1. 『まほう』
――「失礼します。お嬢様」
ドアを叩く音がする。
冷たい音が響いて、目が覚めた。
「ご朝食をお運びしました」
本当は嫌々なくせに、と悪態をつく。
日差しの降る部屋では、それさえも呑み込まれそうだった。
「お支度をなさって下さい」
冷たい指示に、嫌気が指す。
使用人らしい、スケジュール管理。
ベッドから飛び起きて、制服に手をかけた。
「凛雨様。お早くなさって」
凛雨は肩に付くくらいしかない、茶髪を撫でる。
「ボクにだって、怠い朝くらいあるよ?」
制服のラインに触れる。
朝のひんやりとした感覚が、指先を襲った。
余程気に食わないのか、使用人は口を挟む。
早くしろと急かす。
「龍斗様がお待ちです」
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「――それの、何が気に食わねぇんだよ」
「だって、酷いと思わないか?」
凛雨の愚痴を懸命に聞いてくれるのは、幼馴染の龍斗だった。
学校の5大王子の一人で、大変な人気者である。
――正直、目立ちたくないので、一緒に登校するのは拒否したいところだが。
「んなこと言ったて……凛雨――ボクっ子」
「言うなよ。それ、ボクでも治らないんだ」
凛雨は、一応女子である身。
龍斗はからかいこそするものの、それ以上追求はして来ない。
「とにかく!酷いだろう?急かす様に言ってさ」
「お前の家が羨ましいよ!態々、俺を迎えに行かせるほどだからなあ!」
凛雨の両親は、まぁギリギリ上級家庭、と言われる身だ。
そうでなければ、授業料諸々高い、蓮笹高校には行かせない。
因みに、凛雨の姉である華音とは、大学で青春を謳歌している真っ只中。
しかし彼女は、蓮笹高校が母校ではない。
次姉も、蓮笹高校とは別の高校の3年生である。
こちらも、人外では無いためだ。
「別に、向かいに来なくても良いんだよ。大変だろう?――目立つのやだし」
「今、最後にさらっと本音出たな」
「うるさいよ」
凛雨は鞄を持ち直す。
そして、去年の次姉の言葉を思い出した。
――「良かったわね、合格できて。姉さんも第一志望校受かってたから、間違いなく姉さん似!さすが私の妹だわ!」
心から喜んでくれた。
無論、次姉だけではない。
母も、父も、もう1人の姉、華音も、祖父も祖母も喜んでくれた。
「お前が学校行く時、親とじゃ行きにくいから、俺がいるんだろうが。気遣いすげぇな。凛雨の親」
普通の家庭では考えられない待遇。
考えられない配慮。
そう。
凛雨は恵まれている。
「ま、使用人には、毎度嫌な目をされるけれどね」
「贅沢言うな」
「だけど、母さん達がいつも激怒してるから、最近は露骨に嫌がられることは無くなったかな」
凛雨や龍斗の事情を知っているものは、いつも嫌な目をする。
じとっ、と湿っていて、それでいて乾いた様な目つき。
見るだけで、恐ろしくなる目つき。
「幸せ者だな」
「うん。幸せ!」
勢いよく即答する。
笑顔が眩しく朝日に輝く。
そう、美しいものに見えるだろう。
「そっか」
溜息を吐いた彼は、少し沈んで見えた。
「龍斗、大丈――」
不味いことを言ったかと、手を差し伸べる。
しかしその手は、別の誰かの手に阻まれた。
「いやーん♡龍斗く〜ん!何で他の人と来てるのよ〜っ」
「きゃーっ♡こっち向いて〜!!」
「かっこいいー!!」
どすん、と突き飛ばされた凛雨。
そしてファンクラブに押し潰されそうな、龍斗を恨めしげに見る。
「龍斗先輩!今日どこに行くんですか!?」
「ねぇねぇ!こっち見て!」
「やだ!あんた、退きなさいよっ!」
「嫌です!」
内輪揉め状態のファンクラブ『RYU』。
ご覧の通り、龍斗のファンクラブである。
「放り出された、ボクの事は無視なのか」
凛雨は半ば諦めた様に落胆。
そうだ、もうすぐ校門だったと思い立つ。
何とか凛雨との登校が噂になる前に、止めなくてはと思いつつも、ファンクラブの推しについて行けない。
「あ、えっと……」
「私!お弁当作ってきたの!」
「あの……」
「駄目!私の食べて!」
Loseという文字が、頭の中に浮かぶ。
軽く俯いた彼女に、飛んできた紙袋が当たった。
更に、一人の女子生徒が凛雨にぶつかり、凛雨は倒れる。
その途端、堪忍袋の緒が切れた。
タイミングを見計らう。
バリン
「うわ!?」
「キャーッ!」
龍斗が飛躍して屋根に飛んだ瞬間、ガラスの破片がファンを襲った。
鋭利な武器は、大きく上昇し、不自然に落ちる。
跡には、ファン達の怒声や悲鳴が聞こえた。
「ちょっと!魔法使ったの誰!?」
「指切ったぁ!」
「これ!サイコキネシスじゃない!?これ使うのって――」
全員が凛雨の方を向く。
「「「木舟さ〜んッ!!」」」
木舟凛雨は、やってしまったと膝をついた。
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「やってしまった……」
「そんな落ち込むなっての。魔法使ったくらいで」
「それが嫌なんじゃないか……!はぁ」
凛雨は酷く肩を落とす。
もう昼頃だというのに、その気持ちは一向に収まらない。
「ボクが『魔法使い』じゃなきゃ良かったよ」
凛雨は、魔法使いである。
魔女といった方が良いのかもしれないが、『魔法使い』と称しておこう。
何せ、『魔法使い』は、彼女一人ではないからだ。
「氷の飛礫飛ばすなぁ!」
「わっ!水降ってきた!」
「綺麗〜。お花がどんどん育ってる〜♫」
『魔法使い』は、学校中にいる。
それこそ、『魔法』という名の異能力を使った人間は、どこにでも。
他にも、異常な程の身体能力、『亜人』の様な姿、『人外』の姿を持ち合わせている者しか、この学校に通えない。
例え、入試で合格出来ても、その様な能力を持ち合わせていなければ不合格。
その為、頭の良い者でも落ちる程の難関校。
と、呼ばれている。
しかしながら、勿論、ある程度の学力は必要となるにせよ、『人外』はかなり入りやすい。
古くから『人外』は蔑まれ、いたぶられてきた。
『魔女』は悪者に仕立て上げられ、『亜人』は孤独に追いやられた。
『エルフ』は虫の類だと疎まれ、身体能力を持つ者は迫害された。
それは、今でも変わらない。
「何て子!」
「近寄らないで!」
「嫌ぁぁっ!来ないで!」
「お前なんか要らない」
そんな言葉ばかり浴びせられた。
耳を塞ぎたくなる様な罵声を、浴びせられた。
――でも、ここでは違う。
例え、使用人が気味悪がろうと、親が疎もうと、ここでは関係無い。
ここは――
『人外』専門の学校。
姉が行かなかったのも、『人外』ではなかったからだ。
『人外』の素質に、血縁は関係無い。
酷く、悪質な作り話に騙され、皆、血縁を怯えているだけだ。
でも、だからこそ。
一番分かって欲しい家族に、親に、兄弟に、分かってもらえないことがある。
それは、非常に辛く、悲しいこと。
凛雨も、何度も見てきた世界。
それでも。
ここにいる間は、皆、ただの『人』。
それが、蓮笹高校。
――『人外』の楽園。
龍斗は先に教室へ向かう。
見計った様に現れたのは――
「木舟さん!朝、龍斗君と来てたのは、どういうこと!?」
「やだ!一緒に登校したの!?」
「ファンクラブのルールを守ってもらうって、約束したわよね!?」
いや、してないんだけど、とは言えない。
カースト制度、と言っては何だが、ここも普通の高校と変わらない。
こういう人は、クラスに一人か二人、多いところでは十数人いるものだ。
面倒臭い女子No.1に選ばれそうなものだが。
凛雨は目を逸らす。
こういう時の対策――無視!!
クラスのあるあるだ。
こんな女子達は異様に目立ちたがる。
なくせに、教師の前だけは声が小さくなるという、大変要領がいい。
だから、無視をすれば良い。
別に、特段、何か起こるという訳でもないのだ。
「ちょっと!聞いてるの!?」
「ひど〜い!無視したぁ!」
「せんせーい!いじめですぅ〜!」
そんな、小学生じゃあるまいし、と思う。
――小学生でも、こんな幼稚なことしないぞ?
と思う。
「ボクは、偶々龍斗と会って、そのまま来ただけだ。特別、何かが起こった訳では無いよ」
仕方なく説明。
――無視作戦が、通用しないこともあるのだ。