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「もう追いかけるまでもない。逃げる男たちの後を歩きながら刃を振って、

『はっ』

 と声をかけると、その声に応じて一人ずつ、どたり、ばたりと乱れ伏す。あとは、生木の枝を散らしたように、死骸が散乱するばかり。

 いつの間にか、元の二階に戻っていた。

 と、そこでは、大柄模様の浴衣のもろ肌を脱いだ若者が、うたた寝の貴婦人が投げだした白い二の腕にぴったりと食らいついていた。これは綾も聞いたことがある、その下宿先に出入りしていた八百屋だったそうで、やはり貴婦人の恋人の一人なんです。

『出すぎた真似を!』

 などと叫んで片手で刀をぶん回すと、男の首がみごとに落ちた。冴えた太刀の勢いで、白刃の先が貴婦人の腕をかすってカチリと鳴る。

『あっ!』

 ふたりは目を覚ました。

 綾の手に抜いた刀はなかったが、貴婦人は二の腕にはめた守護袋(まもりぶくろ)黄金(きん)の金具を押さえていたということです。

 ふたりは同じ夢を見ていたのだそうで、男が二階の登り口から顔を出したことも、青年が樹に登っていたこともすべて、貴婦人は綾同様に知っていた。

 自分を恋い慕う男たちを、綾が一人ひとり斬殺するのをハラハラしながら見ていたが、手足は動かず、声も出せない。身体がそんな状態のまま、最後に八百屋の若者にからまれたあのとき、片腕もいっしょに斬られたと思ったが、守護袋で刃が止まったという。

 貴婦人の病気は、それで全快した。

 が、それと入れ替わって、綾はいまの身体になった。

 それというのも、夢中になって男どもを斬ったときの心の(たか)ぶりが、骨身に染みて忘れられなくなった。想いだすだけでなんともいえず、肉が動く、血潮が湧く、筋が離れる。

 ほかのことは考えられず、なにごとも手につかない。そんなだから三度の食事も欲しくなくなる。そんなとき、事が起こった。

 綾の父親は蒔絵職人である。子どものころからの見よう見まねで絵心があったので、ノートに鉛筆で、最初に男の眉間割りをした場面を描いてみた。それが、はじまりだったのです。

 顔だけではもの足りない。線香のような棒の手足を書き加えて、のけぞらせた身体に傷をつけた。やがて鉛筆だけでは満足できず、絵の具を使いはじめた。

 とはいえ、いまだ男の肌を知らない処女の身としては、恋文を書くよりも恥ずかしくて、人目を避ける苦労に痩せ細り、病は高じて、夜も昼もぼんやりしてきた。

 貴婦人がそれっきり学校を辞めると、綾もそれに(なら)った。貴婦人に会えなくなった綾は、さびしい日々を送るなか、男と顔を合わせると、いや、その姿を見かけただけでも、目に焼きつけて絵に描いた。その絵の男を、斬る、突く、胸を刺す。そして血を塗りたくる。

 何日か経つと、絵に描いた男がみんな、命を落としたと伝わってきた。

 呪いの力はだんだんと高じて、男とすれ違いざまにハッと気合いを入れると、相手は即座に失神することさえあった。

 だが、さらに恐ろしいことが起こった。

 ある夜中のこと。綾がある男を呪詛(のろ)っていると、これから男に血を塗ろうと用意していた紅色の絵の具皿がパタリと落ちて、浴衣ごしに、脇腹からみぞおちの下、背中へとこぼれかかった。その赤い色が、皮膚を染め、肉を透かして、血に交じって、洗っても、ぬぐっても、色は落ちずに濃くなるばかりだった。

 綾は貴婦人の膝にすがって、すべてを打ち明けて泣いたそうです。

 そのころは、もう生まれ変わったように元気になって、某高官の令夫人となっていた貴婦人は自分のことのように悲しみ傷んで、なには置いてもその悪い癖を直そうと苦心惨憺したけれども、綾は怪しく(たけ)る心を制しきれない。

 事情を知ってからというもの貴婦人は、思い当たるかぎりをたどってみたのですが、綾に呪詛(のろ)われたという男たちは、たしかに無事には済んでいない。

 ならばこれしかないと、綾の決心を聞いた上で、ひそかに手を回して姥捨て山ならぬ姫捨て山を見立てることに決めました。

 そこで倶利伽羅峠を思いついたのは、あの夢のなかの尾根で、綾が刀の血をはらってホッと一息をついたのが、まさしくあの山だと思えたからでした。若いころにはじめて地元を出てこの峠を越したのだから、その記憶も焼きついていたのでしょう。

 ちょうど休憩所が(すた)れて、一軒家が焼け残ったというのも奇跡だからと、貴婦人が買いとって、綾が世を避ける隠れ里にしたのだといいます。

 一切のことは、貴婦人が秘密裏に取り進めました」


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