9. 『幕間』
――夢を、見た。
姉達との会話、華音や沙月の幼き頃の姿。
父と母の、前の姿。
――昔の夢を、見た。
凛雨は浮かべた涙を拭い、ベッドから這い出る。
メゾットタイプのマンションなので、部屋一つが、凛雨の自室の様なものだ。
「しかし、まさか龍斗だけでなく、櫂達もこのマンションだったとは……」
凛雨の家は、この高級マンションの一棟全てであるが、3人はそうでも無いらしい。
実家から自立し、ここでそれぞれ、一人暮らしをしているのだとか。
高校生なのに、生活の大変さを悟る。
「凛雨ー?学校遅刻するわよ〜?」
華音の声と同時に、部屋のドアが叩かれる。
朝食は出来たのだろう。
凛雨の家族……木舟一家は、毎日3階の部屋で食事を取る。
如何に一人一部屋とて、家族団欒が出来ない訳では無い。
白い掛け布団を剥ぎ、洗顔と身支度。
洗面所の白い器は、凛雨の潔癖症やシンプル思考を、丸ごと再現しているのである。
白を基調にした部屋は、落ち着いているのか、逆に落ち着かないのか。
シンプル・イズ・ベストを掲げる凛雨にとっては、天国に値するが。
「凛〜雨〜?」
「分かってる。すぐ行くよ」
制服を着た凛雨は、先程から黙って支度を手伝っていたメイドを一目見、外で待っているであろう姉の元へ行く。
――昨夜の嫌な夢が、再び今夜に現れない事を願いながら。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「楽しかったのか?」
即座にそう聞かれた。
彼に、何と答えたら良いのか。
悪い受け答えをすれば、どの様な事が待っているのか。
限りなく未知数に近い。
尖った耳をその細い指でなぞり、彼は不敵な笑みを浮かべる。
青年は――綾は、困った様に眉を顰めた。
「はい。とても。凛雨さんもですが、ご家族の方も大変お優しく」
「そうか」
自分から聞いておいて、興味のない素振りを見せる。
しかし、綾が注目したのは、薄暗い部屋の中で光るゲーム画面だった。
「またゲームを夜遅くまでやっていたんですか?――梨都」
「……違うさ。徹夜かな」
少しも悪びれずに舌を出す姿に、綾は溜息を吐いた。
昨日は顔を出さず、部屋に籠りっきりだったので来てみればこの様子。
10年以上の付き合いでも、未だに慣れない事が多い。
大体、綾は潔癖症では無くとも綺麗好きではあるのだ。
その彼に、ゴミ屋敷の様な梨都の部屋は、目を覆いたくなる光景である。
「梨都。体を悪くします。早く寝ろとは言いませんが、せめて徹夜は避けて」
「うぃー」
何度も言った台詞を口にして、嫌気が刺す。
梨都はいつの間にか、パソコンのゲーム画面に目を戻していた。
一体どこから聞こえるのか、器用にヘッドフォンをしながらの会話。
大方、精霊の力でも借りているんだろう。
彼と契約している精霊は、多数いる。
綾は呆れ顔でもう一度、溜息を吐いた。
「なぁ、綾」
「何ですか?」
「凛雨って奴、どうだった」
「凛雨さんですか?とても綺麗な方でしたよ。華音さんとお母様似らしく、茶髪で素敵な顔立ちです」
「あっそ」
虫を追い払う様に手を扇いだ梨都を、綾は軽く睨む。
「もう学校が始まります。急いで用意を。次は、遅刻したら許しませんよ」
「分かったよ。ご丁寧にご苦労さん」
尖った声すらも肩透かし。
梨都を止められる人材は、依然としていないままである。
「――保護者役だからって、世話焼いてんじゃねーよ」
「そうですか。なら、結構です。僕は先に行きます」
ご機嫌斜めになった梨都をおいて、綾はドアを開ける。
後ろから聞こえるスマホの通知音や着信音。
恐らく、瑠衣達からのメールだろう。
聞こえているくせに、梨都は聞こえないふりをする。
「あの子が瑠衣達と話さなくなって2年。いい加減、話してくれないものでしょうか」
綾の虚しさすらも、梨都は聞こえないふりをする。
ガチャン
ドアが閉まり、周りは静寂に包まれた。
その中で一人、綾が言葉を漏らす。
「誰か……。いえ。あの方なら」
彼は今もこのマンションにいるであろう、木舟凛雨に賭けたいと願った。