8.落日
鋭く研がれた槍の穂先が、現世喰を貫いた。傷口からは血ではなく、黒い霧の様なものが噴き出して宙に溶ける。
同じ槍を振るっても、魔姫以外の者では現世喰に傷一つつける事は出来ない。そのせいで、この都市を守っていた守備隊はなすすべなく壊滅したのだ。魔法の制約というのは恐ろしいものだ、とグリーゼはいつも思う。
急所を突いた一撃だったらしく、現世喰はそのまま倒れて、ざあと音を立てて崩れ去った。
グリーゼは手の平に集まったエネルギーを見て眉をひそめる。
「ハクヨウの言う通りだな。確かにエネルギーが減っている……」
まだ日は高い。現世喰は昼夜を問わず、気まぐれに襲撃して来る。こちらの緊張感を緩和させず、疲弊させるかの様だ。思惑に乗るのは癪だが、来れば迎撃しないわけにはいかない。
グリーゼは都市ではハクヨウに次ぐ戦闘力を持つ魔姫だ。癖のある、濃い黄色の髪の毛がいつも風に暴れた様に跳ね散らかっている。
槍をひと振りし、グリーゼは踵を返した。
人の営みがなくなった都市は、短い間に荒廃している。幾度となく行われている戦闘の為、廃墟は崩れて瓦礫の山があちこちに点在している状態だ。
その間を縫う様にして、グリーゼは拠点へと向かった。かつて、まだ魔姫の仲間たちが多かった頃には、都市内部まで現世喰が侵入して来る事はなく、この辺りも畑にしていたっけ、と思い出す。
魔姫の数が減り、防衛に手が回らなくなるにつれ、現世喰たちは城塞を破壊し、都市内部に侵入した。現世喰が侵入して来れば、そういった土地もエネルギーを吸われて死んでしまい、もう植物なぞ育たなくなる。それで駄目になった生産拠点などは少しずつ放棄された。
あの頃は、まだよかったな、とグリーゼは思った。魔姫も多く、まだ希望を抱く事が出来ていた。守るだけではなく、こちらから現世喰を狩りに出かけ、得た生命エネルギーで畑を広げたりした。
戦いが辛い事に変わりはなかったが、生き延びて人間たちの元に帰ろうと励まし合ったものだ。
今では、そんな事を口にする事すら憚れるように思われる。
「……駄目だ。今ナイーブになってどうする」
グリーゼは頭を振って暗い考えを振り払った。
彼女は、今都市にいる魔姫の中で最も動けると自負している。戦闘力ではハクヨウには及ばないものの、体を壊しているわけではないし、アルゲディやキシュクの様に幼くもない。シャウラの様に寂寥感に支配されてもいない。
だから、自分がしっかりしなくてはいけない、とグリーゼはいつも自分に言い聞かせた。本当か? と問いかけるもう一人の自分から、懸命に目を逸らしながら。
気づくと、墓地に来ていた。墓地というには質素な場所だ。大小の石が、間隔を空けて並んでいる。その石一つ一つが、死んだ魔姫たちの墓なのだ。
胸が締め付けられた。思わず下を向いて、足早に通り過ぎる。
そうして拠点まで戻って来た。枯れかけた大木が葉を揺らし、その下に泉が水をたたえている。
グリーゼは泉の水で乱暴に顔を洗い、それから建物の中に入った。
かつては多くの魔姫たちで賑わっていたこの建物も、今ではがらんどうと言っていいくらいだ。空き部屋は多く、廊下を歩けば足音が大きく響く様にすら思われた。
グリーゼは中庭に出た。ささやかな菜園に日が照っている。舞い立つ埃がくっきりと見える様だ。
日陰にシャウラが屈み込んでいた。長い髪の毛で顔を覆い隠して、膝を抱えて黙っている。グリーゼは眉をひそめて歩み寄った。
「シャウラ」
「ひっ……あ、ぐ、ぐぐ、グリーゼ……」
シャウラは顔を上げて、髪の隙間からグリーゼを見た。
「具合でも悪いのか?」
「あ、あ、あ、暑くて……」
周囲に植物がなくなってから、日中はひどく暑いのに、夜はひどく寒いというのが通常になっていた。畑仕事をするにも、あまり長時間は出来ない。元々部屋に引きこもりがちのシャウラなどでは猶更だ。
グリーゼはやれやれと頭を振った。
「普段から外に出ないからそうなるんだ」
「でで、でも」
「でももだってもない。二言目には言い訳が出るのは悪い癖だぞ」
「うう……」
シャウラは俯いて黙ってしまった。グリーゼは鼻の奥につんとしたものを感じた。
「……すまん。どうもカリカリしてしまって」
「い、い、いいよ……グリーゼは頑張ってるもん……ハクヨウの代わりに、ずず、ずっと、た、戦ってるし、苛々しても、し、仕方、ないよ」
グリーゼは言葉に詰まって、くるりと踵を返した。そうして畑の上に立ち、現世喰の生命エネルギーを解放して畑に振りまく。
現世喰から得たエネルギーは、専ら畑へと与えられて食物の生産に使われる。エネルギーを与えられると、野菜は急成長してたちまち実をつける。
だから何とか日々の糧を得る事ができるのだが、得られるエネルギーが減るとなると、当然得られる食料も減る。それが焦りにつながって、ここ最近は何となく態度がギスギスしがちだった。そんな自分の事が解っているから、自己嫌悪もある。
グリーゼはシャウラを見返る。
「シャウラ、後で……一緒に結界を確認に行かないか?」
「う、うん……後で、ね。まま、待ってるね……」
シャウラはちょっとだけ微笑んで、小さく手を振った。
グリーゼはハクヨウの元に向かった。部屋に入ると、ハクヨウは体を起こして窓の外を見ていた。
「ハクヨウ」
と声をかけると、ハクヨウが顔を向けた。
「ああ、グリーゼ。お疲れ様」
「あなたの言う通りだ。確かにエネルギーが減っている。個体の強さは前と同じ、いや、前よりも強力そうなのに」
「やっぱりそうだろう」
とハクヨウはため息をついた。グリーゼは椅子を引き出して腰を下ろした。
「奴ら、また変異しているんだな」
「うん、そうらしい。でも不気味だ。一斉にかかって来ないのは何でだろうね」
「……知能を持った個体が出たんじゃないかって、言ってたよな?」
「ああ。正直、こっちをいたぶる意思がある様な気がしてならないよ。まあ、でも、それならそれで生きられる時間は延びるのかも知れないけどね」
とハクヨウは自嘲気味に笑った。グリーゼは頬を掻いた。
「……少し顔色がいいな。調子はどう?」
「昨日よりもいいよ。今夜は連中が来ても戦えそうだ」
そう言って笑うハクヨウを見て、グリーゼは顔をしかめる。
「無理は禁物だぞ。そうやって無茶を重ねたら……」
「お互い様だよ、グリーゼ」
ハクヨウはふうと嘆息した。それからグリーゼを見る。
「君だって、無理してるだろう?」
どきりとして、グリーゼは思わず胸に手を当てた。心臓が強く打っている。
ハクヨウはくすりと笑うと、手招きした。
「おいで」
「ん……」
グリーゼはおずおずと歩み寄って、促されるままベッドに腰かけた。
ハクヨウは傍らのテーブルに置いてあった櫛を手に取り、グリーゼの髪を梳かしてやる。グリーゼは頬を染めて膝の上で握った手を見つめた。髪を梳きながら、ハクヨウがふっと笑う。
「また手入れを怠けたな? せっかく綺麗な髪なのに、勿体ない」
「綺麗なんかじゃないよ。癖っ毛で……どうしたって跳ね回るんだもの」
と髪の毛にやったグリーゼの手にハクヨウが手を重ねて元の位置に下ろさせる。
「邪魔しないの。いい子だから」
「こ、子ども扱いするな……」
と言いつつも、グリーゼは言われるがままに大人しくしている。
グリーゼの髪は癖っ毛だ。櫛を通そうにも引っかかって中々すんなりと通らない。
それでもハクヨウはゆっくり、丁寧に絡まった毛をほぐし、櫛を通して、単に跳ね散らかったという風ではなく、ふわふわとした見た目に整えた。
「ほら、可愛くなった」
と手鏡を差し出す。グリーゼは鏡に映った自分を見て、恥ずかしそうに目をそらした。
「こんなの……わたしには似合わないよ」
「そんな事ないさ」
と言って、ハクヨウはグリーゼの頭を撫でた。
「お洒落くらいした方がいい。心まで荒んでしまったら、本当に辛くなる」
グリーゼはぐっと体を強張らせた。
「……ハクヨウは何でもお見通しなんだな」
「わたしも君の気持ちが解るんだよ。どうしたって自分で抱え込んでしまいそうになる。未来の事なんか考えられなくなる。でもね、だからこそ、小さな楽しみをなくさない様にするべきだと思うよ」
がたがたと窓ガラスが揺れた。風が出て来たらしい。土埃がどこからか舞い込んで来て、ガラスに当たってぱちぱちと小さく音を立てた。
グリーゼはそっと立ち上がって、ハクヨウを見下ろした。
「……でも、わたしがしっかりしないと駄目だ。今、ここでわたしまで気を抜くわけにはいかないから」
ハクヨウはちょっと寂しそうに微笑んだ。
「あまり眉間に皺をよせちゃ駄目だよ。戻らなくなる……」
「……結界を、確認しに行って来る。しっかり休んでおけよ、ハクヨウ」
グリーゼは部屋を出た。何となく気恥ずかしかった。
約束したとおりにシャウラを誘いに中庭へ行くと、キシュクも一緒になって木陰に座っていた。
二人はあやとりをやっていたが、グリーゼの姿を見ると、慌ててそれを隠す。怒られるとでも思ったのだろう。
グリーゼはバツが悪そうに頭を掻いて、二人に歩み寄った。
「すまん。最近わたしは怒ってばかりだったな。気を付ける」
「うえ?」
身構えていたキシュクが、肩透かしを食らった様な顔で目をぱちくりさせた。
「ぐ、グリーゼ……ああ、頭でも、打った?」
とシャウラが心配そうに言った。グリーゼは口を尖らす。
「違う。ちょっと、こう、反省しただけだ」
「あれ、グリーゼ、何か可愛いですね? 髪の毛がふわふわしてやがるです」
とキシュクが手を伸ばしてグリーゼの髪の毛を指で梳いた。グリーゼはくすぐったそうに目を細める。
「やめろ……」
「あれー? 照れてやがるですか? このこのー」
とキシュクはにやにやしながらグリーゼの脇腹をつついた。
「こら、調子に乗るな」
とグリーゼはキシュクの頭を鷲掴みにする。
キシュクは「うぎゃ」と悲鳴を上げたが、何だか嬉しそうだ。シャウラもくすくす笑っている。
何だか、久方ぶりに和やかな雰囲気だ。まだ都市が賑わっていた頃、こんな風に魔姫同士でふざけ合った事もあったっけ、とグリーゼも口端を緩ます。
その時、不意に空間が振動した。
地震が来たわけではない。シャウラの張った現世喰の接近を知らせる結界が反応したのだ。
三人は息を呑む。
「ななな、なに、ここ、この、反応……」
シャウラは体を抱く様にしてぶるぶると震えた。キシュクも青ざめている。グリーゼですら思わず背筋が寒くなった。
今までにないくらい、強烈な気配だった。
シャウラの結界は、反応の強さで現世喰の持っているエネルギー量が大体解る。少し前までは、その反応の強さが個体の強さとほとんど同等だったのだが、今はそれが比例しない。エネルギーが少なくとも、個体は強力になっているのだ。
そもそも結界の反応はシャウラが感知するのが普通なのだが、今はこの場にいる魔姫全員がそれを感じた。だとすれば、これほどの反応の強さを持つ個体は……と全員の背筋に冷たいものが走った。
そこにアルゲディが駆け出して来た。あんまり慌てたのか、薬湯を煎じる鍋を持ったままだ。
「みっ、みんな! 今、凄い反応が!」
「おお、落ち着くですよ、アルゲディ! こんな時こそ冷静になるです!」
と言いながらも、キシュクもすっかり動揺している。幼い魔姫二人は寄り添って震えた。
グリーゼは槍を握りしめた。
「あなたたちは、ハクヨウを頼む」
「ぐっぐっ、グリーゼは? まま、まさか、ひっ、一人で行くなんて、いわわ、言わない、よね?」
グリーゼは黙ったままシャウラを見返した。シャウラは不安げな視線を向けている。その視線に耐えられなくなって、グリーゼは目をそらした。
「……わたしが、行くしかないんだ」
「グリーゼ姉さん」
「まっ、待つですよ! 一人で行くなんて」
とアルゲディとキシュクが声をかけるのと同時に、グリーゼは地面を蹴った。しなやかな足で疾駆し、瞬く間に拠点を飛び出す。後ろから悲愴な声が聞こえたが、聞こえぬふりをする。
前へと進むほどに、ぴりぴりとした緊張感が肌に走った。今までに感じた事がないものだ。正直、足を止めて踵を返したくてたまらない。しかし、ここで自分が逃げるわけにはいかない。グリーゼは歯を食いしばり、そして“それ”の前に立った。
「ッ……!」
思わず息を呑んだ。
それは確かに現世喰だった。しかし、今までの様な昆虫を模した様な形とは違っていた。
まず形が人間のそれに近い。体躯はグリーゼの二倍近くあるが、それでも顔があり、首と肩、腕があった。甲殻ではなく隆々たる筋骨で包まれたその体は、現世喰としては異形である。しかし下半身は今までと同じ虫の様な甲殻と節のある六本の足で支えられていた。
顔に咢がない。あの大きな赤い目もない。ただ黒くのっぺりとした顔があるばかりだ。頭からは髪の毛の様に黒い触手の様なものがいくつも垂れ下がっていた。
怖かった。魔姫として十数年戦い続けて来たグリーゼをして、思わず震えてしまうくらいだ。日差しが暑いのに、体中が寒くて仕様がない。
それでも槍の穂先を現世喰に向けて、グリーゼは地面を踏みしめた。
「ふっ――!」
息を吐くと同時に一気に前に踏み出す。体の勢いを利用して、鋭く槍を突き出した。穂先は真っ直ぐに現世喰へと吸い込まれた、かに思われたが、胸元を貫くより前に、大きな手に遮られた。
現世喰はグリーゼの槍を掴んで受け止めると、そのまま腕を引いてグリーゼを引き寄せた。
「ぐっ」
もう片方の手に捕まる前に、グリーゼは何とか身をよじってそれをかわした。
しかし槍が奪われてしまった。現世喰は奪い取った槍を持ち換えたりして、あざける様にグリーゼの方に顔を向けている。
「こいつ……本当に知能が……?」
次の瞬間、現世喰が急激に間合いを詰めて来た。グリーゼは咄嗟に横にかわす。さっきまでグリーゼがいた所を、現世喰の体が通り抜けた。
それからすぐに現世喰は足を止めて体をグリーゼの方に向ける。顔はのっぺらぼうなのに、何だか馬鹿にしている様な気がする。
「くそっ」
反撃しようにも武器は敵の手の中だ。第一世代であるハクヨウは、自らの魔力で武器を作り出す事が出来るが、いわゆる“役立たず”として都市に取り残されたグリーゼの様な魔姫は、そういった力を持っていない。武器を奪われれば素手で戦う他ないのだ。
しかし、この現世喰を相手に素手で相手は出来ない。予備で持っている腰のナイフでは焼け石に水だ。
グリーゼは足元の石を拾い上げ、満身の力を込めて投げつけた。
石は槍を持った手に直撃し、現世喰は槍を取り落とす。グリーゼは一気に前へと駆けた。そうして落ちた槍へと手を伸ばす。
だが、槍を手にする前に、現世喰の手がグリーゼを捕まえた。
罠だった、とその時に理解したが、既に遅い。太い指が容赦なくグリーゼを締め付ける。
全身の骨がみしみしと音を立てる様だった。加えて、体からエネルギーを吸い取られている様な感じがする。どうやら、この個体は咢で食らう代わりに、手から生命力を吸収出来る様だ。
すぐにでも命を奪えるのに、現世喰はそれをしない。グリーゼの苦悶の声を楽しむかの様に、手に力を込めたり抜いたりしている。
「あぐっ……ぐ、うぅ……」
グリーゼは何とか抜け出そうと体を動かすが、がっちりと握りしめられていて動けない。関節がみしりと音を立てているのが解る。息が苦しい。力が抜ける。意識が飛びそうになって来る。もう駄目か、と悔しさに涙がにじんだ。
その時、現世喰が動きを止めた。わずかに手から力が抜け、息が出来る様になる。
グリーゼはぜえぜえと息をしながら、目を上げた。現世喰は拠点の方に顔を向けている。そうして、呻く様な不気味な、しかし奇妙に喜びに満ちた声を上げた。
不意に、グリーゼは体が振られるのを感じた。次いで異様な解放感が体を包む。一瞬遅れて、自分が放り出されたのだと理解する。受け身を取ろう、という意識が遅れる。そもそも体が痛めつけられていて満足に動かせない。
「グリーゼ!」
瓦礫に激突するか、と思われた時、勢いが弱まった。さながら水の抵抗の様な具合だ。そうして瓦礫とグリーゼの間に小さな体が飛び込んで来る。
「うわわっ」
「うぎゃ!」
悲鳴を上げながらアルゲディとキシュクがグリーゼを受け止める。
少し離れた所で両手を向けていたシャウラは、びっしょりと汗を掻いたまま大きく息をついた。魔法でグリーゼの勢いを殺したのだ。
キシュクがグリーゼの顔をハンカチでぬぐう。
「グリーゼ、しっかりするですよ!」
「うう、顔色が真っ青……グリーゼ姉さん、死なないで」
グリーゼはぼんやりした視界のまま、何とか体を起こした。
「あなたたち、どうして……これじゃハクヨウが……」
と言いかけて、ハッとした。目をやる。
白い影が立っていた。ハクヨウが憤怒の表情で剣を握りしめて現世喰を睨みつけている。
「貴様ァ……絶対に許さんぞ」
と怒気をはらんだ声を出す。味方である魔姫たちですら空恐ろしくなる様な迫力だ。
しかし現世喰はまったく物怖じした様子はなかった。呻く様な苦し気な、しかし笑い声と解る声を上げて、ハクヨウへと殺到する。
ハクヨウは落ち着いて迎え撃った。伸びて来た腕に剣を突き立てる。
しかし、現世喰はその剣ごとハクヨウを掴もうとさらに手を伸ばして来た。ハクヨウは顔をしかめて、剣を放棄して後ろへと飛び退る。
「武器を取ったとでも思ったか?」
ハクヨウはそう言って再び魔力の剣を生成し、切っ先を現世喰へと向ける。
「お望みなら、全身に剣を突き立ててやる。妹を傷つけた罪は重いぞ」
そう言って、背後の妹たちにちらと目をやった。グリーゼは満身創痍で、他の三人は青くなって震えている。
守らねば。
ハクヨウは剣を構え直す。体は既にやめろと警戒信号を発している。しかしここで引くつもりはさらさらなかった。
ほんの少しのにらみ合いの後、同時に前に出た。ハクヨウは縦横無尽に飛び回って剣を振るう。現世喰は、速度はそれほどでもない様で、防戦一方という様相である。
しかし、ハクヨウの方も決定打を繰り出せず、次第に膠着状態に陥って来た。
こうなると、ハクヨウの方が不利だ。体は確実に消耗し、胸の奥から血が溢れて来ようとする。呼吸は荒くなり、動きも精彩を欠く様になる。
それを解っていたのか、現世喰はともかく守りの姿勢に入っていた様だ。ハクヨウもそれには気づいていたが、ともかく倒さなくては仕方がない。もう自分たちに逃げる場所はないのだ。
だらだらと戦いを続けていても埒が明かない。ハクヨウは剣を振り上げた。
「今度こそっ!」
剣が白く光り輝いた。
飛び上がり、上段から強烈な斬撃を放つ。強力な剣気が、その刀身の長さ以上の射程を飛び、現世喰の体を袈裟に切り裂く。傷口から真っ黒な霧が溢れ出て来る。
だが、それで一瞬ハクヨウが気を抜いた時、現世喰の両手がハクヨウを捕まえた。腕ごとがっちりと握りしめられて、身動きが取れない。
ぐい、と力が込められた。ぐきり、と音がした。腕の骨が折れたらしい。ハクヨウは悲鳴を上げた。
現世喰はそのままハクヨウに顔を近づけた。
のっぺらぼうだった真っ黒な顔が、真ん中からみしみしと裂ける。その中から、真っ赤な目がぎょろぎょろと現れ、ハクヨウを見た。
「ひっ……」
ハクヨウは思わず恐怖した。赤い目の中に、自分の怯えた表情を見た。
目が、にやりと笑った気がした。次の瞬間、現世喰は腕を振り上げて、ハクヨウを地面に叩き付けた。
「かはっ……」
意識が飛ぶ。口の中が鉄の味で充満した。
「ハクヨウ!」
「初代様!」
魔姫たちが悲痛な声を上げる。
完全に意識を失ったハクヨウを手にしたまま、現世喰はくるりと踵を返した。そうしてそのまま去って行く。
アルゲディはキシュクを見た。
弓矢を持つ手は震えていて、とても弦を引く事は出来そうもない。自分の腕も剣を振るうには力が入らないだろう。膝も震えていて、立っている事すらままならない。
「嘘……嘘、こっ、こっ、こんなの……やだ……」
シャウラが膝を突いて両手で顔を覆っている。グリーゼは力なく瓦礫にもたれて愕然としていた。キシュクはぺたんと地面に座り込んで呆然としている。
こんな風に終わりはやって来るのか、とアルゲディは愕然とした。泣き喚こうにもまだ感情が追い付いて来ない。
いつの間にか辺りは真っ赤な夕日が照っていた。