信辰
寝台の上で助介の書付けを見つつ夢の意味を問う。
あれは未来。そして警告。避けねばならぬ悪夢。
夢で見た事を起こさぬ様に動くなら、あれは誰も知り得ない影の歴史となる。先々に起こる事を予言する者は預言者として、新たな宗教を啓く事が出来るかも知れぬ。
だがワシが悪夢を起こさせぬ。それ故に夢の話を誰かに相談も難しい。
そんな事を考えつつ甘酒を飲む。絞りきった雑巾が水を吸い上げる様に、疲れきった全身が甘酒を欲する。
必要な物を身体に取り込んで安心したのか眠気が襲う。抗うこと無く横になり眼を閉じる。
……
「兄上……兄上!」
薄っすらと目蓋を開ける。信辰が泣きそうな顔をしている。横で弥助もオロオロして居る。
「信辰か……久しぶりに会ったに心配掛けて済まんな」
「ほんに、昨晩は吃驚しましたぞ。呼ばれて来てみれば、兄上は死にそうなほどにうなされて居りましたからな」
「済まなんだな。なにせ昔受けた矢傷と落馬の痛みが同時に戻ってきた様な状態でな」
ワシは腿の矢傷を擦りながら言う。
「若き頃に兄上は数日寝込んでいた事が有りましたな」
「乗馬にも慣れた頃に、何に驚いたか馬が棹立ちになって振り落とされて、その時腰を強かに打ってな。腰を痛めると大変ぞ。なにせ身体の中心じゃから手足、身体の何処を動かしても腰に響くでな。字の通り正に身体の要よの」
「昨晩兄上は腹を貫くような矢傷痕を押さえてうなされて居りましたが……」
「昔の傷が合わさって腹に矢傷を受けたように感じてな。助からぬとも思ったが、起きてみれば皮膚の上に傷痕だけが残って居った。何とも不思議な事じゃ」
「左様に御座いましたか。寝言で家康を罵って居られましたが?」
「思うて居ることがそのまま出たのであろう。それよりこれ迄の事は聞いておるか?」
「弥助や助介よりあらましは聞いて居ります。上様の元に戻られたは本当にございますか?」
「真じゃ。月々給金を受け取って船員やら海外の文物を扱っておる」
「織田家を去る時の兄上の怒り様から、戻ることは無いと思うておりましたぞ」
「ワシも半ばそう思って居ったぞ。あの挑発的なワシらの有りもせぬ罪状を重ね上げた書状にはな……その後聴き取っていったのじゃがな、どうやら佐久間家に対する讒言やら、石山炎上で面目を潰された上様の気持ちがそのまま書き連ねられて引き留められる事無くそのまま届いたというのが真情のようじゃ。それにな……」
「他にも有りますか」
「ウム、直轄地が少ない幕府は不安定になろう?上様は領地を与えて代々継承する仕組みから、給金を与えて代官で治める形に変えるつもりではないかと思う」
「領地より名物の茶碗を求める流行を作っておりましたな」
「ウム、それも一環であろう」
「佐久間家の領地召し上げは……」
「一番大きく抵抗の少ないワシの所で試したのでは無いかと思うておる」
「……兄上は申されておりましたな。いつか領地は返上する故、心して置くようにと……」
「ウム、あのような面目を潰して来るような遣り方は想定外じゃがな。信辰はワシを立てて領国経営をよく補佐してくれた。その分腹立たしい事もあろうが、そこは飲み込んでくれ」
「兄上が納得されているのであれば異存はありませぬ」
「助かる。それで佐久間家の今後の方針じゃがな、領地を持たぬ以上武将としては居られぬ。織田家の方針は海外拠点を拡げて交易で国を富ませていく。ワシらはそれに沿って、織田家が手が回らん所を補佐してゆく。帆船で押し渡っていくぞ」
「つまりは商人ですか?」
「政治にも関わるなら政商とも言える。が海賊と渡り合い国の建って居らん所に拠点を造るで武力も必要となろう。武力を持った商人、武商じゃな」
「武将から武商ですか……なにやら足場が無くなるような何処までも拡がる雲の様に掴み所のないフワフワした感じですな……」
「フフン、誰もが後込みする様な場へワシらは突き進むのよ。虎穴に入らずんば虎子を得ずじゃ。とはいえ弥助よ、もはやワシらは武人で無くなる。以前と同じに戻らぬ。あやふやな立場じゃが付いて来てくれるか?」
「どこまでも付いて行きますぞ」
「頼もしき奴よ。これからも佐久間家の縁者へ使いに出てもらう事も有ろう。だがここでは普通は触れ合う事の無き者とも話せる。学べるモノは何でも吸収するが良いぞ」
「畏まりました。信盛様のお側は退屈しませんぞ」
「フフン、信辰もじゃぞ?」
「了解です。当面は如何しますか?」
「織田家が天下統一を成さねば、海の外に渡って行くことも成らん。統一を早めるには諸勢力を説得し、外に出るには技術を習得せねばならん。そのために助介ら甲賀衆が貸し与えられており、船員達を預かっておる」
「説得に習得ですか……私は何をしましょう?」
「説得などはワシがやろう。外に出る事も多くなる。信辰にはその間ここの取りまとめを頼みたい。会計とスペイン語、操船の流れも出来る限り覚えてくれ。まぁワシも覚えてる最中じゃがな」
そしてそれぞれの重要性と今までワシが覚えた事なども紙に書き、他の細々したことも伝えた。
「これから船を動かし拠点を築き交易し、金品の管理をする必要がある。手が足りぬ。誰か当てはあるか?」
「兄上が出奔した際に隠居し、国に帰った配下の者が少なからず居ります。織田家に属さず身元も確かです。その者らの子弟を集めては如何でしょう?」
「それは良いな。まずは腕が立って操船を覚える者10名、算術の心得が有るもの2名、技術を覚えるのに手先の器用な者5名程かの。武士としては取り立てられんが、給金は以前の佐久間家と同等と伝えてくれ」
「それでしたら直ぐに集まりましょう。ですが今、上様から頂いている給金で賄えましょうか?」
「そちらとは別口にする。すでに佐久間家の不正蓄財は無かったと上様も認めておる。憂い無く佐久間家の蓄えから金を出せる」
「それは商人達に貸している金を戻すという事ですか」
「そうじゃな。金は努力の積み重ね。それを誰であれ一気に奪われるなど有ってはならぬ。そのために分散して預けていたのをここで使う」
「佐久間家の勝負所ですな」
「ウム、拠点が増えれば佐久間家の者も各地に分散する。が独立独歩でなくそれぞれが協力して難局に当たっていくのじゃ。信辰もそう心得て居てくれ」
「承知しました。その線に沿って人も集めましょう。今後も規模を増やしていくと言うことで宜しいですな?」
「じゃな。状況に合わせて都度募集する。で信辰は暫くここで馴染んだ後に尾張に戻って人を集めてくれるか」
「承知。他に求める人材は?」
「ワシらの警護に刀か槍の達人を抱えたい。不意打ちを食らっても矢弾の中を潜り抜けて、撃ち手を切り払えるほどのな。普段は皆の修練の師とも成れる者が欲しいの」
「柳生宗厳殿は如何でしょう?新陰流の剣豪であり、かつては松永久秀に忠実に仕え、兄上の統治下に居りました。松永滅亡後はどうしているやら判りませんが」
「宗厳殿なら腕に間違いないの。じゃがもう仕官したとも聞くの」
「本人は無理でも息子が何人か居るはず。きっと新陰流を伝授されて居りましょう」
「そうじゃの。じゃが今ここの警護も引き受けておる助介の意見も聞いておこう」
ワシは助介より渡されていた金物の箸を両手に持って打ち鳴らした。暫くして障子が開く。
「お呼びと聞き参じてござる」
「ウム、この屋敷を見張る眼を感じるか?」
「何処の者とは解りかねますが、チラホラ感じてござる」
「不意の襲撃に今の陣容で防ぎきれようか?」
「……犠牲は出ると考えてござる」
「ワシも同じ考えじゃ。でワシの縁者を10名ほど操船も学ばせつつ、護衛につけようと思う。その師範として柳生宗厳殿かその息子をと思案しておるが、助介の方で支障や他に適任の者は居るか?」
「宗厳殿なら甲賀の里からも腕自慢が稽古を付けて貰いに行っており、縁はござる。されど近衛前久殿に仕官されたと聞きまする」
「そうか……ならば息子か門弟を紹介してもらうか。信辰、宗厳殿への文を書いてくれるか。ワシも一筆加えよう」
「承知」
「助介は文を宗厳殿へ届けてくれ。それとワシ自身が不意討ちに対抗する術が無いかの?」
「了解にござる。近場の相手には吹き矢が良いかと」
「吹き矢か、試してみたい。普段身軽で居られるのが良いの」
「後ほど持って来させまする。それと昨日、水野殿が来訪されてござる」




