0.プロローグ
そこは大陸の東部に位置している山岳地帯であった。二百年の昔、人と魔人の間で大きな戦いのあった所で、その戦いの傷跡が不毛地帯となって広がっているのである。およそ生命の気配は感じられず、人々はそこを忌むべき禁足地として近づこうとしなかった。
成る程、一面の荒野が広がっている。
乾いた風は肌に叩き付けるように吹き、そのたびに砂埃が舞い、わずかに生える草は細く、固い。大小の丘陵が幾つも連なり、かつては谷川が流れていたと思しき深い谷がある。しかし植物の姿は皆無だ。乾燥に強いがさがさした草すら見かけられない。すべてが灰色に染まっていた。
やがて山に挟まれた谷に差し掛かる。谷底には平野が広がり、その谷を見下ろす高台に一際大きな廃墟があった。廃墟というよりは、もはや岩の山である。徹底的、と言っていいくらいに破壊された形跡があった。しかし四角く切り出された壁石がいくつも転がっている事から、建造物があった事は容易に窺う事が出来る。
その廃墟の石の上に、少女が一人、呆然とした表情で立っていた。
年の頃は十四、五といったところだ。軽く束ねた銀灰色の髪が風に吹かれて暴れており、白い貫頭衣にだぶだぶしたズボンをはいている。すらりと伸びる手足は白くしなやかだが、胸は丸々と大きい。
「うーん、青い空、白い雲。そして広がる灰色の大地……」
少女は呟いた。
彼女の足元に杖を持った骨が腰を下ろしていた。まさしく人骨である。それが古びた文官服とマントをまとっていた。
少女は骨人間を見下ろして言った。
「なんじゃこりゃ! ここが本当にわたしの領地かよ! ホネボーン! 凄い事になっちゃってるじゃないか!」
「だから言ったでしょう王様。我々は負けたんですよ」
骨人間――ホネボーンはあっけらかんと言った。少女はがっくりと肩を落として、腰をかがめた。
「負けか……そりゃ負けて当然だったと思うけど、ここまで荒廃する事になるとは思わなかった……」
「ですね。私もここまでとは思いませんでした」
「闇の精獣とか精霊どもはどうしちゃったの」
「人間たちに皆やられましたよ。あいつら、徹底的に領地をぶっ壊して、精獣も精霊も根こそぎ滅ぼしましたから」
「えっ、そこまですんの? 人間こわあ……」
「あんたはともかく、他の王様方はそりゃもう凄かったですからね。人間の領地でやりたい放題に殺しまくってたみたいですから、その意趣返しもあるんじゃないですか」
「あー……だよなあ。他の連中はわたしと違って『反抗』の要素を全排除されて創造されたわけだからな。凶暴な筈だよ」
少女は苛立たし気に両手で頭をばりばりと掻きむしった。
「くっそー、そのせいでこのアクナバサクさんまであおりを食らうとか、迷惑にも程がある! 他の連中から排除した『反抗』を詰め込まれて領地の奥で飼い殺しにされてただけなのに!」
「しかも最奥にいたせいで、人間からすべての黒幕と誤解されて全力でぼこぼこにされたとか、笑い話にしかなりませんよね。見た目は凶悪だったから仕方ないかも知れませんが」
「つらい……まあ、おかげでこうやって新しい体に生まれ変われたわけなのだが」
少女――アクナバサクはまたひょいと立ち上がって両腕を広げ、体の前後ろをしけじけと眺めた。
「うむ、いい出来だ。中々の造形美だろう。なあ?」
「はあ」
「見た目は華奢だが、わたしが持てる力を注ぎ込んで作ったから刃物を通さないくらい丈夫だし、力もあるぞ。どうだ、凄いだろ」
アクナバサクは、傍らにあった巨大な岩を両手で抱えて軽々と持ち上げた。ホネボーンが足を組み替える。
「胸が邪魔そうですね。どうしてそんな無駄な脂肪の塊を二つもつけたんですか」
「いや、丸くて大きなものって素敵だなって思って……それに人間はこういうのを愛でるのが好きらしいぞ。大は小を兼ねるって言うし」
「大は小を兼ねるというのは大便をする時には小便も出るという意味ですよ」
「えっ、そうなの?」
「いえ、嘘です」
「えっ」
「しかしどうしてそんな体にしたんです? 王様、腕四本あったし、頭は山羊、目は六つ、下半身に至っては蛇だったじゃないですか。動きづらくないんですか?」
「いや、人間に紛れて暮らすなら見た目クリーチャーじゃいかんでしょ。それならか弱い姿の方が可愛がってもらえそうかなって……でも人間怖そうだし、万が一わたしの正体がばれたら大変な事になるよね? この体年取らんし、見た目に反してスペック高すぎるし、明らかに不自然よね?」
「十中八九なぶり殺しでしょうね」
「いやーッ! そんなのいやーッ!」
アクナバサクは岩を放り出して頭を抱えた。
魔王アクナバサク。闇の神獣の『創る力』によって生み出された魔王たちの一柱である。魔王らしからぬ性格を持って生まれたのは、彼自身が語るように『反抗』の要素を詰め込まれたからで、そんな要素を詰め込まれたからか、力も魔王たちの中では最も低かった。
神の名を冠する闇の神獣は、新たに命を創造する力を有していた。しかし自然の理に反するその力には、様々な制約が科されていた。強い力には、それに反する力が同時に創造されるという制約である。
しかし闇の神獣はその制約を強引に捻じ曲げて、強力な魔人たちを幾人も生み出した。そうして本来彼らに存在する筈だった負の側面、すなわち闇の神獣に対する『反抗』の要素は、ただ一人、最弱の魔人として生み出されたアクナバサクへとすべて注ぎ込まれた。
その為、他の魔人たちは魔王らしい強力な力と、闇の神獣に対する絶対の忠誠を持ち、狂信的と形容できる忠誠心で人間たちと戦い続けたのである。
要素を詰め込まれたとはいえ、力が最も劣る彼が本当に反抗したところで勝てる筈もない。
そもそも、人間側につこうという思惑を持てぬよう、彼は魔領の最奥の領地に半ば幽閉に近い形で押し込められていた。
それが結果的に人間に黒幕だと誤解される要因になってしまった。踏んだり蹴ったりとはこの事である。
それでも、彼はこっそりとホムンクルスを作っていた。この戦争が終わった後に、人間に紛れてひっそりと暮らそうという思惑があっての事である。
最後の戦いで彼は命を分割し、九割の命で人間たちに討たれた。そうして一割の命を封印という形で眠らせておいて、ほとぼりが冷めた頃に復活しようと企んでいたのである。
人間たちが領地から立ち去るまで、腹心である骸骨魔道士ホネボーンが封印された命とホムンクルスを守っていた事もあって、それは無事に果たされた。しかし紛れて暮らすには人間は怖そうであるし、だからといって領地は荒廃している。アクナバサクは途方に暮れてしまった。
ホネボーンは肩をすくめた。
「ま、人間なんぞには極力関わらない方がよさそうですナ」
「そうね……仕方がない。人間社会に紛れ込むのは断念するしかないか……となると、こんなもん必要ないわ」
アクナバサクは指先で大きな胸をつついた。すると風船の空気が抜ける様にたちまち胸がしぼんで小さくなった。
「よし、動きやすくなったぞ」
「器用な事しますね」
「ふふん、自分で作った体だからな。『創る力』の延長でちょちょいのちょいよ。さて、どうしよっかな。ひとまず領地を何とかしなくちゃならんね」
「荒れ放題ですからね」
「雨風をしのぐ家すらないからな。いや、別にそんなものがなくともこの体は傷一つつかんし、飲まず食わずでも何ら問題はないのだが」
「でも流石に貧相でしょ。というか王様、どんな生活がしたいんです?」
「その辺がふわっとしてるんだよなあ。いや、人間に紛れていれば、何となく何とかなるような気がしてたんだけど、ここじゃそうもいかんもんね」
「人間って案外怖いですよ。私も終戦までは何とか王様の体を守って生き延びましたけど、正直間一髪でした」
「いやー、すまん。そして有難う」
アクナバサクは瓦礫の山から危なげない足取りで降りると、枯れた谷川を見下ろした。
「昔はあすこも水が流れていたなあ。闇の神獣が武器工場おっ建ててどデカい溶鉱炉造ったせいで植物は少なかったね、流石に今ほどじゃないけど」
「そうですね。動物もいましたし。暗いから陰気な連中ばっかりでしたけど」
「もっと綺麗に出来るといいな。暗くなくてさ。緑豊かな明るい魔王谷。いいじゃないか。なあ?」
「はあ」
「どうしよっか。わたし、一応『創る力』も『与える力』もあるんだけど、相当弱体化してるからできるかなあ。というか、まず何をやればいいんだろ?」
「とりあえず木でも植えてみたらどうです」
「なるほど、それだ」