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14.師匠は骨


 初めてホネボーンの研究室に足を踏み入れたシャウラは、緊張でどうにかなりそうだった。心臓が胸を裏側から突き上げて、今にも口から飛び出して来そうなくらい打っている。息が荒くなって、今喋ればいつも以上にどもってしまいそうだ。


「気分でも悪いんですか」


 とホネボーンが言った。シャウラはぶんぶんと頭を横に振った。


「だっ、だだだ、だいじょっぶ!」

「駄目そうですね」


 ホネボーンは呆れた様に言って、棚を指さした。


「香草茶があります。淹れて飲みなさい。少しは落ち着くでしょう」

「あっひゃ、ひゃいっ!」


 ホネボーンは奥に入って、何か道具の様なものをごそごそと取り出している。

 シャウラは急いでお茶を淹れようと棚に手をかけてポットやカップ、茶葉の入った容器などを取り出したが、あんまり一度に抱えようとしたからカップを落っことした。派手な音を立ててカップが砕け散る。シャウラはさらに青くなった。


「何をしているんですか、お前は」

「ひっ、ごごご、ごめごめ、ごめっ、なさっ!」

「いちいち怖がるのをやめなさい。時間の無駄です」


 ホネボーンはさっさと指を振った。砕けたポットの破片が浮き上がり、部屋の隅にあった屑籠へと飛んで行く。

 シャウラはびっくりして目をしばたたかせた。魔法は繊細さを伴うほどに難易度が上がる。大きな岩を一つ動かすならばそう難しくはないが、こういった細かなものをいくつも同時に動かすのは難しい。


「ふえ……すす、すごい」

「魔力操作に習熟すればこの程度はわけありません。お前にもそのうち習得してもらいますからそのつもりで」

「お、教えて、くく、くれるんです、か?」

「はい。しかしまずは転移装置を片付けます。早くお茶を淹れなさい。焜炉はそっちです」

「はひっ!」


 シャウラはポットをテーブルに置き、明らかに実験用と思われる焜炉に薬缶をかけた。

 お茶を飲む前だけれど、さっきよりも落ち着いている。シャウラは気が弱く引っ込み思案ではあるが、好奇心旺盛でもある。特に魔法に関する事には興味津々だ。


(ふへへ、魔力操作、教えてもらえるんだぁ……)


 とシャウラは一人でにやにやした。魔姫とはいえ魔法使いである。自身の知識とスキルが増える事は嬉しい。

 ホネボーンの事はまだおっかない。最初に仮面の下から骸骨が出て来た時は思わず悲鳴を上げてしまった。骨の癖に割と表情豊かだが、基本的には素っ気なく、その表情は専ら呆れか蔑みかくらいにしか出て来ない。態度も素っ気ないし、言葉もぐさりと刺さる。


 しかし魔法の技術は一流だ。今では失われてしまった二百年前の魔法なども知っているという。領内を走る魔法網の石柱を見た時、そこに刻まれた魔術式の見事さに、シャウラは舌を巻いた。

 そんな相手を師として色々と教えてもらえると思うと楽しみの度合いが増えて、シャウラの緊張も少し和らいだ。


「お湯が沸いていますよ」

「ふえっ? わ、わわわ」


 シャウラはぶうぶうと湯気を吹く薬缶を慌てて火からおろした。

 温かいお茶を飲むと確かに落ち着いた。香草の香りも神経を落ち着かせる効能がある様だ。心臓の打ち方も静かになった様に思う。シャウラはふうと息をついた。


 部屋の一角に製図台があり、色別のペンや種々の定規や分度器、コンパスなどが並べられている。ホネボーンがそこに紙を広げた。


「まず術式を構築しますが、下書きを行います。実際は石柱に刻みますから紙に書いた通りとはいきませんが、叩き台としては十分です。術式の構築をやった事は?」

「ふえっ……あああ、あの、けけ、結界の為のじゅ、術式なら……」

「十分です。こっちに来なさい」


 それでシャウラはホネボーンの隣に座らされた。ホネボーンは薄めの鉛筆でさらさらと下書きの様に術式の図形や式を次々と書き込んで行く。


「王様に生成してもらった魔晶石をエネルギー源に据え、そこを囲う様に魔力集積回路を組みます。そこから広げて魔力網への接続回路、それに付随して肉体エネルギーの魔力化と再構築の回路を広げ、術者周辺の範囲を規定、転移の為の条件付けを行います。別のポータルへの接続路を相互展開の術式を利用して組み込み」

「ちょちょ、まま、待って……」

「なんです」

「そそ、そんないっぺんに、お、お、覚えられない……」


 シャウラは頭から湯気でも噴きそうな具合である。ホネボーンはふうと息をついて、紙の中央をとんとんと叩いた。


「ではまず魔力集積回路から行きます。ここを魔晶石のスペースとしましょう。これを中心に魔力集積回路を組んでみなさい。結界を組んでいたなら解りますね?」

「はっ、ひゃいっ」


 シャウラは緊張気味に筆を走らせた。緊張しているせいで手が震えて幾度も書き損じる。その度にホネボーンが無感情な声で「違います」とか「何をしているんですか」と言って杖を振り、インクを消し去ってしまう。そうして「もう一度」と言うから、余計に体が強張ってしまう。


(怒鳴られるのも怖いけど、こういうのも怖いよぉ……)


 昔、人間に怒鳴られた事は何度もあった。そういう時も怖くて体がすくんで涙が出たが、今はそれと違った怖さがある。ホネボーンの眼のない黒い眼孔に見られると、体が震えてしまう。

 そんな風に何度も書き損じながらも、何とか書き終えた。それをホネボーンが検分する様にジッと眺めている。

 シャウラがどきどきしながら、もう冷めてしまったお茶をすすっていると、ホネボーンが赤インクのペンを持って、あれこれと書き込み出した。


「ここは無駄が多い。この式と線は不要です。この図形も無駄。代わりにこちらからこう繋げなさい。こちらも無駄です。省略式でよろしい。この式はこちらと打ち消し合ってしまいますので、両方とも不要。こちらは丸々削って構いません。代わりに第二定理式の図形をこう入れます」

「あわ、あわわ……」


 次々と赤を入れられて、シャウラは目を白黒させた。

 元々シャウラの魔法はほぼ独学だ。最初のうちに人間の魔法使いに教わったものの、現世喰の襲撃が激化していた頃だったので、ゆっくりと魔法を習得する時間はなかった。

 だから何とか結界の術式を組み上げたが、独学故に手探りで、その式には無駄が多かったようだ。ホネボーンが修正したものを見ると、成る程すっきりと整っている。ぐしゃぐしゃと繋げていた線や図形が整理されて、一目見て魔力回路の導線が解る。


(す、すごいなあ……)


 シャウラは思わず魔術式に見とれてしまった。

 昔、勉強の為に見せてもらった人間の魔法使いの術式よりも遥かに洗練されている様に見える。無駄がなく、つまり魔力のロスがない。こんなのが自分一人で組める様になったらどんなに素敵だろうと思った。

 ホネボーンが半ば呆れた様な口ぶりで言った。


「まったく、こんないびつな術式でよく現世喰を食い止めていましたね」

「え、あ、あ、あの、侵入制限じゃなくて、けけ、警報の結界だった、から」

「ああ、成る程。いいですか、無駄な式や魔法陣が増えると魔力のロスが出ます。そうすると想定した術式の効果が出ない。優秀な魔術式は一見複雑でも整っています」

「う、うん、わわ、解る。ます」

「よろしい。しっかり練習しなさい。お前には私なしでも一人で術式が組める様になってもらわなくてはいけません」

「ふえっ……でで、でも」

「拒否権はありません」

「どど、どれだけ、かかるか、わ、解んないけど、いいの?」

「やれるだけ努力して時間がかかるのは構いません。下手に急いでいびつな覚え方をされては却って迷惑です。しかし怠けたり、適当にやったりして習得が遅れているなら、この杖で尻をひっぱたきますからそのつもりで」

「ひえっ」


 前にアクナバサクが杖で一撃されているのを見た事がある。まったく手加減がなかった。

 仕えるべき主相手にあれだから、自分相手にホネボーンは手加減してくれないだろう。想像するだけで痛そうだ。シャウラは思わず尻に手を回した。

 ホネボーンは製図台周りの道具を片付けて立ち上がった。赤入れをした紙を丸めてシャウラに手渡す。


「今日はここまでです。これを見てしっかり練習しておきなさい」

「はは、はい、し、師匠」

「誰が師匠ですか。行きますよ」

「ふあぅ……」


 シャウラはもじもじしながら立ち上がった。もらった紙を抱く様に持つ。頑張って練習しないと、と思いながらホネボーンについて研究室を出た。

 研究室の小屋を出ると、アクナバサクたちが最初に育てたという大木がある。色々な木々が絡まり合って一つの大木になっているから、あちこちから別の種類の木の枝が伸びている。そこに蔦まで絡まっているから、何だか物凄い。


 上流に出来た滝が水を流して来て、それが大木の根元にあった泉と合流し、この辺りはすっかり水浸しになっていた。

 いくつもの小島が浮かび、大小の岩が水の中から顔を出し、そこに草木が生えているという風だ。

 小島同士は木の橋で結ばれ、歩いて行き来出来るようになっている。

 常に水があるせいか、そこら中に苔や蘚類がはびこり、この辺りは昼間でもひんやりしている。生命エネルギーが注ぎ込まれたせいなのか、さながら数百年も経った森の深層といった雰囲気を醸していた。


 外はまだ明るかった。しかしもう夕刻が近い様な具合だった。

 風精(シルフ)が数匹連れ立って、くすくす笑いながら木々の間を飛んで行く。それを追っかける様に風がひゅうと吹いて首筋を撫で、シャウラは思わず身震いした。


 日が当たらなくなると、少しずつ肌寒さを感じる様だった。尤も、前までの気温との落差でそう感じるだけかもしれない。

 ただ、研究室周辺は夏の昼間でもひんやりしている。だから屋敷周辺よりも余計に寒く感じる。

 それでもシャウラは何となく体を抱く様にして二の腕をさすりながら、すたすたと歩いて行くホネボーンに遅れない様に歩いた。


 やがて周囲に壁の様になった崖が迫って来て、山道の様になって来る。だらだらの坂道を辿って下って行くと、次第に水っけが減って来た。

 左手の眼下に谷川が流れ、道端の茂みの中から虫の唄声が聞こえて来る。音だけ立てて走って行くのは兎か狐だろうか。

 足の下で落ちたばかりの枯れ葉がかさかさと音を立てる。見上げると、葉の減った枝の間に空が見える。鱗雲が覆っていて、そこに暮れかけた西の日が差して、絵の具で描いた様に美しかった。


 この辺りが、少し前までは荒れ地だったというのが信じられない。この谷で幾度も寝起きしているのに、シャウラはいつもそんな風に思った。本当はずっと昔からこうだったのじゃないかと思う。


 次第に迫っていた崖が広がって、見通しが利く様になって来ると、そこにアクナバサクの屋敷がある。切り立った崖に張り付く様に立つ屋敷が、西日を受けて光っていた。

 もう日はすっかり傾き、赤い夕陽が沈もうとしていた。

 広がる森の陰影に赤い夕空が映えて、ため息が出るほど美しく、シャウラは思わず足を止めて見とれてしまった。


(やっぱりいい所だあ……)


 シャウラは太陽の残りが山の稜線に姿を消すまでそれを眺めていた。

 太陽が消えてからも、空はしばらく赤く燃えており、天頂の方は群青色に色づいて、星が瞬き始めていた。それで気づくとホネボーンがいない。シャウラを置いてさっさと行ってしまった様だ。


「ふあっ、し、ししょ……ややや、やばい」


 シャウラは慌てて歩き出した。空は明るいが、もう足元が薄暗くなっている。

 こうなると見えなくなるまであっという間だ。実際、ほんの少し歩いただけで辺りはすっかり暗くなってしまい、石を踏んで幾度も転びかけた。


「ひひ、光」


 シャウラはぽそぽそと呪文を詠唱して、照明の小さな光の玉を呼び出した。

 淡く足元が照らされたが、光に小さな羽虫たちが次々に集まって来て、シャウラにもぱたぱたととまった。

 目や口元にも来るから、シャウラはぶんぶんと頭を振った。


「ここ、来ないで……ひゃあう!」


 ぶぶぶ、とひときわ大きな音が耳元をかすめて行ったから、シャウラは思わずしゃがみ込んだ。カナブンが地面の上を派手に転げてじたばた暴れている。大きな蛾も飛んで来てシャウラの頭にとまろうとする。ぶんという羽音がする度鳥肌が立つ様な心持だ。


「きっ、消えっ、消え!」


 シャウラはばたばたと手を振った。パッと光の玉が消え、虫たちはあちこちに散らばって行った。しかし変に明るくしたせいで却ってそこいらが暗くなった様に感じた。


「うう……」


 シャウラはしゃがんだまま顔を上げた。辺りはもう夜なのに、空だけは残光が残って変にぎらぎらと明るい。

 向こうを見ると、屋敷にはもう明かりが灯っている。もう他の皆は集まって夕飯の支度でもしているのだろうか。


 シャウラは魔術式の書かれた紙をぎゅうと抱きしめた。何をやっているんだろう、と情けなくなって来て、そんなつもりはないのに目が潤んで来てしまう。

 少しばかり落ち込んだけれど、ともかく早く帰らないと、とシャウラは立ち上がった。

 目が慣れて来て、道が見える様になった。もう屋敷は見えているのだ。きちんと足を踏みしめて帰ればいい。

 シャウラは手の甲で鼻をぬぐい、注意深く歩き出した。虫が集まって来るから光魔法は使わない事にしたらしい。


 それでしばらく歩いて行くと、前から誰かが来る気配がした。


「道に迷ってやがるんですかねー?」

「迷う様な場所じゃないと思うが……暗くなってるからな」


 シャウラはわたわたと手を振って声を上げた。


「お、おぉーい、こここ、ここだよぉ」


 ランプの明かりと一緒に、キシュクとグリーゼが駆け足でやって来た。


「あー、よかった。もー、心配させねえでくださいよ」

「平気か? あれ? 泣いてる? 怪我でもしたんじゃ……」

「ちっ、違う……二人とも、ど、どうして?」


 ランプに寄って来る虫を手で払いながら、グリーゼが答えた。


「キシュクがホネボーンさんから聞いたらしいんだよ。いつの間にかいなくなってたって」

「平気だとは思ったんですけど、シャウラですからねー。心配になって」

「あぅ……」


 シャウラは赤くなって俯いた。そうしてありがとうと言いながら顔を上げると、二人の後ろの暗がりから音もなくホネボーンが現れたので悲鳴を上げた。


「ひゃあああ!」

「どこで道草を食っていたんですか。ああ、もうくしゃくしゃにして」


 見ると、持っていた紙はくしゃくしゃのしわだらけになっている。


「ごっ、ご、ごめっ、ごめっ、なさっ!」

「怒っていませんから怖がるのをやめなさい。見本は後でまた書いてあげますから早く帰りますよ」


 そう言って、ホネボーンは踵を返してさっさと歩いて行ってしまった。

 グリーゼが苦笑しながらシャウラの腕を取る。


「ともかく行こう。夕飯の支度が遅れてるんだよ。王様が今日は自分が作るって言ってやったんだけど、鍋が爆発して作り直しになって」

「ばば、爆発?」

「そうなんですよ。どうやったらあんな事になりやがるんですかね? それで初代様とアルゲディがナエちゃんのお手伝いして最初からやり直しです」

「だからまだ作ってる最中なんだよな。その時にホネボーンさんが戻って来て」

「はぅ……」


 シャウラは何となく気恥ずかしくてもじもじした。


「で、お勉強は上手くいったんですか?」


 とキシュクが言った。シャウラは頷いた。


「うん……し、師匠は怖い、けど、がが、頑張る」

「へえ、師匠って呼ぶ事にしたのか。仲良くなれた?」

「わ、解んない、けど、思ったほど、ここ、怖いだけじゃなかった」

「どんな事を教えてもらいやがったんですか?」


 シャウラは相変わらずどもりながらも、ホネボーンから教わった事や、どんな感じだったかを話した。話してみると、何となく今日やった事が自分の中でも整理される様な感じがした。尤も、魔法に疎い二人はやや要領を得ていない様な顔だったが。

 そうしているうちに、屋敷の下まで辿り着いた。ここから外階段を上がって屋敷に入る。屋敷周辺には精霊や妖精が沢山たむろしていて、それらが放つ霊火が蛍の様にちらちらと漂っていた。


 階段を上る途中で、シャウラはふと振り向いて遠くを見た。月が上っていて、その下の森を明るく照らしていた。

 それに見とれかけて、ハッとして歩き出す。また取り残されては笑い者だ。


 滝の音の合間を縫って、虫の唄声がずっと響いていた。夜が降りて来る。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ふわあ魔王谷の美しさが瞼に浮かぶようです。 ビジュアルでも見たいですねえ…。 [気になる点] ホネボーンはいつかデレることがあるんだろうか。なさそうな気もするが…。
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