姉の身代わりで結婚した、直視したら目が潰れる光王子に「僕を愛する必要はない」と言われました。【ノベルアンソロジー収録】
「アビス、お前の嫁ぎ先が決まったぞ」
父親のあまりに突然の言葉に、すぐに声が出せなかった。
結婚……? 私が?
「それも相手は王子だ。お前にはもったいなさすぎる相手だ。私に感謝しろ」
王子と結婚……? 私が!?
続けられた言葉には更に驚いたけど、姉のアビアナが父の隣でニッと口角を上げたのを見て、まさかと思う。
「もしかして、お姉様が嫁ぐ予定だったグランツ殿下のもとにですか……?」
「そうだ」
「……――!」
ああ、なんということでしょう。
私がグランツ殿下と結婚できるなんて……!
グランツ殿下は、かつて魔王を倒した勇者様が使っていたのと同じ、光魔法の力を持って生まれた。
光魔法はとても稀少な力だ。勇者様の死後数百年の間、グランツ殿下以外に使える者は現れていない。
そんな素晴らしい王子様と結婚できるなんて……本当にいいの?
「顔は同じなのだから、大丈夫よ。あんたが結婚できるだけでも奇跡なんだから、ありがたく思いなさいよ。目くらい潰したっていいでしょう?」
ふっと鼻で笑いながら私を見下してそう言ったアビアナは、とても怖い顔をしていた。
顔は同じか……。では私も、こういう顔をしているのだろうか……?
「そうだ。お前のそのブルーグレーの髪も瞳の色もアビアナそっくりなのだから、しっかり手入れしてから行けば、ばれるはずがない。目を潰してもいいから粗相だけはするなよ!」
姉に続いた父の言葉に、私はボサボサになった自分の髪に触れた。
そう、グランツ殿下には一つだけ問題がある。
光魔法を極めすぎたせいで、殿下はその力に自身を呑み込まれてしまったのだ。
といっても命に別状はない。
普通に生活もできる。
ただし、グランツ殿下は自身が輝きすぎて、その姿が他人から見えなくなってしまったのだ。
眩しすぎて、直視すると目が潰れてしまうらしい。
そのため、二十二歳になったというのに婚約者が決まらず、国王陛下は困り果てていたのだ。
いくら王子でも、直視したら目が潰れてしまう人と結婚したがる高位貴族の令嬢は現れなかった。
そこで陛下は、息子と結婚してくれる相手を大々的に募集したのだ。そこにチャンスとばかりに、フローシュ子爵である父が「うちの娘を」と名乗り出た。
父には借金がある。
王族と結婚すればその借金を返済してもらえると企み、私の双子の姉、アビアナがグランツ殿下に嫁ぐことになっていた。
けれど。
「いくら王子でも、さすがにあれは無理よ。大袈裟だと思っていたけど、噂以上に強烈な光だったわ。見たら目が潰れてしまう人と結婚だなんて、無理」
グランツ殿下との顔合せから帰ってきたアビアナは、はっきりとそう言い切った。
しかし婚約の手続きは父がさっさと済ませてしまったらしく、姉の代わりにグランツ殿下と私が結婚すればいいと、二人の間で話がまとまったようだ。
父と姉はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべているけれど、それくらいなんだと、私は思う。
私とアビアナを産んですぐ、母は亡くなっている。
父は、私を産んだせいで母は亡くなったと言った。
その理由は、私が闇魔法の力を持って生まれたからだ。
闇魔法は光魔法同様、とても特殊な力。しかし、勇者が使っていた光魔法とは違い、闇魔法はかつて魔王が有していた力なのだ。
そのため、魔王が滅んで数百年経っている今でも恐ろしい力として知れ渡っており、邪悪で気味が悪いとされているのだ。
生まれてすぐ無意識にその力を使ってしまったらしい私は、ずっとこの存在を隠されて生きてきた。
〝殺されないだけありがたく思え〟
父には毎日のようにそう言われて、召使い同様に家事をやらされ、ぼろを着せられ、食事は残飯のみで、生きてきた。
そんな私が、王子様と結婚できる……?
そんなお伽噺のような素敵な話が、私の身に起きるなんて……!!
ああ、でもこんな私で本当にいいのかしら?
この家の娘はずっと、アビアナ一人とされてきた。
双子だというのに、美しいアビアナと私は全然似ていない――と、私は思っている。
私は社交性だってないし、若い男性とろくに話をしたこともないし……。
ああ、でも本当にとても素敵な話だわ!
いつかこの家を出て広い世界を見てみたいと思っていたけれど、まさかお城に……王子様に嫁げるなんて……!
この家から出て行けるだけでも奇跡なのに、本当に素晴らしいわ。
いつか読んだ物語のヒロインを思い出して、私はそっと胸を熱くさせた。
*
「いいか。くれぐれも無礼のないようにな。決してあの力は使うなよ。わかっているな?」
「ええ、わかっています。お父様」
「ふんっ、ここまで生きてこられただけでも感謝すべきなのに、王子に嫁げるのだ。この先も一生、お前に与えられる金品はすべて私とアビアナに送るように」
「はい」
王宮へ向かう馬車の中、私は何度も繰り返し父にそう言われた。
心配しなくても、私は闇魔法を使うようなことはしない。
その力がどれほど気味の悪いものなのかは、この十七年間で散々父から聞いてきたのだ。
せっかく結婚できる王子様に、気味悪がられたいとは思わない。
というかそもそも、私には魔王のような強い力はない。
昔母に付いていた侍女の話によると、私が使ってしまったのは明かりを消してしまったりするような、可愛いものなのだとか。
まぁ、それでも闇魔法であることには違いないのだけど。
「お前に教養などないことは知っているが、陛下はグランツ殿下に嫁いでくれる貴族の娘ならば、それは気にしないとおっしゃってくれた。お前は黙っていればいい。何もしゃべるな。何もしゃべらず、大人しくしていればお前も見た目だけはいいのだから」
「はい」
登城するために、私は初めて侍女たちに丁寧に身体を洗われて髪を整えられた。
傷んでいた毛先は切られたけれど、オイルまで使ってくれたおかげで、見た目はまだましになった。
それでもまだアビアナに比べたらがりがりだし、髪や肌に艶が足りないと思うけど……。父は、「どうせグランツ殿下もそこまで見ていないさ」と言った。
眩しくて人からは見えないけれど、本人はちゃんと相手を見えているはずだ。
ばれて王子の怒りに触れなければいいのだけど……。
ともあれ私は、あの家を出て行ける。
王宮での暮らしがどんなものかはわからないけれど、一生あの家で存在はないものとして隠れて暮らすことを思えば、それ以上悪いことはないのではないかと思えた。
眩しすぎて姿が見えない王子か……。
理由は全然違うけど、なんだか私と似ているわね。
存在しているのに、その姿を見てもらえないだなんて――。
*
グランツ殿下との結婚式は、すぐに執り行われた。
アビアナが既に婚約も挨拶も済ませているので、準備が進められていたのだ。
国王陛下も、花嫁の気が変わらないうちに、さっさと結婚させてしまいたかったようだ。
でも私の気は変わらないから、安心してほしい。
結婚式では、皆特殊なサングラスをかけていた。
誤ってグランツ殿下の姿を直視しないようにだろう。
遠くからであればグランツ殿下を見ても目が潰れるということはないようだ。でも、光り輝いていてどんな姿をしているのかはわからないらしい。
まるで太陽のような方だと思った。
けれど、近づけば近づくほど危険だということで、彼の隣にいる私は目を布で覆われた。サングラス越しでもこの距離で直視しては、本当に失明してしまう可能性があるのだとか。
最低限の儀式だけを行うと、式はあっという間に終わった。
私はグランツ殿下とは別々の部屋に通され、王宮でも身体を磨かれ、子爵家とは比べものにならないほど丁寧にマッサージを受けた。
そして夜はすぐに訪れた。
通された広い部屋で、大きなベッドの上で、グランツ殿下を待つ。
私はこのためにグランツ殿下と結婚したのだ。グランツ殿下の世継ぎを産むために。
これからいたすことを考えてか、私にはサングラスも目隠しの布も与えられなかった。
王宮の侍女には、「決して目を開けてはなりません」と堅く言われたけれど、顔を隠して王子が萎えてしまわないようにだろう。
少し痩せすぎだとは思うけど、決して見た目は悪くない私は、目だけつむって大人しくしていればそれなりなのだ。
だから大人しく目をつむって、あとは王子に任せればいいということだ。
しばらくベッドの上で静かに待っていたら、扉がノックされて誰かが入ってくる気配がした。
「アビアナ」
この声は、グランツ殿下だ。
透き通るような、優しい声。一体どんなお顔をされているのか気にならないと言えば嘘になるけど、目を開けるなと言われているので私は俯いたままでいた。
「……アビアナ?」
「……っは、はい!」
そうだ、アビアナとは、私のことだったわ。
姉の名前に返事をするのが遅れてしまったけれど、はっとして大きく口を開いた。
「そのまま目を閉じて聞いて」
「はい……」
グランツ殿下の気配が、すぐ隣にある。でも、彼はベッドに乗ってはこない。立ったままそこで話されているのだろう。
目を閉じていると、なんだか余計にドキドキしてしまう。
「この僕と結婚してくれてありがとう。だが、君は僕を愛する必要はない」
けれどとても穏やかな声で、グランツ殿下は言った。思わず目を開けてしまいそうになる。
「え……?」
「姿の見えない男を愛せるか? 愛せるはずがない。間違って君が僕のことを見て目を潰してしまっては困る。だからこれからは寝室も別にするつもりだ」
「寝室を別に……?」
「ああ。月に一度は寝室をともにしてもらうことになる。だが、僕は君に何かする気はないから、安心してほしい」
何かする気はない……? でも、それでは世継ぎが……。
「そしたらいずれ父も諦めてくれる。こんな男に嫁ぐことになってしまって本当に申し訳なく思うが、君は自由にしてくれて構わない。望むものも与える」
「……」
その優しい声から、グランツ殿下のこれまでの苦悩が手に取るようにわかった。
彼は自分の人生を諦めているのだ。けれど王子として生まれてしまったから、世継ぎを残してほしいと願う陛下の気持ちを汲んで、こうして結婚したのだろう。
でも今度はその私に、こうして申し訳なく思っているのだ。
なんて優しい王子様なのかしら。
狭い世界しか知らなかった私だけど、こんなに優しい声でしゃべる人がこの世にいたなんて。
こんなに寂しげな声を出す人が私以外にいたなんて。
だってそもそも彼は、生まれ持った光魔法を極めすぎてしまったせいでこうなったのだ。
それはきっと、彼がとても努力家だからだと思う。
「今夜はこれをして」
黙って話を聞いている私に、グランツ殿下はそう言って私の目に布を巻いた。
「これで目を開けてしまっても大丈夫」
「……これでは私の顔が隠れてしまいます。私は、顔だけが取り柄で……」
控えめに口を開いて言葉を発した私に、グランツ殿下がふっと小さく笑った声が聞こえる。
「確かに君はとても美しい人だが、そんなこと、僕には関係ないよ。それに先ほども言ったが、僕は君に何かする気はない」
「ですが、私はその覚悟で……!」
「いいんだ、僕には弟が二人もいる。世継ぎができなくても問題ない。それに、顔が見えないのはこれでおあいこだ」
「……」
姿は見えないけれど、グランツ様が笑ってくれているのがわかる。
ああ……そんな。
自分を見てもらえないという悲しみが、どんなものなのか私は知っている。
年頃になってオシャレをしたり、友人との楽しかった話を聞いたり、社交界デビューしたり……。
私はいつも、そんな輝かしい話をアビアナの口から聞いているだけだった。
もちろん殿下と私は違うけど……。
こんなに優しくしてくださるなんて。
きっと彼は、知っているのね。人は目で見たものしか信じないのだと。そして人の本質は、心の中にあるのだと。
「今夜は同じ部屋だが、僕はソファで寝るから安心して眠るといい」
「そういうわけには参りません!」
「いいんだ」
「……」
目隠しされていても、彼が私を気遣ってくれているのが伝わってくる。
「これからのことも、何かあれば侍女に言ってくれ。本当に、僕なんかのところに嫁ぐことになってしまって……申し訳なかったね」
「……」
何度も繰り返されたその言葉には、やはり悲しみが含まれていた。
私は、この方の苦しみや悲しみが理解できるような気がする。
なんとかしたい。私が、少しでも彼の力になれたら――。
ベッドを離れていくグランツ殿下が、ソファが置いてあったところあたりで腰をおろしたのが音でわかった。
「おやすみ」
「……おやすみなさい、グランツ殿下」
*
それから、グランツ殿下がおっしゃっていたように私たちの寝室は別になった。
今までの私の暮らしからは想像できないような豪華な食事と、毎日のお風呂にオイルマッサージ。薬師の方が調合してくれたオイルのおかげで髪にも肌にも艶が出て、これ以上食べられないというほどの贅沢な食事とダンスレッスンで、私は日に日に健康的な身体を手に入れていった。
更に教養を身につけるための勉強も始まったけど、新しいことを学ぶのはとても楽しかった。
私はこれまでろくに勉強を教わってこなかったのだけど、家にある本を読むのが好きだった。
アビアナが将来いい相手と結婚するために教養を身につけるべく買ってもらった本に、彼女はまったく手を付けていなかった。それらの本を、私は片っ端から読んできたのだ。
だから、案外すんなりと頭に入ってくることが多かった。
グランツ殿下と顔を合わせるときは必ず特殊なグラスを目にかけさせられたけど、そもそも彼と会話できるほどの距離に行くことがそうなかった。
グランツ殿下は滅多にお部屋から出てこないのだ。
周囲の人間に迷惑をかけないためにそうしているのだろうということが、私にはわかる。
そんな生活がひと月ほど続いたその日――。
今日は月に一度、グランツ殿下と寝室をともにする日だ。
お城の侍女の方たちのおかげで、結婚式を挙げた日よりもだいぶ私の見た目はよくなったのではないだろうか。
だから今夜こそ、私の勤めを果たそうと思う。
「グランツ様、お待ちしておりました」
「……その格好はなんだ?」
目を閉じたまま、私はグランツ殿下の声がするほうに身体を向けた。
今日は侍女にお願いして、少し色っぽい夜着を用意してもらったのだ。
だって私は殿下の子供を産むために嫁いできたのだから。役割を果たさなければ、殿下にも「いらない」と言われてしまうかもしれない。
「男の方はこういうのがお好きだと聞きまして」
「……」
本当は少し恥ずかしいけど、こういうものなのだと思って割り切ることにした。これくらいで怖じ気づいていたら、王子の妻なんて務まらないのだ……!
「アビアナ」
「はいっ!」
グランツ殿下が近づいてきたのが、足音と声が聞こえた近さでわかる。
ぴしっと背筋を伸ばして返事をした私の肩に殿下が触れたと思ったら、そのまま何かあたたかいものが私を包み込んだ。
「そんな格好では風邪をひいてしまうよ?」
「え……?」
これは……ガウン?
グランツ殿下が羽織っていたものだろうか……。あたたかくて、気持ちがいい。
「僕は君に何かするつもりはないと、前も言っただろう?」
「……」
優しく、穏やかな声でそう言うと、グランツ殿下は結婚式の日同様、私に目隠しをしてソファで眠ろうとした。
「グランツ殿下――」
そんな彼に向かって、私は思いきって口を開いた。
「どうした?」
「……少しお話ししてもよろしいでしょうか」
「……ああ」
父には余計なことをしゃべるなと言われたけれど、私はどうしてもグランツ殿下に伝えたいことがある。
目隠しをしたまま、ソファにいるだろうグランツ殿下に近づこうとベッドを降りた私は、足下が見えないために転びそうになった。
「……っ」
「危ない!」
その身体はグランツ殿下によって支えられる。
「申し訳ございません」
「……いや。こちらへ」
「ありがとうございます」
グランツ殿下に手を握られ、ゆっくりとソファに誘導される。
殿下の手はとてもあたたかいなめらかな肌だけど、大きな男の人の手だ。
「それで、話とは?」
ソファに横並びで座った私たち。すぐ隣の、少し上辺りで、グランツ殿下の優しい声が聞こえる。
「グランツ殿下に、感謝を伝えたくて」
「え?」
「私は、グランツ殿下と結婚できてとても幸せです」
「……」
顔は見えないし、私の目も隠れているけれど、それでも彼を見上げて言った。
「そんなはずはない……。こんな男に嫁いで幸せな者がいるはずない……」
「いえ……! 本当です」
グランツ殿下の声は少し低くて、憂いを含んでいた。
けれどこの気持ちが偽りではないということが伝わるように、もう一度力強く言った。
未だに繋がっていた彼の手を、思わず強く握ってしまう。
「……それは、君がこれまで家族から酷い扱いを受けていたからか?」
「え……っ」
グランツ殿下を見上げていた私に、殿下も身体を向けてくれたのが、微かな音と動きでわかる。
「言いたくないことは聞かないが、最初に顔を合わせたときと、結婚式を挙げた日の君は……別人だった」
「…………」
耳に響いたその言葉に、私の身体を冷や汗が伝う。
「この手も……顔合せをした日は美しかったが、結婚式のときはもっと荒れていた。今ではだいぶよくなったね」
「…………」
そう言って握っていた私の手を持ち上げたグランツ殿下に、鼓動が速まっていく。
グランツ殿下は、しっかり見ていたのだ。
アビアナのことも、私のことも――。
「申し訳ございま――!」
グランツ様に嘘をついてしまった。騙してしまった。美人なアビアナではなく、貧相な私が嫁いでしまった……!
慌てて謝罪の言葉を口にしたら、私の唇に何かが触れて、言葉が遮られた。
「大丈夫、君は君だ。健康的になって、よかった」
「…………っ」
たぶん、グランツ殿下が私の唇に人差し指を当てているのだろう。「しー」と言いながら小さく囁かれた言葉に、私の胸はぎゅっと熱くなる。
この人は、本当にどれだけ優しい人なのだろう。
結婚相手が代わったことに気づいていたのに、気づいていないふりをして、更に健康的な身体になった私を喜んでくれている。
どうして、そんなことが言えるの?
一体今、どんなお顔をされているの……?
「……私は、グランツ殿下のためなら……なんだっていたします」
「……」
世継ぎを作ることだって。それ以外のことだって。
「もし私でよろしければ……グランツ殿下のお側にいます。いつでも……」
余計なことかもしれないけれど、私には彼の気持ちがなんとなくわかるから。
一人ぼっちの寂しさが、どんなに辛いかわかるから……。
だから、たとえ断られたとしても、この気持ちだけは伝えておきたいと思った。
「ありがとう。それじゃあ一つだけ、お願いしてもいい?」
「はい!」
すぐ近くで聞こえるグランツ殿下の声に、私は姿勢を正して返事をした。
どんなお願いだって受け入れる覚悟で。
「アビーと呼んでも、いいだろうか?」
「え……?」
「それから、できれば僕のことはグランって呼んでほしいな」
……そんなこと? そんなことでいいの? 私にだって、もっと、もっと色々できることはあるはずなのに――。
「もちろんです、……グラン様」
「ありがとう。嬉しいよ、アビー」
「……」
グラン様が笑ったのが、わかった。
愛称で呼び合う……たったそれだけのことが、そんなに嬉しいだなんて。
彼のこれまでの孤独を感じて、胸が締めつけられる。
「嬉しいのは私のほうです……グラン様」
「そうか……それなら、よかった」
グラン様が今どんな表情をされているのか、私は想像することしかできないけれど……せめて気持ちだけでも伝わるように、彼をまっすぐに見上げた。
「アビー……君は、とても美しい人だね」
「……」
グラン様の指が私の頬を撫でる。
私より美しい人はもっとたくさんいる。けれど、グラン様が言っているのは、きっとそういう美しさのことではない。
近くで囁かれた声に鼓動が跳ねたけど、それ以上は何もなく、グラン様は「今日はおやすみ」と言って再び私をベッドまで誘導してくれた。
*
グラン様と結婚して、三ヶ月が経った。
今日はグラン様の二十三歳のお誕生日で、王宮内の大ホールでパーティーが開かれていた。
招待客は多かった。
来賓には皆特殊なサングラスが配られたけど、主役であるグラン様はホールの中心から離れた玉座に座っている。
この距離からならば、たとえサングラスを外しても目が潰れてしまうことはないだろう。
「アビーも好きに踊ってきていいよ」
「いいえ、私はこちらでグラン様とおります」
「……そうか、ありがとう」
会話ができるギリギリくらいの位置に置かれた椅子に座っている私は、グラン様と一緒に来賓の方々の姿を眺めていた。
するとその中に、よく知っている人物の姿を見つけた。
――双子の姉、アビアナだ。
「……グラン様、申し訳ありませんが、少しだけ席を外します」
「ああ、わかった」
グラン様に断りを入れて、席を立つ。
アビアナは私と入れ替わった。うちに娘は一人しかいないことになっている。
それなのに、どうしてアビアナがここにいるのだろう――?
見つかったら大変だというのに……!
「お姉様……!」
「あら、ご機嫌よう、アビアナ様」
アビアナが一人になったところで声をかけ、人が少ないホールの端に寄る。
「どうしてこんなところに来たのですか?」
やっぱり雰囲気は私と全然違う気がするけれど、顔はとても似ているのだ。アビアナ妃と同じ顔の女性がここにいたら、他の方たちが混乱してしまう。
サングラスをかけてくれているのが、せめてもの救い。
「いいじゃない、私だってパーティーに参加したいのよ。ちょうどよかったわ。貴女、パーティーが終わるまでどこかに隠れていなさいよ。今だけは私がアビアナ妃になるから。どうせあの王子はあそこから降りてこないのでしょう?」
「そんな……っ」
なんて勝手なことを言うのだろうか。貴女が私に代わってと言ったから、こうなったのに。
「それは困るわ! グランツ殿下も混乱されてしまうし……!」
「じゃあ私はこの先一生社交の場に来ちゃいけないっていうの!? どうしてあんたにそんなこと言われないといけないのよ!!」
「それは……」
興奮気味に少し大きな声を出したアビアナに、私は怯んで言葉を詰まらせる。
これまで私は、父や姉の言いなりになって生きてきた。どうしてもその記憶や癖が抜けない。
「あんたなんて私の身代わりの、影の存在のくせに! 黙ってなさいよ、この忌み子! 私は私でいい相手を見つけるんだから、邪魔しないでよ。ああ、安心して、私は養子として子爵家にもらわれてきた子として新しい人生を生きるから――」
アビアナがふんぞり返ってそう言った直後、彼女ははっとして目を見開くと、素早く頭を下げた。
それと同時に周囲の者たちも慌てたようにサングラスを手に取り、かけだした。
「こっちを振り向かないでね、アビー」
「!」
グラン様だ。
グラン様が、玉座から降りてここまで来た――。
私たちから距離を取るように離れていく人たちは、グラン様が自らホールに降りてきたことに動揺している。
「そこのご令嬢、僕の妃が貴女に何か失礼を?」
「い……いいえ……!」
アビアナは頭を下げたまま震えた声で答えた。
「顔をお上げくださいと言いたいところですが……、そのグラスをかけていても、僕のことが怖いですか?」
「……」
アビアナはサングラスをかけている。せめて目元だけでも隠していたいのだろう。それにグラン様はまだ私の後ろにいる。これくらい距離が離れていれば、目が潰れてしまうということはないはずだけど、アビアナは顔を上げない。
彼女は一度グラン様と顔を合わせている。あのときのアビアナが自分だとばれることを恐れているのだろうか。
だからこんな場所に来なければよかったのに。
「顔を上げてください」
「……」
「顔を上げろ」
「……っ」
いつもは穏やかなグラン様の、こんなに鋭い声を聞いたのは初めてだった。
アビアナは速やかに顔を上げた。
「僕はこのような姿をしていますが、それでもこんな僕のもとに嫁いできてくれた彼女を心から大切に想い、愛しています。そんな彼女を傷つけるような真似は、絶対に許さない」
「…………」
顔を上げたアビアナはグラン様のほうを向いている。
姿など見えなくても、グラン様がどれだけ怒っているかがよくわかった。
「きゃぁ!?」
そのとき、グラス越しにアビアナの瞳が震えたと思ったら、彼女が突然叫びながら目を押さえてしゃがみ込んだ。
「グランツ殿下――!」
周囲の貴族たちもグラン様から顔を背け、従者が慌てたように彼の名を呼ぶ。
すぐ後ろにいる彼から、とても大きな力が溢れているのが、私にまで伝わってきた。
――彼の力は、日に日に大きくなっているのかもしれない。
「……すまない、アビー。これ以上人前に出れば、僕は皆を傷つける」
後ろから私の肩に手を触れると、グラン様は耳元でそっと囁くように言った。
「この力は年々大きくなり、抑えが効かなくなっているんだ。だから今日のパーティーを最後に、僕が人前に姿を出すのはやめるよ」
「え……?」
「君と結婚できて嬉しかった。少しの間だが、僕と一緒にいてくれてありがとう。しかし君ももう、自由になってくれ」
「……グラン、様?」
そして最後に、グラン様はハンカチで私の目を隠した。
グラン様は、もう人前に姿を現さない……?
生きているのに……存在しているのに、身を隠して生きるというの……?
それでは、今までの私と一緒だ。
こんなに素敵で優しい方なのに、そんなの悲しすぎる――!
「アビー!?」
覚悟を決めた私は、彼を振り返って目元に巻かれていたハンカチを解いた。
「僕を見ては駄目だ……!!」
グラン様は慌てたように叫ぶと、自分の腕を顔の前に掲げて私から顔を逸らした。そんなことをしたって、身体全体が輝いているのなら無駄だと思うけど……この方はどこまでも優しい人なのだ。
「グラン様」
「……っ」
「グラン様」
「…………っ」
「大丈夫ですよ、グラン様」
「……え?」
顔を覆っている彼の腕に触れた私に、グラン様はようやく腕を下げ、じっと私に視線を向けた。
「ああ……、やっと目が合いましたね」
「……アビー、君は、僕を見ても平気なのか……?」
「はい。はっきり見えていますよ。確かに、とても眩しいくらい、素敵な方ですね」
彼の目をまっすぐ見つめて微笑むと、グラン様は美しい瞳を大きく見開いて口を開いた。
「僕が……僕のことが、見えるのか……!?」
「はい、グラン様」
しっかりと、グラン様の目を見て答える。
宝石のような美しい碧眼に、輝くような金髪。……少し不揃いに切られた長めの髪は、今度きちんと切りそろえてもらったほうがいいわね。
でも、整った目鼻立ちも、美しい肌も、国一番の美人と評されていた今は亡き王妃様にとてもよく似ている。
「なぜ……なぜだ、なぜ僕のことが見える!? 目は平気か!?」
「私は、闇魔法の使い手なのです」
「闇魔法……? なんだって!?」
私たちの会話を聞いていた者たちが、途端にざわついた。
これは私自身も一種の賭けだった。
でもたぶん私なら大丈夫だという自信も、どこかにあった。
それに今はそれよりも、彼の顔が見たいという気持ちと、彼に寄り添いたいと願う思いが大きくて、強かった。
「私が貴方に闇を射しましょう」
「!?」
グランツ様の腕に手を触れたまま、願うように力を流す。
闇魔法の使い手である私には彼の姿を見ることができたけど、このままでは他の者を危険にさらしてしまうということは、変わらない。
だから私が、なんとかしたい。
「グランツ殿下……!?」
「ああ、グランツ殿下……!!」
彼の従者たちが、感嘆の息を吐きながら口々に彼の名を呼ぶ。
姿を捉えることはできてもまだ光り輝いて見えていたグラン様が、私の力を受けてその輝きを落ち着かせていく。
「これでもう大丈夫です。皆、貴方の姿が見えます」
「……なんだって?」
「グランツ様! 見えます!! 我々にも、貴方様の姿が……!!」
「ああ、なんということだ……!!」
見目麗しい王子を前にして、周囲の者たちが沸き立つ。
グラン様自身は、とても不思議そうに自分の手や身体を見つめている。
「……皆、僕が見えるか?」
「見えております……! しっかりと……!! グラスも必要ありません!!」
そう言って、彼らは嬉々としてサングラスを外した。
「しかし一体これは……!?」
けれどすぐに、みんなの視線が私に向けられる。
闇魔法は邪悪。私は捕まって、殺されてしまうかもしれない。
けれど、それでもいい。こんなに優しい王子様のためならば、私はこの力を惜しみなく使える。きっと私はこの方のために、生まれてきたのだから――。
「……っ、そうよ!! この女は闇魔法が使えるのよ!! この魔女め!! 捕まって処刑されるがいいわ!!」
すると、床にしゃがみ込んで目を押さえていたアビアナが私に指をさして叫んだ。
指の隙間から見えた彼女の目は血走っている。
「なぜ彼女が処刑されねばならぬのだ?」
「……!? 国王陛下!!」
ずっと玉座に座っていた陛下が、ふと声を上げた。
それにより、ざわついていた会場内が一瞬にして静まり返る。
「……私は闇魔法の使い手です」
「うむ、とても素晴らしい力だ。これまでどんなに力のある魔術師でも、息子の光を押さえ込むことはできなかった。だが君のその力のおかげで、グランツは救われたのだ」
陛下の静かで落ち着きのある声だけが、私の耳に響く。
「ですが、闇魔法はとても邪悪な力で……」
「この国にそのような法律はない。かつて魔王がその力を使っていたのは事実だが、悪いのはその力ではないぞ。重要なのは持って生まれた力をどう活かすかだ。そなたは誠にグランツの妻として相応しいな」
「……」
にこやかに微笑んだ陛下のお言葉に、私の胸から何か熱いものが込み上がってくる。
私は、忌み子ではないの……?
グラン様の妻でいられるの……?
「アビー」
「……グラン様」
涙を堪えている私に、グラン様が優しく手を差し伸べてくれる。
その手に掴まろうと自分の手を伸ばしたら、アビアナがもう一度叫んだ。
「私が本当のアビアナです! 殿下! 貴方の本当の妃は、私なのです!!」
その言葉に、私の身体はびくりと揺れる。
「そうでしょう! あんたは私の影よ! 返しなさいよ! 私のグランツ様を――!」
そうだ。これまで私はずっとアビアナの影だった。
華やかな表に出るのはアビアナで、私は生きているだけでありがたいと思わなければならない存在。
だから、アビアナがいらないと言ったものはもらい、返せと言われたら返してきた。
――これまでは。
「嫌です。グラン様だけは、返せません」
「な……っ! 生意気言うんじゃないわよ!! グラン様! この女は私から貴方を奪ったのです!! 貴方と婚約を結んだのはこの私です!!」
アビアナの叫びに、グラン様は彼女へ視線を向けた。そして――
「君は誰だ? 知らないな。僕が結婚式で愛を誓ったのは確かにアビーだった。それに、フローシュ子爵家には娘が一人しか存在しないはずでしょう?」
「……ですから、実は双子の妹で……!」
「では貴女とフローシュ子爵は、これまでずっと王族に嘘をついていたというのか?」
「あ……」
「それは問題だな。とても貴重な闇魔法が使える彼女を隠していたなんて」
「いえ……それは……っ」
「まさか、そんなはずありませんよね? アビーに姉妹はいない。姉なんて、存在しない。それに貴女たちはまったく似ていない」
「ああ…………そんな……」
にこやかに、けれどとても低く重みのある声で発せられたグラン様の言葉に、アビアナはそれ以上何も言えずに俯いた。
*
「本当にありがとう」
「いいえ、お礼を言うのは私のほうです」
その日の夜、髪を切りそろえたグラン様と私は、同じ寝室でワインを乾杯していた。
グラン様のお誕生日と、そのお姿が皆に見えるようになったお祝いに。
「アビー、君の本当の名前を聞いてもいい?」
ワイングラスを置いて、グラン様は私の隣でそっと問う。
「……父と姉には、アビスと呼ばれておりました」
「アビス……そうか。では、これからもアビーと呼べるね」
「はい」
グラン様の優しい声に頷くと、彼の手が私の頬に伸びてくる。
グラン様はその心同様に、とても美しいお顔をされている。
「アビー、僕と結婚してくれて本当にありがとう」
「いいえ……」
「愛しているよ、君だけを。……それから――」
ふわりとグラン様の香りが鼻を掠めたと思ったら、彼の唇が私に重ねられていた。
「やっぱりできれば、僕のことも愛してほしいな」
少し照れくさそうにそう呟いたグラン様の手に自分の手を重ねて、私は微笑み返す。
「もう愛していますよ、グラン様」
お読みいただきありがとうございます!
「君を愛さない」が流行っておりますが、「僕を愛さなくていい」を書いてみました!笑
果たして需要はあるのでしょうか……?
面白かった!アビー、グラン、おめでとう!需要あるよ!などと思っていただけましたら、ブックマークや評価☆☆☆☆☆をぽちっとしていただけると励みになります!( ;ᵕ;)
★追記★
【第2回アイリス異世界ファンタジー大賞】審査員特別賞を受賞しました!本当にありがとうございます(*ˊᵕˋ*)