甲賀の娘
山羊を囲んでいたのは甲賀の娘達であった。声に反応したのか、船員達や助介らもワシに続いて庭に降りてくる。船員達を前にしても彼女らは何やら楽しげである。天狗に人身御供されるかの様な心境ではと、心配して居ったが杞憂であったようじゃ。
助介が旅程を確認しておる。娘達13人に対して護衛が4名。それなら安心、せっかく外に出るのだからと安土の城下町を見て琵琶湖を下り、京にも寄って淀川を下ってと物見遊山であったようだ。
護衛の者が助介にしきりと遅くなった事を詫ておる。
「外の者に嫁ぐのに己が国を知らんのも具合が悪かろう。良い良い」とワシは一言添えておく。
ざっと辺りを見渡すと関係者は全員居る。護衛の4人もこちらに合流するらしい。屋敷の縁側に移動して話を切り出す。
「エウロパ人と結婚しても良いと思うとる甲賀の娘達で良いのじゃな?」
護衛が促すと一人前に出てくる。
「その通りでございます。甲賀の娘13人で私が取り纏め役の香です」
「ウム、良く参った。歓迎する。ワシは佐久間信盛じゃ。上様とは和解して今は船員達を纏めておるが、世間的には行方不明の身じゃ。織田家の影の働きを担っておるが口外無用で頼む」
娘達も事情は聞いているようで動揺は無い。 次いで船員達の紹介をする。
彼らの仕事、引き揚げた船や模造した船が動き出せば操船を日本の海兵衆に教える事、堺の外れにワシらの住居を建設中である事、船員達と意思疎通するためにも明日から午前は通詞を交えてスペイン語を学び日本語を教える時間を交互に1時間ずつとる事、時間は時計を使って1日を24時間に分けて数える事、人手は欲しいので手伝いをして貰えるならその分報酬を少し出す事、ワシの不在時は弟の信辰が代理を務める事など諸々を伝える。
船員達にも娘達に夜這い等せぬよう、口説くのもお互い言葉を覚えてからで、結婚は双方の合意の元で行う事、結婚した後には日本で居を構えて欲しいと思ってること、店を開くなり工房を構えるなり牧場を拓くなりの際には援助する事、帰国するも自由である事を伝える。
他に気になる事があったらその都度ワシか信辰か通詞や助介らやお互いに聞けば良いと伝える。
自由時間に外出もできるが織田家を狙う者が居ることを意識して、常に護衛を伴う様に注意を促す。
娘たちは頷きながら船員達や辺りを観察している。歳の頃は15才を中心に20才位までか。任務には就いていなくとも周りの影響から、何かしら得物を持てば自衛位は出来そうでは有る。
顔立ちは可愛らしき者が多いが、鼻筋の通った変装すれば男にも化けれそうな者も居る。エウロパ人の好みも様々有るので色とりどり揃えているようだ。
娘達には疲れていなければ今日明日にもパティオや引揚げ船などを見学しておくと良いと伝える。もちろん護衛を付けて。
他の者には仕事に戻る様に伝えると、それぞれ散っていく。
しかしこれで船員9名、通詞3名、娘達13名に甲賀衆が更に増えて20名程、現在の佐久間家2名で50名弱が蔵屋敷に居候することになる。
「すっかり大所帯になったの」ふぅと息を漏らすと信辰が応える。
「兄上が完成前のパティオに引っ越ししたくなる気持ちも分かりますな」
「そうじゃな。居候の身は何かと気を使うでな」
「居候とはいえ兄上は織田家に今も貢献しておりましょう。パティオが出来上がるまではここに落ち着きましょうぞ」
「本貫地が無くば落ち着かんのじゃ」
「いずれ任される事も有りましょう」
「だがワシは領地よりも船を希望しておるからな」
「交易で稼いで領地を買い取れば良いでは有りませぬか」
「領地は経営に手間が掛かる。面ではなく点、拠点で充分じゃ」
「交易にはそれで充分かも知れませぬが、人を補充するには地縁が有った方が良いのでは?」
「まぁ暫くは佐久間家の名で繋がりが有る者も集まろう。先々の事はその都度考えようぞ」
「まぁそうですな。やることも色々と有りますし」
辺りを見回すと船員たちは二段寝床や煉瓦、家畜小屋に菓子を作ったりと忙しそうじゃ。が若干普段より動きが良さげじゃ。娘達を目の当たりにしたせいじゃろう。やはり男をその気にさせるのは女子よの。報酬では限度がある。
娘達はそんな船員たちの様子を見ながら屋敷内を見て回っておる。寝る場所を確認して荷物を置いた後は護衛を連れてパティオ見物に向かった。やはり次の住む場所が直ぐにも気になるのだろう。
ワシは寝込んでから今日までの会計報告や船員の日報、通詞の翻訳した物などに眼を通す。信辰も眼を通し、解らぬ事は聞いて来る。助介からの報告にも耳を傾ける。
やはり銭が足りぬ。次に有閑殿に会う時に増額してもらうとして、それまでの繋ぎにはワシの懐から出す必要が有る。
貸し付けている商人宛に金の一部を引き出すので用意してもらう様に書状を認める。こちらは信辰に少しづつ回収してもらう。
人数が増えたで部屋数が足りるか心配になるが、二段寝床の数も増えてある程度は吸収できそうじゃ。
後の細かい事は信辰に任せていくか。引き継ぎを行っていると助介が近寄ってきた。
「根来衆の集落を探って居りました猟師が戻りましてござる。硝石の製造小屋の当たりが付いたとの事」
「出来した。すぐ会えるか?」
呼んで参りますと奥へ下がると、暫くして年季の入った毛皮を着込んだ、ワシと同じくらいの年齢の男を伴って戻ってきた。皆が座った後に尋ねる。
「根来衆に気付かれた気配はあるか?」
「付けられた感は有りませぬ」
「場所はどの辺りになるかの?」ワシは地図を出して促す。
「硝石の匂いを嗅がせた犬が紀の川沿いの三ヶ所の小屋に強く反応しました」男は三つ丸を付ける。
「ウム、上出来じゃ。その方の名は何という?」
「隼人にござる」
「隼人よ、その犬と共にこちらの警護に加わって貰えぬか?姿の見えぬ奴らがこの辺りを探っておるようで捉えきれぬのじゃ。助介と検討してくれ」
「探り出した事がバレれば、今までと同じ地で隼人が猟をするも難しくなりましょう。こちらは犬の鼻も借りたい所にござる」
「畏まりました。ですが犬は訓練し続けねば役立たずになります。近場の山を使わせて頂きたく存じまする」
「そちらは堺政所の松井有閑殿に許可を貰っておこう」
紀の川周辺の野原は狩りに適した良い野である。「吉野」の地名の由来である。
そこに入りづらくさせた故、隼人の生活をワシが面倒を見るが筋であろう。
ワシは有閑殿宛の書状を認めつつ、隼人の潜入の経緯を聞いておく。書状は助介に渡し届けてもらう。隼人には落ち着いたら妻子も呼び寄せるが良いと伝える。
庭が騒がしい。犬が3頭繋がれた木と離れた所に山羊の母娘4頭、鶏8羽が互いに距離を取りつつ鳴き声を上げている。
人も動物も大所帯になったものじゃ。山羊と鶏の小屋は船員達が作っておるで、犬小屋は隼人と甲賀衆が作るようにと伝える。
動物の糞尿の処理も彼らに任せる。が人が糞尿から作り出す硝石の落とし所はワシが付けねばならぬ。
根来衆は紀伊国の紀の川中流の根来寺を中心に根を張った集団である。
種子島に伝わった鉄砲の複製を依頼された根来の刀鍛冶・芝辻清右衛門が複製に成功、清右衛門は堺に移り鉄砲は一挙に製造され今に至る。鉄砲製造の日本での源流の地である。
根来衆は現在織田家に協力しておるが、紀伊は寺院勢力が根強く高野山・雑賀衆と同じく根来衆も自治都市として中央とは独立独歩の気風が強い。土地は肥沃とは言えぬが経済力はある。
3年ほど前に上様は石山本願寺を支援する後方基地の紀伊征伐を行った。ワシも従軍しておるが山と連綿と続く砦に手こずり、降伏せしめたものの完全制圧には至っていない。
紀州を心服させるは多大な手間が掛かる。紀の川は流量の落差が激しい。(※最大流量と最低流量の差が日本一大きい川)
氾濫しやすいが旱魃にもなりやすく、そのため近隣との水争いが起き易い。渇水に備えて溜池や隠れ井戸も多く造られておるが、根本解決に至ってはいない。
大和国の山々に源流を発し、紀伊の国を横断し淡路島前の海に流れ込む紀の川。大和国と紀伊国の両国を併せて配分を考慮し治水を行わねば人心は収まらぬ。配分を過てば容易く一揆や訴訟が巻き起こる。
その事は大和国と紀伊の根来衆を配下に組み込んでおったワシには良く分かる。が当時は石山包囲や各地の援軍にと軍事に振り回され、落ち着いて内政を行う余裕が無かった事が悔やまれる。
その因縁の地に乗り込む。




