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第7話

 その日の夜、父は残業で食卓には不在だった。


「庭の紫陽花が綺麗に咲いてますね」と母が言った。

「もう咲いてるのね。早いわねぇ。もう六月……半年が終わるのね。ついこの間まで、お正月だったのに」と祖母が言った。


 たしかに僕も正月気分が抜けていない。仕事をしていたころは忙しすぎて季節が変わったことに気づかないほどの日々を送っていたが、仕事をしていなくても日々は目まぐるしくすぎていくようだ。

 むしろ時間の流れは日に日にはやまっている。

 なんとかして目の前にある時間に価値を見出さなければならない。煙草よりもはやく時間が燃えていく。神が「この人間の人生には意味がない。見る価値もない」と考えて僕の人生を早送りしているのではないだろうか。


 深夜、いつものように酒を飲んだ後、そろそろ寝ようと考え始めたころに、階段をのぼる足音が聞こえた。足音の重さで誰かはわかる。音の高低やリズムの違いによって、家族全員の足音を聞き分けることができる。この足音は父だった。


 父が二階にある洗面所で歯を磨く音が聞こえた。

 ノックもなしに父は僕の部屋へ入ってきた。


「なんだ、まだ起きてたのか」

「うん、もう寝る」


 父は残業の後いつものように酒を飲んでいたようで目が座っていた。酒好きの遺伝子は間違いなく僕にも受け継がれている。


「暇なら本でも読め。歴史小説がおすすめだな」と言いながら父は部屋を出ていった。


 ぼやっとした話で何を言いたいのかわからなかった。はげましなのか小言なのか。父は父で定年が近いにもかかわらず夜遅くまで働いており、酒を飲まずにはいられないほど疲弊しているはずだ。仕事だけでも大変なのに息子がこんな状態になってしまって考えることが山積みになっているに違いなかった。


 彼は社会に出てからずっと同じ会社で転職せずに四十年も働き続けたのだ。家族も養ってここまで来たわけだ。それなのに最晩年になって、息子がこうなってしまったと考えると、気が狂ってもおかしくはないように思う。

 時代が変わったこともあるので、転職しないことが絶対に重要だとは言い切れないが、確実に立派なことではあるだろう。既に一度退職をしてしまった僕は父をそのまま超えるためのルートを一つ潰してしまったということになる。

 僕としては心底どうでもよかったが、父としてはどうだろうか。彼の中で僕はもう終わった人間なのかもしれない。


 僕にどういう人間になってほしかったのか、どういう人生を送ってほしかったのか、そういった深い話はいままでしてこなかった。祖母も母も僕に良い子であることを求めているので、ある意味わかりやすかったが、祖父はともかく父は何を求めているのか改めて考えてみてもまるでわからない。自由に生きろとも言わない。自分で考えなさいとも言わない。具体的なことは何も言わないのだ。その裏にある考えを勝手に補間しようとする僕も、こちらから父に問いかけることはない。


 この家は誰もが自己解決して空回りしている。いや、自己解決すらできず、ひたすら見て見ぬふりをしているのだった。

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