10. 『オリエンテーション1日目・【魔獣】』
「お、おはようございます!凛雨さん!」
「お前、まだいたのか」
「おはよう。それと稲嶺さん、君にはノーコメントで」
人集りの合間を縫って来た2人。
咸鬼羽由奈と、稲嶺千隼である。
今日は彼女らも少しだけ、お洒落で余所行きの格好を否めない。
由奈は桃色のフリルの付いたワンピース。
尖色でふんわりとした髪を一つに束ね、リボンが飾ってある。
千隼は黒髪と揃えた黒のジーパン。
白いブラウスと共に、由奈とは違った雰囲気が楽しめる。
青い瞳と同じ色の靴。
肩に付く以前に切り揃えられた髪は、飾りかが無く、シックと言えば良いのか地味と言えば良いのか。
「わ!凛雨さんもお洒落……なんてしたり――」
「しない」
即答した凛雨のコーデは、ベージュの肩出しトップスに白のプリーツのミニスカート。
ソックスは黒にして、靴はブラウンのスニーカー。
その緋色の瞳に薄く宿る厳し目の光は、千隼と由奈に向けられているのだろう。
「木舟さん」
呼び掛けた凛とした声。
近くで黄色い悲鳴が聞こえた。
後、誰かを押しのける音も。
……そこにはノーコメント。
「おはよう。今日の司会なんだけど、主にレクリエーションの時間帯になりそうなんだ。そこの時間の確認だけしてもらえるかな」
「分かったよ。君も忙しいんだろう?こっちの事はボクが出来る限り片付けておくよ」
「ありがとう。助かるよ」
綾に続いて、何かと面倒見の櫂。
頼まれた事を断れない性質なのは、見ていて物凄くよく分かる。
先週は、女子生徒にレクリエーションの劇の代役を頼まれていた。
一昨日は、新聞委員のインタビュー原稿を手伝っていた。
昨日は、記録係の手伝いをしていた。
「一体、いつ寝ているのさ、君は」
「? いつも寝てるけど。そこまで大変な仕事でも無いからね」
「素でやってるから笑えない」
櫂との会話に断念、次に移る。
視線の先には、列になって大きなバスに乗る生徒達がいた。
その最後尾がバスに乗り込んだのを確認し、凛雨達も移動の準備を始める。
「そろそろ時間みたいだ」
「はい!それにしても〜、オリエンテーション、楽しみですねっ」
「何と言っても、キャンドルサービス」
「稲嶺さんがそんなこと言うなんてね。好きな人いるわけ?」
「いる!……できる…はず……そのうち…」
――この様な会話があった事も付け加えよう。
一同はバスで移動する。
目的地は東京から少し離れた、山梨県まで。
バスでは各々、決められた席に着く。
「何故、お前と……」
「ボクもね?多少不思議に思うよ。君と隣の席だなんて。一言申したいくらいだ」
「ワタシも同意見だ。木舟」
「ボクも同意見だよ。稲嶺さん」
それが、2泊3日の、オリエンテーション合宿の始まりであった。
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バスの時間は、退屈では無かった。
それはそれは快適で、組毎に移動するのだが、他のクラスの乗っているバスがすれ違うと、それなりに騒いだものだ。
バスは今、山奥を走っており、人集りも無く、安心して寛げる場だった。
だが、凛雨は一人、物思いに耽る。
「昔の夢を……見たのは、いつ頃以来だ……?」
黙りこくって窓を見つめていたせいか、千隼が通路側から振り返って問う。
「何をぶつぶつと。それ程嫌なら、帰れば良いものを」
「あのねえ、君。席が嫌なのでは無いが、帰れと言うのは酷すぎやしないかい?キャンドルサービスでお相手がいない、稲嶺さん」
「皮肉か。まあいい。ワタシもお前と言葉を交わす気は無い。ただ……」
千隼が言葉を詰まらせた。
そこにつけ入り、凛雨が先制攻撃を仕掛ける。
一瞬顔を顰めた千隼が、凛雨の右にある窓ガラスに映った。
「ただ……?」
「……お前はどうして、自ら大切な人を拒む?意味が分からない」
凛雨は肩をすくめ、千隼に挑発を繰り出す。
彼女は更に顔を険しくして、凛雨を睨み返した。
「さぁね?自分でも悪癖だとは思っているが。それを言うなら、君だってそうじゃないか。そんなにボクを嫌ってさ」
「――ワタシは、お前が嫌いだ」
「ボクも君を好いてはいない」
犬猿の仲と言うべき間柄に。
由奈は明るい話題を振る。
「み、見てください!可愛いワンちゃんがいますよ〜!」
由奈の見る先に、白い毛の大きな『犬』がいた。
白い毛、白眼。
不思議な雰囲気を纏う、『犬』。
『犬』は、向かいの窓……由奈の近くに近づく。
由奈も無防備に、ソレに近づいた。
「大きいワンちゃんですね〜っ」
楽観視する彼女は良いとして、これは――
「由奈、離れろ!」
「咸鬼羽!」
二人が叫んだのと同時、窓ガラスが粉々に砕ける。
破片が由奈へと迫った。
驚いて動けない彼女を凛雨が抱き、破片の雨を避けていく。
破片から由奈を守り、凛雨は即座に自分の席に戻ったのを見、千隼は破片を大きな氷で覆った。
「り、凛雨さんっ?これは一体――」
「――アレは、『犬』じゃない。『魔獣』だよ」
「『魔獣』……っ」
白い『犬』……否、『狼』。
大きな体。鋭い爪。
しかし、何よりも特徴的なのは、その白眼の中に浮かぶ、異様な印だろう。
簡易の魔法陣の様な、『魔獣』特有の印だった。
赤紫に光るソレは、不気味に輝き、周囲の緊張を募らせていく。
「『魔獣』……?何で…」
「由奈、それは今じゃない。龍斗!」
凛雨の掛け声に目で応じ、龍斗は『魔獣』に飛び掛かる。
千隼が遠隔戦を強いられる中、龍斗が『魔獣』へと暴挙に出ている。
その間、凛雨は外に由奈を降ろし、最早戦場と変わり果てた車内に帰還した。
「動ける奴は、外に出ろ!」
幸い、此処には人流が微塵もない山奥。
『魔獣』や自分達『人外』を誰かに目撃される心配も無く、それこそ殆どの生徒を含め教師も下車。
唯一残ったのは、バスの運転手と凛雨と千隼、龍斗のみだった。
櫂は下車する生徒達の護衛、由奈は精神状態による戦闘不能、そもそも瑠衣達とは、もう大分離れてしまっている。
相手は『魔獣』で、それも相当な戦闘力を持ち得る『魔獣』。
客観的に見て、明らかな戦力不足。
だが、そんな考え、凛雨達の前では愚問だった。
龍斗が拳を振り上げ、『魔獣』を襲った。
千隼は魔法で『魔獣』を威嚇、バス車内が冷気に包まれる。
凛雨は『魔獣』の攻撃をあっさりと避けるのみだ。
千隼の氷の飛礫が『魔獣』を直撃、龍斗の足蹴りも命中した。
立て続けに、千隼の推定30本の氷の矢が当たる。
その攻撃にも、『魔獣』は何ら問題無さそうだ。
凛雨の何もせず、傍観している姿に、千隼は多少の……かなり苛立ちを見せた。
「木舟!何をやっているんだ!協力しろ!」
怒声を飛ばすも、肩透かし。
凛雨は依然として目を閉じ、固まっている。
龍斗が凛雨の姿を見て、頬を強張らせた。
「おい、稲嶺。――離れろ」
「は?」
「もっと遠くに離れろ」
小声で言う龍斗に、千隼は疑問をぶつける。
が、龍斗の迫力に圧され、急いで『魔獣』から距離を取った。
それを見届け、凛雨は茶髪を自ら撫で付ける。
緋色の瞳に浮かぶのは、悪意や憎悪、感動や哀愁、様々な感情が入り混じったモノだった。
「そろそろ、ボクも本気を出したいなあ」
指先から出る燐光、それが『魔獣』に注がれる。
立方体の空間が現れ、凛雨を除いた――つまり、『魔獣』を取り囲んだ。
「もう少し、楽しめると思ったんだけど」
突如、立方体――異次元空間の中に色が満ち、中が見えなくなった。
周りには静寂だけが満ち溢れる。
その中で凛雨だけが、不敵な笑みを浮かべていた。
「ウォォォーンッ!!」
『魔獣』の悲鳴。
それを、運転手含めた千隼達が呆然と凝視する。
これは、勝てるのではないか。
誰もが希望を見出した。
だが、予想に反し、凛雨の表情が一気に強張る。
「……意外だ。ここまでやるとはね」
凛雨が悔しそうに呟いた、時。
異次元空間が消滅、中から傷を負った『魔獣』が現れた。
龍斗が目を見開く。
千隼も『魔獣』の強靭さに息を呑んだ。
「今すぐ消えれば追わない。『魔法使い』の身分に誓う」
それをじっと傾聴し、『魔獣』は方向を変える。
千隼が氷で追うも、凛雨に阻まれた。
「何をする!」
「誓ったからだよ。ボクは、誓約は守りたい主義なんだ」
凛雨も方向転換し、千隼達に笑いかける。
否、微笑と言うべきだろう。
「こう言う事態は想定内。ボクらが何かすれば、エーテルやアストラルに釣られて『魔獣』もやって来るだろうさ」
想定内と言い切る凛雨。
千隼と龍斗が承諾するのは訳無い。
実際、事実なのだから。
――車内は安全だが、まだ油断は禁物。先生達への報告を頼む。――
平然と言い放つ彼女を、運転手の悲鳴が遮った。
「うわあああっ!!」
その悲鳴に、場にいた全員が振り向く。
運転手は凛雨達を指差し、怯えた眼差しを向けた。
直後、凛雨の指示により千隼と龍斗が離脱。
教師の報告の為に走る。
だが、その足は運転手に止められた。
「うっ」
「『人外』だ!異人だあッ!!」
「不快感を覚えるな、その台詞」
「『人間』じゃないやつが、偉そうに言うな!!殺し屋!」
「――っ」
凛雨が両手を翳す。
途端に、運転手の男が気を失った。
再び、沈黙が降りる。
それぞれ、考える事は同じくして、声に出せずにいた。
運転手の言葉。
曰く、それは差別と言う。
曰く、それは偏見と言う。
曰く、それは『人外』の運命と言う。
「……気絶だよ」
その沈黙を破る様に、凛雨が静かに呟いた。
凛雨の瞳は何も語ってはくれない。
そして、確信の様で、縋る様で、祈る様な言葉を、紡いでいく。
「『人外』を憎んでいるのは筋違いだ。古い考えだ。そもそも、『人外』って言う概念がおかしいんだよ。本当に」
「木舟――」
「…………」
「アストラルの違いだけで、これ程言われるなんてね。それこそ心外だ。不思議だ。とても、疑問に思うよ」
呼びかける以外、何も出来なかった千隼。
口を噤んだ龍斗。
2人が感じる事は、覚えの無い謂れによる、疑問と憤怒だろう。
そんな2人に、もう一度指示。
彼女達は、直ぐにバスを下車するが、耐え難き怒りはその場を包んでいた。
何故、これ程まで言われなくてはならないのか。
何故、此処まで愛せない世界になってしまったのか。
『人外』の恨みが、復讐心が、燃え盛る様に眼光を鋭くさせる。
悲しみを、虚しさを増倍させる。
「運転手の事は、此処だけの内密の話だ。外に出よう。ボクらを心配しているかもしれない」
「そうだな」
「分かった」
どちらがどう言ったのか、全く覚えていない。
覚えていないが――
「ボクは、『人外』が殺し屋だなんて思わない。……保身かもしれないけど。異様な力=殺戮へとは結び付かない。よくアニメとかで見る強者が弱者を倒す様に、それを成し遂げたいと思う者もいれば、思わない者もいる。十人十色って言葉、辞書で引いてごらん」
誰に言っているのか、自分でも分からなかった。
ただ、自分達を慰めてくれる存在が欲しい。
誰もが刹那、そう願う瞬間を代弁したい。
代わりに自分が、言ってやりたい。
それが、素直で無い凛雨が出来る、最大限の配慮なのだから。
目立たない、優しさなのだから。
仲間達が復讐心に支配されない様に。
そう祈る事だけが、自分に出来る優しさなのだから。
「凛雨、さっき、先生と話して来た」
「木舟、日浦先生の伝言。オリ合宿のホテルの方が学校より近いし、この山も危ないから、合宿は続けるらしいが、くれぐれも……」
「注意を怠らない様に、だろう?」
先にバスを降り、教師へと確認を急いだ2人からの報告を聞く。
距離的な考慮から、合宿を続ける方向で纏まったらしい。
移動手段はと言うと、聞くと徒歩で行ける圏内にまで、もう辿り着いていた様だ。
バスは『魔獣』との戦いで壊滅的な状態に陥っている。
また、運転手は気絶中。
徒歩で行くのが妥当だろう。
「由奈は?」
凛雨は、未だ姿の見えない彼女の様子を問う。
それが懸念でもあるからして。
「安心しろ。咸鬼羽は無事だ。多少、軽傷はあるがな」
「稲嶺さんが言うなら……って訳にもいかないかな。龍斗、どう?」
「そう仲間を疑うな。無事だよ」
「信用出来ないよ」
「俺に何のために聞いたんだ!?」
「――。――――。――。意味は、無いかな」
「悩んで、その結果かよ……」
龍斗が落胆する。
さて、気の抜けた雑談は置いておき、運転手の処分だが――
「心配無用だ、木舟。此方でそれとなく片付ける。蓮笹高校には、スパイ役がいるからな」
「了解したよ。よろしく伝えておいてくれ」
「ワタシが、お前の言う事を聞くと思うか?」
「……無いな。忘れてくれないかな」
掛け合いも本調子に戻りつつある。
外では皆、パニックになる様子も無く、心配だった重傷者はいないかった。
軽症者はいたものの、櫂の作り出した薬草で治療済み。
各々に、笑顔を取り戻しつつある。
櫂も怪我は無し。
他のクラスも無事だった。
櫂がバスに入ると同時に、運転手の男が連れ出されるのが見える。
その様子を見、凛雨は溜息を吐いた。
――運転手の男が話した事、会話。
全て、凛雨の心の内にしまっておく。
皆に言うつもりは無い。
言う必要が無いからだ。
全て、凛雨の中で処理する。
何事も、なかったかの様に。
でも、今は――
「木舟さん!無事で良かった……」
「今回のMVPは、間違いなく凛雨だろうよ」
今は、大切な仲間達と笑っていたい。
桜色に頬を染め、それを隠す様に手を口に当てる。
緋色の瞳に、一粒の涙が伝った。