正義のヒロインと征服者の使徒
「さあ、いくか」
永田町の首相官邸を遠巻きに見た東亮太は、静かにそう呟くと、その身体から漆黒の煙を立ち昇らせ、瞬く間にその姿を異形のものへと変える。
獅子の鬣を思わせる白い髪に、二メートルにもなろうかという金属のような黒光りする巨躯。
鬼を思わせる鋭い牙の生えた顔を持つ異形へと変貌した亮太は、ゆっくりと歩を進めて首相官邸へと向かっていく。
「待て! なんだお前は!?」
「とまれ! 止まらないと撃つぞ!」
圧倒的な覇気を放つ鬼人の接近に、銃を手にした機動隊らしき出で立ちをした者達が集まり、即座に迎撃態勢を取る。
宣戦布告を受けてから、国家の中枢を守るために集めて待機させていたのだろう。武器を手にした機動隊員たちは、銃を構えて警告する。
「我は、『ドミネシオン』の使徒。この国をもらい受けに来た」
だが、そんな重厚には全く臆することなく、亮太――鬼人は、悠然とその歩を進めていく。
それは、この国がこのような緊急事態でも発砲が許可されていないことを知っていることに加え、今の自分にとって銃など恐れるに足るものではないことを知っているが故のものだった。
「く……ッ! 撃て!」
その時、命令が下ったのか、あるいは国のためにはそうするしかないと判断したのかは分からないが、指揮官の指示の元、銃が火を噴き、鬼人となった亮太へと襲い掛かる。
だが、今の亮太には、音速を超えているはずの銃弾すら、その軌道がはっきりと見えていた。
さすがに止まって見えるというほどではないが、空を貫いて飛来する弾丸が全て捉えられ、その気になれば全て撃ち落とすことも可能だと感じる。
「フン」
しかし、亮太はあえて銃の雨を避けることなくその身で受け止める。
「なっ!?」
オーラめいた力を纏ったその身体は銃弾すら容易に弾き、傷一つ受けることはない。
そして、鬼人となった亮太は、その手に黒い炎を思わせる力を纏わせ、顔をひきつらせた機動隊員たちへとゆっくりと翳すのだった。
「あれは……! そんな、まさかよりにもよってこんなところに現れるなんて」
だが、その瞬間を目の当たりにした一早は、弾かれたように駆け出すと、その身に宿った女神の力を解き放つ。
「シャインセス・デビュー! 『ムーン』エンゲージ!」
一瞬の輝きと共に変身時空を通り抜け、シャインセス・ムーンへとなった一早は、その胸から取り出した光を長杖へと変えて鬼人の怪人へと肉薄する。
「待ちなさい!」
青い光を纏って振るわれた杖の一撃を瞬時に具現化した身の丈にも及ぶ鉈で受け止めた亮太は、シャインセス・ムーンの姿を見て微かに目を瞠る。
「お前は……」
「ここで何をするつもりなの?」
鬼人の腕力を利用して後方へと飛んで距離を取ったシャインセス・ムーンの――ムーンは、牽制するようにその柄を向けて言う。
凛とした眼差しで佇むムーンの言葉に、口端を吊り上げた鬼人は、牙を剥き出しにして不敵に嗤う。
「決まっているだろう? 頭を潰せばこの国は我々のものだ」
「そんなこと、させるわけにはいかないわ」
自身の問いかけにこともなげに答えた鬼人の怪人に、杖の先に光で斧槍を思わせる刃を構築したムーンは、その切っ先を向けて険しい面持ちで応じる。
「あの時は油断をしたが、今回はそうはいかない」
そんなムーンに不敵に応じた亮太は、地面が砕けるほどの脚力で加速し、一瞬で間合いを詰めると鉈のような剣を振り抜く。
その剛力から繰り出される斬撃は大気が切り裂かれるような鋭さと力強さを持ち、吹き荒れる暴力の嵐がムーンの青銀色の髪を揺らす。
「はあっ!」
そんな斬撃に臆することなく、青い光の刃を持つ杖を振るったムーンに、鬼人もその身を捻って回避し、口腔から炎を放つ。
膨大なエネルギーが秘められた炎を長杖を回転させて展開した光の障壁で防いだムーンは、間髪入れずに振るわれた鉈の一撃を受け止め、その衝撃に柳眉を顰める。
「シャインセス・ムーンだったか? お前はなぜ戦う? なんのために、何を守っている?」
「この国とそこに生きる人々。その自由よ」
斬撃の衝撃で軋む身体を奮い立たせたムーンは、鬼人の怪人からの問いかけに凛とした声音で応じる。
光刃の斧槍と化した杖を地面に突き立てて放たれた光の波涛を力任せに薙ぎ払った鬼人は、砕けた光の輝きが落とす影の中で険しい面持ちで佇んでいた。
「――我らは、別に支配したからといって人の尊厳を奪うようなことをするつもりはない。むしろ、我らに恭順する限り、天上の、宇宙の技術と我らの統治によって、今以上の安寧と平等をもたらそう。
確かに、今世界各国を管理している権力者は平民に落ち、地を舐めて這いつくばってもらうことにはなるだろうが、おおむねほとんどの者達には最低限の権利を保障する。そうだとしても邪魔をするのか?」
「そんなこと、信じられるはずはないでしょう!? 何より、力による統治――征服なんて、許されないわ!」
その手を掲げ、ドミネシオンが支配する地球の未来を語る鬼人の言葉に、ムーンは光刃の斧槍を構えて言い放つ。
「前半部分は否定できないが、後半については納得しかねるな。金も権力も力だろう? 民を食い物にし、自らの利益を貪る権力者を守るのか?」
その問いかけに、ムーンが一瞬動揺の色を浮かべたのを鬼人と化した亮太は見逃さなかった。
「力による変革は許されないといったな? それは道徳だよ。いや、道徳ですらない。自分達に反抗されないように、権力を持った腐ったトップが自分達の利権を脅かされないために掲げた都合のいい建前だ」
そんなムーンの動揺を衝くように、鬼人の口から矢継ぎ早に言葉が紡がれる。
だがそれは、ムーンを惑わせるためのものではない。鬼人――亮太自身がその心の内に秘めていた考えそのものだった。
「シャインセス・ムーン。お前はこの国の人間か? この星の人間か? それともドミネシオンと同様にこの星ではない場所から来たものか?」
シャインセス・ムーンの正体を知らない鬼人は、その美しく輝く姿を鬼人となった己の双眸に映して尋ねる。
その言葉にムーンは言い澱むが、亮太はそんなことを知りたかったわけではない。だからこそ、その答えを待つことなく、己の意志を言葉に変えて月の光輝姫へとぶつける。
「お前がこの国の人間ならば、いや、仮にそうではなくとも、この星について知っているならば、この国を――この世界を本当に救いたいなら、世界の仕組みから変革する必要があることくらいは分かるだろう?」
その双眸で頭一つ分ほど低い位置にあるシャインセス・ムーンを睥睨した鬼人は、力強い語気と共に掲げた拳を握り締める。
「だが、金と権力を持っている強欲な者達にはそれができない! だから、力ずくで奪って正しく作り直すんだ!」
「だとしても、それはこの国に生きる人々が自らの意思で立ち上がり、内側から変えていくべきことのはずよ」
握った拳から炎のような力を滾らせる鬼人に、シャインセス・ムーンは鋭利な光を双眸に宿して反論する。
だが、その眼差しと声にはわずかな揺らぎが滲んでおり、鬼人の言葉を完全に否定しきれないその胸中が見え隠れしていた。
「そんなことはできない! この国に――いや、この国に限らず、この星に根付いてきたものを断ち切ることはもはや不可能だ! だからこそ、全てをやり直すために一度全てを奪い、壊さなければならない!
分かるだろう? これは救済なのだ! 貧しく弱い者を救い、腐り驕った権力者を引きずり下ろし、間違った仕組みを正しい平等で作り直すために必要な行いだ!」
ムーンの言葉を一蹴した鬼人は、その志を高らかに掲げて吠えるように言い放つ。
迷いのないその語気には鬼人の確固たる決意と意思が宿っており、ムーンは一瞬たじろぐように眉を顰める。
「あなたなら、世界に真の平等をもたらせるとでもいうの? 随分と自分の能力を高く評価しているのね」
自身の動揺を隠すように、努めて冷ややかな声で応じたムーンの言葉に、鬼人はその心中を見透かしたように嘲笑めいた声を発する。
「皮肉にしては苦しいな。この国の者達を守って、お前はその先に訪れた未来に責任を持てるのか? 権力者に搾取され、不幸になった民に胸を張って〝私はこの星を守った〟と言えるのか?」
「……っ」
そう言い放つと同時、地を蹴って肉薄した鬼人は、最上段から力任せに身の丈にも及ぶ鉈を叩きつけるように振るう。
咄嗟に光の刃を持つ斧槍でその一撃を防いだムーンだったが、鬼人の圧倒的な膂力と膨大な力によって吹き飛ばされる。
「ああっ!」
砕けた光の残滓を纏い、地面を砕くように削りながら吹き飛ばされたムーンは、壁に叩きつけられてその場に崩れ落ちる。
「くっ」
苦悶にその美貌を歪めたムーンが顔を上げると、鉈を携えた鬼人が悠然とした足取りで近づいてくる。
「見ろ。お前の正義なんてその程度だ。誰かから言われた聞こえのいい言葉に操られているだけに過ぎない。
お前にはお前の正義が、戦うための信念がない。一般人なら許されるだろう。だが、力を持つ者が甘んじていい生き方ではない!」
「そんなこと……っ」
懸命に反論しようと試みるが、ムーンは唇を噛んで言葉を言い澱む。
実際、鬼人の言葉はムーンの――「宝生一早」という少女の図星を衝いていた。
戦う意思も正義感も、決して嘘ではない。だが、先日まで普通の女子高生でしかなかった一早には、世界の命運を背負って戦う意思と覚悟が不足していた。
「フン」
そんなムーンを見下すように息を吐いた鬼人は、この戦いを終わらせるべく鉈を振り上げる。
だが、その刃が振り下ろされることはなかった。
「……ッ!」
目を見開いたムーンの瞳に映るのは、自分を庇うように佇む闇を凝縮したような黒衣を纏う男の背中。
たなびく銀色の髪に、王冠を思わせる黒い角は、その男が地球人ではないことを一目で理解させる。
「なんだお前は?」
目を瞠るムーンとは対照的に、不快感と怪訝さで眉をひそめた鬼人が忌々しげに声を発すると、黒角黒衣の男は、不敵に口端を吊り上げる。
「私か? 私は――今はただの〝通りすがり〟だ」
金色の双眸に鬼人を映したその男――「闇黒神皇・ザ・ナイトメア」は、静かな声で答えるのだった。