5. 『魔法使い×3』
「――と言うわけで、木舟さん、これからよろしく」
美形の少年が、少女に問いかけた。
霜峯櫂の言葉に、凛雨は頷く。
オリ合宿の司会に選ばれて以降、女子達から嫌な目をされつつ、仕事を受け持っているのだ。
廊下からは、生徒達のはしゃぐ声がする。
駆け出す音も、話し声も、準備室に漏れて聞こえた。
昼休みで、皆浮かれているのだろう。
――バリン
「ここなんだけどさ――」
凛雨が言いかけた瞬間、窓ガラスが割れる音がした。
綺麗に尖った破片が凛雨を襲い、彼女をガラス面に映す。
右手を伸ばした。さらに、ガラス片の前まで大きく伸ばす。
そして、何かが音もなく消えた。
破片が凛雨を目掛けてぶつかりそうになったため、即座に物体消滅させたのだ。
パラパラと、粉の様なものが落ちる。
物体消滅。言わば、魔法攻撃の様なもの。
『魔法使い』である凛雨には、そのくらい容易いことだ。
「大丈夫?」
櫂の声に、凛雨は呆れた顔を絶やすことなく説明する。
「霜峯くんは女子に人気だからね。嫉妬なの、嫉妬」
懲りないよね、と肩をすくめて見せると、案外彼は面白そうに笑った。
「何が面白いの?」
「いや、木舟さんは凄いなあと思ってさ。破片が飛んできたのに、けろっとしてるから。びっくりするよ」
笑いを押し殺した様に言われると、神経を逆撫でされた様な気がする。
昼休み。準備室にて会議中(と言っても、二人しかいない)。
そんな彼女達を襲っていくのが、ファンクラブの恐ろしさ。
一々付き合うのは、身の為ではない。
「それで、オリ合宿って、ここで――」
先程中断された質問を再度しようとすると、スマホの音が鳴る。
音の元からして、凛雨のだと言うことはすぐに分かった。
「ごめん。ちょっと待って」
電話の主は誰かと、スマホを見る。
そこに映っていたのは、凛雨の電話に関してだけ苦手な人物で。
即座に切るボタンを押そうとする。
「えっ?受けないの?」
彼が心配そうに声をかけるものの、迷わず切る。
同じ顔のまま、息を吐いた。
「ゆっくり話してても良かったのに」
「違う。この人は、ちょっと――」
また、スマホの着信音。
凛雨の頭に、怒りマークが浮かんだ。
また切る。
またまた着信音。
またまた切る。
またまたまた着信音。
さすがに耐えられず、苛ついた声で出る。
「なに?」
《やった!ようやく出てくれた〜》
「それ、狙ってたでしょ!切るよ」
《駄目よー。今どこ?》
「まだ12時くらいだよ!学校!!」
《あーそうなんだー。ごめんねー?》
「で、用件。大事なんだろうね?」
《凄くじゅーよう。晩御飯、何がいいー?》
プツッ。
スマホを切る。
「切っちゃって大丈夫!?」
怒っている凛雨に向かって、焦った様に言う櫂に、凛雨は観念した様に答えた。
「――さん」
「え?」
「姉さんなの。電話の主」
「あっ。そうなのか。そっか、ごめんごめん!」
学校の中だと言うのに、姉の怖いもの知らずは困りものだ。
「お姉さんがいたんだね。俺は一人っ子だし、考えてもみなかったよ」
爽やかな、と言えば良いのだろうか。
当たり感触の良い彼の笑顔は、瑠衣の可愛らしい笑顔を越える。
「面倒臭いよ。姉なんて」
「そうかな?俺は羨ましいよ」
「それ、兄弟がいないから言えるんだよ」
ふと掛け時計に目を向ける。
昼休みが終わるまで、後もう少しあった。
「ここで、お昼食べていい?」
「いいよ。あ、俺はお昼抜きだなー。購買、多分ほとんど売り切れだと思うし」
残念そうに肩を落とすも、綺麗な顔は崩れない。
その辺り、龍斗や瑠衣とは大違いである。
「ボクのを食べる?口つけてないし」
我ながら、割と配慮した甲斐あって、と言えば良いのかは迷うが、彼は嬉しそうに頷く。
「じゃ、文句言わないでね」
龍斗なら、間違いなく言っているだろう。
ただ、凛雨の弁当に関して、文句をつけたことが無いのも、事実である。
弁当箱を近くの机に広げ、中を開ける。
櫂から出てきたのは、驚きと感嘆の声だった。
「すご……」
中身は普通の弁当。
と言っても良い出来栄えだった。
卵焼きに、白米とふりかけ、ロールキャベツとウインナーという定番料理。
デザートにはメロンという、まぁ少しだけ豪華だが、常識範囲内の弁当。
しかし、彼は、箱の中を緑色の双眸で見る。
まるで小さな子供の様に、瞳を輝かせて。
近くの鉢植えの花が、綺麗な花を咲かせた。
「君、『魔法使い』なのか。しかも、草木に影響を及ぼすんだね」
「ん」
一言言うと、微笑する彼の姿が窓ガラスに映る。
それも、ファンクラブが見れば失神しそうな笑みで。
思わず呆れてしまう。
キュン死、という言葉が、頭に浮かんだ。
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「木舟さん!龍斗くんと櫂くんに、女々しい事なんて、しなかったでしょうね!?」
「してなかったでしょうね!?」
準備室を出て、ファンクラブの攻撃に遭った。
大変迷惑だ、と思いながらも、あの姉よりはマシだと思い直す。
姉のある意味の度胸。
それに助けられることもあるものの、基本はピンチの引き金になることが多い。
「別に。どうだろうね」
曖昧な返事を返し、教室へと引き返す。
「ちょっ……!待ちなさいよ!どういうこと!?」
相手の手中である。
策略に長けているわけでは無いのだろう。
ありがちな嫌がらせを本気にするとは。
しかも、龍斗に関係ある?
少し幻滅。
ファンクラブ会員を振り切って、廊下を進む。
自然と溜息が出た。
「はぁ」
「お、お疲れ様……」
教室に入る。
声を掛けてきたのは、由奈だった。
「ねぇ、君のせいだって、分かってる?」
「ご、ごめんなさいっ!ど、どうしてもそのあの」
明らかに不機嫌な表情で席に着く。
昼食の後で、眠くなる時間帯だ。
うつ伏せになって、軽くうたた寝する。
「凛雨さん、あのさ、わ、私っ、図書室に用事があってね……?」
「あ、そう。じゃね」
「じゃなくて!」
由奈の本気で怒った顔を見る。
何かを言いたいのか、口をもごもごとさせた。
「いっ、しょに、ついてきて欲しいのですがっ!」
「やだ」
「え!」
勇気を振り絞ったのだろうが、凛雨はあっさり切り捨てる。
隣で暫く、うぅー、と唸った彼女だったが、流石に諦めた様だ。
項垂れた由奈の顔は、少しだけ不憫に思えたものの、凛雨に慈悲という言葉があるだろうか、いや無い。
うたた寝再開。
「行ってあげれば?」
上から声が掛けられる。
5月にしては寒い風を感じ取り、危機感を募らせた。
「ふぇ!?」
情けない声を出した、由奈の隣にいたのは、
「稲嶺さんか……」
千隼。
青い瞳に、黒髪。
その白い手には、冷気が込められている。
宣戦布告。
対抗するかの様に、凛雨も花瓶を浮かび上がらせた。
臨戦態勢の二人に、由奈だけが、おどおどとしている。
「氷の『魔法使い』にしては、礼儀がなってないんじゃないかな?」
「お前よりは、幾らかマシ。すぐに跳ね返すなんて、相手の気持ちを汲んで無い」
「汲む必要があるんだったら、そうするけどね」
「それが失礼だと言っている」
「あ、あのぅ〜」
あなたは
「「 黙ってて」」
由奈は
「はぃぃ」
一番の被害者は、由奈であると、断言しておく。
他でもない、由奈が被害者である。
由奈は小さくなって、縮こまった。
それに対し、白熱する二人は、ヒートアップの一途を辿っている。
しかし、凛雨はある事に気がつく。
千隼の口調は、明らかに由奈の為ではない、という事を明確に表しているのだ。
何故なら、由奈が心配であれば、千隼が図書室について行けば良い話だからだ。
何も、付き添いが凛雨である必要は無い。
仮に、由奈が傷ついたことが許せないのだとしても、そこまで言う話でもない。
根拠として、由奈を気遣う台詞が無いこと、由奈の態度からするに、面識すらないことが挙げられる。
これらの点を踏まえると、ある結論が導き出された。
「稲嶺さん、君、どうしてこんな言うのかな?」
「何?気に入らない?」
「いや、そうじゃないんだよ。何故、関係無いはずの由奈の肩を……というより、ボクに突っかかるわけ?」
「――!」
「当たりかな?」
「ち、違う!」
明らかに顔色が変わった千隼に、由奈が「そうなんですか?」と尋ねる。
しかし、無視を決め込んだ彼女に、それは通じなかった。
更に凛雨は問い詰める。
「ボクは君に対して、何かをしたとは思っていない。むしろ、つい一月前からしか、会っていないじゃないか。それも、会話を交わしたことすら無い。一体、ボクの何が気に入らないのかな?」
「確かにお前は気に入らないが、お前に対しての態度は、そう言うことじゃない!」
さらっと、爆弾発言をし、自らの意思を公表。
その様子を見、凛雨は吐息した。
「君ね?ちょっと単純すぎだよ。君のそれは、由奈に対してではなく、ボクの嫌がらせとして行っているだろう?だったら、何を言おうが、説得力皆無だって理解してる?」
「お、お前――!!」
氷の飛礫が凛雨を目掛けて飛んでいく。
それをあっさりと物体消滅させ、恨めしさのこもった目を向けた。
「あのねぇ、力技で済むってものじゃないでしょ?」
「だから――」
千隼が言いかけようとした瞬間、騒ぎを聞きつけた櫂がやって来た。
「木舟さん、稲嶺さん……?何してるの?喧嘩?」
「その類だ」
「こいつが仕掛けて来た」
「君、ボクのせいっていうのは、早計ってもんじゃない?君が仕掛けてたのは、全員見てるんだし」
「〇〇ちゃんのせい!」「ちがうよ!!」
という、幼稚園時代の一幕が思い浮かんだ。
それは一旦置いておき。
ごく普通に罪をなすりつけようとした千隼に一撃浴びせ、凛雨は櫂に事情を説明する。
「ちょっとした諍いだよ。案ずるほどでも無いよ」
「そう?それなら、いいんだけど……。司会者が騒いでたら……ね?」
心配になった、ということ以外に、オリ合宿の司会者である以上、軽率な行動は取らない様に、といったところだろうか。
凛雨は軽く両手を上げ、降参した。
「ボクが悪かったよ。これからは気を付ける」
「ん。良かった。分かってくれて」
「何を二人でわかり合っているんだ!依然として、此方の問題は解決していないんだぞ!」
千隼の不満に、櫂は困り顔を作る。
周りにいる野次馬が、その顔に黄色い悲鳴を上げた。
「君ね、もう昼休みは終わるだろう。あぁ、由奈の話?それは放課後でもいいなら、ついて行く。これでいいだろう?他に何か?」
「うっ」
「用がないなら、終わりでいいかい?いい加減、この様子にも飽き飽きして来た頃だ」
女子の野次馬が時が経つごとに、増えていく。
それを横目に、由奈が頷くのを待って、『放課後、図書室に寄る』という項目が、スマホのスケジュール画面に表示されたと、明記しておこう。
そうまでしても、千隼の怒りは収まらない。
一体、何が不満なんだろうか。
「分かった。でも、この件はまだ終わってない」
「一体君は、何をしたいんだ……」
「あはは……」
よく分からない少女である。
櫂も、少しだけ苦笑した。
むっ、とした表情は、ほんのりと赤く染まっている。
キーンコーンカーンコーン
櫂の苦笑も混じった昼のチャイムが、高らかに鳴り響いた。
集まった4人(+野次馬)も、各々の席へと急ぐ。
「きゃー!!次、理科A!?あの先生かっこいいわー!狙お!」
「絶対やめなさい」
「やった!寝られる!」
「そういう問題じゃないでしょ……」
「だる〜い」
――とにもかくにも、放課後に図書室へ行く、という日程が、新たにできてしまった5月のとある日だった。