7.小さな小さな勇者
アクナバサクが皿やカップを作り出すと、屋敷妖精たちが嬉しそうな声を上げて、それらを台所へと運んで行く。
建物は出来たものの、生活に必要な家具や道具が皆無であった魔王屋敷に、とうとう屋敷妖精が出て来た。
成人の腰くらいの大きさしかないこの妖精は、いずれもメイドの様な恰好をしており、古い家、大きな家などに自然発生し、掃除をしたり、暖炉の火を管理したり、害虫を追い払ったりしてくれる。
代わりに食材や食器を失敬したりするのはご愛敬である。
谷のあちこちにも、妖精や精霊の類が姿を見せ始めていた。
木霊たちがニンフやドリュアスたちと談笑し、泉には水精がいた。木々の間を風精が軽快に飛び回り、谷精や土精はひなたぼっこをしていた。
本来ならば長い時を経た自然豊かな地に現れる彼、彼女たちも、アクナバサクやナエユミエナといった存在の魔力によって、通常よりかなり早くに発生している様だ。どの精霊、妖精もアクナバサクを王と慕い、通りがかると嬉しそうに挨拶をして来た。
食器類をえっちらおっちらと運んで、食器棚に綺麗に収める屋敷妖精たちを見て、アクナバサクは満足げに頷いた。
「よしよし、これでこの屋敷も綺麗になるな。わたしが留守にしがちなのが気の毒だが……まあ、他の精霊とか妖精が遊びに来るし、大丈夫だろう」
「台所が賑やかになりましたねぇ」
ナエユミエナが感嘆の声を上げた。今までは飲み食いをほとんどしない面子が揃っていた為、ナエユミエナがたまにお茶を淹れる他には活用されていなかったが、今は屋敷妖精たちが勝手気ままに料理をしたりお茶を淹れたりして、何だか活気づいた様な感じである。
畑で野菜が採れ始めて、屋敷妖精たちが俄然張り切る様になったので、アクナバサクたちも食卓に着く頻度が増えた。別に食べた所でどうなる話ではないのだが、舌にうまいのは嫌な気はしないから、屋敷妖精たちに乞われれば、アクナバサクは喜んで食卓に着いた。
畑の方にも畑妖精が現れている。屋敷妖精と同じく、畑の管理をしてくれる妖精である。屋敷妖精と同じく、実った野菜をいくらか失敬する事もあるが、それも愛嬌だ。
そもそも食事を必要としないアクナバサクたちにとっては、妖精たちがいくら持って行こうがちっとも堪えはしない。
屋敷妖精の淹れたお茶をすすって、アクナバサクはほうと息をついた。
「それにしても、我々は生活感が皆無だという事が解ってしまったネ」
「そうですねぇ」
「まあ、生きて行く為に必要な行為が人間や動物に比べて少ないから止むを得ないか」
「アクナちゃんのその体は後で造ったものなんでしょお? 動く為の力はどこから得ているんですかぁ?」
「ああ、これ? 体内に魔力エンジンを搭載しているのだ。わたしの魂自体は魔王として生み出されているから、自動的に魔力を生成するんだけど、それを利用しているわけ」
「わー、すごぉい。やっぱりゾマ神族さんの創造力って格が違いますねぇ」
「うーむ、喜んでいいのか悪いのか……まあいいや。ところでナエちゃん、川沿いに町を造ろうって話だけど」
アクナバサクが言うと、ナエユミエナがこくこくと頷いた。
「こうやって妖精さんたちが出て来てくれるなら、そういう場所があってもいいのかなって思って。やっぱり豊穣の女神としては、ただ自然があるだけじゃなくて、暮らしの営みがあった方が嬉しいんですよぉ」
「はー、成る程。確かにわたしとしてもそっちの方が楽しそうな気がするな」
「でしょお? でも妖精さんだけだと、思っているのとはちょっと違うんですけどねぇ」
「まあ、人間連中の生活とは違うからね、妖精ってのは」
ナエユミエナはちょっともじもじした様子で両手指を絡まして、アクナバサクを窺い見た。
「あの……アクナちゃん的には、やっぱり人間を呼び込んだりするのはナシな感じですかぁ?」
「うーん、どうかなー……別に人間全部が悪い奴だとも怖い奴だとも思ってないけど……ほら、わたし元魔王じゃない? むしろ向こうの心象が悪いかもなーって思うし、大体において生き物って集団化すると怖くなるんだよね。人間もその例外じゃないから……今はそっちに力を割く気にはならんかなー」
「んー……」
ナエユミエナは複雑そうな顔をしている。人間の信仰を集める神であるとはいえ、人間の悪い部分も勿論知っているのだろう。
アクナバサクは肩をすくめた。
「ま、いざそうなったらそうなった時に考えるよ。人間って一口に言っても色んなのがいるんだから。歓迎できる相手なら歓迎するし、そうじゃなければ別の手を考えるし……今結論を急ぐ必要はないでしょ」
「はぁい」
それでのんびり屋二人はまたお茶をすすった。
そこにホネボーンがのっそりと現れる。
「ティータイムですか」
「おっ、ホネボーン。お前も飲むか?」
「結構です。骨ですから」
「お前最近姿見ないけど何やってんの?」
「自然の復活した範囲を調査しに行っていました」
「えっ、もしかしてずっと下流まで行ってたって事?」
「そうです。川の尽きる所まで行きました。中々の範囲が復活していますよ。我々が最後に植樹したエリアよりも随分先まで草木が生えていました。森もかなりの速度で拡大している様です」
「誘えよ、わたしもよー。気になるじゃねーか、そういうの」
「はあ」
「どの辺、どの辺?」
アクナバサクはそう言いながら台所を出て広間に行った。
バルコニーを有する広間には、ホネボーンの小屋にあるのと同じ魔力式の地図があって、それに森の位置と谷の細部とが、刻々と変化する様子が浮かぶのである。
ホネボーンは谷川の下流の方、青い光の途切れている辺りを指さした。
「大体この辺りが谷川の終わりです。森自体はここで解る様に川のやや手前まで来ています。川は森を出て、乾いた大地にちょっとずつ吸い込まれて、この辺りで消失するわけです」
「つまり、森が広がればこの川の距離も延びるって事だろ?」
「そうです」
「前に行った時の森の端っこはここでしたよねぇ? 今はここだとしたら……」
「しばらく見ないうちにめちゃ広がってるじゃん……自然侮れねえな」
「こんなに広がってたんですねぇ。地図で見ると壮観だなぁ」
ナエユミエナが感心した様に言った。もうかなりの範囲が森に覆われている。
普段からあちこち動き回っているアクナバサクだが、こうして俯瞰して見ると随分広い。これではホネボーンが別行動していれば出会わない筈である。
ホネボーンが地図の一角を指さした。
「川が安定的に流れる様になりましたから、この辺りに橋でもかけようと思います。水量が安定した分、渡るのが面倒になりましたからね。我々は飛行魔法が使えるとはいえ、動物の事を考えれば橋くらいあった方がいいでしょう」
「川もとっても長いですねぇ。橋も何か所かかけないと駄目かもですねぇ」
「まあ、その辺は現場を見ながら決めて行くしかないでしょう」
ホネボーンが普通に返事をしてくれたので、ナエユミエナはちょっと嬉しそうだった。
アクナバサクはさっきから川の消える地点を見ていた。眉をひそめて、睨んでいるといっていい表情だ。やがてぽつりと呟いた。
「……わたしも見たい」
「はい?」
「わたしも川が消えてる所、見たい! ホネボーンばっかずるい!」
「あ、王様、ちょっと」
ホネボーンが何か言う前に、アクナバサクはバルコニーから飛び降りた。
王が急に降って来たので、崖下で談笑していたらしいニンフたちが目を白黒させている。
〇
過酷な道のりであった。地面は硬く、小さな足の裏はたちまち傷だらけになった。
それだけではない。東への道は現世喰たちの巣窟だ。
無論、戦う事など出来よう筈もない。野ネズミはその小さな体躯を活かして現世喰に見つからぬ様にしてはいたが、既に周辺のものを食い尽くしてしまった彼らは、小さなネズミ一匹にも過敏に反応し、追いかけて来た。
「――!」
岩陰に潜り込み、鋭い爪をやり過ごす。
わずかな隙間の向こうから、ぎぎぎ、と牙の擦れ合う音がして、瘴気の様なものがしゅうしゅうと音を立てるのが解る。小さな心臓が、痛いくらいに音を立てて胸を内側から打っている。息が詰まる様だ。
野ネズミが息を潜めていると、やがて現世喰は立ち去った。それを確認して、ネズミは再び走り出す。
そんな風に幾度となく現世喰の牙と爪とを潜り抜け、彼らを振り切り、ネズミは走り続けた。
アルゲディからもらったパンの欠片で腹は満ちたが、喉の渇きは如何ともしがたい。水場なぞある筈もなく、わずかな夜露で喉を潤すしかなかった。
それでも走らねばならぬ、とネズミは歯を食いしばった。人の足ですら大変なその道のりは、ネズミの足には殊更辛い。
瞬く間に数日が過ぎ去ったが、そのほんの数日でネズミは痩せさらばえてしまった。毛並みは荒れ、足は傷だらけである。
しかし、東へと向かうにつれて、現世喰の姿が減った事だけは救いだった。
彼らは統率者がいるのか、城塞都市周辺に最も多くうろついていた。統率者に出会う事がなかったのは幸いと言えるだろう。
専ら夜に走り続けたが、少しでも先に進もうという焦りから、つい日が高くなってもネズミは走り続けた。夏は盛りを過ぎているとはいえ、まだまだ日差しは暑いし、乾いた地面が照り返す熱気は容赦がない。
それでも、じっと休んでいると気ばかり急いた。
現世喰に追われた時は、じっと隠れて前に進めない事も、焦りに拍車をかけた。そうして走れる時にはついあと少し、あと少しと進んでしまう。それが確実にネズミの体力を奪った。
目の前がくらくらし始めた頃、不意に大きな影がネズミの頭上を横切った。そうして羽音と共に何かが降りて来る。
ネズミは顔を上げた。
鷲だ。現世喰ではないにせよ、捕食者である。
ネズミは焦って物陰に隠れ損ねた自分に歯噛みした。命運はここで尽きたか、と思う。
しかし鷲はネズミを食うでもなく、そのぎょろりとした目でじっくりとネズミを見た。品定めでもされているかの様だ。
ネズミはすがる様な視線を鷲に向けた。無駄な事だと解っていながら、哀れみを乞うた。鷲は微動だにせず、ネズミを見ている。
ネズミにとっては永遠の如く感ぜられた数秒の後、不意に鷲がその大きなくちばしでネズミを咥えた。
食われた、とネズミは思ったが、鷲はそのままネズミを自分の背中に放り上げた。そうして鋭く一声鳴く、大きな翼を広げてたちまち上空へと舞い上がる。
ネズミは驚いた。強い風にあおられて、あわや落ちそうになるところを、慌ててしがみつく。鷲は大きく翼を動かして、一路東へ飛んで行く。
鷲がどういうつもりなのかネズミには見当もつかない。しかし、東に向かう事が出来るならば何でも構わない、とネズミは思った。
地を四つ足で駆けるよりもはるかに速く鷲は進んだ。
向かい風が強いから、眼下を眺めるなどという事はネズミにはできなかったが、そもそも体力が落ちていたから、そんな余裕はない。次第にぼんやりしてくる意識の中、とにかく落ちない様に掴まる事だけに集中していた。
どれくらい飛んだのだかネズミには解らなかったが、やがて鷲が少し高度を下げた。速度が緩やかになったせいで向かい風が弱まる。ネズミはそっと目を開けた。
遠くに森が見えた。青々とした葉の茂った大きな木々が幾本も立ち並んでいる。風に乗って草のにおいすらする様な気がする。
自然の乏しい城塞都市で生まれ育ったネズミには、まったく想像もできなかった風景だ。ぼんやりしている事もあって、夢の中にでもいるかの様な気分である。
それでも、ネズミという生き物の遺伝子に刻まれた記憶なのか、ひどくその景色が懐かしい様にも思った。確かに、あれは楽園だと納得する。
しかし、安心して気が抜けてしまったのか、猛烈に体から力が抜けて来た。眠気にも似たものだが、このまま身を任せてしまっては二度と目覚めない様にも思われる。
ネズミは必死に耐えた。
重い瞼を無理やりに持ち上げて、刻々と近づく緑の森を凝視する。鼻には木々のにおいが届く。もう少しだと思う。
しかし眠い。体の芯の方がじんじんと熱いのに、手足がしびれた様になった。
そうして、ふっと一瞬気が遠くなったと思った瞬間、ふわりと体が浮き上がった。掴まっていた指が緩んで、鷲の背から投げ出されたのだ。
浮遊感すら心地よく感じたが、それは一瞬だった。激しい空気の抵抗に体毛が大暴れし、嫌でも眠気なぞ飛んでしまう。しかし体に力が入らないのは相変わらずだ。
ぐるぐると回転する視界の向こうには森が見えている。楽園の入り口まで来たのに、とネズミはやるせない気持ちになった。
段々と地面が近づいて来る。
この速度で叩きつけられてしまえば命はあるまい。
ぐっと目をつむった。恩を返せずに死ぬ事が悔しかった。
その時である。
「おっとおーッ!」
威勢のいい声が近づいて来て、地面すれすれでネズミを受け止めた。
「間一髪! ふはー、鷲ライダーネズミとかビックリだよ!」
温かな両手に包まれて、ネズミはわずかに身じろぎした。
指の隙間から見上げる。おぼろげな視界に、くりくりとした目の少女の姿が映っていた。束ねられた灰褐色の髪の毛が風になびいている。
「おい、大丈夫か? わ、何か憔悴してるじゃないか! おい、しっかりしろよ!」
声をかけられたけれど、鳴き声を出す力もない。
手の平の温かさが心地よく、ネズミはゆっくりと目を閉じた。
〇
野ネズミを両手に包み込んだアクナバサクは、荒野から森へと駆け込んだ。
森の中にはナエユミエナとホネボーンとがいて、川の消える地点を眺めていた。
「おや、王様、何をしに行ったんです」
「それがよぉ、鷲に乗っかったネズミがいたんだよ。珍しいナーって思ってたら、急に落っこちるからさ、こりゃまずいと思って全速力で救出に赴いたんだけど」
森の尽きる地点を見に赴いたアクナバサクであったが、森の外れを歩き回っている時、偶然、飛んで来る鷲を発見し、そのすさまじい視力で、背中に乗っているネズミをも確認していたらしい。それで今に至る。
「その子ですかぁ?」
とナエユミエナがアクナバサクの手を覗き込む。そこには痩せそぼったみすぼらしいネズミの姿があった。
「死んでいるじゃないですか」
とホネボーンが言った。
「いやいや、ひとまずちょっとだけ力を『与えた』からまだ大丈夫だ。どうしたらいいと思う?」
「王様はどうしたいんですか?」
「助けたいよ、そりゃ! だって多分外から来たネズミだぞ。あの荒野を超えて来たんだぜ、すげえ奴じゃないの!」
「じゃあ助けてあげましょうよぉ」
とナエユミエナが言った。アクナバサクは口をもごもごさせる。
「いや、もし、その、こういう死にかけが完全治癒するくらい力をあげたら、わたしの力じゃ精獣化しちゃわないかなって思って」
「いけませんか」
「うーん、当人の意思を無視するのも……それに、精獣化しない程度に力をあげて、あとは自然治癒に任せるという手もあるじゃない?」
「ありません。見たところかなり消耗が激しいです。元のネズミの生命力を補填する程度には力をあげなくては死にますよ」
とホネボーンはぴしゃりと言った。
アクナバサクはむうと口を尖らしたが、それならばそれで、と踏ん切りがついたらしい。大きく息を吸って、ネズミを包んだ両手に力を込めた。
アクナバサクの体が光り出し、その光が手に集まって行く。
淡い光に包まれたネズミはぴくりとも動かなかったが、ばさばさだった毛が次第に落ち着いて艶を取り戻し、髭もぴんと張って来た。やがて鼻がひくひくと動き出す。
「おっ、復活して来たぞ」
三人がしばらく見ていると、ネズミがぱちりと目を開けた。そうして不思議そうな顔をして体を起こし、アクナバサクの手の平の上で後肢の二足で立って、両前足を見て、それから体の前後を見た。
混乱している様子のネズミを見て、アクナバサクは咳払いをした。
「おっほん。あー、野ネズミ君。ようこそ魔王谷へ。君は死にかけていたのだ。不本意かも知れないが、ちょっと力を『与え』させてもらったよ」
ネズミは困惑気味であったが、ハッと気づいた様にアクナバサクに頭を下げた。
「ちっ、ちちち、ちぃ」
「ははあ、さっぱり解らん」
「わたし解りますよぉ」
とナエユミエナが歩み出た。そうしてネズミの言葉を聞いてふんふんと頷く。
「えーと、危ない所を助けていただき、感謝いたします。私は名もなきネズミでございます。楽園の王様にお目通りしたく西の地より参上いたしました、ですって」
「わお、丁寧なごあいさつだこと! そんなにはっきり喋ってるの?」
「そうですねぇ。アクナちゃんの『与える力』で知能レベルが上がったんじゃないですかぁ? 他の動物さんに比べてすごく聞き取りやすいですし」
「ああ、そっか……見た目は変わらなくても、半ば精獣化してるな……おほん、遠路遥々ようこそネズミ君。わたしが王様だよ。気さくにアクナちゃんと呼んでくれたまえ」
ネズミはちいちいと鳴いた。
「なんて?」
「御前にお目通りかないまして恐悦至極に存じます、ですって」
とナエユミエナが通訳した。
「饒舌なネズミですナ」とホネボーンが言った。
「わたしより語彙力あるじゃないか……動物侮れねえな」
とアクナバサクが頭を掻いた。
「ま、あの荒野を遥々超えて来るくらいのネズミだもんな。そりゃちょっとものが違うのは仕方ないね。くたびれただろ? ゆるりとするがよいよ。屋敷に案内しようか」
とアクナバサクが言って歩きかけると、ネズミは焦った様にちゅうちゅう言った。
「なに? 喜んでるの?」
「えっとぉ、なにか、頼みたい事があるみたいですよぉ?」
「おお、頼み事か。いいともミーに言ってみい。王様は心が広い!」
「なになに……んー、この子は、誰か恩人がいて、その人がとっても危険な状態にいるんですって」
「恩人?」
とアクナバサクが首を傾げると、ネズミは頷きながらまくし立てた。ナエユミエナはふんふんと話を聞いている。
「ふむふむ……」
「なになに? 早く教えて!」
「えぇと、私は城塞都市にて生まれ育ったのですが、そこは常に命を食らう怪物どもに狙われておりました。それで、えー、食物は乏しく、日々の糧にも事欠く有様。しかし一人の少女は、常にわれら弱き小動物に哀れみをかけ、自らの糧を分け与えてくれていたのでございます、って言ってますよぉ」
「へー、いい人もいるもんだネ」
「しかし怪物どもの襲撃は日々激しさを増すばかり。いよいよ都市も危ないと少女もこぼしておりました、だって」
「それでここまで逃げて来たんですか」
とホネボーンが言うと、ネズミは心外だという様に毛を逆立て、ぢぢと怒った様な声を出す。
「おお、お怒りだ! ナエちゃん、なんてなんて?」
「その様な卑小な思惑はございませぬ! 楽園の王様は誰にでも優しく、困った者には手を差し伸べられる方だと耳にしました! ですって」
「マジで~? それどこ情報~? それどこ情報よ~?」
「王様、ちょっと静かにしていてください」
「はい」
「私は一介のネズミ、蛮勇を振りかざして戦いに赴いても成果は上げられませぬ。せめてご助力を乞う事が出来れば、と参上したのでございます、って言ってますねぇ」
アクナバサクはふむふむと頷いた。
「つまりわたしに助けて欲しいって事か。いいよ、解った。助けてあげちゃう!」
「王様、ちょっと待ってください」
とホネボーンが待ったをかけた。アクナバサクは眉をひそめる。
「何だよ」
「賛成しかねます。人間を助けるという事ですよ。王様の親切心は称賛に値するものとはいえ、動物を助けるのとはわけが違います」
「んん、まあ、そりゃそうかも知れんけど……」
とアクナバサクが逡巡していると、ネズミがひらりと手の平から飛び降りて、足元にひれ伏した。そうしてすがる様な声で鳴く。
「どうかお願いでございます。お望みであれば私の命も差し出して構いませぬ。なにとぞお力をお貸しください! ですって」
いつの間にか森の妖精や精霊たちが、何事かと集まっていて、この様子を面白そうな顔をして眺めている。アクナバサクはホネボーンを見て肩をすくめた。
「こうまでされちゃ、無下に断るわけにいかんでしょ。いいじゃない、人間を助けるんじゃなくて、このネズミ君を助けると思えばさ」
「……まあ、いいでしょう。ただし、ここの存在をあまり公にしない、という事が条件です。欲深い者に知られては、せっかく復活した自然が壊されかねません」
「おー、それはわたしも賛成だ。動物にはともかく、人間に魔王谷の事は軽々しく教えない! それだけは約束してくれるね、ネズミ君?」
ネズミはちゅっと鳴いて、深々と頭を下げた。
「この口が裂けようとも、楽園の事を人間に口外は致しませぬ、って」
よしよしとアクナバサクは頷いた。
「これでいいだろ、ホネボーン?」
「そもそも人間にネズミの言葉は解りますまい。私が心配しているのは王様の言動です。軽はずみにここの事を自慢したりしない様に」
とホネボーンが言った。アクナバサクは口を尖らした。
「わーった、わーった、気を付けまーす。ま、さくっと助けてクールに去ればいいんだろ」
「はあ」
アクナバサクはぐるぐると肩を回してにやりと笑う。
「そんじゃ、外の世界を見物に行くとしますかね!」