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「あたりは見るからに凄いありさま。一刻も早くふたりの女がいる寝室へたどりつかねば、と思って寝間着の襟をかき合わせると、その目当ての部屋で……。
たしかに女がすすり泣いている声がしました。ひそひそと泣いているんですね。
こんな夜更けに、女性の寝室をのこのこと訪問して、同じ遠慮するにしても、静かに寝ていれば声をかけもするだろうし、笑い声が聞こえていれば気安いものだろうけれど、泣いているとなると、どうにもうっかりと声はかけられません。
泣き声をあげてまで悲しむというのは、どう考えても普通ではない。気にもなるし、心配にもなる。さらにいえば奇っ怪でもある。ですから、悪いとは思ったけど、そっと近づいて、そこの障子の破れ目から……。
その破れ目というのが大変なもので、目の前にある引き手のあたりなんて、壊れた桟がぶら下がって、ぽっかり大穴が空いている。そこから障子の二コマぶん、向こうに吊った青い蚊帳がはみだして、紅麻を縫いつけた裾のあたりまで見えている。そこに立ったらこちらの胸から上が丸見えになりそうで、覗くどころじゃありません。屈んで通り抜けました。そこをよけて、わざわざ回りこんで、逆に小さな破れ目からのぞき込んで見ると……。
蚊帳越しですが、向こうの壁ぎわに置かれた灯りに照らされて、様子はよくわかりました。
その灯りを背にして、こちら向きに身を起こしていたのは年上の貴婦人でした。蚊帳ごしに萌黄色が淡く浮かんだのは、着ているのかいないのかわからない長襦袢の寝間着姿だったからです。袖の下には枕がひとつ見えたが、絹の四布蒲団を部屋の真ん中に敷いた上には掛けるものの用意はなく、まだ寝るつもりではなかったらしい。
貴婦人の膝に頭を伏せた若い女は、ぐいっと腕につかまって、しがみつくとでもいった様子で、なよなよと力なさそうに背筋をくねらせて、まとわりついた独鈷模様の博多織のしごき帯がずるりと腰をすべって、帶は落ちたが、縞柄の明石縮みだけは身につけている。
泣いているのはその女でした。さっきからしばらくそうやっていたと見えて、ひたすらしくしくと泣いて、後れ毛を揺らしているのが見えます。なぐさめていたのだろう貴婦人も、うつむき顔で黙ったまま。なにを悲しんでいるのやら、わかりません。そんなふたりの姿は、夜風に冷えてしおれた温室の花々のよう。
そのうちに、肩に腕を回して抱くように投げかけていた貴婦人の手が脱がしたのか、自分の手で払いのけたのか、若い女のふっくらと丸い身体にそって襟が落ちると、サッと蚊帳の影に覆われたが、すぐに白いものがぼんやりと浮かびあがる。……もう片方も脱いだんです。脱ぐと薄物の襟が、ほどよい肉づきの襟すじに引っかかってすっと止まったのを、貴婦人の手が下へ押し下げた。なんだかそれが、乱暴に引っ剥がしたように見えました。落ちた薄物は裏返りながらはらりと落ちて、腰帯まで下がって揺れた。
すると若い女は、青白く透きとおったその背筋をよじって、貴婦人の膝もとに身を擦りつけるようにして、半月型の乳房を斜めに、脇腹をそらしながらぐいっと伸ばした手を貴婦人のうなじに巻きつけて、その肩に顔を近づける……。
その半裸体の脇の下から乳房へと斜めに、なんと、えぐったのか、突いたのか、血が流たような、炎がひらめいて燃えたのかと思うほどに、真っ赤なものがどっとほとばしったかのような、あざがあるんです」
山伏は、深くため息をつきながら聞いていた。
「そのあざを、貴婦人が細い指で、やさしくそろそろと撫ではじめました。それだけでも気味が悪いのに、十回ほどさすったかと思うと、若い女の耳もとに寄せていた頭を肌づたいにたどらせていくのです。そしてなんと、あの鼻筋の通った、冷たい表情の張りついた、やせ顔の締まった唇で、そのあざをチュッと吸う」
「うーん」
と山伏はうなった。
「はっきりそうだとわかったわけではありませんが、私は生き血を吸ってるんじゃないかと震えあがりました。若い女は、からませた腕を貴婦人のうなじからだらりとほどくと、ぐたりと仰向けになりました。するとみぞおちの下にも一か所、めらめらと燃えるようなあざが見えました。
やがてむっくりと起きあがると、雪のような上半身を振りあげて、着物の裾の合わせを乱しながら手をつくと、両袖をだらりとぶら下げて、裾をさばいて四つん這いになった。背中にも一つ、赤いあざがある。そんな姿は……女の犬とでもいえばいいのか」
「ああ!」
「驚いた拍子に、私が物音を立てたらしい。貴婦人がつと立ち上がると、蚊帳ごしに灯りを吹き消した。若い女の這いつくばった姿も、かき消すように見えなくなった。
よくも一息で消せたものだと思う。その一瞬、貴婦人の背丈は、蚊帳の天井から真っ白な顔が突き抜けたと思うほどそびえ立って――いまだにその気味の悪さがちらちらと目に浮かびます。
あとは、真っ暗。蚊帳は漆黒の闇に包まれました」