9.出会う
ホネボーンにフードをかぶせて、さらに仮面をつけさせて、アクナバサクは満足そうに頷いた。
「よーし、これで変装完了だ。骨さえ見えなけりゃ人間に見えるだろ」
「はあ」
「よーし、ネズミ君案内よろしく! ナエちゃん、留守番は頼んだぜ」
「はぁい、いってらっしゃい。アクナちゃん、ホネボーンさん、気を付けてくださいねぇ」
野ネズミの頼みを聞く事にしたアクナバサクであったが、一人で行っては何をやらかすか解ったものではない、とホネボーンが同行する事になった。アクナバサクも一人で行くのは寂しかったから、丁度いいとこれを歓迎した。
しかし、人間の世界に行くのであれば、見た目がモンスターでは大騒ぎになる。それで簡単な変装をして行く事にしたのである。
単純であるが、単純であるがゆえにばれないだろうとアクナバサクは主張した。ホネボーンは骨だが、背格好は人間と変わらない。そもそもそこまで深く人間と関わるつもりはないというホネボーンは、それでよしと納得した。
それでアクナバサクとホネボーン、野ネズミの三者は森を出て、谷を出た。
アクナバサクの『与える力』によって半ば精獣化した野ネズミは、鼻をひくつかして、目印のない広い荒野で都市の方角を正確に辿った。
アクナバサクは地面を駆け、ホネボーンは飛行魔法でその後ろをついて行った。疲労が溜まりづらく、睡眠も必要としない二人だから、当然の如く行軍は速い。それでも荒野が広がるばかりで中々都市には着かない。
ちょっと一息、と足を止めたアクナバサクたちは、手ごろな日陰に入り込んだ。谷から持って来た果物をかじって気分を変える。
「いやー、長い道のりだ。ネズミ君、よく谷まで辿り着けたね。大したもんだ」
「ちちっ」
「ははは、そうかそうか。全然解らん」
通訳のナエユミエナがいないので、ネズミとの意思疎通が円滑ではなくなった。しかし精獣化した事で知能が発達しているから、ネズミの方も身振りで何とか意思を伝えようとして、ホネボーンなどはそれが解る様だった。
「鳥に運んでもらった様ですね」
「え? あっ、そういや鷲ライダーしてたもんな! あれは何だったの? 友達?」
ネズミは首を横に振った。
「あー、違うんだ……じゃあなんで運んでくれたんだ? 頼んだの?」
ネズミは首を傾げた。
「解んないんだ。そっかー、親切な鷲もいたもんだねえ」
「アクナさん、そろそろ出発しましょうか」
と言ったホネボーンを、アクナバサクはぎょっとした顔で見た。
「今アクナちゃんっつった?」
「外で王様などと呼んだら面倒を招きかねませんから、ひとまずアクナさんと呼びます」
「やだー、ホネボーンがついに打ち解けてくれたー。アクナちゃん嬉しい!」
「行きますよ」
「待って! この全身から溢れる喜びを発散したい! でもどうしていいか解んないからとりあえず抱きしめるねっ!」
と言ってホネボーンに飛びついたアクナバサクの頭を、ホネボーンの杖が一撃した。目から火が出た。
「ぐおお……」
「行きますよ」
それで出発した。走りながら、アクナバサクは横を飛ぶホネボーンに話しかける。
「荒野ばっかりだけど、この辺はズンドコベロンチョがいないね」
「現世喰です。そうですね。まあ、何か要因はあるでしょうが、この際それは気にしなくてもいいでしょう。むしろちょうどいいと思うべきかと」
「なんで?」
「あれといちいち戦闘していたら、時間ばかり食います。ネズミの話では、事態は急を要する様ですし、先を急ぐに越した事はありません」
「だってさ。そうなの、ネズミ君?」
アクナバサクが言うと、ネズミはちちと鳴いて首肯した。アクナバサクはふむふむと頷いた。
「なるほどね。それじゃ急いで行きまっしょい。しっかし、お前最初は反対した癖にいざ助けると決めたら先を急いでやったりして、案外優しいよね。ツンデレか? ツンデレなのか?」
「そうです」
「えっ」
「おや」
とホネボーンが少し速度を緩めた。だからアクナバサクも足を止める。
「どした?」
「あれは現世喰の様ですね」
アクナバサクは目を細めて、ホネボーンの指さした方を見た。荒野の真ん中に、真っ黒で大きな変なものがいて、ゆっくりと移動している様に見えた。周囲には黒い靄が漂っている。
「あー、ホントだ。となると、この辺からあれがうろついてる事になるのか」
「そういう事ですナ。少し気を付けて行きましょう」
「わたしがいるから大丈夫だよ」
「ネズミの言う都市を襲っている怪物というのが現世喰だとすると、おそらく都市周辺には現世喰がより多くうろついている筈です。あれの姿が見え始めたという事は、目的地も近いかも知れません」
「かもね。どうなの、ネズミ君?」
ネズミは鼻をひくひくさせてから、ちいと一声鳴いた。
「肯定の意の様ですね」
「もっと身振りで示していけよ! わたしに解らんだろ! まあいいや。よし、ともかく先を急ごう。あんなのが沢山うろついてるんじゃ、本当にやばそうだぞ」
それでアクナバサクたちはまた先に進んだ。アクナバサクの本気の走りはかなり速く、途中で現世喰に出くわしても相手にせずに振り切った。ネズミは懐で必死になってしがみついていて、どこを走っているのか解らないくらいだった。
走りながら、アクナバサクが言った。
「しかし、敵がこれだけうろついてるのに、まだ生き残っている連中がいるんだね。人間も対抗策を手に入れたって事かな?」
「そうかも知れません。しかし押し込まれているのですから、対症療法的な対策しか打てていないのではないかと思います」
「根本的な解決か……現世愚昧を根絶やしにするしかないのかな?」
「現世喰です。まあ、それが一番でしょうが、相手の総数が解りませんからね。それに王様がそこまで考えてやる義理はないでしょう」
「いや、わたしも被害者とはいえ、同族のやらかした事だからな……ま、ちょっとくらい責任を感じるわけよ」
「はあ」
その時、アクナバサクの懐にいたネズミがちちと鳴いた。アクナバサクは前を見る。
「おっ、なんか見えて来たぞ」
向かう先に日に照らされた城塞の姿が見えた。一部が崩壊しているが、それでも中々の威容である。だが、近づくにつれ、破壊されたみすぼらしさの方が目立つ様になった。
「うわ、ほぼ完全に廃墟じゃねーか」
足を止めたアクナバサクはぼろぼろの城壁を撫でて言った。
「うーん、こんな城塞もぶち壊れるのか。手ごわそうな相手だナー」
「ここでいいのでしょうか」
とホネボーンがネズミを見ると、ネズミは首肯した。それで二人は崩れた所から都市の中へと入り込む。しかし都市の中は静かだ。舞う土埃が日に照らされて変にくっきりと見えた。生き物の姿なぞちっとも見えない。
アクナバサクは腕組みして辺りを見回した。
「誰もいない。変だな。ホネボーン、何か解らんかね?」
「ともかくもう少し奥まで入ってみましょう。ネズミ、お前のねぐらはどこですか。案内しなさい」
野ネズミはちゅうと鳴いて、アクナバサクの懐から地面に降り立ち、先だって歩き出した。二人はその後をついて行く。
どこもかしこも崩れた建物で溢れていた。瓦礫が道を塞いでいる場所も多い。神族のものらしい像などが倒れている。石畳の道はあちこち凸凹になっていた。
「今では見る影もないけど、昔は中々立派な町だったみたいだネ」
「そうですね」
「住んでた連中はどうしちゃったんだろ? 皆食われたのかな?」
「逃げたんじゃないでしょうか」
「ふーむ?」
通りの角を曲がった所で、ネズミが足を速めた。アクナバサクたちもやや早足で歩く。
向かう先に、すっかり枯れた大木があった。それに隣接する建物は半壊状態である。それを見て、ネズミが愕然とした様に足を止めた。
「うむ? まだ木が残っているという事はあすこがネズミ君とその恩人の拠点か」
「しかし完全に枯れている様に見えますが」
「ともかく行ってみるか」
それでアクナバサクはネズミを肩に乗せて枯れ木の方へと近づいた。
木の根元に泉があった。しかし水がすっかり減っていて、底の方にわずかに淀んだ水が残っているばかりである。周辺に生えていたらしい草なども枯れ果てて、どれもこれも茶色に染まっている。アクナバサクが触ると、砂の様に崩れてしまった。
「手遅れだった様ですね」
とホネボーンが言った。
「いや、まだ解らんぞ。生存者を探してみなけりゃ」
と言いかけて、アクナバサクは建物の中で何かが動いたのに気づいた。
「ほら、誰かいるみたいだぞ。おーい、大丈夫かー。わたしが来たぞー」
と満面の笑みで入り口の方に駆け寄った。果たしてのっそりと出て来たのはアクナバサクと同じくらいの大きさの現世喰であった。
「おわーッ! こんにちはーッ!」
反射的にアクナバサクは拳を振り上げて現世喰の頭部を粉砕する。
現世喰の体が崩れて、ぱちんと弾けると同時に、辺りに風が吹き抜ける。そうして泉の周りの草が再び青々と茂って来た。枯れていたと思われた大木の一枝に芽が吹いて花が咲く。ごぼごぼと音がして、枯れていた泉の底から水が湧き始めた。
「ビックリ系禁止だコノヤロー!」
とアクナバサクは怒って足踏みする。ホネボーンが杖を握った。
「アクナさん、どうやらまだいる様です」
「マジで」
見ると今の騒ぎで気づいたのか、周囲の物陰や建物の中にいたらしい現世喰たちがぞろぞろと姿を現した。復活したばかりの草などをかじっている連中もいる。ネズミが怒った様な声を出した。
「おお、お怒りだ。そりゃそうだろうな。よっしゃ、ネズミ君。仇を取ってやろうぜ! ヒャッハー!」
とアクナバサクは現世喰に飛びかかった。ホネボーンは魔法が効かないなりに、風で遠くに飛ばしたり、足を払って転ばせたりとサポートする。
十数匹いた人間大の現世喰は瞬く間に駆逐された。それらが崩れて生命エネルギーを放出する度に、大木はどんどん枯れ木から復活し、泉の水は縁から溢れんばかりになった。地面も草に覆われて、崩れた建物には緑の蔦が絡まる。
アクナバサクはふうと息をついた。
「これで大体片付いたかな。こんな雑魚集団じゃアクナちゃんは止まらんぞ、がははは」
と笑ったが、肩に乗ったネズミがしょんぼりしているのに気づいて口を結んだ。
「……ネズミ君、間に合わなかったのは残念だけれども」
「アクナさん、お待ちを」
とホネボーンが言った。そうして杖を瓦礫の方に向ける。先端から魔弾が撃ち出された。瓦礫に当たって大きな音を立てる。その陰から「ひっ」とくぐもった悲鳴が聞こえた。
「何者です。現世喰ではありませんね。出て来なさい」
瓦礫の陰から、小さな影が出て来た。
ネズミが喜びの声を上げる。
アルゲディが怯えた目をして立っていた。
〇
ハクヨウが異形の現世喰に連れ去られた夜、現世喰たちの襲撃があった。人間大の現世喰ばかりだったが、闇夜に乗じて大勢乗り込んで来た上、最大戦力のハクヨウが不在で、グリーゼも負傷して満足に動けなかった為、魔姫たちは拠点を放棄した。
逃げ込んだ廃墟で荷物を確認しながら、キシュクが嘆息した。
「……食べ伸ばして、五日持つか持たねーかですね」
拠点から逃げ出す際に、咄嗟に食料などを持ち出してきたが、準備なぞできなかった為、大した量がない。四人で生き延びるにはあまりにも心もとない。
アルゲディは膝の上でぎゅうと手を握った。
「ハクヨウ姉さんを……助けに行かなきゃ」
「……そうですね。でも今は体を休めなきゃいけねーですよ」
とキシュクは膝を抱えた。アルゲディは目からぽろぽろ涙をこぼしながら、キシュクを睨みつける。
「そんな悠長な事……姉さんが心配じゃないの?」
「心配に決まってるじゃねーですか!」
とキシュクが怒鳴った。頬が上気して目は潤んでいる。
「だからこそ……無理して乗り込んで、アルゲディやシャウラまで死ぬのは、耐えられねーんですよ……」
と言ってキシュクは膝に顔をうずめて嗚咽した。アルゲディは言葉に詰まる。
「……ごめん。わたし、混乱してて」
「……いいです。ボクだって同じですから」
「ふ、ふ、二人とも……自分を責めちゃ、だ、駄目、だよ」
眠っているグリーゼの傍らに座っていたシャウラが言った。
「シャウラちゃん……」
「誰のせいでもない……い、いずれこうなるって、解ってた筈なのに……やっぱり、か、悲しい、ね」
シャウラの言う通りだ。いずれは必ずこんな時がやって来ると思っていた。しかし、まさかそれが今日だとは想像もしていなかった。
自らの破滅なぞ目をそらしたくなっていても止むを得ないと思う。しかし、それで漫然と日々を過ごしていたから、こんな事態になったのではないかと考えてしまう。もっと、何か出来る事があったのではないかと。
そういえば、いつも餌をあげていたネズミの姿も数日前から見なくなったな、と思い出した。
何となく仕草が人間臭いネズミだったが、アルゲディの言葉を受けて都市を逃げ出したのかも知れない。思い起こせば、あの日から姿が消えた様な気がする。
逃げられるなんて、羨ましいなとアルゲディは思った。
同時にずるいとも思った。餌をあげていたのに、あっさりと逃げるなんて、と恩着せがましい事すら浮かんで来る。自分自身への怒りが他者への怒りとなり、それがやるせなさになって落ち着かなった。
思考は下向きになる一方だ。アルゲディはやるせない気分のまま、まんじりともしないまま朝を迎えた。
その日を境に、都市内部にも現世喰が闊歩する様になった。拠点の自然はたちまち食い尽くされてしまったらしい。
魔姫たちは現世喰を倒し、生命エネルギーを利用して新しい拠点の環境を整え始めはしたが、侵入している現世喰たちも、最近のものの例に漏れずエネルギーの量が少なく、ほんの少しの野菜を育てるだけしかできなかった。
瞬く間に三日が過ぎた。
アルゲディは剣を握って廃墟を出る。現世喰を倒してエネルギーを奪う為だ。
グリーゼはまだ満足に動けない。むしろ食料などが不足している分、却って衰弱して来ている節すらある。
アルゲディ、キシュク、シャウラの三人はローテーションを組んで狩りに出かけた。尤も、守るものが多いので、拠点に残るのが二人、というアンバランスな編成だ。一人一人の実力が大した事がない分、守りの方に比重を割かなくてはいけない。
今日はアルゲディの番だった。なるべく一匹でいる現世喰を探して、都市の中をうろつく。勿論、一方的に見つかってもいけない。緊張感は抜けない。
食料はともかく、深刻なのは水だった。泉という水源がなくなったので、飲み水も節約しなくてはいけなかったし、体を拭く事も出来ない。渇きが常に付きまとった。
ふと思い立って、アルゲディは古い拠点の方に足を向けた。
もしかしたら、泉にまだ水が残っているかも知れない。ほんの少しであっても手に入れられれば、せめてグリーゼに飲ませてやる事が出来る。
そうして拠点の近くまで行ったアルゲディだったが、現世喰が多くいるのを見て落胆した。連中は、残っていた自然という御馳走が忘れられず、意地汚く旧拠点の周りをうろうろしているのだった。
アルゲディの実力では、複数の現世喰を同時に相手には出来ない。無駄足だったか、と踵を返しかけた時、聞いた事のない声がした。
「おーい、大丈夫かー。わたしが来たぞー」
驚いて、アルゲディはそーっと瓦礫の陰から向こうを窺った。銀灰色の髪を軽く束ねた少女が、拠点の入り口に大股で歩み寄って行く最中だった。
あっ、危ないと思ったが、喉が渇いて声がうまく出せない。
少女の前に、拠点から出て来た現世喰が現れる。アルゲディは思わず目を覆った。
「おわーッ! こんにちはーッ!」
しかし少女は一撃で現世喰を倒してしまった。それも素手である。
まさか魔姫? 今になって援軍が送られて来たの? とアルゲディは混乱した。よく見ると、黒いフードをかぶり、仮面をつけた奇妙な人物を伴っている。杖を持っているから魔法使いなのかも知れない。しかし援軍にしては魔姫一人に魔法使い一人というのは変だ。
正体不明の二人組に、アルゲディが戸惑っていると、二人を取り囲む様に現世喰がぞろぞろと集まって来た。
それからは信じられない光景が続いた。二人は見事な立ち回りで瞬く間に現世喰たちをせん滅した。しかしエネルギーを固定化する事はせず、溢れるに任せている。魔姫にしてはおかしい。
それでも、解放されたエネルギーによって大木が蘇り、泉に水が溢れる。
アルゲディの目から涙が零れ落ちた。何だか奇跡でも見ているかの様な気分だった。
だが同時に怖くもあった。あんなに強いのに、得体が知れない。のこのこと出て行って大丈夫だろうか、という思いがあって、アルゲディは瓦礫の陰でもじもじしていた。
その時、仮面の人物が放った魔弾が、アルゲディの隠れている瓦礫の端を撃った。アルゲディは硬直する。
「何者です。現世喰ではありませんね。出て来なさい」
心臓が高鳴った。怖くて膝が震える。それでも、隠れていても無駄だと解った。
アルゲディはよろよろと歩み出た。怖くて涙がにじむ。少女も仮面の人物もアルゲディを物珍し気な顔をして見ていた。
その時、ちちっと鳴き声がして、アルゲディの足元に何かが駆けて来た。
見ると、いつも餌をやっていたあの野ネズミがいて、アルゲディを見上げている。
「えっ……ど、どう、して……」
ぺたん、とアルゲディは地面にへたりこんでしまった。頭の中が混乱して来た。
少女が駆け寄って来る。
「ネズミ君、君の恩人ってこの子?」
ネズミがちちっと鳴いて頷いた。
アルゲディはぽかんとして少女とネズミとを交互に見た。まさか、このネズミが二人を連れて来たのだろうか、とあり得ない事を考える。
少女はにんまりと笑って、アルゲディに手を差し伸べた。親し気な笑みだった。
「こんにちは! わたしはアクナちゃんだ。君を助けに来たぞ!」




