20.あっちとこっち
魔王谷の木々は美しく雪化粧して、風が吹く度に細かい雪の欠片が粉になってきらきらと舞い散った。
ネズミの一隊が、羽飾りをつけたネズミの指揮の元、雪を掘り起こして何かを探している。特に木の根元を狙って掘って潜り込み、そうして下から純白の茸を持って上がって来た。淡雪茸と呼ばれる雪の下にしか生えない茸で、とてもおいしい。茸はアルゲディとキシュクの背負っている籠に入れられる。茸は探せば探すだけあり、採っても採ってもなくなりそうもない様に思われた。
段々と重くなる籠を地面に降ろし、キシュクがふうと息をついた。
「もう十日くらいでしたかね。王様と初代様、今頃どうしてやがるんですかねー?」
「ね。あの二人だから危ない目には遭ってないと思うけど……」
分厚い服を着て歩き回ると、何となく体が汗ばむ様だ。くたびれたからと体を休めると、それで却って寒くなる。アルゲディはぶるりと身震いして、白い息をはあと吐き出した。
「キシュクちゃん、もう茸もいっぱいだし、屋敷に帰ろうよ」
「そうですね。ナエちゃんに頼まれた分はもうある筈ですし」
アクナバサクとハクヨウが不在の時も、谷に残った面子は日々の仕事をあれこれとこなしていた。
枯れた木を倒して薪にし、集めた果物を点検して腐ったものなどを廃棄する。その合間に様々な保存食を作っては、屋敷の食品庫に保管した。
アクナバサク、ナエユミエナ、ホネボーンといった連中と違って、魔姫たちは食事も睡眠も必要である。しかしもう食品庫には魔姫たちが二冬を優に越せるであろう量の食料がため込まれているのだった。
アルゲディとキシュクは転移ポータルの石柱の前に立つ。もうこれの扱いにもすっかり慣れた。
手を触れ、起動させて、屋敷の前のポータルまで転移する。どれくらいの高さに出るか解っているから、着地もスムーズだ。もう転んだりしない。
屋敷のある崖の下では、様々な妖精たちが雪で像を作ったり、かまくらを作ったりして遊んでいた。
妖精たちは自由に谷の中を行ったり来たりしているけれど、なんだかんだとこの屋敷の周辺に集まる傾向がある。だから屋敷周辺はいつも賑やかだ。
四角く切り出した雪で丈夫に作られたかまくらの中で、ナエユミエナが何か作っていた。谷の食事は、魔姫たちだけでなく、動物や妖精、精霊や精獣なども食べるものだから、作る量は甚大である。
大鍋の置かれた焜炉の前に立つもこもこと着ぶくれた豊穣の女神は、魔姫二人を見て微笑んだ。
「お帰りなさぁい。いっぱい採れましたぁ?」
「すっごくいっぱいです。それ、何作ってやがるんですか?」
「スープですよぉ。ここに早速淡雪茸を入れて」
汚れを落とした茸を大鍋に放り込む。根菜や干し野菜が入ったスープは、うまそうに湯気を立てていた。もう昼が近い。そろそろ昼餉の時間である。
三人がコンロの火に手をかざしたりしてスープが煮えるのを待っていると、急に転移ポータルが光り出した。
「あれっ、グリーゼ姉さんかな?」
「シャウラじゃねえですか? お昼ご飯だし、そろそろ」
と二人が目をやると、現れたのはアクナバサクだったが、着地に盛大に失敗して大の字に雪に突っ込んだ。
「あれえ、王様だ!」
「わあ、噂をすれば何とやらですね!」
二人は嬉しくなって駆け寄った。
「王様、大丈夫? 立てる?」
「もー、帰って早々何してやがるですか」
雪の中から立ち上がったアクナバサクは、猫の様に体を震わして雪を跳ね飛ばした。
「ぶはー、冷たい! おお、懐かしのふるさとよ!」
「そこまで長く留守にしてねーじゃねーですか」
「おだまりキッシュん。こういうのは気分が大事なんだから」
「お帰りなさい、王様。ハクヨウ姉さんは?」
「ちょっと色々あって、ハクにゃんは向こうでお留守番。あれ、この場合なんて言えばいいんだ? まあいいや。ホネボーンいる?」
「宰相さんですか? いつもみたいに研究室にいやがると思いますよ」
「どうして戻って来たの? もう他の魔姫を見つけたの?」
とアルゲディがアクナバサクに抱き付きながら言った。アクナバサクはその頭をよしよしと撫でてやる。
「見つけた事は見つけたんだがなー。レーちゃんっていってさ、ちっこくて可愛いんだぞ」
「小さな子なの?」
「そうそう。だけどハクにゃんと同い年なんだって」
「あれっ、それって前に初代様が話してたんじゃなかったですか?」
「そうだっけ? わたしは覚えてないぞ」
「話してた様な気がするよ。でも王様、どうしてその子を連れて来なかったの? 来たくなかったって事? ハクヨウ姉さんはどうして残ったの?」
「ちょっと複雑な話になっちゃって。ほら、主に気持ちの問題とか、色々あるじゃん? ひとまず場所は覚えたし、アクナちゃんの頭脳に悪魔的、いや、魔王的奇策が閃いたもんだから、一度戻ってホネボーンを連れて来ようって事になって……あっ、なんかいいにおいするぞ! それ何作ってんの?」
「野菜と茸のスープですよぉ。ちょうどお昼ご飯ですからねー」
「わーい、茸いっぱい食べたけどこれもうまそう! ひとまず腹ごしらえしたいナー」
「具材を足したばかりだから、もうちょっと煮込まないと駄目ですよぉ」
「えー」
それで大鍋がぐつぐついうのを眺めていると、転移ポータルが光って、グリーゼ、それからシャウラが現れた。二人ともアクナバサクを見て目を丸くする。
「王様、帰って来てたんだ!」
「おっおっ、お帰りぃ」
「やっほー」
という具合に魔姫たちも勢ぞろいして、それで昼餉が始まった。ものを食わないホネボーンの姿はない。シャウラ曰く、研究室にいるらしい。
「ししっ、師匠、転移魔法の練り込みを、ず、ずっとしてる、よ」
「ははーん、あのツンデレ骨め、なんだかんだ言って仲間が増えるのは嬉しいんだな? くっくっく、からかってやるんだから」
「やめておいた方がいいと思うけどなあ……」
とグリーゼが呟いた。全員がそう思っている。
道中のあれこれだの、レーヴァティの事だのを話しながら、賑やかな食卓はすっかり盛り上がり、食後のお茶が入ってからもまだ話したりない様に思われたが、この間にもレーヴァティとハクヨウが待っていると思い直し、アクナバサクはホネボーンの書斎に向かった。
書斎周辺も雪で白く染まってはいたが、太く大きな木々が屋根の様に枝を広げているのもあるし、水場に雪が落ちるから、本屋敷周辺よりは雪が少ない様にも見えた。
アクナバサクは水に落ちない様に気をつけながら、ホネボーンの研究室に到着した。
「ホネボーンいるかコラァ!」
扉を蹴破る様にして突入すると、ホネボーンが嫌そうな顔をした。
「扉を壊さないでください」
「大丈夫だよ直せるから! 留守番ご苦労! わたしがいなくて寂しかっただろ? 寂しくて泣いちゃいそうだっただろ?」
「はい」
「マジで」
「いえ、嘘です」
「えっ」
「新しい魔姫は見つからなかったわけですか」
「いや、見つけたけどよー、ちょっと色々ややこしい事になったんだよ。だからそこを魔王谷にしちゃえばいいって思って」
「なんですか、それは」
「だからさ、そこを魔王谷にしちゃえば、それってそういう事になるだろ?」
「はあ」
「あのう」
とアクナバサクの後から入っていたグリーゼがおずおずと口を開いた。魔姫たちは話が気になって皆ついて来ている。
「王様、さっき食事の時みたいな感じで、順序立てて話して欲しいな、なんて」
「というよりも、王様には質問に答えていただきましょう。勝手気ままに喋られては話が停滞する一方です」
それで道中のあれこれを省きつつ、アクナバサクは質問を受ける形で、最初から順序立てて説明した。廃村でレーヴァティと会った事や、彼女に待ち人がいる故に魔王谷に来る事をためらっている事などである。
そこまで聞いて、ホネボーンはやれやれと頭を振った。
「来たくない者を連れて来る必要があるのか、私には疑問ですナ」
「いや、だから連れて来るんじゃねえんだよ。そこを魔王谷にしちゃおうって話」
とアクナバサクがドヤ顔で胸を張った。
「そっ、それ、どど、どういう事か、聞きたい」
「ふっふっふ、まあ落ち着きなさいシャウラちん。ここからアクナちゃんの魔王的奇策の説明が始まるから」
「結構です。さしずめ、そこに転移ポータルを作って行き来できる様にしたいという魂胆でしょう。そのレーヴァティとやらがそこを離れたくないならば、ここと自由に往来できる様にすればよい。そうすればここだけでなく、そちらも自然を取り戻す事ができます」
「……宰相殿、流石ですね」
とグリーゼが言った。
ホネボーンの言った通り、アクナバサクはあの廃村に転移ポータルを作り、魔王谷と行き来できる様にするつもりだった。
実際、あの後数日の間、やって来た現世喰たちを倒しているうちに、周辺はかなり自然が蘇って来た。その事もあって、それならば無理にレーヴァティ一人を連れ帰るよりも、あの廃村周辺を森にしてしまい、その上で転移ポータルを設置して、魔王谷と自由に行き来できる様にする心づもりだったわけだ。
話の機先を制されてアクナバサクはむくれてしまった。ホネボーンは肩をすくめた。
「王様が思いつく事くらい見当がつきます」
「だからってよぉ……お前よぉ……わたしが折角勿体ぶってよぉ……満を持して公開しようって思ってたのによぉ……」
とアクナバサクはしゃがみ込んで地面にのの字を書いている。アルゲディやキシュクが、その背中をさすってやったり、頭をよしよしと撫でてやったりしている。
グリーゼがホネボーンの顔を窺いつつ、口を開いた。
「それで、どうでしょうか宰相殿? 可能、なんでしょうか?」
「可能です」
と事もなげに言った。
「距離的には遠いですが、地形の把握さえできていれば術式の構築はできます」
「しし、師匠、すごい……じゃあ」
「しかし、さっきも言いましたが、そこまでする必要があるかどうかは疑問の残る所です」
「だから連れて来るわけじゃないっていってるじゃん」
ようやく立ち直ったアクナバサクが言った。
「そういう問題ではありません。そのレーヴァティという魔姫がそれを望んでいるのですか? 今のところ、単なるおせっかいにしか聞こえません。というよりも単なる自己満足です。レーヴァティの待ち人とやらが何だかは知りませんが、その思い出に取って代わるだけのものを、与える事ができますか? 却って彼女の居場所を奪う事になるとは考えませんか?」
容赦のない物言いに、魔姫たちは言葉に詰まった。確かにそうかも知れない。レーヴァティはレーヴァティなりに心に美しいものを保ち、それを守ろうと必死になっている。彼女の為だと息巻いてはいるが、もしかしたらただ彼女を困らせているだけで、自分本位の空回りになっているのではないだろうか。
しかしアクナバサクはふんと鼻を鳴らして腕組みした。
「そんな事知らん! わたしがやりたいからやるんだよ! ホネボーン、つべこべ言わずにお前も協力しなさい!」
「はい」
「過去を大事にするのと過去に囚われるのは違うんだからねっ! べっ、別にわたしの過去に碌な事がなかったせいで実感が湧かないってわけじゃないんだから、勘違いしないでよねっ!」
と、アクナバサクはいい事を言った様な顔をしているが、どうにも締まらない。
○
風が吹く度に、広々と伸ばした枝が揺れている。常緑樹らしく、寒気にさらされてあっという間に葉を落とす木もある中、未だ青々した葉を茂らせていた。
木々の間を縫って来る風は、吹きっさらしのそれと違って、不思議と優しい様に感ぜられた。
まだ地面は少しぬかるんでいる。先日の雨の後、冬らしい気温に下がったのか、夜半に地面が凍ってそれが日中に溶けるという事を繰り返しているから、中々ぬかるみが引かない。
広場の噴水跡の傍らで、レーヴァティとハクヨウは並んで座っていた。
「……なんで残ったんじゃい」
「ここを守る為だ。現世喰は毎日襲撃して来るじゃないか」
レーヴァティはふうと息をつく。
「守ってどうする。お前には関係ない事じゃろ」
「関係ないもんか。仲間が大事にしている場所だ。放っておけない」
「ふん……別にわし一人でも大丈夫じゃわ」
「無理だよ。言っただろう? 奴らは変異している。今までは王様がいたから問題なく倒せたけど、油断していたら痛い目を見る事になるぞ、レーヴァティ」
「ははっ、おっかない事を言うもんじゃの」
「脅してるわけじゃない。これだけ自然が戻ったとなると、現世喰だって引き寄せられる筈だ。近くにコロニーがあるなら猶更だ」
「……」
黙ってしまったレーヴァティを見て、ハクヨウは小さくため息をついた。
「あっちの方を見回って来るよ」
そう言って、ハクヨウは歩いて行った。
レーヴァティは野太刀を抱く様にして俯いた。ささやかな森となった小さな村を眺める。歓迎すべき事の筈だ。それなのに、ため息ばかり出るのはなぜだろう。
「……ちょっと客が来ただけじゃ。いずれ元に戻る」
呟く。その響きはまるで言い聞かせる様だ。
自分から拒否し続けているのに、こうやって寂しさを感じるなぞ勝手なものだ、とレーヴァティは自分が情けなくなった。帰って来るまで、再び会えるまで待っていると約束して、揺らがないつもりだったのに。
しかし、レーヴァティとて馬鹿ではない。本当はもう戻って来る者などいない事はわかっている。
それでも、自分はここにいなくてはならない、とレーヴァティは半ば意地になっていた。何より、自分がそう信じている限り、待ち人も生きている様な気がしたのだ。
ハクヨウやアクナバサクの語る魔王谷の暮らしは輝いていた。戦う為に生み出された魔姫が、その様な穏やかな暮らしをしていいものかと訝ったくらいだ。しかし嘘ではないらしい。言葉には実感があったし、こうやって森が復活した光景を見れば納得せざるを得ない。
ふうと息をついた。舌の上には、ご馳走になった色々なものの味がまだ残っている様に思われた。リンゴ、クッキー、玉葱のスープに焼しめたパン、乾燥果物とナッツ。レーヴァティは思わずごくりと喉を鳴らした。
「……一緒に行ってしまえば」
ハッとして頭を振り、両手で頬をぱしんと叩く。
「駄目じゃ、駄目じゃ、こんな事では! わしはもっとクールな女じゃろうが、しっかりせんかい!」
レーヴァティは怒った様に立ち上がり、野太刀を無暗に振り回した。体を動かした方が余計な事を考えずに済む。
野太刀を振りながら、小さな体は飛んだり跳ねたりする。恐ろしいほどに身軽だ。
肉体が幼いというハンデがあったせいか、レーヴァティはハクヨウと同じくらいの時間を生きているが、彼女の様に肉体が著しく劣化しているわけではなかった。そのせいかあちこちでこき使われ続けていたが、戦場に立つ機会が多かった分、剣や動きにも磨きがかかった。
ひとしきり暴れ回ると、額に汗がにじむくらいになった。
レーヴァティは息をついた。今は温まったけれど、汗を掻いてしまうと体を止めた時に寒くなってしまう。
ハクヨウはまだ戻って来ない。先にねぐらに戻ろうかと思うと、急に辺りの雰囲気が重くなった。
「むっ」
レーヴァティは即座に身構えた。木立の間を縫って、黒い影が飛びかかって来た。現世喰だ。個体としては小型だが、何だか動きが洗練されている。両手の刃物のような爪を振りかざしてレーヴァティに襲い掛かる。
「舐めんなよ」
レーヴァティは野太刀でそれを受け止めた。金属のぶつかり合う高い音がした。
現世喰が上からかかって来たから、レーヴァティはそれを下から受け止めた様な形になった。鍔ぜり合う様な格好だが、体格は現世喰の方が大きい。そのままぐいと力を込められると、レーヴァティは思わず膝を突いた。
「ぐっ……このやろう!」
全身の力を込めて押し返すが、現世喰は体重をかける様にさらに上から押し込んで来るから、体勢が整えられない。
レーヴァティは身軽で、剣の腕も確かだが、体が幼いゆえに力はそれほど強くない。単純な力のせめぎ合いになると少し弱かった。
相手の現世喰が速度勝負をかけて来ていればレーヴァティの方に分があっただろうが、現世喰はそれを知っているかの様にレーヴァティを押して来る。赤く大きな目が舌なめずりでもする様にぎらぎらと光っていた。
「なるほど、お前が変異した個体っちゅうわけじゃな……? 森の気配に引かれて出て来よったか」
確かにいつも来る様な小型のものとは動きも力も格段に上だ。ハクヨウの言っていたのはこういう奴か、とレーヴァティは思った。
自然が戻ったのは喜ばしかったが、急激に膨らんだ生命の気配は、コロニーに籠っていた変異個体まで起こす羽目になってしまったらしい。
だが負けるわけにはいかない。帰る場所を守るのが自分の役目だ。
レーヴァティはふっと力を抜いて、現世喰が前につんのめりかけるわずかな隙に横に滑る様に抜け出した。そのまま体勢を整えるのと同時に斬りかかる。現世喰の方も即座に腕を防御に回す。
力比べに持ち込ませはしない。とレーヴァティは縦横無尽に野太刀を振るい、四方八方から現世喰を攻め立てた。体にまとう殻も通常の現世喰よりも硬いらしく、容易に切り裂く事はできなかったが、それでも数十合の打ち合いの末、とうとうレーヴァティの刃が現世喰の首をすっ飛ばした。
不意を突かれたとはいえ、一筋縄でいかない相手だった。レーヴァティは大きく息をつく。
「一体だけ、とは考えられんわな」
確かに強かったが、毎日攻めて来るくらい数の多い現世喰を統率するくらいとは思えない。
兵の上には将がいる。将がいるならばその上には王がいる筈だ。将に手間取る様では、王相手では分が悪いかも知れない。
魔姫として生み出されて百年ばかり、レーヴァティはいつも前線で戦い続けた。現世喰の事はよくわかっているつもりだ。しかし、手間取る様になっているのでは危ない。いっそハクヨウと一緒に魔王谷という所へ行けば安全ではないだろうか。
いや、駄目だ。それでは約束を破る事になる。
レーヴァティは俯いて目元を手で覆った。
「うう、わしはいつからこんなに憶病になったんじゃ……」
思いもよらぬ自身の心の変遷にレーヴァティがうろたえていると、周囲にまた気配が満ちて来た。
「……くそっ」
木立の後ろから現れた現世喰たちを見て、レーヴァティは野太刀を構え直す。さっきの奴と同じのが何体もいる。いつもの現世喰であれば、レーヴァティがいたとしても目の前の木や草にかじりつくのだが、この連中は明らかにレーヴァティを狙っている。
「負けてたまるか……っ!」
さっきは不意を打たれたが、今度はそうはいかない。姿は見えているし、相手がいつもと違う事だってわかっている。
レーヴァティが野太刀を構え直した時、「レーヴァティ!」と声がして、ハクヨウが現れた。あちらも戦っていたのか、手に剣を持っている。
「ハクヨウ……」
「話は後だ! 片付けるぞ!」
ハクヨウは剣を振りかざして現世喰に斬りかかる。そうして、レーヴァティでは貫けなかった外甲殻を軽々と切り裂いた。レーヴァティは目を剥く。
「なんじゃと……あれを切り裂くとは……」
レーヴァティが驚いている間にも、ハクヨウはさらに二体を袈裟切りにした。レーヴァティはぐっと唇を噛んだ。対抗心がむらむらと湧き上がって来る。
「負けてたまるか!」
レーヴァティは裂帛の気合で現世喰に斬りかかった。動きも早いし、強敵である事は間違いないが、レーヴァティとて百年近く戦い続けて来た魔姫だ。数えきれないくらいの場数を踏んでいる。対して、変異個体たちは強力にこそなっているが、戦闘の経験は皆無だ。一匹目で相手の特性を理解したレーヴァティは、変異個体たちの関節の継ぎ目を狙い、次々と切り裂いた。
それでも、やはり余裕で勝てる様な相手でもない。肉体の劣化は少ないが、全盛期より力は落ちている。
ようやく敵をせん滅した頃には、レーヴァティはすっかり息が上がっていた。
「レーヴァティ、大丈夫か?」
ハクヨウが心配そうな顔をして駆け寄って来る。息なぞ上がっていない。
レーヴァティは大きく息をついてから苦笑いを浮かべた。
「……ちくしょうめ。ハクヨウ、お前そんなに強かったか?」
「はは……王様に力を分けてもらったんだ。少し前は、肉体の劣化がひどくて、戦うどころか立つのもやっとだったんだよ」
「まったく、これじゃわしなぞ立つ瀬もないわ」
「そんな事ないよ。君だって変異個体と互角以上に戦えているじゃないか。そっちの方が凄いとわたしは思うよ」
「やれやれ……」
レーヴァティは頭を振り、それから泉の水をすくって飲んだ。氷の様に冷たいが、それがひどくうまい。なぜだか涙がにじむ様な気がして、レーヴァティは大慌てで顔まで洗った。寒風が濡れた顔に冷たく、頬が余計に赤くなった様に思われた。
ハクヨウはそんなレーヴァティを見てくすくす笑い、それから思い出した様に口を開いた。
「なあ、ちょっと見て欲しいものがあるんだ。家に戻らないか?」
「んあ? おお、ええぞ。今日はもう襲撃はあるまい」
それで二人は地下室に戻った。ハクヨウは自分の荷物を開けて、中から小さな人形を取り出した。道中でアクナバサクが作り、ハクヨウにくれたものだ。
「おお、よく出来とるのー。これはお前じゃろ?」
「うん。こっちはね、グリーゼっていって、わたしの妹分の一人だ。真面目でね、わたしが体を壊し気味だったから、この子がずっと頑張ってくれていた。髪の毛が綺麗で、たまに櫛を入れてやるんだ。そうするとふわふわしてとっても可愛くなるんだよ。この子はシャウラっていって……」
とハクヨウは妹分の魔姫たちを模った人形を一つ一つ見せて、その人となりをゆっくりと話した。レーヴァティは、まだこんなに魔姫が生き残っていたのかと驚いた。
ハクヨウは寂し気に笑う。
「最初はもっと沢山いたんだけどね……戦ううちに大勢やられたよ」
「そうか。人間どもが西に行ってから、こっちに残っておるのは見捨てられた連中ばかりじゃったからなあ……わしと同じ部隊の連中も、わし以外は皆駄目じゃったわ」
「うん……」
力のある魔姫は人間が連れて行った。大勢の魔姫が生み出され、その多くは力の弱い者ばかりだったが、中にはかなり強力な力を宿した者もいて、そういう者はレーヴァティやハクヨウよりも強い。
魔姫の思い出話はつらい事が多い。戦う為に生み出されたが故に、その生は常に生き死にを分ける現場であるからだ。多くの出会いと別れがある。
ハクヨウもレーヴァティも第一世代だから、その分良くも悪くも経験が深い。
やや下向きになった雰囲気を振り払う様に、レーヴァティは人形を一つ手に取る。
「このぽわぽわした雰囲気のは誰じゃ? あまり強そうではないな」
「ああ、彼女はナエユミエナっていって、魔姫じゃなくて、なんと女神様なんだよ」
「なぬ? その谷には神までおるんか」
「うん。豊穣神らしいよ。たまに神様だって忘れそうになるけどね。料理上手で……そうそう、持って来たクッキーは彼女が焼いてくれたんだよ」
レーヴァティはごくりと喉を鳴らした。クッキーは少し湿気っていたけれどすこぶるうまかった。
ハクヨウはふふっと微笑んだ。
「会ってみて欲しいな、君にも。妹分たちもいい子ばっかりなんだ」
「……そうじゃな。考えとく。それはそうと」
「ん?」
「この服着た骨はなんじゃい……」
「えっと、この人はホネボーンさんっていって、王様の右腕で……魔王谷で一番怖い人、かな?」
「……どんな風に?」
「うーん……雰囲気? あと、話をすると凄く理詰めで容赦ない、かな。無言でも妙に威圧感あるし、一緒にいるとちょっと緊張する。いや、いい人なんだけど」
「ほーん……あのよぉ。もしかして、魔王ってのはあのアホじゃのうて、この骨じゃねえんか?」
そう言われると確かにそんな気もしてしまうハクヨウであった。