4 滑空とおんぶ
加速感にめまいがする。切り裂くように頬を打つ空気。免許を持っていないからわからないけれど、バイクに乗ったらこんな感じなんだろうか。いや、バイクに乗っている人に連れまわされたら。
まみちゃんは華麗にホウキをあやつって、混雑した路地の上を滑空した。人混みの先に、担架を持った一団が見える。交通整理をして、集団を路地の外に出そうとしているのは、さっき見かけた青い制服を着た警察官だった。その先に、赤いランプを回転させて止まっている救急車が見える。
「警部の電話、間に合ってないじゃん!」
まみちゃんは舌打ちすると、集団に一気に突っ込んだ。
「逃がすかあっ!」
守衛の首根っこに強烈な蹴りをかます。倒れた守衛を避けるように軽く身をひねって、彼女はひらりと着地した。途中で彼女が手を離して地面に勢いよく放り出された僕は、受け身をとって転がり、立ち上がるので精一杯だ。
「何やってんだ!」
「けが人運んでるんだぞ!」
怒号が飛び交って、現場は一気に混乱したが、まみちゃんの澄んだ声が一瞬早く通った。
「ポン介! そこのミイラ男、捕まえて!」
素速く反応したのは、あの、怯えたような仕草をしていたドラキュラ少年だった。なぜか現場に背を向けて、脱兎のごとく逃げ出そうとしていたミイラ男に、背後から飛びついて顎の下に思いっきり肘をかける。
ミイラ男はたまらず立ち止まって、少年を振りほどこうとした。細い腕に似合わず怪力なのか、少年はミイラ男をがっちりホールドしたまま、逃がさなかった。
まみちゃんは続けて叫んだ。
「砂川刑事! 救急車は偽物だから、運転してるやつごと、押さえて! 早く!」
全く何が何だかわからない、といった風情ながら、砂川と呼ばれた、警官のブルーの制服を着た男は、救急車に向かって駆けだした。気迫に押されて群衆が半歩下がり、わずかに道ができる。
「まみっ!」
背後から、ひょろっとやせ型の『親父さん』と、それとは対照的にでっぷり腹の突き出たもう一人の中年の男、その後ろから数人が走ってきた。
「親父さん! 流警部! こっちこっち! 砂川刑事が救急車押さえに行ったから、ほかの人も協力!」
まみちゃんがぴょんぴょん飛び跳ねて手を振る。砂川刑事を追って、中年コンビの後ろから走ってきた数人――同じく警察官と思しき男女が追い越していった。無駄がなく素早い身のこなしだった。
「警部もボーっとしてないで! 守衛とミイラ男、現行犯逮捕! 死体遺棄未遂!」
「死体遺棄?」
「そこの囚人服の死体、捨てに行こうとしてたんだよ」
流警部は呆れたように一瞬目を見開いたが、警察手帳を示すと、手錠を出してまずはミイラ男に、次に、気を失って倒れている守衛に、がっちりと手錠を掛けた。
「こいつらが売る側。買ってる側も向こうのタイルのビルで押さえたんでしょ。結果的には、今日の捕り物は大成功ってことでいいよね?」
肩で息をしている中年コンビに向けて、まみちゃんは、えへん、と腰に手をあてて、胸を張って見せた。
「まみちゃん」
「まみ」
「まみさん」
僕と、『親父さん』と、流警部と呼ばれた小太りの男は、ここで初めて三人が一堂に顔を合わせたにもかかわらず、きれいに声を揃えて言った。
『分かるように、ちゃんと説明しろっ!』
◇
警部が確認したが、担架から転げ落ちて地面に転がっていた囚人服の男――近くで見て、体型からやっと、男だと確信できたわけだが――は、まみちゃんが言う通り、完全に死んで冷たくなっていた。
人が押し合いへし合いしているただなかに、遺体を置いておくわけにはいかない。踏み荒らされたり、下手な写真を撮られてサエズリやフォトスタグラムといった、影響力の強いSNSにアップされても困る。
警部の判断で、簡単に上着を被せられた遺体は、担架に戻して、とりあえず事件現場だとまみちゃんが主張する三階建てのビルの屋上に運ぶことになった。
「現場検証もできるし、ちょうどいいでしょ」
彼女は言う。
現場に遅ればせながら到着した所轄署の本物の制服警官が、ドラマでよく見かける黄色の立ち入り禁止テープを貼りながら、野次馬を遠ざけて路地から出すように誘導し始めていた。担架の運び出しに関わっていた他の人物ーーキョンシー女子や、そのほかの仮装の人々ーーは、一か所に固められて事情聴取を受けている。
流警部と『親父さん』が、担架を協力して運び上げた。僕は、一連の騒動が終わった瞬間に腰を抜かしてしまい、気分が悪くなって動けなくなってしまったドラキュラ少年をおぶって、その後に続いた。
「どうも、お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません」
恐縮したように、背中の上から少年が謝る。
「死体を運ばされるなんて、なかなかないだろ。仕方ないよ。僕だって、病院や葬式でもないのに、こんな間近で亡くなった人を見るのは初めてだ」
僕が気休めにもならないことを言って慰めようとすると、背中の上で、少年はよけいにしょんぼりしたようだった。
「こんなことでは、親父さんの跡を継ぐ立派なエージェントにはなれないって、わかっているんですが、捕り物はどうにも苦手で」
「なに、君、後継ぎ候補なの?」
っていうか、エージェントって何なんだ。背負ってもふわっと軽くてほっそりした体格の、僕の背中の少年には、確かにあまり結びつかない言葉だった。この子も、まみちゃんと同じように悪い奴らと戦っているってことなのか。
「はい。まみさんも。二人とも、別の家から貰われてきた養子なんです。でも、僕はまみさんの足を引っ張ってばかりです」
僕が思うに、まみちゃんはド派手で無鉄砲な方だ。このくらい落ち着いて慎重で優しげな子が相棒になってくれるんなら、かえって、いい組み合わせかもしれない。
でも、二人の仕事内容もろくに知らないような僕が言ったって、意味がないだろう。そう思って、僕は黙って、担架に続いて階段を上がった。
まみちゃんの仕事の一端は、この屋上で、僕にも多少は分かるように説明してもらえるのだろうか、と、淡い期待を抱きながら。