堕神サマの矜持
「ベルギオス・ランスバルト」。
オルドナギア首領補佐を務める大幹部「四天王」の一人。組織と首領に忠義を尽くす実直な性格で、首領からの信頼も厚い腹心だ。
組織全体の統制と人員管理に多大な権限を与えられ、固有能力の「独自空間跳躍」によって、単身で超長距離を移動することができる。
こうして一人地球を訪れることができたのもひとえにその能力によるものだ。
「リオナから報告を受けました。随分と勝手なことをなさっているようですね」
「私の勝手だ。そのリオナから報告がいっているはずだぞ? お前達のために貢献してやったんだから、たまには私の好きなようにやらせろと」
空間を跳躍するベルギオスの能力によって、人気のない平野へと連れてこられたルーテシアは、その言葉に不満を露わにする。
「はい。首領もそのように仰られておりました」
「なら――」
「ですが」
険しい表情で厳格な言葉を紡ぐベルギオスは、ルーテシアの反論に鋭利な眼光を返す。
ルーテシアの提案自体は、オルドナギアも受け入れている。
それは、オルドナギアという組織が堕神ルーテシアの力を良く知っているが故に、この程度の我儘ならば聞いておいた方が、長い目で見れば組織全体の利益になると判断してのことだ。
しかし、それは同時にオルドナギアがルーテシアという存在を完全に御しきれず持て余していることの証でもあった。
「あなたの力を、この星の人間に与えるというのはさすがに看過できません。首領もそこを危惧しておられました。だからこそ、様子を見るために私が派遣されてきたのです」
小さくなったルーテシアを睥睨し、ベルギオスは自分が地球へとやってきた理由を告げる。
「なるほど」
ルーテシアが侵略対象の星や住民で遊ぶことは看過しても構わない。
だが、その侵略対象の住民に何の保険もかけずに、堕神の力を与えたことは憂慮すべきことだった。
「あなたの力は強大すぎる。万一、あなたが力を与えた人間がこの星と民を守るために決起すれば、組織全体の存亡にすら関わります。
少々おふざけが過ぎるのではありませんか? もし、何らかのお考えや思惑があるのでしたら、お聞かせいただきたい」
万が一ルーテシアの力を得たこの星の人間が敵対すれば、最悪オルドナギアが壊滅させられかねない。
あくまでオルドナギアという組織の利益を重んじるベルギオスからの詰問に、ルーテシアは深くため息を吐く。
「ベルギオス。お前は考え違いをしている」
「と申されますと?」
ルーテシアの言葉に眉を顰めたベルギオスは、それに続く言葉を待つ。
「私はふざけてなどいない! 常に真面目に! 本気で! 遊んでいるのだ!」
そこに返されたルーテシアの力説に、ベルギオスの瞳と表情から感情が抜け落ちる。
「タクトに力を与えたのも、その方が面白いと思ったからだ。遊びは楽しくなければ意味がないだろ?」
「ふざけるな!」
堂々と言い放ったルーテシアに、ベルギオスは溜め込んでいた不満を爆発させるように、怒気に満ちた声を発する。
「楽しむため? 面白いから? ――そんなことのために、そんな弱々しく、小さな姿になってまで組織に危険が及ぶかもしれない力の譲渡を行ったと?」
「そうだ」
かつての姿からは想像もつかないほど弱々しく小さくなったルーテシアを睨みつけ、ベルギオスは怒りを露わにする。
しかし、そんなベルギオスの激情にもルーテシアは全く怯むことなく、一切悪びれた様子も見せずに応じる。
そしてそんな態度がさらにベルギオスの反感を買うのは当然のことだった。
「何より、あなたは侵略を遊びだと言った」
「ああ」
全く理解できない動機で力の譲渡を行ったルーテシアを咎めたベルギオスだが、その怒りの源流はそんなところではなかった。
ベルギオスが何よりも許すことができなかったのは、ルーテシアのオルドナギアによる侵略を「遊び」だと認識していることだ。
「それは断じて違う!」
強い語気で言い放ったベルギオスは、自分よりも頭一つ以上低い位置にあるルーテシアの目を真っすぐに見据える。
「侵略とは、奪われる者の文化と尊厳を踏みにじる行為。その星の文化、文明、民の権利、命――それらを奪う非道な行いだ!
我々はその行いに対して誠実で真摯でなければならない! 奪う者としての罪を忘れず、蹂躙する者達に敬意を払わなければならない! 侵略とは決して遊びで行うものではない!」
「いや、マジメか!?」
ベルギオスの強い信念と揺るぎない意志が込められた強い語気に気圧されることなく、ルーテシアは辟易した様子で半目を向ける。
「頭が固くて融通の利かない奴だとは思っていたが……お前、絶対侵略者に向いてないぞ」
腰に手を当て、深くため息を吐いたルーテシアは、ベルギオスへと視線を向ける。
「もっと気楽に考えろよベルギオス。侵略なんて、ただの遊びだろ?」
口端を吊り上げ、不敵に嗤ったルーテシアの言葉に、ベルギオスは音がするほど強く歯を噛みしめる。
「貴様」
侵略する星の生命、文明、歴史――その全てを侮辱するようなルーテシアの態度に怒りを表したベルギオスに呼応するように大気が震える。
「……おいおい。私を殺すつもりか?」
空間を跳躍する能力に所以するものか――空気が震えるのを一瞥したルーテシアは、険しい表情を浮かべているベルギオスを睥睨する。
「いえ。少々痛めつけて考えを改めていただくだけです。それと、これ以上この星とこの星の生命であなたが遊ぶことは許しません。組織へ連れて帰らせていただきます」
ルーテシアの言葉に応じたベルギオスは、冷静な口調でそう告げると、一呼吸分の間を置いて口を開く。
「いきます」
「ッ!」
厳かな響きを帯びた声が紡がれると同時、ルーテシアに強力な衝撃波が叩きつけられ、その身体が宙を舞う。
弾き飛ばされたルーテシアの身体が地面を砕き、数十メートル吹き飛ばされたところで空中へと舞い上がる。
「痛ったぁ」
闇を凝縮したような翼を広げて空中に留まったルーテシアは、傷口から闇色の光の粒子を立ち昇らせながら痛みを口にする。
「さすがは堕神ルーテシア様。そこまで弱体化していても、私の空間攻撃が見えているのだな」
「この……っ、ここまでされたら、私だって黙っていないぞ!」
平坦な声で言い放ったベルギオスに睨みつけるような視線を向けたルーテシアは、手中に凝縮した闇色の光を解き放つ。
その手から放たれた黒い閃光が天を射抜くが、標的へと届く前に見えない壁に阻まれる。
「嘆かわしい。これがあの堕神ルーテシアか」
力のほとんどを譲渡してしまったために、見る影もないほどに弱体化したルーテシアに一瞥を向けたベルギオスが目を閉じる。
「っ!」
瞬間、空間が凝縮した透明な杭が出現し、ルーテシアの手足を貫いて空へと縫いつける。
本来ならば自分など足元にも及ばない力を持つルーテシアを圧倒していながら、ベルギオスの中には何の高揚もなかった。
「分かっているでしょう? もし、私が本気ならばあなたはとうに命を落としている。いえ、私でなくとも、それなりの力があれば、あなたの命を奪うことなど造作もないでしょう。
遊びだというのなら、命を危険に晒すものではない。どうか、考えを改めて頂けませんか?」
「分かっていないな、ベルギオス。私は本気で遊んでいるんだ。最高に楽しい遊びを盤外から眺めているっていうのは、私の主義じゃない。
楽しめよ、ベルギオス。自分の命も、組織の侵略も、ゲームを楽しむために必要な〝駒〟だろ?」
空中に縫い留められたルーテシアは、貫かれた傷から闇色の光の粒子を立ち昇らせながら、ベルギオスを鼻で嗤う。
「……っ」
その顔に浮かべられた不敵な笑みに、ベルギオスは戦慄を覚えていた。
(私が殺さないと高を括っているのか? いや、こいつは誰が相手でも変わらない。遊びに――自分の楽しみのために、命すらかけるというのか)
力を失い、本来の姿を失った今のルーテシアは恐るるに足りない。
だが、遊びだと言いながら、自らの命すら使っている――自分の命を遊びのチップにしているルーテシアの異質な価値観に、ベルギオスは恐怖すら覚えていた。
「……分かりました。ですが、あなたが何を言っても結果は変わりません。このままあなたを連れて帰ります」
これ以上話してもルーテシアの考えを変えられないと理解したベルギオスは、厳かな声で告げる。
その言葉を実行しようと、ルーテシアの身柄を確保しようとした瞬間、漆黒の闇が天を引き裂いて溢れ出す。
「っ!?」
「……遅いぞ」
黒よりも黒い闇の奔流に瞠目するベルギオスとは対照的に、全てを光を呑み込む闇へと視線を向けたルーテシアが口端を吊り上げる。
「悪い。こっちも色々あってな」
その言葉に答えた闇が形を成し、漆黒の衣をなびかせた存在となって具現化する。
風になびく銀色の髪に金色の双眸。王冠を思わせる黒い角を有したその人物――「闇黒神皇・ザ・ナイトメア」こと、タクトはその視線をベルギオスへと向ける。
(そうか。こいつが、リオナからの報告にあった堕神ルーテシアが選んだ侵略の代行者か)
その姿と圧倒的な力に、全てを理解したベルギオスは、ナイトメアへと向かい合うのだった。