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第25話 必要とされる幸せ

 一夏が診察室に入って数十分後。

 医師が出てきて言った。


「体調の状態が芳しくありません。しばらく入院して、詳しい検査と治療が必要です」


 その言葉に、頭が真っ白になった。わかっていたはずだ。彼女の体には限りがあると。でも、目の前で倒れる姿を見てしまうと、現実が鋭く胸に突き刺さる。



 病室で再会した一夏は、点滴のチューブを腕に繋がれ、薄いシーツに身を横たえていた。顔色は少し戻っていたが、やはり弱々しく、それでも僕を見ると小さな笑みを浮かべた。


「⋯⋯驚かせちゃったね」


「驚かせた、じゃないよ。⋯⋯心臓止まるかと思った」


 僕は情けないくらい震える声で言った。彼女は苦笑しながら、窓の外に目を向ける。夜の帳が降り、遠くで街の灯りが揺れていた。


「ほら、言ったでしょ。私、時間があんまりないんだって。⋯⋯だから、ちょっと無理しただけ」


「そんなの、理由にならないよ」


 言葉が喉につかえる。強く言いたいのに、彼女の横顔を見ていると声が震えてしまう。


 一夏はゆっくりと僕の手を握った。弱い力だったけれど、その温もりは確かに伝わってきた。


「ねえ、理久。私が入院してる間は、ちゃんと学校に行って、本を読んだりして、普通に過ごしてくれたら嬉しいな。⋯⋯私のせいで立ち止まってほしくないの」


「⋯⋯そんなの無理だよ。君のことが気になって、何も手につかない」


 そう言うと、一夏は困ったように、でも優しく微笑んだ。


「そっか。でも⋯⋯そうやって言ってもらえるのは、やっぱり嬉しい」


 彼女の笑顔は、どこか泣きそうに見えた。僕はただ、その手を離さないように握りしめることしかできなかった。



 面会終了時間が近づいてきたため、僕は席を立って、名残惜しさに後ろ髪を引かれながら、両親に会釈をして病室を後にする。振り返った最後の瞬間、一夏が小さく手を振った。その姿が、胸に焼きついたまま離れなかった。



 翌日の放課後。授業中もノートの文字はほとんど頭に入らなかった。黒板に書かれる数式も、教科書の文章も、すべて上の空で、僕の耳に残ったのはクラスメイトが笑う声だけだった。休み時間に祭りの話で盛り上がる友人たちを横目に見ながら、僕の心は病院へと急いでいた。


 チャイムが鳴ると同時に教室を飛び出し、鞄を抱えたまま真っ直ぐにバス停へ向かった。


 病院の廊下はひんやりとしていて、学校帰りの汗が一気に冷える。窓の外では、夏の夕暮れがじわじわと広がり、淡い橙色が建物の壁を染めていた。ナースステーションの前を通り抜け、昨日と同じ病室の前に立つ。ドアをノックすると、中から弱々しい声が返った。


「どうぞ」


 扉を開けると、一夏はベッドに座って本を読んでいた。点滴スタンドが隣に立っているのに、彼女はあくまで普通の日常を演じているように見える。


「理久。来てくれたんだ」


 僕は鞄を置き、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。


「……どうしても気になって。学校でもずっと落ち着かなかった」


「ふふ。そんな顔しないで。私は大丈夫。先生もね、少し安静にしてれば良くなるって言ってたし」


 一夏はそう言いながら、手元の本を閉じた。表紙には子ども向けの童話が描かれている。


「童話?」


「うん。図書館で借りてきたやつ。昨日、倒れたときに落としちゃったけど、ちゃんと返ってきたよ」


 そう言って笑う彼女の声に、胸が締めつけられる。僕の頭には、彼女が倒れた瞬間の映像がまだ鮮明に残っている。


「……笑ってるけど、本当は苦しいんだろ」


 思わず口から出た言葉に、一夏は少しだけ目を伏せた。そして、しばらく黙ったあと、小さく頷いた。


「正直に言うと、ちょっとしんどい。でもね、こうやってあなたが来てくれると……少し元気になれるんだ」


 その言葉に、僕は言葉を失った。ただ彼女の横顔を見つめる。窓から射し込む夕陽が頬を照らし、その影が細く伸びていた。


「理久は、今日どんな一日だった?」


 彼女がそう問いかけるので、僕は思わず苦笑した。


「……授業なんて全然耳に入らなかったよ。ずっと君のこと考えてた」


「そっか。……なんだか嬉しいな」


 一夏はシーツの上で手を伸ばし、僕の袖をそっと掴んだ。力のないその仕草に、僕は逆に強い決意を感じた。


「また明日も来てくれる?」


「もちろん。毎日でも来る」


 即答した僕に、一夏は小さく笑った。けれどその笑顔は、どこか切なげで儚かった。


「そんなに来てたら、理久が疲れちゃうよ」


「疲れるわけない。君がここにいるのに、僕が来ない方がよっぽど苦しい」


 病室にしばし沈黙が落ちる。心電図の規則的な電子音が、妙に大きく響いた。


 その静けさの中で、一夏はぽつりとつぶやいた。


「……ありがとう。私、こうして誰かに必要とされてるって思えるの、幸せだよ」


 僕は言葉で返すことができなかった。ただ彼女の手を握り、そのぬくもりを確かめるように強く抱きしめた。

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