11.お前を救けにゆく
廃墟を飛び出したアクナバサクと魔姫たちは、一路東へと向かった。走る速度すら増していて、この急激な強化に、魔姫たちはやや困惑気味だった。力を扱うのにすぐに慣れない。
だが、道中で現世喰たちとの戦闘が始まると、その強化具合は歴然としていた。
「よーし、腕試しだ! みなさん、やっちゃいなさい、やっちゃいなさい!」
少し後ろでアクナバサクが騒いでいる。
魔姫たちはやや困惑しつつもそれぞれの武器を握り直した。
まずグリーゼが前に出る。相手は大型の現世喰だ。鋭い爪と牙は相変わらずで、瘴気をまとって襲い掛かって来る。
グリーゼの手には、自らの魔力で作り出した槍が握られていた。ハクヨウと同じ事が出来る様になっている。それもその筈で、アクナバサクの『与える力』と、グリーゼが元々持っていた魔王の因子とが反応して、潜在的な能力が引き出されたのだ。
グリーゼは明瞭な視界と、羽の様な軽さの体で、まるで豆腐でも突く様に現世喰の頭を貫いた。やった本人が驚いたくらいすんなりと現世喰は崩れ落ちて、固定化されたエネルギーがグリーゼの手中に収まった。
「……信じられない」
夢ではないか、とグリーゼは自分の頬をつねった。しかし夢ではない。確かに自分は強化されている。それこそハクヨウと肩を並べられるくらいに。
高揚した。勝てる、と思うや余計に体が軽くなった様に思われた。
グリーゼは槍を振りかざし、向かう先から次々と現れる現世喰にかかって行った。
その傍らでは、アルゲディとキシュクが戦っていた。
その動きは、かつて一匹の現世喰に苦戦していたものではない。アルゲディの剣は現世喰の外殻を両断したし、キシュクの放つ矢は正確に現世喰の眉間を打ち抜き、大きな穴を開けた。
二人の武器も自らの魔力で作り出したものだ。特にキシュクの矢などは半ば魔弾である。それが次々に放たれて来るのだから、現世喰にはたまったものではない。
さらに、三人が撃ち漏らした敵にはシャウラの魔法が襲い掛かった。
シャウラは元々後方支援が専門だ。魔法は上手に扱えるものの、魔力の量から鑑みても戦闘は得意ではなかった。
それが、今では大魔法というくらいの威力の魔法を連発しても息切れしない。体の奥底から魔力が湧き出して来る様だ。飛行魔法で宙に浮いて、現世喰の射程の外から雨あられと魔法を降り注がせる。
シャウラはまるで何かを発散する様に魔法を放ち、現世喰たちを次々に打ち砕いた。
もはや一方的である。虐殺と言っていいくらいだ。脅威であったはずの現世喰たちが、たちまち数を減らしていく。
後ろでそれを眺めていたホネボーンが、ふむと言って顎を撫でた。
「中々の戦闘力ですね。使えます」
手の平にエネルギーの塊を載せたアクナバサクがはしゃいでいる。
「見ろホネボーン! わたしにも出来たぞ! がははは、エネルギーがこうやって固定化できるなら、色々用途が広がりそうじゃないの!」
「はあ」
「いやあ、しかし強いねえ。動きもいいし、魔姫って中々のもんじゃないの」
「素材はよいのでしょう。しかし技術がお粗末だから、その力を十全に引き出せていなかった。王様の力がそれを補填したわけです」
「理屈はよく解らんが、アクナちゃんとあの子たちは相性バッチリって事だネ☆」
「はあ」
「しかし本当にわたしの出番なさそうだ。がははは、頼れる仲間たちのおかげで無為徒食の生活が約束されるなんて、なんて素敵なんでしょう!」
「王様は食べる必要はないでしょう」
「そうなんだけど……」
二人が無駄話をしている間にも、魔姫たちはずんずんと進んで行く。行けば行くほど現世喰の数も増えて来たが、それでもやはり魔姫たちの強さは圧倒的である。
「なんだか消化試合みたいになって来やがったですねえ。こいつらの巣にはまだ着かねーんですか?」
キシュクが矢をつがえながらぼやいた。
「数も増えて来たから、もう少しだと思う……でも、凄いね、アクナさんの力。本当に魔王なのかなぁ?」
「まー、こんなの見せられたら信じるしかねーですよ。けど魔王っていい奴なんですねー。ボク、正直人間よりも心証いいですよ。魔王谷ってどんなトコなんですかねー?」
「うん……」
アルゲディはもじもじした。確かに、自分たちを見捨てて行った人間たちよりも、わざわざ遠くから助けに来てくれたアクナバサクたちの方に良い印象を抱くのは当然だ。けれど、元々人間に生み出された身でもあるから、都市を捨てて、魔王谷に移るという事を心から歓迎するわけでないのも確かである。
けれど、自分たちがそんな風に義理立てしたって、人間が報いてくれる事はないだろうと思う。そういう点で、やはりアクナバサクについて行きたいという気持ちは強い。
ともかく、今はハクヨウを助け出す事を一番に考えなくてはいけない。アルゲディは剣を握り直し、手近な現世喰を切り裂いた。
果たして小一時間ほど戦いながら進んで行くと、やがて丘陵が連なる所になった。
勿論草一本生えていない。大小の岩がごろごろして、大地の起伏が極端になる。丘というより崖というくらいに切り立った場所が増え、そこここに物影があり、さらに洞窟の様な穴も穿たれていた。
現世喰を刺し貫いたグリーゼが、ふうと息をついた。
「この辺りが奴らの本拠地みたいだな……シャウラ、ハクヨウの気配を辿れないか?」
「やや、やってみる、ね。でも、き、期待しないで……」
とシャウラは目を閉じて魔力の糸を手から延ばす。それらが絡み合う様にしながら、シャウラを中心に広がって行った。
ホネボーンが感心した様に言った。
「ほう、中々器用な」
「なに? 高度な事?」
「術式は複雑です。私が王様に頼んで作ってもらった石柱で、谷じゅうに魔力の網を張り巡らしたのを覚えていますか?」
「あー、そうだった、そうだった。あの立体地図もそれで出てるんだよね?」
「そうです。並みの魔法使いでは使えない技術でしょう」
「はー、ますますもって面白いね。ねえ、魔姫って生まれた人間に魔王の因子を組み込んだんだと思う? それとも魔王の因子を組み込んでホムンクルスを造ったんだと思う?」
「後者でしょう。後天的に魔王の力など入れたら、普通の人間では耐えられません。それ専用にホムンクルスを生み出したという方が自然です」
「強い弱いがあるのは……」
「因子の濃さでしょう。人間はホムンクルスを生み出す技術はある様ですが、因子を組み込むのはお粗末な様です。肉体自体は丈夫だと思われますが、能力を因子に依存した形にしたのでしょうね」
「だから魔王の力を『与え』てやったらあれだけ強化されたって事か……けど魔姫にしか倒せないって言ってたな。魔王の力を持っていれば倒せるって事なのかな?」
「さて、そう単純ではありますまい。あのデモナスゴス陛下が考案された現世喰に対抗しているのですからね。私の魔法が効かなかったのも気になります」
「あいつマジで性格悪かったからな……ま、細かい事は後で聞こうっと」
目を閉じて集中していたシャウラが目を開けた。奥の方を指さす。
「あ、あ、あっちに、いる、と思う……」
「まだ無事か?」
「わ、解んない……でで、でも、死んではいない、と思う」
「行こう!」
グリーゼが槍をひと振りして駆け出した。他の魔姫たちも後に続き、その後をアクナバサクたちが追っかける。
しばらく行くと、窪地になっている所があって、その奥に大きな洞窟があった。現世喰も、大小色々なのがぞろぞろとひしめいている。かなり大型の個体もおり、そういったものは、魔王谷の最奥にいた個体の様に棒立ちになって瘴気をまとっていた。
それを見下ろしながら、アクナバサクは「おー」と言った。
「これだけいると壮観だネ」
「はあ」
「あの洞窟が怪しいと見た!」
「ああ。おそらくここが奴らの本拠地だろう……ハクヨウ、今行くぞ」
とグリーゼが槍を構えた。そうして地面を蹴って斜面を駆け下りて行く。瞬く間に距離を詰めて、現世喰を二、三体串刺しにした。アルゲディとキシュクも一歩遅れて後に続く。
「おお、張り切ってるぅ。みんなー、エネルギーはわたしが固定化するから、そっちは気にせずじゃんじゃんやっちゃってー!」
いつの間にか生成した大きな袋を担ぎ直しながら、アクナバサクは叫んだ。中には固定化されたエネルギーが詰まっている。とにかく新しく習得した技術を使いたくて仕方がないらしい。
シャウラはあまり前に出ず、後ろから戦況を窺っていた。そうして時折魔法で援護している。周囲に光の玉が五つ六つ浮かんでいて、それが光線を放つのである。
アクナバサクはシャウラの隣に並んだ。並んで立つと、シャウラの方がわずかに背が高い。
「シャウラちゃん、だっけ?」
「ひえっ……はは、はい」
「そう怖がるなって、アクナちゃんは気さくで親しみやすいと評判なんだぞ」
「ぇう……」
「あの洞窟の中にハクヨウちゃんがいるので間違いなし?」
「たたた、多分……ハクヨウの魔力は、白くて、ふ、ふわふわしてて、とっても綺麗だから……」
とシャウラはもじもじと手を揉み合した。
何だか可愛いなあ、とアクナバサクは手を伸ばして、シャウラの頭をよしよしと撫でた。髪の毛がさらさらしていて触り心地がいい。
「あう……」
シャウラは恥ずかしそうに身じろぎした。
そうこうしているうちに戦況はすっかり傾いている。外にいた現世喰たちは殆どが倒されていた。
ホネボーンが手帳に何か書き留めて、首を傾げている。
「ふむ……数の割に生命エネルギーが少ないですね。谷の現世喰は、一体で谷全域を覆うほどのエネルギーを有していたというのに」
「そういやそうだな」
「あ、あ、あの」
とシャウラが手を上げた。
「何です」
「う、う、現世喰が、変異してるって、は、ハクヨウが言ってて……」
「変異? 足が六本手が八本、歩く姿は百合の花、みたいな?」
「み、見た目だけじゃなくて、せせ、性質自体が変化して……見た目は同じでも、今までより強くなってて、なのにエネルギー自体は、へ、減っていて……」
「エネルギーをより効率的に使える様になった、と解釈してもいいですか?」
とホネボーンが言うと、シャウラはおずおずと頷いた。
「う、うん、多分、そういう事……」
「成る程。環境に応じて変異する性質がある、と」
ホネボーンは面白そうに手帳にペンを走らせている。
「そんな事調べてどうすんだよ」
「後々何か役立つかも知れませんからね。王様、森はさらに広げるおつもりなんでしょう?」
「もちよ」
「ならば現世喰の対策くらいは練っておかねばいけません」
「ま、それはお前に任すわ」
「はあ」
かくして外にいた現世喰はせん滅されて、ついに洞窟の中に攻め込む形勢である。アルゲディはちょっと緊張気味に剣の柄を握りしめる。それからアクナバサクの方を見返った。
「あの……一緒に来てくれるんです、よね?」
「行くに決まってんだろ! こんな面白そうな現場から仲間外れとかやめてよね、もー!」
キシュクがくすくす笑った。
「なんか、アクナちゃんがいるとそれだけで上手く行きそうな気がしやがるです」
「正念場だ。わたしたちだけで何とかするつもりだが……もしもの時は、頼む」
とグリーゼが頭を下げた。
「まっかせなさーい」
とアクナバサクはにんまり笑って、その頭をぽふぽふと撫でた。シャウラと違って癖っ毛で、何だかふわふわしている。これも手触りがいい。
グリーゼは変な顔をして頭を掻いた。
「……なんか、調子が狂うな」
背筋を伸ばすと、アクナバサクよりもグリーゼの方がずっと背が高い。シャウラが面白そうな顔をしている。
ともかく、それで一行は武器を持ち直し、慎重な足取りで洞窟の中へと踏み込んで行った。
内部には照明の類がまったくなかった。現世喰は光を必要としないのかも知れない。
シャウラが魔法で光源を作り出し、それを先導させるように先頭に浮かした。
「……中にはいないのか? 変だな」
グリーゼがやや拍子抜けした様に呟く。キシュクが「しっ」と言った。
「油断は禁物ですよグリーゼ。あいつらはどこから出て来るか解ったもんじゃねーです」
「解っているが、今は感覚も研ぎ澄まされている。気配があれば解ると思うが……ともかく進もう。一本道なのが幸いだな」
洞窟は広く、枝分かれもせずに奥へと続いていた。それがだらだらの下り坂になっているらしく、次第に地下へと入って行くらしい。暑かった外気の影響が薄れて来て、次第に空気が肌にひんやりと触れる様になった。
アルゲディがぶるりと身震いする。
「寒くなって来たね……」
肩に乗ったままの野ネズミがちゅうと鳴いた。
「ふふっ……大丈夫だよ。でも戦いの時は危ないから服の中にいてね」
「そのネズミがアクナちゃんを連れて来た、ってのはにわかには信じがたいですねー」
とキシュクがネズミをじろじろと見た。ネズミは後足で立って胸を張る様な恰好をした。
「本当だぞ。そのネズミ君は凄いんだぜ? 荒野を抜けて鷲にライドして魔王谷まで来たんだから」
「え? 鷲?」
「ネズミが鷲に? なんかすっげえ気になるんですけど!」
幼い魔姫二人が興奮気味にアクナバサクに寄り添う。アクナバサクはある事ない事をあれこれと喋り散らしている。
一方、ホネボーンは少し前に出てグリーゼに並んだ。
「魔姫について、少し話してもらいましょう」
「ん……わたしの知っている範囲でいいなら」
「構いません。まずこの時代における現世喰に対する認識を確認します。あれは生命エネルギーを吸収し体内に蓄える。加えて、その生命エネルギーを利用可能というのが私の認識です」
「概ね合っている。近頃は変異が多い分、わたしたちも完全に生態を把握できていないが……」
「現世喰には有効な攻撃とそうでないものがあるでしょう。私の魔法は効かなかった。おそらく何らかの制約が設定されていると思いますが、把握していますか?」
「ああ。あれは『魔人の力』、それから『女の肉体』、その両方を持つ者にしか傷つけられない。だからわたしたち魔姫が生み出される事になった」
成る程、とホネボーンは頷いた。なぜ自分の魔法が通じず、アクナバサクの攻撃は通用するのか、なぜ魔姫が女ばかりなのか、すっかり合点がいった。
「デモナスゴス陛下らしい制約ですナ。当時から英雄と呼ばれる戦士は男ばかり……戦場には女の数は少なかった。あの頃に実用化までこぎつけていたら戦況はひっくり返ったやも」
とホネボーンは呟いた。
しかし、その様に都合のいい制約を設定すると、必ずデメリットも発生する。それは理を司る上位存在、ヘルガ神族の決め事だ。ゾマ神族やその眷属であっても逃れられない。
制御不能と自己変異がこの場合のデメリットだろう、とホネボーンは当たりをつけた。あるいは戦争の負け自体が理として設定されてしまったか、とも思ったが、それは飛躍し過ぎかと考えを捨てる。
少し後ろを歩いていたシャウラがおずおずと口を開いた。
「で、で、でも、制御できないものを作って、そ、それでどうするつもりだったの?」
「さて、私には解りませんが。しかし当時の魔王様方は人間を滅ぼす事が出来ればいい、という狂信的な勢いがありましたからね。なりふり構わなかったのは事実です」
「……やはり、魔王というのは、本来は恐ろしいもの、なのか?」
とグリーゼが言った。ホネボーンは肩をすくめる。
「うちの王様以外はそうでしょう。幸いにして、今はあの方以外生き残っておりませんが」
視線を集めている事に気づいたアクナバサクは、きょとんとしたまま首を傾げた。
「なんだよ」
「いや……」
アクナバサクを見ていると、ホネボーンから聞く魔王の姿の方が信じられなくなって来る、と魔姫たちはくすくす笑った。
それでしばらく進んで行くと、不意に空気が重くなって来た。瘴気が漂い出したという感じだ。和やかな雰囲気は消え去り、一行は緊張感を持ってさらに奥へと歩を進める。
シャウラがハッと立ち止まった。
「くく、く、来る!」
「前か?」
「う、上!」
グリーゼが咄嗟に飛び退った。そこに現世喰が落ちて来る。
「げっ」
上を見たアクナバサクが嫌そうな声を出した。
天井に十数匹の現世喰が、蝙蝠の様にぶら下がっている。それが光の消えていた赤い眼を次々に光らして、下へ落ちて来るのである。
ホネボーンが「おや」と言った。
「寝てたのを起こしましたかね」
「冷静に分析してる場合じゃねーぞ! 後ろにまでいるじゃねーか!」
いつの間にか一行は現世喰がぶら下がっている場所のど真ん中まで来てしまっていた。後ろにも降り立った現世喰たちが、咢をぎいぎい言わせながら迫って来る。
「どうしよう! 魚のダンスでも踊ろうか!?」
「踊ってどうするんです。普通に戦えばよろしい」
「あれ、わたしも戦っていいの?」
「もう雑魚のデータはあらかた取れました。王様も動いて構いませんよ」
「そういう事は早く言えっつーの! がははは、暴れるぞー」
アクナバサクは担いでいた袋をホネボーンに押し付けると、後ろから迫っていた現世喰の集団に猛然と襲い掛かった。両腕両足を振り回して次から次へと粉砕する。
そのでたらめな戦いぶりに、グリーゼは思わず唖然としてしまった。
「す、素手で……」
「よよ、よそ見、危ない!」
シャウラの光線が、近づいていた現世喰を射抜き、グリーゼはハッとして構え直した。
「す、すまん……助かった」
「グリーゼらしく、な、ないよ……確かに、アクナちゃん、すす、凄い、けど……」
前にいる現世喰を魔姫たちが半分ばかり倒す間に、アクナバサクは後ろから来ていた現世喰をすべて倒してしまっていた。何だかすっきりした顔をしている。
「いやあ、やっぱりわたしは指揮官よりも武将の方がいいや。大体指揮って苦手なんだよな」
「もう少し王様としての自覚を持ってください。まあ面倒な戦闘が省略できたのはいいですが」
「みんなー、前は終わったかー? 先に進もうぜー」
魔姫たちは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
〇
ハクヨウは日差しの中にいた。
森の木々は緑の葉を揺らし、葉擦れの音が耳に優しい。
その村は小さく、森に囲まれていた。小川の音が聞こえる。誰かが薪を割っている。
半分宙に浮いた様な気分だった。どうして自分はここにいたんだっけ、とハクヨウは考える。しかし思考がまとまる前にぼんやりとしてしまう。そんな事を幾度も繰り返していた。
記憶を辿る。
そうだ、これは自分がまだ生み出されて間もなかった頃だ。魔姫として戦い始めたばかりの頃。次の戦場に向かう時に立ち寄った村だ。
そう思うと、自分と共に来ていた兵士たちの談笑する声が聞こえた。通りがかった村娘を冷やかしているらしい。
何だか穏やかな気分だ。木のベンチに腰を下ろして、燦燦と降り注ぐ日差しを全身に受けている。風は暖かく、気持ちがいい。
座っていると、ぽてぽてと、小さな女の子がやって来た。自分で作ったらしい花輪を手に持っている。
ああ、そうだ。この時、「頑張って化け物をやっつけてね」と花輪を頭にかけてくれたっけ。わたしは笑顔で応えた、と思う。きっと勝つよ、と。
ハクヨウは少女の顔を見た。しかし、顔が見えない。なぜか真っ黒に塗りつぶされている。
変だ。
変だと思い始めると、急に周囲の森が枯れかけて来たのに気づいた。枯れ葉が舞い散り、足元の草も萎れていく。
目の前の少女の顔は解らない。真っ黒で、しかしあの時と同じ様に花輪を差し出してくれている。
でも怖い。なぜだか怖くてたまらない。
思わず身を引いた。花輪が落ちて地面に転がる。そうしてたちまち朽ちて崩れ、砂になって風に舞った。
めりめりと音を立てて、少女の真っ黒な顔が割れる。その中から、真っ赤に光る巨大な目がぎょろりと現れてハクヨウを見た。
ハクヨウは悲鳴を上げた。
ハッと気が付くと、真っ暗な空間だった。ずるずると、何かが這いずる様な音がしている。
ああ、目覚めてしまった、とハクヨウは思った。
「う、け、とらない。なぜ?」
呻く様な声がした。すぐ近くに異形の現世喰の大きな目があった。
「こ、ころ、ひらけ。ひみ、つ、みせろ」
目が苛立っている様に見えた。さっきの夢は、自分の中に侵入するための術か、とハクヨウは現世喰を睨みつける。人の思い出に土足で入り込んで来やがって、と怒りすら湧く様だ。
「貴様に心など開くものか」
「……いかり、いら、ない。こわ、がれ」
ハクヨウを締め付けていた触手が力を強める。折れた腕がじんじんと痛み始める。
ハクヨウは苦痛の声を上げた。ぼろぼろの肉体が悲鳴を上げ始める。喉奥からごぼりと音をさせて血が溢れて来る。胸の内側を抉る様な咳と共に、ハクヨウは喀血した。
「ひひ、ひ……」
現世喰はさも可笑しいという様子でそれを眺めている。ハクヨウは血にまみれながらも目だけは現世喰を睨み続けた。しかし意識が朦朧として来る。
その時、何か音が聞こえた。戦闘の音の様だ。現世喰もハッとした様に周囲を見回す。
「な、なに、か、きた」
まさか助けだろうか? ハクヨウは一瞬浮かんだ思考を振り払う。この期に及んでそんな妄想なぞ情けない。妹分の魔姫たちにここまで攻め込めるほどの実力なぞありはしないのだ。
だが、ハクヨウは確かに自分を呼ぶ声を聞いた気がした。
ついに幻聴まで聞こえる様になったか、と自嘲する。だが、外から急に入り込んで来た照明の光に照らされて来たのは、確かに自分の妹分たちだった。
「ハクヨウ姉さん!」
「初代様ーっ! 返事しやがってくださーい!」
アルゲディとキシュク? あの二人がまさかこんな所まで? ハクヨウは却って動揺した。危険だ、と思った。
明るくなると、今いる場所がはっきりと見えた。どうやら部屋の様だ。広く、天井は高い。
ハクヨウがいるのは、部屋の中央に近い所だ。床一面に奇妙な触手が這いずっていて、それがハクヨウのいる辺りに集まって、小高い台の様なものを作っている。その触手にハクヨウは捕らわれていた。
「そこか! 今行く!」
グリーゼが槍を構えて突進して来る。その向こうに見えるのはシャウラだ。照明の光を浮かべて、さらに光線を放つ光弾を周囲にまとっている。
まだ夢の続きを見ているんだろうか、とハクヨウは思った。なぜだか景色が滲んだ。
異形の現世喰は、怒りの声を上げてグリーゼを振り払った。
グリーゼは飛び退って槍を構え直す。
「ハクヨウを返してもらうぞ!」
だが、異形の現世喰は、さらに後ろの方を見て硬直した。
ハクヨウもそちらに目をやる。
入り口付近に、銀灰色の髪の毛を軽く束ねた少女が立っていた。間の抜けた顔をして、この風景を漫然と眺めているといった風だ。
現世喰が興奮した様に前のめりになった。
「ほ、ほ、ほんも、の……!」
そうして狂喜する様な雄たけびを上げると、物凄い勢いで入り口に殺到した。
途中にいたグリーゼも、その後ろのアルゲディとキシュクも咄嗟に身をかわすのがやっとだった。
現世喰は両腕を振り上げて、銀髪の少女へと覆いかぶさる。
「危ない! 逃げろ!」
あの子は誰なんだ? という疑問をよそに、ハクヨウは痛む喉で必死に叫んだ。しかしもう間に合うまい。
何という事だ、と目を伏せた時、少女が嫌そうな声を出した。
「うわキモッ」
ぱぁん、と何かが散る様な音がした。
見ると、現世喰の頭から胸までが破裂した様に吹き飛んでいた。その向こうに、拳を打ち込んだ格好の少女の姿が見える。
「急に抱き付いて来るとかマジ勘弁……」
「今のが首魁でしょうか」
隣に立っていた仮面の人物が言う。
呆気に取られているハクヨウに、魔姫たちが駆けよって来た。たちまち触手を切り裂いてハクヨウを解放する。
キシュクが大慌てでハクヨウの手を握った。
「初代様! ああ、血がこんなに……ひどい事されたんですか!?」
「くそっ、もう少し早く来ていれば……ハクヨウしっかりしろ!」
グリーゼの腕の中で、ハクヨウはぽかんとしていた。やっぱりまだ夢を見ているんだろうかと思う。しかし、グリーゼの腕の感触も、周囲から聞こえる妹たちの声も、夢にしてははっきりし過ぎている。
ああ、現実なんだ。
そう思った途端に、何だか体中から力が抜けて来た。ぼろぼろと涙がこぼれる。気力で持っていた体が急激に衰弱していくのを感じた。
「ハクヨウ姉さん! しっかりして!」
「ね、ね、寝ちゃ、だだ、駄目」
アルゲディとシャウラが泣きそうな顔でこちらを見ている。わざわざみんなで助けに来てくれたのか、と思うと嬉しかった。
瞼が重い。ひどく眠い。
もう生きているのが嫌になっていたけれど、こんな風なら悪くない。
目を覚まさなきゃいけない。なのに瞼は言う事を聞いてくれない。折角希望が見えたのに。みんなが頑張ってくれたのに。
せめて、一言だけでも何か言いたかったが、もう口も開きそうにない。
視界が細くなり、頭もぼんやりして来た。
寂しいな、と思った。
「あっ、えっとー……『与え』ていい?」
意識を手放す間際に、変な声がした。
うっすらとだけ開いていた視界に、銀灰色の髪の毛が見えた気がした。
〇
がばり、とハクヨウが跳ね起きる。困惑した表情で、自分の両手指を見、それから握ったり開いたりした。
痛みはない。倦怠感もない。苦しくもない。体が軽く、まるで生み出されたばかりの頃に戻った様な気分だ。
「……ここは、死後の世界、なのか?」
しかし見回せば、確かにさっきまでいた現世喰のねぐらだ。だが床じゅうに広がっていた触手はすべて崩れて消え去っている。
どういう事なんだろう、とハクヨウが混乱していると、
「ハクヨウ!」
と誰かが抱き付いて来た。ふわふわした黄色い癖毛だ。グリーゼが涙でくしゃくしゃになった顔でハクヨウに頬ずりした。
「よかった……本当に、よかったよぉ……」
いつもの彼女からは想像も出来ないくらい、グリーゼはべそをかいている。ハクヨウは何が何だか解らないままグリーゼの背中に手を回した。
見ると、アルゲディもキシュクも、シャウラまでいる。
「わたしは……生きて、いるのか?」
「そう、ですよぉ……初代さまぁ……ふえぇーん!」
キシュクが泣きながら飛びついて来る。その後にアルゲディも続いて来た。シャウラは遠慮がちにその後ろからぴたりと身を寄せる。
四人に抱き付かれながら、ハクヨウは混乱する頭をまとめていた。そうして、自分は助かったらしい事をきちんと理解した。
「……助かった、のか。もう、駄目だと思っていたのに」
口にすると現実がたちまち形を明瞭にして迫って来て、涙まで溢れて来た。奇跡だ、と思った。
魔姫たちは一塊になってわんわんと泣いた。
それを眺めながら、アクナバサクはうんうんと頷いている。
「よかったなあ」
「はあ」
「ボスは結局わたしが倒しちゃったけど、よかったのかな?」
「まあ、魔姫たちでも四人でかかれば倒せたでしょうから、構いません。しかしあれのエネルギーだけは別にしておいてください。帰ってから調べますから」
「研究熱心だなあ。くくく、しかしこれであの子たち全員お持ち帰りできるわけだ。魔王谷に住民が増えるぞ! やったね!」
「はあ」
泣きじゃくる魔姫たちを前に、アクナバサクは一人で大はしゃぎである。
ホネボーンは肩をすくめて、感動の再会はいいけれど、そろそろこの陰気な場所から抜け出さないかな、と思った。
 




