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「お坊様、そこで私はふたりの女と、代わるがわる話をしました。――峠の一軒家を買いとったのは、その貴婦人でした。

 彼女は、今は石川県のある高官の奥様で、結婚する前は富山の裁判長だったこともある、さる方の令嬢でした。そのころはこの峠を越えて金沢に出て、女学校に通っていたんです。そこで同じ学校に通っていたのが、(あや)という、ある蒔絵師の娘、ここにいる若いほうの女でした。ふたりは姉妹のように仲がよかったんだそうです。

 最初は貴婦人から懺悔話を聞きました。彼女の身分を考えて、名は伏せておきましょう。恋多き女で、十八、九のころには、もう六、七人の恋人がいました。手紙を交わしあっていたり、目顔(まがお)で知らせあっていたりするだけの、そんな関係なんですが。

 その美貌でしかも歳ごろ、自分の美しさを信じきって、一度すれ違っただけの男でもわたしに恋をするのが当然、と思っていたので、恋人認定した男は何人いるのかわからないくらいになった。

 そんな高慢な恋の罪の報いなのか。貴婦人の胸のなかで、男どもがつかみあいをはじめた。男たちにとって、これほど遠慮ない喧嘩の材料はない。惚れた女の腹のなかで、じたばたとでんぐり返りをしながら騒ぐ、噛みあう、つかみあう、ひっかきあう。

 この騒ぎがゴツゴツとした(いも)のように凝り固まって悪性の病根となり、下腹からみぞおちにかけて突き上げてくる。うん、とうなって、歯を食いしばりながらのけぞるという奇病にかかった。

 はじめのうちは一日に一、二度程度におさまっていたのが、しだいに悪化して十回以上、足をぶるぶると震わせて人事不省に陥るという、激しい痙攣の症状を示すようになった。それでも、どこかに痛みがあるわけではない。ひたすら忘我の状態で身体を反りかえらせる。そんなとき白い胸もとを開いてみると、肉を震わせてかたまりが動いていたといいます。

 一日に三度、五度だったころはわけもわからず、家族が水だ、気付け薬だ、と介抱しているとなんとかなったが、日一日と痙攣の回数が増えていく。寛解(かんかい)もしにくくなって、激しいときは一時間ほども我を忘れている。忘我の状態にありながらも、あれ、誰が来て怨んでいる、誰が来て責めたてる、喉を絞める、指を折る、苦しい、と言いながら七転八倒する。

 恋人たちが押しかけてくる。そんなことを自ら口走るので、周囲もなんとなく事情がわかった。

 なんとも嘆かわしい病ではないか。しかし女中をふたり連れて看病に駆けつけた母親は、娘がふしだらだからとは考えない。男に身体を許さないから、恋する者が怨むのだ、と思ったそうです。

 とてもではないが家では手に負えないので、県立病院に入院させたが、医師たちはみな、頭をひねった。病気の原因はすこしもわからず、例の痙攣症状が出たら当座の応急処置として、薬を嗅がせて正気づかせる以外はないのです。

 ざっと一ヶ月半は入院したが、病勢は日に日につのるばかり。しかも力が強くなり、押しかかって胸を押さえる看護婦や助手なんか、まとめて両方に投げ飛ばしてしまう。まるで狂人です。

 そうかと思うと、食事も普通に採るし、気がしっかりしていさえすれば、おかしなことはまったく言わない。天使のような令嬢なので、始末に困っていた。

 ここに登場したのが、もう一人の若い女、綾です。前述したとおり仲のよかったふたりですから、綾のほうは姉が病気になったように心配をして見舞いや看病をしていましたが、やがて学校が夏期休暇に入ると、ほとんど病院で付きっきりになりました。

 ふしぎなことに、綾が手をかけると、硬直した胸がすぐに柔らかくなる。寛解にまでは至らなくても、三人、四人で抑えきれないものが静かに納まって、夢中でただうわごとを口走る程度になる。

 そんなふうだから母親が綾の親にも頼んで、泊まりがけで付き添ってもらうようにしたそうです。

 いったん症状が出ると、太っちょの女中なんかは、無礼だなんて言ってられない。肌脱ぎで大汗をかきながら冬瓜みたいな膝で令嬢の上に乗っかるんですが、その胸の悪玉に突き飛ばされて、すってんころりと倒れてしまう。

『お嬢様、お嬢様』

 と真夜中であっても、看病疲れですやすやと寝ている綾を起こすと、なんのことはない。ちょっと手を乗せてみるだけで、

『おや、また来ているよ。誰々だね……』

 という具合に、その時々に出てくる男の、もう覚えている名前を冗談のように口にすると、病人が、

『ああ』

 と言って、胸を落ちつかせたところで、

『うるさい人ね。お帰り』

 そう言いながら、すっとなで下ろす」


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