堕神の使徒(後)
《どうだ!? ルー!》
《ほう。やるじゃないか。私の力で自分の能力を作ったのか》
《当たり前だろ。自分だけの特殊能力は、全人類の憧れだぜ》
堕神の力を与えた後、その力を使いこなすための訓練をしていた中で自らの能力を作り出したタクトに、ルーテシアは感嘆の声を漏らす。
後に「闇黒神皇・ザ・ナイトメア」と名乗る姿で得意気に言うタクトの周囲には、無数の黒い十字架が浮かんでおり、それは自分のそれとは違う形で行使される自分の力なのだと、ルーテシアは見通していた。
《それにしても――いや》
《? なんだよ。言いたいことがあるなら言えよ》
空中に浮かぶ黒い十字架を一瞥してその目を細めたルーテシアは、何かを口にしようとしてそれを寸前で呑み込む。
それに疑問を覚えたタクトに目を伏せたルーテシアは、その場で身を翻す。
《いや、なんでもない。それより帰るぞ。リオナから飯の時間だから呼んでくるように言われてるんだ》
その時、あえて言葉にはしなかったが、ルーテシアは心中で思っていた。
「面白いな。やっぱり、こいつを代行者に選んで正解だった」――と。
※※※
「我が魂に刻まれし宿業――『失黒十字』!」
無数の黒い十字架を従えたナイトメアは、光すら吸い込むような純黒の闇を纏い、金色の双眸を輝かせてベルギオスを見据える。
ナイトメアは地上にいるというのに、ベルギオスはその視線がまるで遥か高い天の上から自分を見降ろしている神の視線のように感じられた。
「いくぜ」
「っ!」
背筋に奔った悪寒に導かれるように、反射的に全霊の力を解放したベルギオスは、ナイトメアの周囲の空間を圧縮しようとする。
「――ッ!?」
(私の力が作用しない!? これは無効化)
しかし、ナイトメアが従える黒い十字架から溢れ出す純黒の闇が侵食した空は、ベルギオスの力の干渉を消滅させ、完全に無効化していた。
そして同時に、ベルギオスは、ナイトメアが顕現させた無数の黒い十字架が生み出す闇が、ただの無効化能力ではないことにも思い至る。
(――いや、自身の望みを実現する堕神の力……!)
ナイトメアが行使している純黒の闇は、堕神ルーテシアが使うものと同じ神の権能。
物体、現象、因果全てを問わず、想像を創造し、想い描いた通りにいかなる奇跡も不条理も、現実として具現化させる規格外の力だ。
「あんたも自分の能力教えてくれたからな。俺も教えてやる」
驚愕に目を瞠るベルギオスを見据えナイトメアは、不敵な笑みを浮かべて言う。
「俺の『失黒十字』は、俺の想像を具現化する端末。これ一つ一つが俺の願いを叶えてくれる力の結晶だ」
その言葉に応じるように黒い十字架が二つ――一つはナイトメアの手中に、もう一つはナイトメアの背に吸収される。
瞬間、手にした黒い十字架は身の丈にも及ぶ槍に。背に吸収された黒十字は翼へと変化し、ナイトメアの身体を空中へと浮かび上がらせる。
(なるほど。あれら一つ一つが、奴の意志でいかなる能力にも変化する。私の空間干渉を防いだのも、その効果によるものということか)
「『失黒十字・墓群聖域』。十個以上の失黒十字が展開したこの状態は、俺の本気戦闘モード。
あらゆる力の干渉を防ぐ攻防一体の戦闘領域内だ!」
好戦的な笑みを浮かべたナイトメアの言葉と同時に、無数に展開した黒い十字架の群れから、六つのそれが飛翔し、まるで意思を持っているかのように縦横無尽にベルギオスに襲い掛かる。
「これは」
黒い十字架に漆黒の光が収束するのを見たベルギオスが反射的に空間を跳躍すると、射出された黒光が先ほどまでその身体があった場所を四方から射貫く。
「自立武器のオールレンジ攻撃は、男のロマン! あんたらもそうだろ?」
闇を生み出す無数の十字架を従え、光を喰らう漆黒の中で金色の瞳を輝かせるナイトメアは、転移をして距離を取ったベルギオスに言う。
「生憎だが、私には君が何を言っているのか分からない」
「それは残念だ」
その手に携えた黒い槍に闇を纏わせ、翼を広げたナイトメアは、瞬き一つすら要さないほどの時間で一気にベルギオスに肉薄する。
「っ!?」
(驚いただろう? ベルギオス)
瞠目したベルギオスが反射的に最上段から振り下ろされた槍を空間の壁で受け止める様を、空中に空間の槍で張り付けられたまま見据えるルーテシアは、口端を吊り上げる。
「なんという……!」
空間を凝縮した防御領域を容易く侵食する漆黒の闇の力を纏う斬撃の威力に顔を歪めたベルギオスは、空間から取り出した剣に全霊の力を込めて振るう。
「おっと」
闇と空間が相殺し、炸裂した力の奔流の中、後方へと飛翔して距離をとるナイトメアに、ベルギオスの空間の力が迸る。
それは、存在するものを消し去る空間攻撃。
ナイトメアという存在の脅威を排除するべく、純粋な抹消の意志を持って放たれた攻撃だった。
――だが、その空間攻撃は、ナイトメアを守るように空中を飛翔していた黒い十字架と対消滅し、完全に無効化されてしまう。
「っ!」
その光景を見たベルギオスは、ナイトメアが言っていた攻防一体の力という言葉を思い返して歯噛みする。
その表情には、純粋な畏怖と、ナイトメアという存在が己の命を脅かすことを確信した緊張感が浮かんでいた。
(バカな、堕神の力をここまで使いこなすなど……)
そんなベルギオスを余裕めいた表情で見るナイトメアは、手にしていた槍を手放すと、新たな黒い十字架を手中に収め、それを漆黒の太刀へと変化させる。
「今さらだけどさ。俺が勝ったら、この星の侵略は俺とルーの好きなようにさせてくれるんだろ?」
「そんなことは起こりえない。なぜなら、ルーテシア様は私が連れて帰るからだ」
闇を纏うナイトメアの言葉に、ベルギオスはその身に宿す力を研ぎ澄ませていく。
手にした剣に空間を操るその力が力収束し、空間を切り裂く光の剣として凝縮させたベルギオスに、ナイトメアは臆することなく口端を吊り上げる。
「――決まりだな」
黒い十字架を変化させた黒刀を構えて抜刀の姿勢を取ったナイトメアは、真剣な面持ちでベルギオスを見据える。
闇と空間の力が天を二つに別つがごとくにせめぎ合い、睨み合っていたナイトメアとベルギオスが何の意思疎通もなく同時に空を蹴る。
「はあっ!」
ナイトメアとベルギオスが一瞬で肉薄し、漆黒の太刀と空間の剣が閃く。
決着は一瞬だった。
黒い刃が空間の剣を打ち砕き、その力をガラスの欠片のように空中に舞い散らせる。
光を受けて虹色に輝くの力の残滓は、美しく輝いて儚く消えていく。
「……っ」
闇の太刀に全霊の力を込めた剣ごと斬り裂かれたベルギオスが砕けた力の反動で傷つき、血に塗れた手に視線を落とす。
「俺の勝ちだ、おっさん」
背後から声をかけられたベルギオスは、黒い太刀を担ぐようにして構えるナイトメアへと視線を向ける。
(構えは隙だらけ。戦い方も素人丸出し。だが、現に私の力が正面から撃ち負けた。奴が想い描き、実現した勝利の想像が、私の力を凌駕したということか)
冷静に分析をし、自らが破れた理由を整理したベルギオスは、血に濡れた手を握り締めて拳を作る。
(もし奴が私を殺すつもりだったら、私は――……)
眉を顰め、感情を落ち着かせたベルギオスは、身体を反転させてナイトメアへと向き合うと、おもむろに口を開く。
「おっさんではない。私はオルドナギアの四天王、お前の上司だ。たとえお前の方が強くとも、組織に属するからには、最低限序列の秩序は守れ」
「悪い。名前、忘れちゃった」
ベルギオスの言葉に、ナイトメアはしばし思案するような表情を見せてから、苦笑交じりに切り出す。
その表情と様子はベルギオスを挑発し、侮るものではなく、本心からのもの。――懸命に思い返そうとした結果のものだった。
「ベルギオスだ」
「ベルギオス……さん。あんたが俺を信用できないのは分かる。でも、俺はこれでも、真剣に地球侵略するつもりだぜ?」
あらためて名乗ったベルギオスの名を呼んだナイトメアは、自分の意思を告げる。
その軽薄な言葉遣いに反して、金色の瞳には真剣さと真摯さが宿っており、ナイトメアの偽りのない本心を表していた。
だが、その瞳に宿る意思には、己の心を満たさんとする利己的な楽しみへの期待が、底の見えない深い闇として渦巻いている。
それは、侵略者としてある意味最も必要なものであり、同時に最も信用ならないもの。
「やはり、お前は危険だ。だが……負けたのは私だ。業腹ではあるが、今回は私が退くことにしよう」
ナイトメアの言葉に目を伏せたベルギオスは、新たな頭痛の種を抱え込んでしまった疲労感の滲む声で呟く。
先程、ベルギオスはナイトメアの「勝ったら好きなようにさせてくれるんだろ?」という問いかけに「そんなことは起こりえない」と答えた。
それは、負けるつもりがなかったからこその答えだったが、同時に暗に「勝てばその望みを叶える」という意味でもあった。
そして、実際にベルギオスは敗れた。ならば、その願いを聞き入れるしかない。
「どうも」
「だが、勘違いするな。好きにするということは、組織に不利益をもたらしていいということではない。お前達の侵略がそのような事態を招いた時は……分かっているな?」
「もちろん」
一旦侵略を任せることにしたベルギオスに釘を刺されたナイトメアは、了解の意味を込めて頷く。
「では、私はこれで退かせていただきます」
ナイトメアの答えを受けたベルギオスは、空中に磔にしたままのルーテシアへと向き直ると、恭しい言葉を残して空間転移で姿を消す。
「オイコラ! ベルギオス! 何か言うことあるだろ!? ――ったく、私の身体に穴を空けて、謝罪もなく帰っていきやがった!」
拘束を解かれたルーテシアは、ベルギオスに憤懣やるかたない様子で不満を述べ、空中で地団太を踏む。
「ルー」
そんなルーテシアの元へと飛来した黒い十字架がその身体に突き刺さり、一瞬で傷を癒す。
すっかり傷の癒えた身体を見回し、深く息を吐いたルーテシアは、自分の元へと歩み寄ってきたナイトメアに笑いかける。
「やるじゃないか、タクト。さすが、私が見込んだ代行者だ」
「まぁな」
ルーテシアの偽りのない賞賛を受けたナイトメアは、わざとらしく得意気な笑みを浮かべて胸を張る。
そんなやり取りをしたかと思うと、どちらからともなく笑いを零すルーテシアとナイトメアを望遠カメラの映像で見るリオナは、二人とは対照的に固い表情を浮かべていた。
(さっきの戦い、ベルギオス様は間違いなく本気だった。タクトさんの力は、それほどに……いえ。いいことじゃない。タクトさんがそれだけ強いなら、この侵略もうまくいくってことなんだから)
屈託のない笑みを浮かべるナイトメア――タクトの姿を画面越しに見るリオナは、その強さに畏怖を覚えつつ自分に言い聞かせる。
ベルギオスの戦闘力はオルドナギアでも最上位。
そのベルギオスを圧倒して勝利したタクトならば、この地球侵略もつつがなく終わらせることができる。
たとえ、ルーテシアが堕落する前の女神の力を持つ三人の少女や、ドミネシオンの侵略者がいたとしても。
『し、しまった!』
『どうした、タクト?』
『ベルギオスさんとの戦い、思わず素で喋ってた!』
『フハハ、まだキャラへのなりきりが足りないな!』
『くぅ~っ、台詞の部分だけやり直せないかなぁ?』
(――多分。大丈夫……ですよね?)
だが、タクトと今のルーテシア――二人が目指す得体のしれない地球侵略に対する漠然した不安を、リオナは払拭しきることはできなかった。
(ルーテシア様だけでも大変なのに、タクトさんも一緒なんて……私のメンタル大丈夫かな?)
そしてただ一つ確かなことは、自分がこれからも二人に振り回されて胃の痛い思いをさせられるということだけであることに、リオナはがっくりと項垂れるのだった。