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19.魔姫レーヴァティ


 むすっとした顔のレーヴァティの前で、アクナバサクは地に頭をつけて跪いていた。


「大変失礼をばいたしました!」

「ふん……」


 レーヴァティはそっぽを向く。ハクヨウが苦笑を浮かべながら、取りなす様に口を開いた。


「まあまあレーヴァティ、王様も悪気があったわけじゃないから」

「……ま、お前を助ける為だったんじゃろ。それはわしも解っとる。でもめっちゃ痛かったんじゃい……」


 レーヴァティはそう言って、殴られた所を手の平でさすり、顔をしかめた。タンコブになっているらしく、触るだけで痛いらしい。

 アクナバサクは顔を上げて、いそいそとレーヴァティにすり寄った。そうして肩を抱く。レーヴァティは目を白黒させた。


「な、なんじゃい」

「まあまあ」

「や、やめい! ふおおっ」


 抱き寄せられたレーヴァティは、よしよしと頭を撫でられている。抵抗しようとするが、彼女の持つ魔王の因子がアクナバサクに反応しているのか、結局されるがままになっていた。頬すら赤らめている。


「な、なんじゃこれは……! 撫でられると、ふおっ、う、嬉しくなってしまう! おっ、お前はナニモンじゃい! ふおおっ!」

「稀代のナデポ使い、アクナちゃんだよ!」

(また適当な事を言っている……)


 ハクヨウが半ばあきれ顔で見守る中、散々に撫でまわされたレーヴァティは、なぜか息も荒く床にへたり込んだ。しばらく息を整えていたが、ふと気づいた様に頭に手をやる。


「……痛くない」

「おっ、よかった。ちょっと『与え』たからネ」


 けらけら笑うアクナバサクを、レーヴァティは怪訝な顔をして見返した。


「……ホントにお前はナニモンなんじゃ? どうしてハクヨウと一緒におるんじゃ?」

「話すと長くなるんだけど、まずわたしがこの体を得て起床したところから始めなくてはならない。世界は混沌であった。光あれ、と誰が言ったか知らないけど、光があって、だから闇が出来たって事なんだよ!」


 とアクナバサクは何だか要領を得ない話を長々と始めた。レーヴァティは完全に混乱している。


(やばい。宰相殿がいないとこうなっちゃうのか……わ、わたしが何とかしないと)


 仮にホネボーンがいたならば、容赦のないツッコミでアクナバサクの話を元に戻したであろう。いない以上自分がやらねば、とハクヨウが割り込んだ。


「王様、ちょっと」

「えっ、何?」

「何言ってるか全然解らないよ。話が壮大過ぎる」

「マジで。どの辺から解んなかった?」

「最初から全部解らん」とレーヴァティが言った。

「そっかー。何となくそんな気はしてた。ハクにゃん、代わりに説明してあげて」

「う、うん」


 それでアクナバサクに代わって、ハクヨウが色々と説明した。アクナバサクはホムンクルスの肉体を得て復活した本物の魔王であり、それゆえに様々な力を使う事が出来る、という事や、城塞都市に取り残されて、座して死を待つだけだった自分たちを助けに来てくれ、その後は魔王谷で暮らしている事を。

 レーヴァティはようやく得心がいったという顔をしてふんふんと頷いた。


「魔王か……伝説上の存在じゃと思っとったが、本当にいるんじゃな。しかし、伝え聞くほど凶暴でもなさそうじゃが」

「わたし以外の魔王はマジでクソ野郎揃いだぞ。気を付けてネ」

「お前は違うんか?」

「わたしのどこがクソ野郎ってんだよ!」

「王様は大丈夫だから……けど、他の魔王は皆死に絶えたんだろう?」

「うん。一応わたし、領地の最奥にいたからね。人間たちがわたしの元に到達するには、他の魔王連中をぶっ倒さないと駄目だったから。そのせいで黒幕と勘違いされて、申し開きする前に全力で殺しに来られたけどね、はははは!」

「……ハクヨウ、これ笑ってええんか?」

「えっと……と、ともかく王様は味方だって解っただろう?」

「まあの」

「レーちゃんっていったっけ? そっちはなんでここにいるの?」

「わしか。わしは待っておる」

「待ってる? 援軍をかい?」


 ハクヨウが言うと、レーヴァティは立ち上がった。


「ま、ちょいと腹ごしらえしようや。茸は食えるか?」

「食えまーす」


 レーヴァティは奥の部屋に入って行った。アクナバサクはこそこそした足取りでその後をついて行き、部屋の中を覗き込んだ。蒼輝石で青白く照らされた部屋の中はプランターが並んでいて、茸が沢山生えていた。


「わー、すげー」

「なんじゃい、興味があるんか? そんなトコに突っ立ってねえで、入って来いや」


 言われるがままに、アクナバサクは中に入った。

 部屋の隅の方は水が漏れ出して来ていて、そこ周辺は苔の様なものが覆っている。プランターは棚に何段かに分けて並べられており、幾種類かの茸と、わさわさした苔とが生えていた。

 よく見ると、壁際には丸太が立てかけられており、そこからも苔や茸が顔を出している。黒いこぶの様な塊も生え出ていた。


「これ何? 樹液の塊?」

「うんにゃ、これも茸の一種じゃ。名前は忘れたが、煎じて茶にするんじゃい」


 アクナバサクは感心して頷いた。


「ここは農場ってわけだネ。レーちゃん一人で作ったの?」

「まあの。こいつらはいいぞ。少しのエネルギーと水分とで沢山増えてくれる」


 レーヴァティは茸をいくつか、それに苔をいくらか摘み取って、前の部屋に戻った。そうして茸を厚めにスライスし、焜炉に乗せた鉄板で焼く。黒いこぶの様な塊と苔とは、同じ鍋に入れてくつくつと煮込んだ。


「ほい、できたぞ」


 焼いた茸と、お茶の様な液体が出された。


「いただきまーす」


 アクナバサクは躊躇なく茸を口に運んだ。一口噛むと、肉汁の様な濃い汁が溢れて来た。脂っぽさもある。まるで肉の様だ。


「うはっ、めっちゃ肉感あるな! 茸だよね、これ?」

「正真正銘の茸じゃい。ま、品種改良されとるから、食べ応えは十分じゃがの」

「すごいな。本当に肉みたいだ」


 ハクヨウも驚いた様に茸を食べている。レーヴァティはちょっと自慢げに頬を緩め、カップに入ったお茶も二人に勧めた。

 お茶は不思議な香りがした。若草のにおいだ。それにかすかな甘みがある。味の濃い茸の後に飲むと、口の中がさっぱりした。


「んー、こりゃいいね。不思議な味わいだ」

「じゃろ」

「レーヴァティ、君はずっとこれを食べて生き延びていたのかい?」


 ハクヨウが言うと、レーヴァティは頷いた。


「流石に飽きたが、魔力エンジンの稼働には十分じゃからな」

「えっ、これだけが食事だったの? うーむ、それだとうまくても流石に飽きるわな……果物、食べる?」


 アクナバサクは荷物を漁ってリンゴを取り出した。レーヴァティの目の色が変わる。


「う、うおおおお! りっ、リンゴっ! くっ、くれるのか!?」

「イイヨー。あ、他にも色々……あ、これナエちゃんが焼いてくれたクッキーだ」


 アクナバサクは次々と食物を取り出して並べて行く。一つ、また一つと増える度に、レーヴァティは頬を染めて体を震わせ、ついにはアクナバサクに抱きついた。恍惚とした表情でその胸に頬ずりする。


「好きじゃあ……」

「えっ……トゥンク……」

(口でトゥンクって言った……)


 呆れるハクヨウの前で、二人はしばらく抱き合っていた。やがてレーヴァティが我に返ったと見えて、慌てて離れて咳払いした。何となく恥ずかしそうにハクヨウとアクナバサクを交互に見た。


「わ、わ、わしはあれじゃ、その、食べるのが好きなんじゃ。ここは食いもんに乏しいから我慢しとって、つい嬉しさに我を忘れてしもうた……あ、ほれ、これが」


 とレーヴァティは部屋の隅から分厚い本を持って来て二人の前に広げた。様々な料理やお菓子が、挿絵付きで作り方を紹介されている。色々なページに折り目で目印がつけてあった。レーヴァティはぱらぱらとめくりながら、ふふんと鼻を鳴らした。


「食べたいものリスト! これを眺めて気を紛らわすのがわしの楽しみなんじゃい」

「なにそれ悲しい。涙出て来そう」

「な、なんでお前が泣くんじゃい」

「だって可哀想で……レーちゃん、魔王谷においでなさい。ナエちゃん、っていうのがうちの豊穣神なんだけど、彼女が色々作ってくれるからさ。ね、ハクにゃん?」

「うん。レーヴァティ、君さえよければ。いい所だよ。自然が豊かで……他にも魔姫たちがいる。寂しい思いはさせない」


 レーヴァティは少し寂しそうな笑みを浮かべた。そうしてえへへと笑う。


「ま、その話は後にしようや。わし、御馳走を目の前にもう辛抱溜まらん。お茶を淹れ直すから」


 そう言って、空の鍋を持って奥の部屋に入ってしまう。

 アクナバサクとハクヨウは顔を見合わせた。


「来たくねえのかなぁ?」

「……何か事情があるのかも。待ってるって言ってたし」

「あ、言ってた言ってた。誰を待ってんのかな? 他に魔姫がいるのかしらん? でもペンダントには反応ないしなあ」

「解らないけれど……ひとまず今日はゆっくりしようか。話しているうちに、レーヴァティも事情を打ち明けてくれるかも知れないし」

「そだねー」


 レーヴァティはお茶のたっぷり入った鍋を持って来て、勢いよくテーブルに置いた。衝撃で少しこぼれたが気にした様子はない。


「へへへ……リ、リンゴ、いただいてええか?」

「どうぞどうぞ」


 レーヴァティは赤いリンゴを両手で持つと、ちょっとためらった後に、勢いよくかぶりついた。耳障りのいい音で咀嚼する。ほっぺたがリンゴと同じくらい赤くなって、口端は嬉しそうに緩んでいる。


「んふ、んふふふ……うまい……うまいのう」


 食べながら、ついにはぼろぼろと涙をこぼした。


「甘いもん、久しぶりじゃあ……」


 アクナバサクは黙ったまま、ひょいとレーヴァティを抱き上げて膝の上に乗っけた。リンゴにかぶりついていたレーヴァティは、この不意打ちに「もがっ」と言って小さく身じろぎしたが、後ろから抱く様に撫でられて結局大人しくしている。


「……なあ、レーヴァティ。君はここにどれくらいいるんだい?」


 とハクヨウが言った。レーヴァティはリンゴをかじりながら、考える様に視線を泳がした。


「もう三年にはなるかのう。最後の討伐戦と銘打って、近くの現世喰のコロニーへの侵攻があったんじゃ。わしも行くものと思っとったが、村の守りじゃとここに残された。結局討伐隊は戻って来んかったが……」

「村の人たちは?」

「避難したよ。わしは残った。それからはずっと独りぼっちじゃ」


 芯から種まで全部たいらげたレーヴァティはそう言って、また一つリンゴに手を伸ばした。アクナバサクはその頭をよしよしと撫でた。


「他の所に行こうって思わなかったの?」

「他も似た様なもんじゃろ。そんなら慣れた所にとどまりたいと思うのが人情っちゅうもんじゃい。それに、ここで帰りを待つと約束した」

「約束?」

「そうじゃ。無事に帰ってケーキを焼いてくれると約束しとる」

「へえー、いい友達がいるんだねえ」


 とアクナバサクはのほほんとしている。ハクヨウは困った様に頭を掻いた。


「だが……君は」

「言いたい事は分かるわい。ま、今日の所は難しい話はなしにしようや。折角の御馳走が味気なくなっちまう」


 そう言うと、レーヴァティはまたうまそうにリンゴをかじった。ハクヨウは俯きがちに口をつぐみ、アクナバサクはレーヴァティをよしよしと撫でていた。



  ○



 夜が更けて、魔姫二人はまどろんでいた。久しぶりにご馳走をたらふく食べたらしいレーヴァティは、幸せそうな顔をしてむにゃむにゃ言っている。

 睡眠の必要がないアクナバサクは退屈で、しばらくは二人の寝顔を眺めたり、意味もなく同じ姿勢で寝ころんでみたりしていたが、眼が冴えて仕方がないから、外に出た。


 雲は薄らいでいたが、みぞれ交じりの雨は、いつの間にか雪に変わっていた。この辺りはあまり雪の深い地域ではないらしいが、それでもやはり気温が下がれば雪も降るらしい。

 足元はぐしゃぐしゃして、吹く風は冷たい。空は真っ黒だが、向こう側に月が出ているのか、そこいらに薄明かりが満ちている様にも思われた。

 廃屋の影が暗く浮かび上がっている。アクナバサクは当てもなくふらふらと廃村を歩き回った。


「うーむ、昔はいい所だったんだろうなぁ」


 村中央の広場には、噴水の様なものさえあった。水は枯れ果てて、周囲を彩っていた石細工も朽ちかけてぼろぼろになっている。

 アクナバサクは壊れかけた噴水の縁に腰を下ろした。尻が濡れるのも構わない。


「かつてはこうして腰かけて愛を語り合った男女もいたに違いない。いいなあ、わたしも語らいたいぜ。噴き出した水がきらきらして、なんかこう……えっと……いい感じになって、それで……空とかめっちゃ青くて、鳥とかめっちゃ鳴いてて。しかし愛を語らうとはこれいかに? 愛とは……うーむ、恋人とはすべからく哲学者たるべきなのかしらん?」

「ぎぎっ」

「そーかそーか……ん?」


 アクナバサクは首を傾げながら脇に目をやった。現世喰が隣に腰かけて、アクナバサクを見ていた。


「おわーっ! こんにちはーっ!」


 反射的にアクナバサクの拳が打ち放たれ、現世喰の頭部を粉砕した。それを皮切りに、周囲にいたらしい現世喰たちが次々に姿を現してアクナバサクに押し寄せて来た。


「うおおっ! わたしの哲学論考の時間を邪魔するんじゃない!」


 そんな風にアクナバサクは夜じゅうどたどたしていた。


 翌朝になって目覚めた魔姫二人は、アクナバサクがいないのに首を傾げた。


「あのアホはどこに行ったんじゃい」

「わたしも解らないけど……あとアホって言うのはやめようよ」

「外かの。やれやれ、現世喰の数も増えとるっちゅうのに、世話の焼ける……」

「いや、王様は大丈夫だよ。わたしたちよりも強いから……それよりレーヴァティ、君は一緒に来るつもりはないのかい? あまり言いたくはないが、ここで誰かを待っていても、もう」

「わかっとる。しかし約束しちまったからな。なあハクヨウ。お前にはわからんか? 希望を抱き続けるのもつらいっちゅう事をよ。わしはいつからか自分を誤魔化し続けておる。いつの間にか希望の約束は妄執みたいなもんに変わっとったんじゃい。本当は全部諦めておるのに、それを認めると自分が自分じゃなくなっちまう様な気がしとる。だからこの村にしがみついとるんじゃ。何とか理由を作っとる」

「……わかるよ。わたしもそうだった」


 ハクヨウは廃都市での事をレーヴァティに語った。見捨てられた魔姫たちの拠り所として気丈に振舞っていた。内心では後がないと感づいていたにもかかわらず。

 それでも、とハクヨウは顔を上げる。


「救いはあったんだよ、レーヴァティ。王様が来てくれた」

「そうか」


 レーヴァティは視線を落として頬を掻いた。


「……いい子だったんじゃ。わしより背も高いし、顔つきも大人びておる癖に、妹みたいにわしの後をついて来ておった。魔姫としては強くはなかったかも知れんが、料理が上手で、お菓子を焼いてくれる事もあった。どうしてわしでなくあいつが討伐隊に組み込まれちまったんかのう」


 ハクヨウは黙ったまま耳を傾けている。


「この村は昔は緑豊かでな。色んな木の実が手に入った。アンズやリンゴを干した奴を入れたケーキなんか、そりゃあうまかったもんじゃ。今でもそんな夢ばっかり見る。昨夜もそうじゃ。リンゴなんか食っちまったから、より鮮明にな。わしにとっちゃ、それがもうつらいよ。絶対に戻って来ない風景だからよ」


 レーヴァティは口を閉じた。ハクヨウも黙っていた。しばしの沈黙の後、レーヴァティは野太刀を担いで立ち上がった。


「ま、そういうわけだからよ、無駄かも知れんが、わしは約束を守りたい。この目で死んだと確かめられでもせにゃ、放って他所に行くのは無理じゃい。助けるのは他の魔姫にしてやってくれや。わしは、くたびれちまった。リンゴも食えたし、もう満足じゃい。一人でも十分に身を守る事はできるしな」

「……わたしは、まだ諦めないよ。君は確かに強い。わたしと同世代なのに、肉体も劣化せずに戦い続けていたのは凄いと思う。だけど……」

「なんじゃい」

「やつら、変異しているんだ。明らかに前と違っている。そんな感じはしないか?」

「まあ、な。力の割に持っとるエネルギーの量が減った様には思う。それで弱くなったかと言えば、そうではない。低燃費になったとでもいうか」

「ああ。いわゆる兵隊レベルの現世喰はそうなっている。しかも、その上位に、単に生命エネルギーを食い尽くすだけじゃなくて、明確に思考して行動する個体がいる。わたしたちは、そんなのが率いているコロニーとずっと戦っていた。そこを王様が助けに来てくれたんだ」

「ふん、なるほどな。そいつはちと厄介かも知れんが」

「なあ、わたしは助け合いたいんだ、レーヴァティ。同じ魔姫として。だから君をここに置いたまま谷に戻りたくないんだ」

「……ともかく、それだけ連中が厄介になっとるならあのアホも危ないじゃろ。捜しに行った方がええじゃろうな」


 とレーヴァティは半ば逃げ出す様に外へと向かって行く。ハクヨウは眉を顰めつつもその後に続いた。


 そうして二人は地上へと出て、思わず立ちすくんだ。昨夜までの荒涼とした廃村の姿が消え、大小の木々や茂みがそこいらじゅうに広がって、さながら森の様相を呈していたからだ。


「こ、これは……」

「……わしは夢でも見とるんじゃろか」


 レーヴァティはそう言って頬をつねった。痛い。夢ではないらしい。

 夜の間に雲は流れたらしく、廃村には日が差していた。かつては日差しも風も心地よくなかったのに、木々の間を縫って来る風や、地面にまだら模様を作る日の光は、何だか優し気に感じる。

 しかし地面はぐしゃぐしゃしていた。昨夜まで降っていた雪がもう溶けていて、それが植物の生えない土と混ざり合ったせいで、気をつけないと転びそうである。しかし、その中からも既に小さな植物の芽が季節外れに顔を見せ始めていた。

 二人は困惑したまま歩を進め、やがて村の中心部に辿り着いた。枯れていた噴水の水が湧き出していて、溢れたそれらが方々に流れ出ている。その泉を覆う様に大きな木が枝を伸ばしていた。

 その傍らで泥まみれになったアクナバサクが、目をつむったまま片足で立っていた。


「王様!」


 ハクヨウが声をかけると、アクナバサクはびくっとした様に目を開けた。


「おおう……あっ、おはよう」

「お前は何をやっとったんじゃい」

「ちょっと哲学論考を……寝れなかったもんだから」

「は? もしかして昨日の夜からか?」

「あ、はい」

「……王様、もしかして現世喰を退治したんじゃ」

「えっ……あのー……は、はい。しました。あのでも、ちょっとだけよ? ほんの一、二体」

「嘘こけ。夜になると現世喰どもはぞろぞろやって来るんじゃぞ。最近は持っとるエネルギーの量も減っとったし、百は下らんじゃろ」

「……たぶん」


 とアクナバサクは視線を泳がした。実際そうだった。夜じゅう現世喰と戦って、溢れ出た生命エネルギーが勿体ないからと、つい『与える力』を使ってみたので、こういう状態になったのである。体を動かすのが面白くなったせいで、エネルギーの固定化を完全に忘れていたのは流石アクナバサクと言えるであろう。


 レーヴァティは呆れ顔で周囲を見回す。風に木々が揺れて、何だか懐かしい感じである。アクナバサクの力のせいか、季節外れのアンズが実をぶら下げていたりする。

 そんなつもりはないのに、何だか目が潤んで来るようで、レーヴァティは思わず顔を伏せた。


「……ちくしょうめ」


 涙ぐむレーヴァティを見て、アクナバサクは慌てた。


「ひええ、また泣かしちゃった! ごめんねごめんね!」

「うっさいわい! くそっ、わしの心をざわつかせる事ばっかしやがって……」


 レーヴァティはぐしぐしと鼻をこすって、口を尖らしたままアクナバサクを見た。


「……ホントにお前は凄い力を持っとるらしいな」

「え? あっ、褒められた? 持ってるよ、いえーい!」


 変なポーズを決めるアクナバサクを見て、レーヴァティはふふんと鼻を鳴らした。


「その力は、もっと困っとる魔姫に使ってやれ。わしはもう十分じゃ。苦しんどる魔姫は他にいる筈じゃ。わしにかかずらっとる場合じゃなかろう」

「えっ。でも」

「ええんじゃい。わしは約束したんじゃから」

「クッキーとか色々あるんだけど」

「うぐっ……! うぐぐ……」


 急に悩みだすレーヴァティである。

 ハクヨウは苦笑いを浮かべてレーヴァティの肩を叩いた。


「魔王谷に来ればいつでも食べられる様になるぞ?」

「ぐむっ……い、いや。いい。わし一人だけ幸せになるのは、悪い」

「なんで悪いんだよ! 幸せになるの舐めんじゃねーぞ! 案外難しいんだからな! わたしは別に何もしなくても幸せだけど、いや、それは別にわたしが馬鹿とか単純とかいうわけではなく! あれ? だとすると幸せって案外簡単なのか……?」

「王様、ちょっと静かにしててもらえる?」

「はい」


 ハクヨウも段々容赦がなくなって来たらしい。アクナバサクはつまらなそうに口をつぐんだ。わたしは王様なんだけどなあ、と思った。

 ハクヨウはレーヴァティを説得している。レーヴァティも心は揺れているらしいが、一度こうだと誓った事を翻すわけにはいかない様だ。というより、そうだと自分で決めてしまっている節がある。さらにハクヨウが熱心に説得するほど、却って意固地になっている様な具合だった。


 それから数日の間、アクナバサクとハクヨウはレーヴァティと起居を共にしつつ、彼女を説得した。それでもレーヴァティは中々首を縦に振らない。二人がここにいる事に文句も言わないが、自分が動くのは嫌な様だ。


 今日もしばらくの問答の後、ハクヨウがやれやれという様子でアクナバサクの方に来た。


「駄目だ。完全に意固地になってる」

「うーむ、やっぱりここを離れたくないって事なの?」

「ああ。レーヴァティ自身も、待ち人がもう帰って来ない事くらいわかっているだろう。だけど、その約束自体が彼女の存在意義になってるんだ。それを自分で否定するわけにはいかない。義理堅い性格なんだろうな……待ち人が死んだ事はわかり切っているけれど、確認できない以上死んだと決まったわけじゃない。だから約束を守ってるんだ」

「そういうもんなの? わたしにはわからんなあ」

「はは、王様はそれでいいと思うよ……長く戦い続けると、奇妙な諦念が心に宿ってしまうんだ。わたしはまだ妹分たちがいてくれたから大丈夫だったけど、あの子はずっと独りぼっちだったから、思い出にばかりすがってしまうのも無理はないんじゃないかな」

「ふーん……」


 アクナバサクはしばらく腕組みして考えていたが、不意に何か思いついた様に「そうだ!」と大きな声を出した。ハクヨウは目をしばたたかせた。


「ど、どうしたの?」

「魔王谷に来たくないなら、ここを魔王谷にしちゃえばいいんだ!」

「……は?」


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― 新着の感想 ―
[一言] うぉ!更新されとる! 楽しみに待ってました!
[良い点] 再開、ありがとうございます。 王様のノリが大好きです。
[一言] ただいま、おかえりなさい魔王谷。 アクナちゃんやっちゃえ。
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