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第1章  一節 「雨音」

雨は、静かに大地を打っていた


霧が丘を包み、世界の輪郭を少しずつ奪っていく


その白い幕の向こうで、音だけが現実の証のように響いていた


ひとつ、またひとつ


草の先に滴が落ち、細い線を描いて土へ還っていく


それは、まるでこの世界が自らを洗い流そうとしているかのようだった。


そんな中、丘の上にひとりの少年が立っていた。


灰色の外套(がいとう)の裾は重たく濡れ、肩にかかる黒髪は額に張り付いている。


名は――ノーマン


年は十六


彼は何も語らず、墓標をただ見つめた


石には名が刻まれているが、雨に打たれて輪郭はすでに消えかけている。


もうこの丘を訪れる者は一人しかいない


少年は、墓石の手前で膝をつき


供える小さな赤い花束を静かに置いた


野に咲く小さな花。だが、その赤だけが、雨の灰色を拒むように強く揺れていた


「……来たよ」


彼は、誰にともなく呟いた


その声は雨にかき消され、丘の向こうへ溶けていく


何も返ってこないその沈黙こそが、彼にとっての“返事”だった


ノーマンの小さな村の少年だった


明るい父と優しい母、生まれたばかりの愛おしい妹の4人兄弟で暮らしていた


村の人たちもまるで自分の息子のようにノーマンと接してくれた


それが何よりも嬉しくて、毎日が幸せだった


だけど、そんな幸せは長くは続かなかった


4年前、火を吐く魔物たちが突如として村を襲ったのだ


逃げ惑う人々の叫び、炎に包まれる家


全てがあっという間に消え去った


ただ、彼は生き残った


助けられたのだ。――銀色の腕輪をした旅人によって


「この先の道を抜ければ、安全地帯がある。

 そこまで、振り返らず走れ!」


ノーマンは、旅人の仲間に引っ張られながら、燃える村を背に安全地帯へと連れて行かれた


しばらくして、夜も明け


彼は、一刻も早く村の人たちの安否を確かめるために無我夢中で走った


だが


戻った時には、村は灰になり


もう誰なのか確認できないほどの黒い死体を麻の布に入れて荷台に乗せる作業の途中だった


色んな話を聞かせてくれたお父さんも

いつも、笑顔で抱きしめてくれたお母さんも

小さな手で、指を優しく握ってくれた妹も

隣でよく手を振ってくれてた、友達も

美味しい果物をくれていたおじさんも

楽しい歌を歌ってくれた、おばさんも


みんな、、、みんな


「いなく...なっちゃった」


彼は、深い悲しみに飲まれ。気が遠くなり、意識を手放した


「ごめんなさい」


これが、この時の彼の記憶の最後だった


彼は花を墓標の前に置き、そっと指先で撫でた


雨粒が石の上を滑り、まるで泣いているかのように光った。


「今日も、ダメだったよ。」


その言葉は、少年自身を突き刺した


雨が頬を打ち、涙と混じり、冷たさだけが残る


答える者はいない


風だけが、彼の言葉をさらっていった


草が揺れるたび、雨はまるで彼と共に泣いてくれているようだった


彼の胸元で、ひとつの宝石が光を放つ


透明な石――けれど、内側で微かに()()煌めいている


それは生きている様に、心臓の鼓動に合わせて(まばた)いていた


少年は、指先でその石を握った。


温かいような、冷たいような、不思議な感覚が掌を包む


それはまるで、彼の失った何かがまだこの世界のどこかで呼吸しているようだった


遠くで雷が鳴った


丘の下、霧の中には街道が見える


人の往来はほとんどない。旅人も商人も、この季節は北の嵐を避けて別の道を行く。


ノーマンは、立ち上がり、外套を整え、背負っていた小さな鞄を締め直す


その中には、干し肉と水筒、そして折れた短剣


頼りない荷物


だが、それでも彼は行かなくてはならない。


丘の向こう、霧の中にぼんやりと見える街の灯


そこに、ギルドがあるという


仕事を求め、食を求め、そして――生きる理由を探すために


「……行くよ」


それは、まるで何かと約束したような言い方だった


雨はその言葉を歓迎するように強く降り出し、風が彼の背を押した


丘を下る道はぬかるんでいた


足元の泥が靴を重くするたびに、心の奥まで沈んでいくような感覚があった


けれど彼は、一度も振り返らない


丘の上の墓標が霧に飲まれていく


その赤い花だけが、いつまでも風の中で揺れていた


彼が街道に出た頃、雨脚は少し弱まっていた


道の両脇に並ぶ黒い木々が、濡れた枝を伸ばして空を掴もうとしている


空はどこまでも低く、雲は地平を這うように流れていた


しばらく歩くと、小さな獣の足跡が泥の上に刻まれていた


その中に混ざる、大きな爪痕


ノーマンは足を止め、短剣の柄に手を置いた


背筋を走る冷気


それは、ただの雨の寒さではない


――カサリ


音がした


茂みの奥から、光を反射する瞳がいくつもこちらを見据えている


低く唸る声


火を吐く狼【フレアウルフ】だ


「……まだ、近くにいたのか。」


ノーマンは少し深呼吸をし、短剣を構える


手の中で雨が刃を滑らせるが、気にしない


刹那、獣が飛びかかってきた


彼は身を沈め、地を蹴って横に転がる


ギリギリでフレアウルフの炎を避ける


だが、二体目が迫ってきた


獣の爪が背後を襲う


外套が破れ背中に3本の傷を負ってしまう


「っち」


温かい血が雨水に混ざり、足元を赤く染めた


息を切らしながらも、ノーマンの瞳は冷静だった


震えていた手が、少しずつ確かな動きを取り戻していく


「……もう、逃げるだけの俺じゃない。」


最後の一体が、牙を剥いて飛びかかる


その瞬間、ノーマンは低く身を沈め、逆手に握った短剣を獣の喉元へ突き立て引き裂いた


仲間がやられた姿を見たフレアウルフは、再び攻撃を与えようと戦闘体制になっていたが、何処からともなく聞こえた笛の音を聞き、その場を去って行った


ノーマンは息を吐き、膝をついた


そして、ぼんやりと空を見上げる


灰色の雲の向こうで、かすかに光が滲んでいる


――夜が、明けようとしていた。


彼は立ち上がり、短剣を布で拭う。


傷だらけの刃先に、淡く光が宿る。


まるでそれが、彼の心の奥に残る“希望”のようだった。


「...終わった」


独り言のように呟き、また歩き出す


遠くで、街を囲む鐘の音が響いた


それは、雨の中に滲む微かな導き


ノーマンの足取りは、少しだけ軽くなった


彼はまだ知らない


その鐘の音が、新たな冒険へと続くきっかけになることを


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