⒊ 『自己防衛』
「全く、驚いたよ」
「りうりうー、大丈夫?」
凛雨に声をかけるのは、先程階段から落ちた彼女を助けた、五大王子の一人、夕凪瑠衣である。
「お前、ほんっとにドジだな」
「うるさいよ。傷口に塩を塗らないでくれ」
横から口を挟んだ龍斗に悪態をつき、手をひらひらと動かして体の無事を確認する。
階段から落ちていれば、ただでは済まなかった。
指の調子を確かめる。
どこにも傷はなさそうだ。
「何も校舎裏じゃなくて良くない?」
「ボクが嫌なんだ」
瑠衣から掛けられた言葉に、凛雨は首を振る。
ここは校舎の裏。
殆ど生徒は来ないから、助けられた直後に、瑠衣を引っ張って来たのだ。
それを追って、何故か龍斗までいる始末だが。
「周りの注目を浴びてしまったよ」
瑠衣のファン達が凛雨に嫉妬し、危うく階段のせいではない怪我を負わされるところだった。
あの親の仇の様な目を思い出す。
体全体に寒気が走った。
「だけどー、あのくるくる達に啖呵切った時の方が、僕は凄いと思うなあ」
「掘り返さないでくれ……」
凛雨は頭を抱える。
しかし、何故それを瑠衣が知っているのか。
大方、ファンが噂していたのだろう。
明日から75日間は、その話題で持ちきりだろうか。
朝の生徒達の騒ぎ声が聞こえる。
日差しの降り注ぐ中で、新緑に覆われた風が、凛雨の頬を撫でる。
落ちて来た横髪を掻き分けた。
そして彼女を見つめる視線に気づき、少し顔を上げる。
見つめる視線は頬を赤らめ、愛しいものでも見る様に凛雨を淡い青の双眸で見る。
「なに?」
「りうりう、可愛いね」
「はっ!?」
見ていたのは、瑠衣だった。
後ろ盾を両手を繋ぎ、太陽の様な笑顔を向ける。
凛雨は、慣れない褒め言葉に惑わされつつ、何か裏はないかと黙視した。
別に、疑わしき要素はない。
「こいつに策略は無理だ。安心しろ」
「りゅうー、それ酷くない?」
心を読んだのか、龍斗が口を挟む。
不満がる瑠衣はともかく。
その言葉で、凛雨はようやく緊張を解いた。
「僕、何もしないよ?りうりうって、疑り深い?」
「凛雨は、そういうレベルじゃないから」
「じゃあ、どういうレベル?」
「あ、それは」
凛雨が止めに入る前に、龍斗が口走った。
「凛雨が風邪で、見舞いに行ってやったら、目ぇ覚まして開口一番『変態!!』って言って、枕投げつけて来たり?」
「それはイタイねー」
「ああ。色んな意味でイタかった」
昔の事をいつまでも根に持つのは、龍斗の悪い癖だ。
と思いながら、被害者(自称): 凛雨は、前髪を弄る。
「まぁでも他人をすぐに信用しないところは美点でもある(棒読み)」
「タシカニネー(棒読み)」
「棒読みだと説得力が、倍くらい薄れるよね。不思議」
二人揃って意地悪な、と言いたくなる。
明らかに機嫌を悪くした凛雨に、二人は苦笑した。
「それよりねー、何でくるくると、りりぃと喧嘩したのー?」
可愛らしく首を傾け、瑠衣が問いかける。
くるくる、りりぃ、と言う愛称。
明らかに美来と、莉々の事だろう。
「僕ねー、ずっと気になってたんだよー。何でー?」
凛雨は言いにくそうに目を逸らした。
まさか、最下位の子が可哀想だったから、とは言えない。
しかも、男子に向かって、人気ランキングの話をするのは気が引けるし、投票した当本人に向かって言うのも、何故か癪。
「もしかして、人気投票?」
即バレた。
観念して、白状する。
「まぁね。男子達はどうしてするんだろうね。それに便乗する、ボクら女子も悪いけど」
「人気投票か。興味ねぇ」
「嘘お!りゅう、りうりうに投票してたでしょ〜。僕、知ってるんだからねー!」
「なっ……」
龍斗が顔を赤らめる。
この様子を見ていると、否定はない様だった。
男子達の裏事情。
女子の便乗による煽り。
普通の高校と、さほど変わらないじゃないか、と思う。
凛雨は、美来や莉々の煽りを思い浮かべた。
「ここまで醜態を晒されると、逆に気の毒になるよ。ボクには理解し難いな」
美来も、莉々も、自己中心的だ。
相手の心を踏み躙り、痛めつける。
そして、自分をも傷つけて。だから――
「――そんなこと、言わないであげて」
突如、そんな声が投げ掛けられる。
凛雨を見つめる瞳。
瑠衣の瞳には、微かに同情と共感があった。
「それしか、方法がないんだよ」
「瑠衣……」
龍斗が目で応じる。
その中の心情を感じ、少しだけ俯く。
凛雨も、小さく謝った。
「他人を傷つけることしか、自分を守る方法がないんだよ。お父さんも、お母さんも守ってくれないから。誰も自分を、守ってくれないから。『自己防衛』って言うのかな。ある意味、仕方がないのかもしれないよ」
瑠衣の目には、涙が浮かんでいる。
まるで、自分の事に重ねているかの様に。
気持ちが、理解できるかの様に。
「父さんも、母さんも守ってくれない……か」
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「――かあさん」
「呼ばないで。その呼び名で、呼ばないで」
母の背中からは、冷たい表情しか読み取れない。
見ようともしない。
見向きもしない、その感情に。
ただ一筋の、涙が伝う。
「かあ、さん?」
救いを求める様に、手を伸ばす。
そしてそれを、無惨にも払われる。
「あんたなんて――」
冷たいイロが、辺りを包む。
周りの温かいものを、無くしていく。
温かい母を、無くしていく。
「あんたなんて、産まなきゃ良かった」
――母の目に。涙が、伝う。
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「――う?りうりう?大丈夫?」
瑠衣の声に、思考が引き戻される。
「ごめん。ちょっと僕、言い過ぎちゃった?」
「そんな事は無いよ。ただ、昔の事を、思い出してて」
凛雨は遠い目をする。
ただただ、昔の事を見る様に。
「お前がぼーっとしてるから、こっちが心配になんだよ」
「龍斗らしくない、直な言い方だね。なんかあった?」
「心配した割に、すげぇ馬鹿にされてんのは分かった」
軽口の掛け合いも、いつも通り。
これが平常運転だなんて、過去の自分から言わせてみれば、笑える話。
「りうりう、くるくる……美来達のこと、よろしくね」
「瑠衣……」
「二人とも、助けを求めてる」
瑠衣の瞳は、自分自身を見ている様で。
それでいて、自分ではない誰かを見ている様で。
凛雨は泣きそうになった。
「分かったよ。と言っても、別段ボクに何かできるとは思えないけど、努力してみる」
「ん。ありがと」
あの日は、母がどこかに行ってしまう様だった。
それで、必死に追い求めて。
あの時払われた手が、包み込まれた様に。
あの時払われた心が、大切にされた様に。
幸せは、いつか必ず来るから。
と、柄にもない綺麗事を言ってみたりした。
「今度は、みんなに会えるといいね!」
誰だか分からない『みんな』にも、これから出会えるといいな、と思う。
知りたい、と思う。
『自己防衛』を行う美来達の事も、もっと。
――知れたらいい。
狙ったかの様に、予鈴が鳴る。
瑠衣とも別れて、教室へと急ぐ。
「あいつも、苦労してんだよ」
――それは、龍斗もだ。と、そう呟いた。