第23話 永遠を願う、一瞬の光
朝から強い日差しが差し込んでいたが、風にはほんのわずかに涼しさが混じっていた。
僕は机の上に積まれた宿題のプリントを前にして、ペンを指で弄びながら大きく息を吐いた。
「⋯⋯あとちょっと、だけだな」
そう口にしたものの、頭の中は宿題よりも約束のことでいっぱいだった。昼前に一夏と図書館で会う。夏休み最後の土曜日を、また彼女と過ごせる。そう思うと胸が落ち着かなくて、文字が目に入らなかった。
図書館はいつも通り静かで、冷房の涼しさに包まれた。入り口で待っていた一夏は、白いブラウスに淡いスカートを合わせていて、夏の終わりを惜しむように清らかな雰囲気をまとっていた。
「ごめん、待った?」
「ううん。今来たところ」
小さく首を振る仕草に、僕は胸が熱くなるのを感じた。
僕たちは並んでいつもの席に座り、机に教科書を広げた。だが今日は、勉強よりも本を読む時間の方が長かった。一夏は小説を抱えてページを繰り、時折クスッと笑ったり、切ない場面で眉を寄せたりする。その表情を横目で見るだけで、僕には十分すぎるほどの時間だった。
「ねえ、理久」
ふと一夏が顔を上げる。
「夏休みって、あっという間だね。あと二日しかないなんて、信じられない」
「ほんとだよな。ついこの前、海見に行った気がするのに」
「うん⋯⋯」
彼女は言葉を濁し、視線を窓の外へ向けた。そこには夕陽に照らされた街路樹の影が長く伸びている。
「宿題も大事だけど、こうやって一緒に過ごす時間の方が、もっと大切だと思う」
「⋯⋯ああ、俺もそう思う」
心の奥に潜んでいた本音を、彼女に代弁されたようだった。宿題なんてただの理由で、本当は彼女の隣にいたいだけ。その気持ちを隠すのはもう無意味だった。
図書館を出たときには空が赤く染まり始めていた。帰り道、蝉の声が弱まり始めていることに気づく。夏は確かに終わりに近づいていた。
「明日も、会える?」
一夏が少し不安そうに問いかける。
「もちろん。最後の一日だろ? 一緒に過ごさなきゃ、意味ない」
そう答えると、一夏は安心したように笑った。その笑顔を見て、僕は「明日」という言葉の重みをかみしめた。
夏休み最後の日。
朝から雲ひとつない青空が広がっていた。けれど太陽の熱さよりも、秋の気配を含んだ風が強く吹き、どこか寂しさを帯びていた。
僕と一夏は、街の賑わいを避けて、河川敷へと向かった。草の匂いと水の音、風に揺れる木々。人影は少なく、二人だけの世界のように静かだった。芝生に腰を下ろすと、川面が夕陽を映してきらめいていた。
「夏って、終わるの早いね」
一夏がぽつりと言った。
「うん⋯⋯気づいたら、もう明日から学校だし」
「もっと長ければいいのに。ずっと、こうしていられたらいいのに」
その声には、ほんの少し震えが混じっていた。僕は彼女を見つめ、胸が締めつけられるのを感じた。
「⋯⋯俺も。まだ、もっと一緒にいたい」
無意識に言葉が零れた。彼女は驚いたように目を見開き、それからゆっくり微笑んだ。
「理久がそう言ってくれるだけで、私、すごく幸せ」
沈黙が訪れる。風が川を渡り、木々を揺らした。夕陽が二人の間を金色に照らしている。僕は勇気を振り絞って、一夏の手に触れた。彼女は驚いたように身じろぎしたが、そのまま手を握り返してくれた。
「一夏」
声が少し震えていた。
「俺は⋯⋯これから先、どんな季節が来ても、君と一緒にいたい。夏が終わっても、秋が来ても、冬が来ても⋯⋯ずっと、隣にいたい」
一夏は視線を落とし、唇を噛んだ。その横顔が夕陽に照らされ、儚くも美しかった。
「⋯⋯理久。残された時間がどれだけでも、私、理久となら笑って生きていける。だから、怖くない」
その言葉に胸が熱くなった。涙がにじみそうになるのを堪えながら、僕は強く彼女の手を握った。
川面に映る夕陽が少しずつ沈んでいく。空は茜色から群青へと変わり、夜の幕が静かに降りてくる。最後の蝉の声が遠くで響き、それさえも別れを惜しむ歌のように聞こえた。
その夜、僕たちは帰り道を黙って歩いた。言葉は少なかったけれど、互いの気持ちはすでに確かに伝わっていた。
帰り道、家の前で一夏と別れるとき、名残惜しさが胸を締めつけた。
「また明日」
ただそれだけの言葉を交わし合ったのに、互いの声はかすかに震えていた。
玄関を閉め、自分の部屋に入ると、静けさがいっそう強調される。窓を開け放つと、夜風がカーテンを揺らし、どこか遠くで花火の残り香のような音が響いた気がした。
机の上には、やり残した宿題が散らかっている。だが、今は鉛筆を握る気にはなれなかった。
僕はベッドに横たわり、天井を見上げた。
──一夏の笑顔。
──あの夕陽に照らされた横顔。
──「残された時間がどれだけでも、理久となら笑って生きていける」
あの言葉が何度も頭の中でリフレインした。
胸が熱くなる一方で、同時に切なさも募っていく。時間には限りがある。それを誰よりも知っているからこそ、明日からの一日一日を大切にしなければならない。
「夏が終わっても⋯⋯俺たちは、続いていく」
小さく呟いて目を閉じた。眠りにつく直前まで、一夏の手の温もりを思い出していた。
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