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「私は彼女らに話し続けました……
『もう一度は、その翌年、同じく春のことでした。正午をすこし過ぎたころ、公園の展望台で、花に囲まれながら市中の桜をながめていたときです。向かいの山と、こちらの高台とからすると、そこだけがぽっかりと空いた谷のように思える武家屋敷町があって、そこの物干し台の上にあがって霞をながめているふうな女の立ち姿が見えました。それがどうも、一年前に見失った女と同じ人のように思える。公園のベンチを立って、柳の下から身を乗りだしてじっと見守っていると、花吹雪がはらはらと舞って、それっきり姿が見えなくなりました。と同時に、物干し台のあった場所も、どのあたりにあった町なのかもわからなくなってしまった。
それでも、忘れられない。月の霞む夜にはここかと思う小路をあちこちさまよい続ける日を重ねて、やがて花が散って葉桜になるのも、酔いが醒めたように心寂しくてならなかった。
その話を聞いた友は、二度とも美しい通り魔を見たんだ、と私に言いました。私もまた、あるいはそうかもしれないと思いました』
貴婦人が聞き耳を立てて、
『その二度目の出会いは、引っ越したところでしょう!』
と、若い女に言うんです。
『物干し台で花見をしたり、藪のなかを歩いたりというのは、やっぱりみんな、こういう身体になる前兆でしょう。あなた、よくお胸に留めてくださいました。姉さん、私もう一度、緋色の帯を締めてみたいわ』
と、若い女は、はらはらと落涙しました。
『お恥ずかしい話ですが』
そう言って、貴婦人は話を続ける。
介抱をされながらの移動の末に富山に戻った彼女は、実家の裁判長の家に落ちつきました。医者は役にたたない。ならば加持祈祷だと、父親のほうから我を折って、お札、霊水、護摩の手当を受けていると、もともとが心の病ですから少しずつ容体も安定して、痙攣も一日に二、三度、それもたいてい決まった時刻に起こるだけで、思わぬ場面で卒倒するという気遣いもなくなりました。ふたりで散歩などができるようになったそうです。
ある日、青々とした巴旦杏の実がさしのぞく二階の窓際で、涼しそうにうとうとと一人が寝ると、もう一人も眠った。貴婦人は神通川のほうに裾を向けて、お綾は立山のほうを枕にして、互い違いになって、つい肘枕でうたた寝をしたんですね。
トントントンと足音がして、二階のはしご口から男が顔を出しました。
綾が身を起こして見ると、その男は、いつも貴婦人が夢中で名を呼んでいる、仲間うちで貴婦人とののろけ話をでっちあげて自慢するという、なんとかいう男なんです。
そいつがずかずかと部屋に上がりこんで、裾のほうから貴婦人の足を押さえようとする。ええい無礼な、お前はお姉さまを悩ます病の鬼だと、床の間に邪気を払うからと飾ってあった、先祖伝来の黄金づくりの名刀長船で、抜く手もみせず男の額を真っ正面から斬りつけました。さっくりと西瓜を切ったように、男の頭が二つに割れます。
そこへ、背後の窓下の屋根を伝って、べつの男が窓から顔を出す。ひと目見るや、膝を返しざま、見当もつけずに片手で殴りつけるように斬り払うと、そいつの片腕をバサリと落とした。そのとき、巴旦杏の樹に登って、足を踏ん張りながら覗き見をしていたのは、青い服の青年です。
綾はつかつかと窓から屋根に出て、うろたえたその青年が樹を下りようとしているところをぐいっと突き刺しました。下腹を裂かれた青年は、はみ出したはらわたを枝にずるりとひっかけて、血まみれになってドシンと落ちた。
この光景に驚いたか、風呂場の入り口に立っていたひげ面の紳士が、夏物の羽織の裾をひるがえしながら、庭を横切って逃げていく。それに気づいた綾は屋根からひらりと飛び降りたのだといいます。垣根を越え、町を突っ切り、川を走る。やがて山の中腹にしがみついて、のそのそと這い上がっているところに追いすがったとたん、尻から下を白刃で斬り上げました。
すると一人で山頂に立って、こっちを指さしながら笑っている男がいました。えいっと飛ばした刀が胸もとに刺さって、男は朽ち木のようにバッタリと倒れる。
綾はするするとよじ登って、キラリと光る刀を死骸から抜き取ると、たらたらとしたたる血雫を逆手に振りはらって、尾根に腰を下ろすと、はじめてホッと一息つきました。
見下ろすふもとの路に、うようよと集まってきた、七、八人の頭が見えました。いずれも刃物を持っています。
それを見た綾は、躊躇なくすらりと立ち上がりました。裳裾がふわりと浮いて、蹴出しをからめた踵を腰まで跳ね上げると同時に、フッとわけなく軽々と、風を泳いでふもとまで飛び降りる。裾が地に着くよりも早く、ひっさげた刃を振り下ろすと、斬りつけられた男の一人が帽子ごと左右に切り裂けた。
男たちが、ワッと声をあげて逃げる」