上野物語
風俗嬢澪の物語。
澪は静けさと共に、胸の谷間に垂れる雫に身を感じていた。
この仕事を始めてはや30年。最近は金銭を献上する立場に立とうとする年齢ではあったが、都会のど真ん中で行われる幼稚園児顔負けの子供じみた原始的なお遊戯会に多大な金銭が回遊するのは、これまた人間の本質を深く射抜いていると感じた。
この仕事をしていると深く感じることがある。それは人間の本質についてだ。
この仕事は人間の底にある素の顔が良く出てくる。そこはかなりの社会学にも精通する資料になり得る事象であろう。その結果を端的に言えば「無」である。要するになにも考えてないのである。
ではなぜ社会はそのような状況で回るのか?それはトップオブトップ。いわゆる政治家や社長的な存在が「考えて」いるからである。
私達小市民はその駒に過ぎなく、逆を言えば「無」がベストだったりする。
というわけで澪は今日も男性との遊戯に付き合うのであった。
この仕事は儲かる。永遠たる富を得ることができる。しかし、疑問に思う。
富は人間を幸福にできるのかと?いや究極、富とはなになのか?と問いたかった。なぜなら時代や科学技術の変化とともに、富の基準も変わるからだ。
1000年後と今、そして1000年前ではお金でできることが全く違う。
それに伴い生活も大きく変化するからだ。
澪は今までに一億以上稼ぎ、貯金も一千万以上ある。正直、もう働かなくても大丈夫な資産形成はできている。でも働く。それはなぜか?端的に言えば教育である。そういう教育を受けたからだ。ではその教育はなにの為にある?
社会を形成するためだ。人間は集団として行動することが重要であり、そのためにはまとまることが重要だ。
納得した澪は最近より一層荒廃してきた繁華街のはずれで気狂いと酔っ払いの叫び声を子守唄にして寝た。
上野は好きでよく行く。これからも上野であってほしい。