堕神の使徒(前)
「お前が、ルーテシア様に力を与えられたこの星の人間か」
「そうだ。あんたがオルドナギアから来たっていうやつか」
闇と共に現れた「闇黒神皇・ザ・ナイトメア」こと、タクトは、オルドナギアの四天王の一角であるベルギオスと視線を交錯させる。
互いに向かい合う二人の間からは張り詰めた空気が漂い、まさに一触即発の様相を呈していた。
(さっきの顕現――空間転移だったな。こいつ自身にその能力があるのか、あるいはリオナが送り込んできたか)
先程突如タクトが出現した時のことを思い返し、ベルギオスは剣呑な視線を向ける。
「――オルドナギア四天王『ベルギオス・ランスバルト』だ」
「地球人小山内拓斗。けど、この姿の時は『闇黒神皇・ザ・ナイトメア』って名乗ってる」
「ど、どうしましょう」
(ルーテシア様に言われた通り、タクトさんを送ったのはいいけれど、なんか険悪な空気が……)
二人が向かい合っている様を、遥か遠くから超遠視技術で見守るリオナは、その様子に声を震わせていた。
《――タクトを探して、私のところまで送ってくれ》
おそらく、ベルギオスが来た時点で、こうなることをルーテシアは予期していたのだろう。
ベルギオスと共に拠点を離れる際、ルーテシアが小声で指示した通りにタクトを送り届けたリオナは、その様子を固唾を呑んで見守っていた。
「一応聞くけど、ルーをどうするんだ?」
空間を凝縮した槍で空中に縫い付けられているルーテシアを一瞥したナイトメアは、隠し切れない棘のある声で尋ねる。
「ルー? ルーテシア様の事か。無論、組織にお戻りいただく。当然、お前の力も回収する」
その問いかけに微動だにせず応じたベルギオスは、ナイトメアに厳かな声で告げる。
そんなベルギオスの声音からは、堕神の力を与えられた地球人であるナイトメアへの敵意――忌避感にも似た感情が滲んでいた。
「それは困るな」
ベルギオスの言葉を聞いたナイトメアは、わざとらしく嘆息した答える。
「俺はこの力で地球侵略するってルーと約束してるんだ。色々準備して、折角これからって時に、まだ何にも楽しまない内に力を返すのはごめんだね」
その答えを聞いたベルギオが不快気に眉を顰めるのも意に介さず、ナイトメアは自身の目的を明かす。
「貴様も、侵略を遊びだと思っている口か。ルーテシア様はともかく、お前はこの星の人間だろう? 同胞を侵略者に差し出してなんとも思わないのか」
ナイトメアの答えを聞いたベルギオスは、その理由に不快感を露わにする。
だが、あくまで堕神であるルーテシアとは異なり、この星の人間であるはずのナイトメアからそんな言葉が出たことに、ベルギオスはより強い義憤めいた感情を抱いているようだった。
「あんた、本当に侵略者か?」
しかし、そんなベルギオスの怒気を鼻で嘲り、ナイトメアは自分よりわずかに高い位置にある目を下から挑発するように見据える。
「あんたらに侵略されても、俺が侵略しても同じことだろ? なら、楽しい方を選ぶに決まってるじゃん」
「……下衆が」
たとえ勝ち目がなかろうと、自分の故郷である星の民を楽しみのために異星人に差し出さんとするナイトメアの在りように、ベルギオスはもはや嫌悪感を隠さずに睨みつける。
「お前は危険だ。ルーテシア様に似すぎている」
「え? 全然嬉しくない」
「オイ!」
ベルギオスの口から出た言葉に、これまで終始飄々と応じていたナイトメアが真剣にショックを受けると、その原因となったルーテシアから抗議の声が上がる。
「当然だ。誉め言葉ではないからな」
「え、ちょっ!?」
空中に張り付けられたまま、自分のことをあしざまに罵る代行者と同胞に、ルーテシアは言葉を失う。
「――一つ、気になっていたことがあります」
その時、おもむろに口を開いたベルギオスは、ナイトメアからルーテシアへと視線を向けて、言葉を続ける。
「この男を殺すと、ルーテシア様はどうなるのですか?」
ナイトメアはルーテシアの力を与えられた地球人。ならばナイトメアが命を落とした時、その力はルーテシアに還るのか、あるいはそのまま失われるのか。
率直なベルギオスの質問に、ルーテシアは口端を吊り上げて応じる。
「決まっている。そいつか私、どちらかが死ねば、両方死ぬ」
ルーテシアの言葉を聞いたベルギオスがナイトメアへと視線を戻すと、その表情は全く変化していない。
それはつまり、ナイトメアもそのことを知っていたということであり、ルーテシアと同じく自分の命を侵略の駒として使っていることを意味していた。
「そうですか。ならば、少し痛い目をみせるだけで済ませましょう。堕神の力も、然るべき者が振るわなければ真価を発揮できない。そうですよね?」
厳かな声で呟いたしたベルギオスの言葉に一度目を伏せたルーテシアは、再度開いた目をナイトメアへと向ける。
「タクト。面倒なことになるから殺すなよ」
「はいよ」
一応は同じオルドナギアという組織に属している身として、同胞を殺さないように警告したルーテシアに、タクトは素っ気ない口調で応じる。
(こいつがいかにルーテシア様の力を与えられていようと、宇宙に出ることはおろか、『天核力』すら持たないこんな星の人間がルーテシア様の力を使いこなせるはずがない。
だが、ルーテシア様のこの反応――油断はできんな)
微塵もナイトメアのことを心配していない様子で言うルーテシア様の言葉に疑念を抱いたベルギオスは、わずかに思案を巡らせてから一つの決断を下す。
「様子見はせん。最初は本気でいくぞ。死んでくれるなよ」
(ベルギオス様は、組織でも屈指の戦闘力の持ち主。確かにルーテシア様自身には及ばないでしょうが、ルーテシア様の力を与えられたタクトさんとどちらが強いのか……私には皆目見当もつきません)
二人が臨戦態勢に入ったのをはるか遠くから望遠で見ているリオナは、オルドナギアに所属しているからこそ、ベルギオスの強さを知っている。
そのベルギオスとルーテシアの力を与えられたタクトが戦えばどちらが強いのか判断がつかずに息を呑んで、二人の戦いを固唾を呑んで見守る。
「っ!」
瞬間、ベルギオスから奔った力の奔流に、ナイトメアは咄嗟に身を捩って回避する。
そのはるか後方に浮かんでいた雲が真っ二つに両断され、もしナイトメアがその場に立ち尽くしていたらどうなっていなのかを如実に物語っていた。
「避けたか」
「これは……」
真っ二つにされた雲をを肩越しに見て目を丸くしたナイトメアを冷静な眼差しで観察し、ベルギオスはその口を開く。
「私の『天核力』は〝空間〟。私の攻撃は、言うなれば紙に描かれた絵を破くようなもの。質量も強度も関係なく、お前が存在している場所ごと破壊する」
初撃を回避されても動じることなく、ベルギオスは畳みかけるように自らの力を奔らせ、空間から物体を断絶する斬撃を放つ。
その攻撃を回避したナイトメアは、その手中に顕現させた闇の十字架を身の丈にも及ぶ長さを持つ槍へと変え、斬撃と共に漆黒の刃を奔らせる。
だがその斬撃は、ベルギオスに届く前に軌道を歪められ、見えない壁に阻まれて霧散させられてしまう。
「!」
「空間を切り裂けば、防ぐこともできず分断され、空間を操ればあらゆる攻撃を歪曲させ、空間を固めればいかなる攻撃も防ぐことができる」
「なんだ。自分の能力教えてくれるのかよ」
その様子を見たベルギオスが淡々と自らの能力について話すと、ナイトメアは不敵な笑みを浮かべる。
攻撃の軌跡をみせない秘匿性もベルギオスの空間攻撃の強さだが、今の弱り切ったルーテシアですら見えたその力の流れがナイトメアに見えていたとしても不思議はない。
だからこそベルギオスは、自分の攻撃を回避してくるナイトメアに動じることなく淡々と攻撃を繰り出しながら答える。
「一応敵ではないからな。それに私の力は広く知られているし、何より――知られたところで大した問題ではない」
言いながらベルギオスは、斬撃から空間を圧縮した弾丸を放ち、空間を閉塞して圧殺する攻撃と次々と変化させていくが、ナイトメアはそのことごとくを回避し、時には闇の十字架を具現化させて防御してみせる。
「……なるほど」
ベルギオスの攻撃を回避しながら、ナイトメアは納得して呟く。
(能力を知られても、対処できなきゃ意味ないってことか)
「!」
瞬間、自身の背後に出現したベルギオスの姿に、ナイトメアは目を瞠る。
(空間転移か!)
「はあっ!」
「くッ」
空間を転移する能力によって挙動一つ見せずに自らの位置を移動させたベルギオスに虚を突かれたナイトメアは、地面に叩きつけられる。
破壊された大地の衝撃が天を衝く。
「――!」
その様子を睥睨していたベルギオスは、砕けた大地の粉塵の中に佇む人影を見て険な光を双眸に宿す。
「やっぱ、強いな」
爆塵の中から聞こえたナイトメアの声には余裕の色があり、先のベルギオスの攻撃が全くと言っていいほど効いていないことを感じさせる。
「いいぜ。なら、俺も見せてやる」
その言葉と共に爆塵が吹き消され、傷一つないナイトメアが姿を現す。
「これが、我が魂に刻まれし宿業!」
高く天に手を翳したナイトメアの言葉に応じるように、その周囲に無数の黒い十字架が出現する。
(これは……!?)
「『失黒十字』!」
無数の黒い十字架を空中に顕現させたナイトメアは、ベルギオスへと視線を向けて口端を吊り上げるのだった。