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第5話

 ある光の綺麗な日、僕は自転車で図書館へ向かっていた。前日に雨が降ったせいか、空気が澄んでいた。

 まぶしすぎる光は目と首筋を焼いた。昔から目が光に弱く、こうまぶしいとほとんど目が開けられない。空を見ることができない。視界は半分ほどにせばまっていた。

 この光に対する弱さが、なんとなく自分の人生にも反映されている気がした。光のある場所に近づくとまぶしくて視界が狭くなり、その場にあるもの、起こっていることの半分しか見ることができなくなる。

 適当な色眼鏡でもかけていればもう半分の景色も見えたのだろうか。全景を見れば、この社会の価値のなさを理解して、無駄に恐怖することもなくうまくやり過ごすことができたような気がする。こんな場所でいつまでもうずくまるような日々を送る必要もなかったはずだ。


 図書館への道程の半分辺りに土手がある。大きな川に沿うようにして続いている。土手に登って自転車を降りた。

 川と河川敷が見える。振り返り、川とは反対のほうを見ると住宅街が続いている。氾濫すると一発でこのあたりの住宅はおしまいになる。怖くないのだろうか。いくら便利でも景色が綺麗でもこんな場所に住みたくはない。僕が心配性なだけだろうか。死を恐れすぎているのかもしれない。僕以外の皆は死を受け入れているのか、あるいは自分にだけは死神が見向きもしないと思っているのだろうか。


 そんなことを考えながら家々を眺めていると、空を悠々と泳いでいる魚が目に入った。鯉のぼりだった。端午の節句も終わり、残っている鯉のぼりはその一つだけだった。しまい忘れているのだろうか。黒の真鯉、緋鯉、それに青い鯉の三匹は時にゆっくりと、時に素早く体を揺らしながら泳ぎ続けていた。


 僕の家に鯉のぼりはないけれど、五月人形はあった。

 黒い漆塗りの台座に鎧武者が腰かけているようなタイプのもので、全身の鎧が一式揃っていた。

 座っているので正確な大きさはわからないが、十歳の男児くらいの大きさはあったように思う。艶のある黒い脛当すねあて。頑丈そうな佩楯はいだて草摺くさずり大袖おおそで。そして、金の立派な前立のついたかぶと。兜の奥には白髭を蓄えた面頬が沈黙していた。子供の頃はそれが不気味に思えた。そこにあるはずはない大昔の魂が乗り移ってきはしないだろうかとおびえていた記憶がある。


 鎧武者の両側には弓矢と刀とが立て掛けられていた。刀身を直接見てみたいと思い、鞘から抜いたことがあると記憶しているが、その中に実際、刀身があったかどうかはもう覚えていない。

 鎧、弓矢、刀。それらは金の屏風で囲まれており、小さいながらも一つの異様な空間を作り出していた。


 僕が大きくなるにつれ、いつの間にか飾らなくなってしまったが、今も家のどこかにしまわれている。彼は沈黙したまま何を考えているのだろうか。なぜか彼が激しい怒りを蓄えているような気がしてならなかった。


 五月人形は飾られなくなってしまったが、今でも律儀に柏餅とちまきは食卓に並ぶ。母が毎年五月五日あたりになると買ってくるのであった。鼻の奥に柏と笹の葉の香りが思い出された。あの匂いと控えめの甘さの団子が特別な日だと教えてくれる。

 今年もつい先日食べた。美味しかった。当たり前のように食べてしまったし、食卓から逃げるために味わいもしなかったが、美味しかったはずだ。


 毎年毎年用意される柏餅と粽。その愛情の痛々しさが急に僕の頭を支配し始めた。涙があふれた。土手の上でなぜ急に泣き始めたのか自分で自分がわからなかった。普段まったく泣くことはない。本や映画で泣くこともないし、生活の中で悲しいことも特にない。不甲斐ないという思いはあるが、はっきりと悲しい出来事は発生しない。そのため泣く機会がない。最後に泣いたのはいつだったか思い出せないが、ここまで泣いたのは子供の時以来だった。数年ぶんの涙が溜まりすぎて耐えきれなくなった末に堤防を壊し氾濫しているようだった。


 数分か数十分かさだかではないが泣き続けた後、涙は止まった。顔は酷いことになっていると思われたため、図書館へ行くのは中止した。


 土手の中腹に水門があった。水門をかこむコンクリートのでっぱりに座りこんだ。日で温められた石は優しかった。足を放りなげて座っていると靴を落としそうでむずむずした。

 数十メートル先にある川を見ると流れがなく止まっているようにも見えたが、時折ちかちかと波に日光が反射するので確かにこの川は生きているようだった。河川敷では走っている人や自転車で通り過ぎる人が時々いたが、休日のように野球やバーベキューをしている人はいないようだった。世界が終わった後のような静けさに支配されていた。


 川の近くは雑草が生い茂っており、作業着でも着ていない限り近づこうと思えないくらいには背の高い草が多かった。が、そんな中、一か所だけ川に近づくための獣道のようなものがあった。舗装されているわけではなく、たくさんの人が同じ場所を通る間に草がはげて土がむき出しになったような一本の細い道ができていた。

 その細道に足を踏み入れると、蚊柱に襲われた。一度戻り、しばし待ってやり過ごした後、再度入っていった。道の先は川までつながっていた。


 川にたどり着き、足元に目をやると、一輪の黄色い花が咲いていた。月見草のようだった。あたりを見渡したがその他には何もなかった。


 いったい誰がこの道を作ったのだろうか。この場所に特別な何かがあるわけでもなし。特別な景色が見えるわけでもなし。まさか、この一輪の花を見るために誰かが雑草を刈り、道を作ったのであろうか。そんなわけはないと思いつつも、そうであればいいのにと思った。


 川には鴨が二羽いた。泳いでいるのか、ただ流されているのか、ゆっくりと移動していた。


 このまま身投げでもしようかという気になった。静かで、寂しく、美しい場所だった。死ぬにはいい場所のように思えた。しかし、僕は過去に水泳を習っていたので、たぶん身を投げても泳いで向こう岸までたどり着けそうだという現実的な考えが邪魔をした。水泳もわざわざスイミングスクールに通わされて習得した技術だった。無駄に金を使わせてしまったという感が強い。いちいちそういうところに申し訳なさを感じるのだった。


 河川敷にある東屋のような場所で小一時間ほど休憩し、まともな顔になったことを確かめ、帰路についた。


 夜に酒を飲んでいると右目の下あたりがかゆくなってきた。何度かひっかいたあと、指の腹でさわってみると少し膨らんでいるのがわかった。手鏡で見てみると薄く赤く腫れていた。まだ五月だが蚊がいるのだろうか。蚊柱の蚊は刺さないと聞いたことがあるので、おそらく今日見た蚊柱とは別で、気づかないうちに刺されていたのだろう。


 腫れを差し置いても不細工な顔だった。自分の顔をまじまじと見るのはひさしぶりだった。バランスが崩れるほどに伸びた髪は無職の証明であった。働いた経験がない者は顔が幼く見えると聞いたことがある。今の自分はどう見えるのだろうか。もともと童顔の家系であるため、そのあたりのことはわかりにくい。働いていたころより幼くなったとは思わないものの、確かに、輪郭がぼやけたような不細工さがあった。


 鏡を見ているとじわじわと違和感が強くなってきた。なにかが変だった。僕はこんな顔だったろうか。顔がゲシュタルト崩壊していた。


 これは誰だ?


 この顔はいつからこのような顔をしていたのだろう。ただ鏡を見るだけではらちが明かないと、数年前からのアルバムを取り出し顔を見比べてみたが、具体的にどこが変わったと確証を持てる点はなかった。少しずつ老けていき、少しずつ目が濁っていくのがわかっただけであった。


 改めて鏡を見る。何かが間違っているという思いだけは確かだった。髪、眉、目、鼻、口、耳、頬……間違いのない間違い探しをやらされているようないらだちを感じた。


 見れば見るほど自分の顔が知らない顔へ変化していくような予感がして怖くなり、手鏡を伏せた。もう今日は鏡を見ないと決めた。とっくに酔いがさめていた。このまま素面では眠れないと思い、安ウィスキーをぐっとコップ一杯飲み干した。

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