光が差し込んでいた。まるで、一夏の魂が空へ還っていくかのように。




 七瀬一夏。高校2年生。後天性の心臓病を患い、余命1年と宣告され、それでも彼女は笑顔を絶やさず、毎日を生きた。

 それでも、彼女は運命には抗えなかった。

 

 蝉の声が鳴り響き、彼女の隣に俺がいる中で⋯⋯。


 一夏は、息を引き取った──。




 蝉の声が止んだ午後、雲が低く垂れこめていた。

 夏の終わりを告げるような空の下、俺は喪服のまま、静かに立っていた。


 目の前には白い花で囲まれた棺。

 その中で眠る一夏の姿は、まるでただ眠っているだけのように見えた。透きとおるような肌に、少し笑みを浮かべたままの唇。

 俺は、何度も何度も「夢なんじゃないか」と思った。


 焼香の順番を待つ列の中で、周囲のすすり泣きが聞こえる。

 けれど、俺には何も聞こえていなかった。

 ただ、一夏の顔だけを見ていた。


 彼女の母親が、震える手で俺に小さな紙袋とスケッチブックを差し出した。


「……これ、あの子がずっと大切にしてたの。あなたに、渡してほしいって」


 母親から受け取った「一夏の遺品」と呼ばれるもののひとつ──。

 白い封筒だった。


 宛名は、柔らかい字でこう書かれている。


『理久へ 秋になったら、開けてね』


 その文字を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

 もうあの声は、この世界のどこにもない。

 あの笑い声も、あの照れたような頬の赤みも。


 けれど彼女がこの封筒を残したということは、最後の瞬間まで、俺のことを考えていたという証だった。


 俺は帰り道、空を見上げた。

 あの夏の日と同じように、高くて青い空が広がっている。だが、その中にいたはずの彼女はいない。

 もう二度と会えない。そう分かっていても、どこかでまだ信じられないままだった。




 部屋に帰ると、机の上に一夏が描いたスケッチブックがあった。

 ページをめくるたび、笑顔がそこにいた。

 夏祭りで綿菓子を持つ彼女、川辺で風に髪を揺らす姿、病室の窓辺に咲く小さな花を見つめる横顔。

 どれも一夏が書いた、詩だった。


 ページの最後、白紙の上に貼られていた封筒を、俺はそっと取り外した。

 季節はもう秋の気配。

 だから、今、読んでもいい。


 震える指で封を切る。


 中から出てきたのは、一枚の便箋と手紙だった。


 便箋には「ありがとう」の一文字。


 俺は、涙が落ちないように手で口を覆いながら、手紙を広げた。



「理久へ


この手紙を読んでるころ、私はきっとこの世界にはいないんだと思う。

でも、どうしても伝えたくて、書きました。


私ね、最初にあなたを見たとき、懐かしい気がしたの。

どこかで会ったことがあるような、不思議な感覚。

あのときの笑顔で、毎日が本当に楽しくなった。


私の最後の夏は、あなたに会うためにあったんだ、て分かった。


私はもう、未来を一緒に見ることはできないけど、あなたが描く未来を、空のどこかで見ています。


どうか、止まらないでね。

私のぶんまで、生きてください。


そして、時々でいいから、思い出して。

あの夏の日の風を。

あの夏の空の花火を。

あの夏の夜の恋を。


私の世界は、あなたと出会って、ちゃんと輝きました。


なので次の夏、風が吹いたら、また会いに行きます。


             ──── 一夏より」



 読み終えた瞬間、俺の視界が涙で滲んだ。声にならない嗚咽が喉の奥から漏れる。

 まるで、心の底を撫でるような優しい痛みだった。


 その夜、俺は机の上に詩と手紙を並べて、小さな声でつぶやいた。


「……ありがとう、一夏。ちゃんと生きるよ。」



 そう言って、眠りについた。




 夜明け前、俺は夢を見た。


 風に揺れるひまわり畑の中、白いワンピースの一夏が立っていた。

 光の粒が彼女の周りを舞っている。


「ねえ、手紙、読んでくれたんだね」


 その声は、風みたいに柔らかかった。俺は頷く。


「ありがとう……でも、もう一度会いたかった」


 一夏は微笑み、首を振った。


「だめだよ。私は、ここにいるから」


 彼女は俺の胸のあたりを指さした。


「ちゃんと、生きてる限り、私は消えないよ」


 そう言って、ひまわりの花びらが一斉に風に舞った。彼女の姿は、その光の中に溶けていく。


「一夏!」


呼んだ声に、返事はなかった。

けれど次の瞬間、風が俺の頬を優しく撫でた。


 それは、あの日の夏の風と同じだった。




 朝。

 カーテンの隙間から光が差し込む。

 机の上には昨夜のままの絵と手紙。

 けれど、絵の端に気づく。

 昨日はなかった、小さな筆跡があった。


「大丈夫。いつでも、ここにいるよ」


 俺は、静かに笑った。

 涙はもう、こぼれなかった。


 窓の外では、一羽のツバメが青空を横切っていく。

 俺はその姿を見上げながら、呟いた。


「いってらっしゃい、一夏。……また、会おう」




 こうして僕らの一夏(ひとなつ)は、終わりを告げた。


 一夏との約束は忘れはしない。俺はバイトを始めて、一夏の詩をまとめ上げて、電子書籍として公開した。


 その後は、出版社の目にとまり、書籍化が決まった。こんなうまい話があっていいのかと思ったが、多くの人の心を打ったらしく「命の儚さと、美しさを教えてくれた」と、読者から手紙が届く。


 勿論、俺もその1人だ。


 毎年、夏になると、 俺は花火大会に行く。

 浴衣を着て、河川敷の芝生に座る。

 空に花火が咲くたび、 「一夏、見てる?」と、つぶやく。


「うん、見てるよ」そんな気がする。


 ある夜、 小さな女の子が、俺の隣に座った。


「お兄さん、一人で見てるの?」


「うん。でも、一人じゃないよ」


「なんで?」


「……大切な人が、星になって、見守ってくれてるから」


 女の子は、空を見上げた。


「私も、おばあちゃんが星になったの。

でも、寂しくない。 だって、毎晩、話してるから」


 俺は、微笑んだ。


「そうか。じゃあ、君も、約束してるんだね」


「うん! おばあちゃんの分まで、生きてくって」


「……いい約束だね」


 夜風が、優しく吹いた。

 空の星が、きらりと瞬いた。

 まるで、二人の笑顔みたいに。


 ――一夏、 俺は、生きてるよ。 君の分まで、ちゃんと。

 

 だから、また、夏の夜に、会えるまで。




 夏の夜。俺は君に恋をした。

 忘れたくない恋だった。忘れられない恋だった。それが俺の初恋だった。

 さよならを告げた日から俺はこう思う。


『夏よ、来い』

ご覧いただきありがとうございました。初めての作品も、これを持ちまして完結となります。温かいコメントなど、作品を書くうえでのモチベになりました。この作品の反省としては、プロットをうまく書けず、色々な所でボロが出ているところです。初めての作品として、もし、この作品が多くの読者様の目に映るようでしたら、書き直します。この作品を最後まで応援してくださった方々には感謝です!ぜひ、次回作もよろしくお願いします。感想・評価・ブックマークで応援いただけると幸いです。

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