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地中海史1 柳生宗章 猫 十字軍 金利

 紀の川の河口にて一泊し紀伊より舟で来た海路を戻り、昼頃には堺へと辿り着く。見知った顔の門番に頷いて蔵屋敷の中に入ると、何やら今までとは違う気配がする。

 弾丸のごとく迫り来るモノにハッと横を向き、手を付き出して抑えこむ。山羊の頭突き突進である。気付かずにその勢いを受けておれば、無様に押し倒されて威厳の危機じゃった。


 フー、フーと荒い息を吐くその額から首周りを掻いてやり「ワシは敵では無いぞ」と耳元に囁く。ウム、毛艶は良いの。

 護衛の甲賀衆も山羊の毛を撫で回し害意は無い事を示すと、納得したのか母山羊は仔の元へと戻っていった。どうやら母山羊は仔を庇って気が荒くなって居たようで、その縄張りにワシは踏み込んでしまったらしい。


 人も動物も縄張りには厳しいわい。数日離れている内に庭を縄張りと見做しておる。しかし角の無い山羊で助かったわ。


 奥に進んで荷物を降ろす頃に信辰が近寄ってくる。

「ご無事の帰還何よりでございます」

「ウム、留守の間に変わったことは無かったか?」


「柳生宗厳殿のご子息と門下生が昨日参られて、今は甲賀衆に稽古をつけておりますで」

「なんと!それは是非見てみたいものじゃ」


 これには助介たちも同意だったようで皆して庭先に進む。そこで列を成した甲賀衆が見守る先に、剣を構えて対峙する二組があった。見知った顔二人が甲賀衆で相手をしておる二人が柳生家の者か。


 甲賀の者が陽動を入れつつ打ちかかっては半歩躱かわしで打ち落される。攻めあぐねておるとすかさず遠間からパーンと打ち掛かる。

 寸止めでは無いが音が軽いの。木刀でも無い様じゃ。打たれた甲賀衆は奥へ行き素振りをしたり仲間と語り合っておる。傷は無いようじゃ。


 敗れた甲賀衆は次の者へと替わっていくが、柳生の者に鍔ぜりあいまで持ち込む者は出てこない。剣撃を上手く躱す者も居るが、二振り三振りのうちに追い詰められ打たれていく。


 そんな挑戦者の中に船員も飛び入りする。細長い棒と短い棒の二刀流だ。長い棒の鍔元側で三叉になっておる。そう言えば自前の剣を持ち込んだ奴もおったな、あ奴か。腕自慢の船員であろう。


 順番が回って来ると、やや半身に構えて細長い棒を前に突き出し、左手の短棒を額の先に構える船員が柳生の若者に対する。珍しき型に若者は少し様子見と身体を前後に移動する。

 船員の方は深く腰を落として突きを入れ、空振っても棒が軽い分戻りが早く隙が少ない。頭を打たれそうになると短棒で防ぐ。


 ジリジリと船員が前に詰め、突きを上下に散らして入れる。直後に若者は右前に跳び、船員の戻し入れた右手を上から打ち払う。同時に左手に下から打ち上げ短棒も払い落す。


 勝負は誰の眼にも明らかで、破れた船員も眼を開いて驚いておる。挑戦者も絶えた所でワシは若者に近づく。


「見事な勝負よ。ワシが信盛じゃ。柳生の者かの」

「お招き頂きました柳生宗章やぎゅうむねあきにござる。若輩者ですが宜しくお頼み申す」


「えらい若いが剣の腕前は熟練の域に達してるの。それでここの剣術師範と護衛を引き受けて貰えるかな?」

「拙者で良ければ喜んでお仕え致します」


 承諾も得られたので詳細は部屋へ戻って話し合う。近々尾張からの者も増えその者らにも稽古をつけて欲しい。我らの護衛や先々の予定、佐久間家を取り巻く現状なども話した。


 柳生家の事情も確認する。

 宗章は元服したばかりで柳生の里の外は知らぬので、兄弟子が補佐しておる。3年前に謀反した亡き松永久秀に父宗厳が配下として付いていた。故に柳生家の立場は不安定である。織田家に仕官したいが直臣は難しい。

 先ほどの勝負で使っていたのは木刀では無く、竹を割って革で束ねた袋竹刀ふくろしないと言う。音は派手に鳴るが怪我はしにくい。袋竹刀は父荘厳が新陰流の上泉信綱の門弟になった際に教わったと言う。


 宗章は様々な出身の者が集うここの環境を気に入ったようじゃ。明日からの稽古は銃に対する事を想定して、甲賀衆に吹き矢を構えて貰えぬかと助介に相談しておる。ワシは護衛の強化にも繋がろうと了承しておく。


 同時に宗章には海外に同行もあるので、朝の語学に参加するように申し伝える。

 語学と聞いて宗章の顔が曇った。がエウロパにも様々な流派や戦術があるようじゃし、それを伝え聞くにも語学は役に立つじゃろう、と言うと何やら考えこんだ。

 船員の二刀流が鍔ぜりあいでの刀を折る工夫ではないか、聞きたいようだ。それを聞くのに語学を覚えても損は無いぞと焚き付けておく。


 やる気の有る剣の師範が早々に配下に加わったは良いが、学ぶ佐久間家の配下を至急に手当てせねばならん。

 明日には顔の知られておる信辰と、次回以降の募集の為に弥助も尾張に送り込む。




 帰還当日の夜は皆と意見交換を行った。とは言っても堅苦しい物では無く、いつも通り横になりながら茶や酒に干物や菓子を摘みながらの雑談じゃ。そんな宴に子猫が3匹紛れ込んできた。甲賀の娘達が拾ってきたらしい。

 助介が恐縮しておる。娘達は櫛を頻繁に入れているのでのみなど居ないという。船を動かすにも倉庫を構えるにもねずみ捕り上手の猫は必要じゃ。正に猫の手も借りたい所よ。

 面倒を見ることを条件に飼うのを了承をする。小さく千切ったさかなを食べて満足したのか子猫はワシの懐で丸くなる。



 馬鹿話や伝聞と言いつつ話す船員たちの話は実に興味深い。

 カルタゴやローマ帝国の興亡、その間のキリスト教の動き、その母体となったユダヤ教の運命やその後の生業など。


 どこの組織も永らく続くと上層部が腐敗し一般民衆や信徒を食い物にした動きをする。国外の安い産物を売って大きく儲けたい豪商が組織の上を買収し、みずからに都合の良い法を作らせる。情報を捏造して都合の悪い相手に軍を向ける。

 その被害者はイスラム教国やテンプル騎士団・カタリ派など多数に上るそうじゃ。



 イスラム教は古い聖書を元にエウロパより南東の砂漠地帯を中心にキリスト教より後に発祥した教義じゃ。砂漠という生きづらい地域が元である事から戒律は厳しいが、多民族を支配下に置く故に異教徒の存在も許す。その代わりに税は高めだ。

 商売に熱心でアジアとエウロパの中継貿易で儲けて各地に拠点を持っている。


 興隆著しい異教徒に対して凋落傾向の東ローマ帝国皇帝は策を練った。東西に分かれていた教会の合同を条件に、異教徒がキリスト教徒を虐殺しているとして西のローマ教皇に救援を求めた。

 時の教皇は権力の拡大を目論見、各国の王に軍を要請し十字軍が発生した。これが5百年ほど前のことである。十字軍は2百年に渡って異教徒は勿論のこと、異端や同教の国さえも占領・略奪・虐殺を繰り返した。


 その間に東エウロパ(東欧)がモンゴル軍に侵入されても十字軍は止まらなかった。ある王は地獄の軍団が現れたは我々が罪深いからだと嘆いた。

 第1回十字軍は無警戒であったイスラム教国に多大な打撃を与えた。がそれ以降は体制を整えたイスラム側にサラディンという英雄が現れ失地を挽回し、身代金を払えない敵の捕虜さえ放免する寛大な処置を取った。

 それに対し一時休戦も挟むが十字軍による蛮行は繰り返され、イスラム側はエウロパ人を獣と毛嫌いし今に至る。



 テンプル騎士団は第1回十字軍の後に、聖地への巡礼者を保護する名目で結成された。構成員は修道士でありながら騎士であり奪取した聖地で勇猛に戦い、地中海に船団を持ち運輸と国家の財務管理を受け持った。

 キリスト教では金利を取ることは憚られた。がその教義に縛られないユダヤ教徒の中には、20%の高利貸しを営む者がいて民衆から嫌われた。


 テンプル騎士団はそれより低利の10%で各国王室や豪商に貸付けと預金のための口座を提供した。

 各国王室からの信頼も厚く、幅広く財務管理を任された。スペインの東のフランスも同様である。


 しかし悲劇は訪れる。ブリテンとの戦争で多額の債務を抱えていたフランス王フィリップ4世は、1306年に国内のユダヤ人を一斉に逮捕し資産を没収し追放した。ついで翌年にテンプル騎士団員にも同様に資産を没収した。テンプル騎士団の入会儀式において男色行為・悪魔崇拝・反キリストの誓いがあったと、起訴し異端審問に掛けた。


 時の教皇はフランス人で王の意のままであり異端審問官も王の息のかかった聖職者で、自白するまで拷問は続けられた。1314年テンプル騎士団の最後の総長ジャック・ド・モレーは、異端の濡れ衣を着せられて火刑に処された。

 フィリップ4世と教皇は同年中に急死した。14年後にフランス王家は断絶となる。テンプル騎士団の呪いと噂された。なんとも背筋の寒くなる話じゃわい……

(※現代のカトリック教会での公式見解はテンプル騎士団への異端の疑いは冤罪であり、フランス王の意図によるものであったとしている)


 カタリ派は1000年頃に当時のカトリック教会の聖職者の汚職や、堕落に反発する民衆から起こったと言われる。その教義は古くから伝わるマニ教の流れを汲むそうな。この世には善神と悪神が居り、人は悪神が作ったので悪い方に流れやすく、天国に行くには完全な禁欲生活を送る必要があると。

 腐敗した聖職者とは対照的であり、禁欲生活を成したものは聖者のごとく敬われた。だが一般信徒は死の直前に禁欲生活に入り肉食や異性と交わりを断てば救済される、と多少ゆるくしており人気があったそうじゃ。


 だが幼児の洗礼や免罪符、階層的な教会組織を認めず教皇からは嫌われた。フランスの南部諸侯から庇護を受けたカタリ派の急増は、教皇に危機感を抱かせた。

 王権の拡大を望むフランス王の思惑と併せて1209年、カタリ派討伐の十字軍が編成された。善神に拮抗するほどの悪神の存在を信じるなど異端と断じた。

 南部諸侯を屈服させた後は、カタリ派は異端審問という名の魔女裁判により絶滅した。



 そのとばっちりで、人に従順でない猫もカタリ派(Catarismo)の象徴とされた。見世物として袋に詰められ、火刑に処されることが今も続くという。異教徒や異端が猫を大事にしていた事や、黒猫は不吉との迷信も理由としてある。

 なんとも野蛮な獣共か!不浄なネズミを払う神聖なる猫を火刑とは!!

 ワシは肴を激しく噛み砕く。胸元の子猫の背を撫でて心を落ち着ける。今出来ることはしっかりと話を聞き取る事じゃ。

 天敵である猫の減少でネズミが増加し、後にヨーロッパでのペストの蔓延まんえんに繋がる。風が吹けば桶屋が儲かる的な感じ?


 地中海史で出てくる固有名詞は聞き流しで構わない。流れさえ掴んで貰えば十分。

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