プロローグ
広く広大な宇宙。そこには数えきれないほどの星々と、その星々の数を超える生命体が息づき、様々な文明を築いている。
そして、そんな中で他の文明――星々を侵略し、己が領地とする者達がいた。
「侵略者」。
そして、今まさに、そんな侵略者からの侵攻に晒されたとある惑星が迎撃の戦を行っていた。
宇宙を翔ける巨大な戦艦が隊列を組んで飛行し、そこから放たれる巨大な破壊の光が天を貫くように迸る。
自分達の住む惑星の外に進出する文明を持つ者達が、その力によって作り上げた兵器の力は隔絶したものであり、星を破壊するほどの力を持つものさえあった。
しかし、その全ての攻撃は、星の空――宇宙に浮かぶ小さな黒い星に触れた瞬間に消滅させられてしまう。
「馬鹿な! 星をも消し去る主砲が」
「なんだ!? 一体あれは何なんだ!?」
その黒い星に目を凝らせば、黒い力を身に纏った一人の人物。それも、目を瞠るような絶世の美女であることが見て取れた。
腰の位置よりも長く伸びた純銀の髪。頭上に漆黒の光を王冠のようにして戴き、金色の双眸を輝かせている。
女性として完成されているとすら思える極上のスタイルを持つ身体に纏うのは、光のない宇宙よりも暗い闇を凝縮したようなドレス。
背から生える漆黒の六枚の翼を広げて星の海に佇むその姿は、神々しいほどの美しさと恐怖を同時に体現していた。
「あれは――」
その美女は表情を一切変えることなく前方に手を翳すと、手中に顕現させた漆黒の光を解き放つ。
「オルドナギアの堕神……!」
宇宙の闇を塗り替えるような漆黒の閃きが迸った瞬間、その惑星の艦体はたった一人の女性によって消滅させられた。
たった一人で惑星の全戦力を一瞬で消滅させた絶世の美女――オルドナギアの堕神は、自分達の仲間が占領のために星へ降りていくのを見ながら、感情の抜け落ちた様な無機質な表情を変えることなく、金色の双眸を明後日の方角へ向けて呟く。
「……飽きたわ」
その口から零れた小さな声は誰の耳も届くことはなく、代わりに組織からの通信が届けられる。
「『ルーテシア』様。次の侵略目標が送られてきました。太陽系第三惑星――現地の人間が『地球』と呼んでいる星です。宇宙へ出る技術はあるようですが、まだ自由自在というほどではなく、その途上にあると思われます」
「……分かった」
通信で送られてきた青い星の映像を見ながら抑揚のない声で応じたオルドナギアの堕神――「ルーテシア」は、その金色の双眸に青い星を映しながら、ふと思いついたように目を瞠り、口端をわずかに笑みの形にする。
「――そうだ。次は、少し楽しんでみよう」
そんな些細な思い付きと共に身を翻したルーテシアは、六枚の黒い翼を羽ばたかせて宇宙の彼方へと姿を消していく。
※※※
「うおおおッ! 今期のアニメも熱いぜぇ!」
先の侵略侵攻から三ヶ月後――ただ一人で数多の星々を攻め落とした〝オルドナギアの堕神〟こと「ルーテシア」は、見事なオタクになっていた。
しかも、その姿は子供のように縮んでおり、以前の六割ほどの背丈しかない。
翼や角といった人外の身体的特徴は喪失し、女神然としていた豊満なスタイルはまるで発育途中の少女のように変化し、大人の色香とは無縁のものとなっている。
だが、それでもかつての絶世の美女だった名残は感じられ、その顔立ちは人ならざるものが作ったかのように、全ての顔のパーツが奇跡的な――完璧といってもいいバランスで構成されている。
そして、そんな身体の変化に影響されたのか、寡黙で楚々としていたはずの性格が、まるで子供のようになっていた。
「なんだ、まだ起きてたのか」
心身ともに変容を遂げたルーテシアが夜明けを控え、新聞の配達員達が仕事を始める時間に騒いでいると、ベッドに寝ていた人物が身体を起こし、寝ぼけた気だるげな声で言う。
目元を隠すほどに伸びたぼさぼさの髪を掻きながら身体を起こし、近くに置いていた眼鏡をかけた少年の言葉に、目を輝かせたルーテシアが振り返りざまに応える。
「当たり前だろ、『タクト』! リアタイと実況はマナーだ!」
「そんなマナーはない。むしろアニメ視聴中に実況なんて余計なことをするのは無粋の極み! そんな余計なことをせず、禅をするように一話一話に集中して視聴することが正道だ」
「ハン! これだからボッチは。みっともないプライドに縋って情けないな。俺かっけ~とでも思ってんのか!?」
「そっちこそ、ネットの中で人と繋がった気になってるだけのコミュ障陰キャだって自覚した方がいいんじゃないか?」
「なんだとぉ! お前、もう一度言ってみろ! ネタバレをしてやろうか!?」
「リアタイマウント取りやがって!」
子供の姿となったルーテシアと本気で――同じレベルでやり合っている少年は「小山内拓斗」。今ルーテシアが住んでいるこの家の家主の息子だった。
「お二人とも、意見を戦わせるのは結構ですが、そろそろ朝食の時間ですよ」
その時、そんな二人の論戦を止めたのは、肩にかかるほどの長さで髪を整えた少女だった。
あどけなさの残る顔立ちは、少女から大人の女性に羽化する間際のような儚さを感じさせる。
「丁度いいところに来てくれた、『リオナ』! このわからず屋にリアタイの重要性を説明してやってくれ!」
「リオナさん。こいつにアニメを見るにあたっての礼儀を教えてやってくれ!」
ルーテシアとタクトの論戦にため息を吐いたその女性――「リオナ」は、二人に等しく呆れたような視線を向ける。
「そんなことはどうでもいいので、早くご飯を召し上がっていただけますか? 片付けが進みません」
腰に手を当て、まるで母親のように言うリオナに、タクトとルーテシアは渋々ながらも従う。
家の台所を預かる人物に逆らうなど愚の骨頂。二人はそれを正しく理解していた。
「ヤバい。来季のアニメは、六十本以上! なのに、ソシャゲのイベント、ゲーム、ラノベにマンガ――この星の人間は、いつ働いているというのだ!?
しかも、私のような新参者は、これまでに作られた数々の名作も見返さなければならないというのに! くうっ、時間が、時間が足りない……!」
リビングで朝食を味わうルーテシアは、スマホに映し出されたアニメの情報に目を血走らせ、興奮と驚愕に彩れた様子で言う。
鼻息を荒くし、目を血走らせたその姿は、あまりにも侵略者として終わっていた。
「この星のほとんどの人間は、そのほとんどを行っていないと思いますよ」
神としてはあまりにも残念な――しかし、堕神としては至極まっとうにすら思えるルーテシアの言葉に、リオナは嘆息交じりに言う。
「ば、馬鹿な……! これだけ魅力的なコンテンツがありながら、それを見てないだと!? 二次元創作とゲームは、人生における必修科目のはず!
それを摂取しないなど、趣味もなく、食事も栄養サプリだけで済ませるような暴挙だぞ!?」
「何を言っているのですか? くだらないことを言っていないで食事をとってください。今日は私達にとって、大切な日なのですから」
愕然とした様子で言うルーテシアを横目に映したリオナは、そう言ってその視線を同じテーブルについているタクトへ向ける。
「――そうですよね? タクト様」
「今更ビビッたなんて言うなよ?」
リオナの言葉に続き、ルーテシアが揶揄するように言うと、味噌汁をすすったタクトは、その眼鏡の奥底に見える双眸に鋭利な輝き灯す。
「当たり前だろ? そんなことよりそっちは大丈夫なんだよな」
「私を誰だと思っている!? 当然例の件は準備万端だ!」
タクトに視線を向けられたルーテシアは、不敵な笑みを浮かべ、親指を立てる。
「例の件? 準備? え? なんですかそれ? 私、聞いてないんですけど」
そのやりとりに全く覚えがないリオナが狼狽えるのを見て、机の上で両手を組んだルーテシアは意味深な面持ちで言う。
「ムフフ、それはその時が来てからのお楽しみだ」
「……なんだが、妙に嫌な予感がするのですが」
含みのある――悪戯を仕掛けた子供のような無邪気さを秘めたルーテシアの態度に、リオナは不安を露わにする。
だか、そんなリオナとは裏腹に、タクトは満足気な表情で頷く。
「なら問題ない! 任せてくれ。ルー。リオナさん。今日が〝宣戦布告〟の日! 俺達の世界征服の始まりだ!」