全てのはじまり
「ここが地球……」
三ケ月前、オルドナギア本隊に先んじて地球を訪れたルーテシアは、宇宙からその青い星を見下ろして独白する。
「報告の通り、文明はありますが、まだ宇宙を自由に出入りするほどまでではありませんね。これなら、すぐにでも侵略できそうです」
目の前に浮かんだ無数の空間画面を見て、地球という星の文明レベル、軍事力、文化などあらゆる情報を調べたリオナは、ルーテシアに報告する。
「リオナ」
「は、はい」
その時返された抑揚のないルーテシアの声に、リオナは反射的に背筋を伸ばす。
(綺麗な声なのに、凄く怖い)
堕神とはいえ、神の名を冠するルーテシアの声音は厳かで、まるで魂が萎縮してしまうように感じられる。
「私、いくつの星をあなた達のために落としたかしら?」
「えっと――」
「普通に侵略するのは飽きたわ。今回は時間をかけて遊びたいの。だから、本隊がこっちに来ないように言っておいて」
問いかけの内容そのものには意味がなかったのか、ルーテシアはリオナの答えを待たずに用件を述べる。
つまりは、「これまで貢献してやったから、好きにやらせろ」と。
「え? ええっ!?」
その申し出に、驚きの声を上げたリオナは、その考えをあらためて貰うべく、恐る恐る口を開く。
「で、でも――」
「じゃないと、私」
しかし、リオナが何か言うよりも早く言葉を紡いだルーテシアは、その金色の視線を向ける。
「オルドナギアと遊びたくなっちゃうかも」
「ひっ……!」
ルーテシアの目にも、声音にも、何の感情もなかった。
怒気や殺気を発したわけでもない。
だが、リオナは魂が凍てつくほどの恐怖を感じて引き攣った声を零す。
「い、今すぐ連絡します!」
青褪めた表情で本部に連絡を入れるリオナに、ルーテシアは目元を綻ばせて楚々として笑みを浮かべる。
「お願いね」
そう言って微笑んだルーテシアからは、まるで女神のような慈愛が感じられた。
(なんで私がこんな目に〜)
「オルドナギア」。それは、宇宙においてその力と名を知られた星々を侵略する組織だ。
その力は一惑星国家、星系領域を凌駕すると謳われる。
その中心にして原因であるのが、オルドナギアの堕神こと「ルーテシア」。
彼女が入ってから、ただでさえ強大だったオルドナギアは、比類ない力を得た。
だが、最強にして最凶であるルーテシアは、オルドナギアでも持て余される存在だった。
(うぅ……お姉ちゃん、私もう帰りたいよ〜)
そして、そんな危険な存在の対処を押し付け――任され、堕神ルーテシアの秘書兼副官に任命されてしまった苦労人がリオナだった。
だが意外にもルーテシアとリオナの相性は良く、普段から連れ回す程度には気に入っていた。
――気苦労で常に精神をすり減らすリオナ本人にとっては不本意だろうが。
「か、神……」
そして、漆黒の翼を広げたルーテシアは、その青い星、地球で少年と出会った。
小山内拓斗――どこにでもいる平凡で、何の変哲もない地球人と。
「あなた、私の代わりにこの星を侵略してみない?」
自分を見て神と零し、目を輝かせるタクトに、ルーテシアは救いの手を差し伸べる女神の微笑を向けた。
※※※
「類は友を呼ぶといいますか、似たものは惹かれ合うといいますか、それとも堕神の運命力か……どのみち、この二人は、出会ってしまったんですよね」
朝食の片付けをしながら、この星に来た時のことを思い返していたリオナは、肩を落とす。
地球を侵略しないのは、ただのルーテシアの我儘。
しかも、ルーテシアはそれだけに留まらず、とんでもないことを始めてしまったのだ。
《あの、ルーテシア様。本気ですか!? あの少年に――侵略対象である星の住人に、あなたの力を与えるなんて!》
「もちろんよ」
タクトを、地球侵略の代行者に選んだルーテシアは、あろうことか自身の力をほとんど丸ごと貸し与えてしまったのだ。
「その、差し出がましいことかもしれませんが、彼は決して優れた人材ではないかと」
一応立場上進言しないわけにはいかないリオナは、恐る恐る言うが、ルーテシアはその言葉に花のような微笑を浮かべた。
「だからいいの。
国や星を良くしようとする変革者や革命者も、国や星を守ろうとする勇者も英雄も、私利私欲のために民を虐げ、富を貪る悪人も。
戦争も、平和も、腐っていく国も、もう見飽きたから。だから、次は面白いものをみたいの」
「彼が、それをみせてくれると?」
まるで愛と平和を語るような口調で、残酷で恐ろしいことを語ったルーテシアは、リオナに悪戯めいた笑みで囁く。
「さあ? けれど、私の目が確かなら、いい線いくと思うのよね」
そう言って細められた瞳に宿る楽しそうな――期待の色を見たリオナは、心も体も凍てつくように冷えるのが分かった。
ルーテシアは、本心を語っている。
悪気もなければ悪意もない。正義や慈愛でもない。
ただの娯楽。ただの趣味。
到底理解しえない価値観の根本的な違いをまざまざと見せつけられ、リオナはこの美しい女神を心底恐れた。
(この方にとって、この星も、そこに生きる全ての生命も玩具に過ぎないのですね。自分が楽しめれば――楽しければそれでいい。
しかも、そんな遊びのために自分の力のほとんどを彼に与えるなんて。これが、堕神ルーテシア……!)
そしてタクトに力を与えたルーテシアは力の大半を失い、子供のような姿になってしまっただけではなく、なぜか立ち振る舞いまでもが、変化してしまったのだ。
※※※
(性格は変わってしまったけど、その記憶も心もルーテシア様のまま。
タクト様に全て任せているとはいえ、侵略もちゃんとやってくれるんだから、なんとか本部には面目が立つはず――)
今日までの苦労の日々を思い出し、リオナは祈るような思いで希望的観測を抱く。
「俺が世界を征服した暁には、あらゆる表現規制を撤廃する! お色気も必然的な差別用語も容認し、自由な表現を取り戻すんだ!」
「モザイクは残すんだぞ! あれはあれで乙なものだからな!」
「分かってるさ」
タクトの宣言と、それに嬉々として同調するルーテシアの姿に、リオナはがっくりと肩を落とす。
「……だめかもしれない」
心の底からそう思ったリオナに構わず、軽く手足を動かしたタクトは、不敵な表情で言う。
「じゃあ、始めるか」
瞬間、タクトの身体を闇が覆い、一瞬でその姿を変化させる。
形状は人型。身体は一回り大きくなり、顔立ちも大人びている。
銀色の髪に、王冠を思わせる黒い角が天を衝き、闇が凝縮したような漆黒のロングコートがなびく。
ルーテシアから受け継いだような金色の瞳を輝かせるその姿は、畏怖の念を抱かせるものだった。
(これが、ルーテシア様の力を得た、タクトさんの姿……)
「『闇黒神皇・ザ・ナイトメア』。それが、この姿を取った俺の名前だ」
高らかに己の名を宣言したタクト――「ナイトメア」に、リオナは心の中で呟く。
(……これが、この国で中二病って呼ばれてるものか。なんていうか、哀れだなぁ)
「かっこいい!」
表情を崩さないリオナと、目を輝かせたルーテシア。
異なる感情に彩られた二人の視線を受けたナイトメアは、高らかにかっこいいポーズを決める。
「それでは、タクトさん」
「ナイトメア」
ようやく侵略を始められるところまできたことに安堵するリオナに、ナイトメアが呼び方の訂正を求める。
「え?」
「ナ、イ、ト、メ、ア。この姿の時はそう呼んでくれ!
俺――じゃなくて、私もこの姿の時は君をリオナと呼ばせてほしい!」
(めんどくさい!)
口調を変えようとするタクトに内心ではそんな印象をもちながら、リオナは顔には微塵も出さない。
「そうだぞリオナ。呼び方は大事だ。雰囲気がいるからな!
なにしろ、今のそいつは私そのものと言っても過言ではないのだからな。
従者がフレンドリーだったり、従者に敬語使うのは良くない。いや、それはそれでありか」
さらに横からルーテシアの擁護が入れば、リオナに拒否する選択はなかった。
そもそも、別に意地になって拒否するようなことでもない。
それでこの人たちがやる気になってくれるなら、その程度のことは造作もない。
「……ナイトメア様。私の魔術によってこの星の全ての情報端末にあなたの姿、あなたの声、あなたの言葉を強制的に送りつけます」
「任せてくれ!」
リオナの言葉に、ナイトメアはこれから世界に対して宣戦布告する緊張と興奮に鼻息を荒くする。
小さくため息を吐いたリオナは、光り輝く六角形の障壁を次々に生み出し、周囲を囲って半球型の空間を作り出す。
手の平をかざし、空中に無数の画面を呼び出したリオナは、それに手を乗せる。
「では、はじめま――」
『はじめまして、地球に住む者達よ。我らは〝ドミネシオン〟。
宇宙より来たりし征服者である。早速だが、我々は、貴様らに宣戦布告する』
「え?」
今まさに宣戦布告のための情報端末乗っ取りをしようとしていたところに、突如テレビから流れ出した映像に、ナイトメアも、リオナも、ルーテシアも目を丸くする。
そこに映し出されていたのは、地球人と遜色ない外見をしているが、どこか異質な存在感を持つ男。
二十代半ばから三十代とほどに見える男は、高慢な態度で堂々と言葉を紡ぐ。
『この星の全ては我々が支配する。抵抗するならば命はないと思え』
「あれ、これってまさか……」
突如テレビから流れ出した映像に、三人は顔を見合わせる。
「先、越された……?」
どう考えても、今流れているのは、今まさにこれから自分達がやろうとしていた、地球人類に対する宣戦布告だ。
「え? うそ、そんなことある……?」
侵略の放送が流れ続ける中、ナイトメア――タクトは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。